あなをかし、3分でわかる!「源氏物語」と紫式部 奥山景布子

第50回(最終回)

これからの「源氏物語」

更新日:2024/12/25

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1年間、「源氏物語」と紫式部についてさまざまなテーマで
お送りしてきました。最終回は、〈これからの「源氏物語」〉です。
『フェミニスト紫式部の生活と意見~現代用語で読み解く「源氏物語」~』
(集英社刊)の著者であり、平安文学研究者出身の作家・奥山景布子さんが解説します。

Q50 これから「源氏物語」はどうなるでしょう?
A50 歴史を振り返りつつ、希望を述べてみます。
 本連載の第49回で、「源氏物語」の研究者として藤原定家(ていか/さだいえ)に言及しましたが、その母で美福門院加賀(びふくもんいんのかが)と呼ばれた女性は、「源氏供養」という法会を催しています。

 これは、作り話の作者であることが罪深い。よって、紫式部は地獄に堕ちる。ひいては、夢中になった読者も罪深い、という当時の仏教的思想に基づいた文化でした(連載の第48回でご紹介した能「源氏供養」はこれを題材にした曲です)。

 熱心な読者(主に女性たち)の多くが、「来世で救われないかも……」と、後ろめたい、あるいは不安な思いを抱えていたのだろうかと思うと、胸が痛みます。

 ところが一方で、皇族や将軍家など支配階級にある人が、「源氏物語」に描かれた儀式などの場面を再現、模倣することで、己の権威権力を誇示したり、世論を誘導しようとしたり、といったことが、鎌倉時代から幕末まで、様々な形をとって行われていました。

 明治に入り、近代化が押し進められると、当時の「あるべき国家」「理想的な天皇制」と、「源氏物語」を結びつけようとする考え方が見られるようになります。これと並行して、紫式部を「貞淑な女性」と位置づけて、女性たちの模範の一つに掲げ、女子教育の題材にするといったことも行われました。

 これには正反対の意見もありました。実は、与謝野晶子の現代語訳の30年以上前に、末松謙澄(すえまつけんちょう)によって「源氏物語」が英語に翻訳(抄訳)されているのですが、これを読んだ津田梅子(つだうめこ)は「猥褻(みだり)がはしき(性的な読み物とかわらない)」と評して遠ざけようとしたのです。

 末松は、「源氏物語」を女子教育の中で規範とすべき書と考えていました。翻訳には、日本が西洋と同じく女性の地位が高いことを世界に紹介したい意図もあったようです。

 それに対して、津田梅子のような人がこうした反応を示したのを見ると、明治という時代に、人々の価値観がいかに混乱していたかが推し量られます。

 さらに、時代が進み、日本に軍事的空気が色濃くなると「源氏物語」は「後世の害物」であって、「我々を女らしく意気地なしにした」と演説した内村鑑三(かんぞう)や、「悪文の標本」と貶めた斎藤緑雨(りょくう)のような人たちも登場します。「源氏物語」に象徴されるような文化は「女々しいもの」だと、目の敵にされたのです。

 しかし、第二次世界大戦が終わると一転、演劇や映画まで含めた「源氏物語」ブームが起きます。ここには「失われた日本」を取り戻したいという時代の空気が読み取れます。

 いやはや、持ち上げたり叩いたり――都合の良いように使われてきたという側面は否めません。が、見方を変えれば、それだけ「源氏物語」は力がある、多くの「何か」を呼び起こす作品だと言えます。これからもその可能性は大きいでしょう。

 さて、ここで紹介した享受史には「まともに全巻を読んでいない」人による発言や態度が非常に多く混じっていることを、今改めて言及しておきたいと思います。

 与謝野晶子の現代語訳以降、多くの書き手(研究者、小説家、漫画家)たちが真摯に原文に向き合い、その成果を世に出しています。

 誤った言葉の理解や知識不足による明らかな誤読は避けなければなりませんが、原文にも多様な読み方にも、これほどアクセスが容易になった現代こそ、真に自由な「源氏物語」の読みが可能な時代だと、私は考えています。

 どうか、「原文も現代語訳も読まないまま」の、「なんとなく、気分」からの発言は控えて、物語の世界にまずは分け入って体験してくださる方が増えるのを、心から願っています。


参考文献:三田村雅子『記憶の中の源氏物語』新潮社
     川勝麻里『明治から昭和における『源氏物語』の受容』和泉書院

タイトルデザイン/小松昇(ライズ・デザインルーム)

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『「フェミニスト紫式部の生活と意見~現代用語で読み解く「源氏物語」~』
(奥山景布子著、集英社刊)

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著者プロフィール

奥山景布子(おくやま きょうこ)

1966年生まれ。小説家(主なジャンルは歴史・時代小説)。名古屋大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。主な研究対象は平安文学。高校講師、大学教員などを経て、2007年「平家蟹異聞」で第87回オール讀物新人賞を受賞し作家デビュー。受賞作を含む『源平六花撰』(文藝春秋)を2009年に刊行。2018年、『葵の残葉』(文藝春秋)で第37回新田次郎文学賞、第8回本屋が選ぶ時代小説大賞をW受賞。近刊は『フェミニスト紫式部の生活と意見~現代用語で読み解く「源氏物語」~』(集英社)『ワケあり式部とおつかれ道長』(中央公論新社)など。文庫オリジナルの『寄席品川清州亭』シリーズ(集英社文庫)や、児童向けの古典案内・人物伝記も精力的に執筆。古典芸能にも詳しく、落語や能楽をテーマにした小説のほか、朗読劇や歴史ミュージカルの台本なども手掛ける。「紫式部」を素材にした書籍としては、ほかに紫式部と清少納言が現代の子どもに向かって話しかけるスタイルの児童向け伝記『千年前から人気作家!清少納言と紫式部<伝記シリーズ>』(集英社みらい文庫)がある。
公式ブログ http://okehuko.blog.fc2.com/.

RICCA(リッカ)

漫画家、イラストレーター。群馬県出身。児童向け作品を多く手掛け、漫画作品に、『<集英社版・学習まんが世界の伝記NEXT>津田梅子』(監修/津田塾大学津田梅子資料室、シナリオ/蛭海隆志)、『<集英社学習まんが日本の伝記SENGOKU>武田信玄と上杉謙信』(監修/河合敦、シナリオ/三上修平)、『胸キュン?!日本史』(4コマ漫画担当、著/堀口茉純、イラスト/瀧波ユカリ、集英社刊)。イラスト担当作品に集英社みらい文庫の『真田幸村と十勇士』シリーズ、『三国志ヒーローズ!!』(いずれも著/奥山景布子)ほか多数。歴史好き。推し武将、推し文豪の聖地巡礼にも赴く。ソロキャンプも趣味。X https://twitter.com/ricca_comic

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