「源氏物語」は、執筆当初(平安中期)は当然、その時代の人気作品として
読まれました。それでは、いつの時代から現代小説ではなく
「古典」となったのでしょうか?
『フェミニスト紫式部の生活と意見~現代用語で読み解く「源氏物語」~』
(集英社刊)の著者であり、平安文学研究者出身の作家・奥山景布子さんが解説します。
第49回
「源氏物語」はいつから「古典」なの?
更新日:2024/12/18
- Q49 「源氏物語」はいつから「古典」になったのでしょう?
- A49 最初に「注釈書」が出されたのは1160年頃だと考えられます。
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「源氏物語」の熱狂的な読者として有名な菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。14歳の彼女が「源氏物語」全巻を手にし、貪るように読んだのは、寛仁五(1021)年のことでした。「更級(さらしな)日記」に描かれるその熱中ぶりは、お気に入りの漫画全巻に囲まれた現代の読者と同じに見えます。
しかし、それから140年ほどが経つと、最初の注釈書とされる「源氏釈(げんじしゃく)」(藤原伊行〈これゆき〉)が登場します。時の流れが、「源氏物語」を、夢中になってどんどん読めるものから、注を参照しながら読むものへと変えていったのです。
さらに鎌倉時代に入ると、「源氏物語」の「正しい本文」を求めようという動きが起きます。これは、作者・紫式部の自筆本が早くに失われてしまい、それを書写によって伝えていたであろう、道長や彰子(しょうし/あきこ)に近しい人々によって保管されていた本も、焼失したり行方不明になったりして、様々に異なる写本が流布するようになっていたからでした。
この試みは、おおよそ同時期に、京と鎌倉の二箇所でそれぞれに行われました。
京で行ったのは藤原定家(ていか/さだいえ)。道長の子孫に当たる人ですが、政治家というよりは、権威ある歌人として父の俊成(しゅんぜい/としなり)とともに存在感を持ち、古典の研究にも注力していました。
鎌倉で行ったのは、源光行(みつゆき)、親行(ちかゆき)の父子。光行は源頼朝(よりとも)の側近で、歴代将軍に学問や歌を指導するような立場にあり、そこから「源氏物語」の本文制定に動きました。
定家が制定した本文は青表紙(あおびょうし)本、光行・親行の方は河内(かわち)本と通称されるようになります。現在、一般に入手しやすい「源氏物語」関連の本は、ほとんどが青表紙本を採用していますが、室町時代の前半くらいまでは、河内本の方が多く流通していました。逆転したのは応仁の乱以降、連歌師の宗祇(そうぎ)らの活動によるとされます。
こうした本文制定の試み以後、「源氏物語」の注釈書(あらすじをまとめたものや、評論も含む)は、膨大に生み出されていきます。
江戸時代になると、日本の古典を研究対象とすることを「国学(こくがく)」と呼ぶようになり、「源氏物語」の研究もその重要な位置を占めます。中でも北村季吟(きぎん)の「湖月抄(こげつしょう)」(延宝元〈1673〉年)は契沖(けいちゅう)や賀茂真淵(かものまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)ら、多くの国学者に影響を与えました。また、与謝野晶子が読んだのも「湖月抄」だったとされます。
さて、『源氏物語注釈書・享受史事典』には、江戸時代までに出された注釈書として525点が紹介されていますが、このうち、女性によって書かれたと推定できるものはわずか7点。筆者は4人のみです。
「作者が女なのだから、女の方がより理解できるはず」などと単純なことを軽々しく言うつもりはありませんが、この点を見落とすことはできないと思います。
そんな中、近代以後、初めての「現代語訳」に取り組んだのが与謝野晶子であったことは、特筆に値します。
晶子は明治四十五(1912)年から翌年にかけて「新訳源氏物語」を出したのち、もっと詳細で緻密なものを目指して、二度目の訳に取り組みますが、完成間近の原稿が関東大震災で焼失するという悲劇に見舞われています。
現在「新新訳源氏物語」として流布しているものは、昭和十三(1938)年から翌年にかけて出版されたものですが、生涯に三度も全巻に向き合ったその熱意には、頭の下がる思いがします。
参考文献:伊井春樹編『源氏物語注釈書・享受史事典』東京堂出版
三田村雅子『記憶の中の源氏物語』新潮社
神野藤昭夫『よみがえる与謝野晶子の源氏物語』花鳥社 -
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「源氏物語」のイメージが変わります!『「フェミニスト紫式部の生活と意見~現代用語で読み解く「源氏物語」~』
(奥山景布子著、集英社刊)
バックナンバー
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第50回(最終回) これからの「源氏物語」
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第11回 紫式部の原稿料
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第10回 紫式部の本名は
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第8回 藤原道長の魅力
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第7回 平安時代の宴会メニュー
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第4回 藤原道長と紫式部
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第3回 寝殿造のトイレ事情
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第2回 十二単を着るときは
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第1回 清少納言と紫式部
更新日:2024/01/10
- 著者プロフィール
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奥山景布子(おくやま きょうこ)
1966年生まれ。小説家(主なジャンルは歴史・時代小説)。名古屋大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。主な研究対象は平安文学。高校講師、大学教員などを経て、2007年「平家蟹異聞」で第87回オール讀物新人賞を受賞し作家デビュー。受賞作を含む『源平六花撰』(文藝春秋)を2009年に刊行。2018年、『葵の残葉』(文藝春秋)で第37回新田次郎文学賞、第8回本屋が選ぶ時代小説大賞をW受賞。近刊は『フェミニスト紫式部の生活と意見~現代用語で読み解く「源氏物語」~』(集英社)『ワケあり式部とおつかれ道長』(中央公論新社)など。文庫オリジナルの『寄席品川清州亭』シリーズ(集英社文庫)や、児童向けの古典案内・人物伝記も精力的に執筆。古典芸能にも詳しく、落語や能楽をテーマにした小説のほか、朗読劇や歴史ミュージカルの台本なども手掛ける。「紫式部」を素材にした書籍としては、ほかに紫式部と清少納言が現代の子どもに向かって話しかけるスタイルの児童向け伝記『千年前から人気作家!清少納言と紫式部<伝記シリーズ>』(集英社みらい文庫)がある。
公式ブログ http://okehuko.blog.fc2.com/.
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RICCA(リッカ)
漫画家、イラストレーター。群馬県出身。児童向け作品を多く手掛け、漫画作品に、『<集英社版・学習まんが世界の伝記NEXT>津田梅子』(監修/津田塾大学津田梅子資料室、シナリオ/蛭海隆志)、『<集英社学習まんが日本の伝記SENGOKU>武田信玄と上杉謙信』(監修/河合敦、シナリオ/三上修平)、『胸キュン?!日本史』(4コマ漫画担当、著/堀口茉純、イラスト/瀧波ユカリ、集英社刊)。イラスト担当作品に集英社みらい文庫の『真田幸村と十勇士』シリーズ、『三国志ヒーローズ!!』(いずれも著/奥山景布子)ほか多数。歴史好き。推し武将、推し文豪の聖地巡礼にも赴く。ソロキャンプも趣味。X https://twitter.com/ricca_comic
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