あなをかし、3分でわかる!「源氏物語」と紫式部 奥山景布子

第45回

中宮彰子はどういう人?

更新日:2024/11/20

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紫式部は、一条天皇の中宮彰子の女房でした。
清少納言のあるじである皇后定子と比較されることの多い
彰子はどのような人生を送ったのでしょうか。
『フェミニスト紫式部の生活と意見~現代用語で読み解く「源氏物語」~』
(集英社刊)の著者であり、平安文学研究者出身の作家・奥山景布子さんが解説します。

Q45 彰子は、一条天皇の死後、どうなった?
A45 多くの人を支え、かつ従えて長生きしました。
 皇后定子(ていし/さだこ)が亡くなった後、一条(いちじょう)天皇との間に二人の皇子をもうけ、父・道長の栄達を支えた中宮彰子(しょうし/あきこ)。ただ彼女は、いつまでも道長の言いなりになっていたわけではありません。

 寛弘八(1011)年に一条天皇が譲位する折、道長は次の皇太子に彰子の実子、敦成(あつひら)親王を立てようとします。彰子はこれを喜ばず、むしろ恨みに思ったと「権記」(藤原行成〈ゆきなり/こうぜい〉の日記、五月二十七日条)にはあります。

 彰子は、定子の産んだ第一皇子、敦康(あつやす)親王が皇太子になることを望んでいました。定子亡き後、養母として育ててきた愛情と、一条天皇の遺志を重んじる気持ちからだったのでしょう。

 この一件では父の決定を覆せなかった彰子ですが、 この翌年に皇太后になって以後は次第に、「皇太子の母」「天皇の母」として発言力を持つようになります。

 妹の姸子(けんし/きよこ、三条天皇の中宮)が派手好きで、頻繁に宴を行うのをよく思わず、公卿たちにとって負担の大きい「一種物」(いっすもの、持ち寄りパーティ)という宴を中止させたというエピソードは、実資(さねすけ)の「小右記」(長和二年二月二十五日条)に残っていて有名です。

 姸子とは考えが合わなかったのか、互いに贈った物を返し合うなど、他にももめ事があったと伝わっています(「御堂関白記」同年四月十四日条)。

 長和五(1016)年に敦成親王(後一条〈ごいちじょう)天皇)が9歳で即位の儀式を行った時には、彰子は天皇とともに高御座(たかみくら)に上がりました。母后が高御座にのぼった最初の例と言われ、「自分が息子の第一の後見である」と示す強い意図が感じられます。

 実際、通常なら摂政が行う「天皇の政務の代行」が、彰子によって行われた例が見られ、これが後の院政期には、上皇が行う政務の先例とみなされるなど、「天皇の親」として政治に関与していく姿勢を見せていました。

 長和六(1017)年に道長が出家して以降は、弟の頼通(よりみち)、教通(のりみち)らを指導、後見する立場となり、天皇家と摂関藤原家、両方を統率する存在感の大きな后となっていきます。頼通父子と教通との間での後継者争いを、彰子が仲裁、制止したというエピソードも残っています(「古事談」巻二の六十一)。

 寛仁2(1018)年には、太皇太后となり、それから8年後には出家し、その後「上東門院」の院号で女院となります。女性で院号を得たのは、彰子の伯母である詮子(せんし/あきこ、一条天皇の母、道長の姉)に次いで史上2人目のことです。

 彰子は、2人の天皇(後一条天皇、後朱雀〈ごすざく〉天皇)の母として、さらに2人の天皇(後冷泉〈ごれいぜい〉天皇、後三条〈ごさんじょう〉天皇)の祖母として、朝廷で重きをなし続けます。承保元(1074)年に87歳で亡くなった時に帝位にあったのはひ孫にあたる白河(しらかわ)天皇ですが、これ以後、いわゆる摂関政治は機能しなくなり、院政の時代へと変わっていきます。

 長寿であった分、夫の一条天皇に始まり、両親、さらに、多くの弟妹や孫たちにまで先立たれた彰子。本連載の第9回でも取り上げたように、后の中では多くの歌を残した人ですが、人の死を悼む歌が多いことが、その生涯を象徴しているかもしれません。


参考文献:朧谷寿『藤原彰子』ミネルヴァ書房
     服藤早苗『藤原彰子』〈人物叢書〉吉川弘文館
     服藤早苗/高松百香編著『藤原道長を創った女たち』明石書店

タイトルデザイン/小松昇(ライズ・デザインルーム)

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『「フェミニスト紫式部の生活と意見~現代用語で読み解く「源氏物語」~』
(奥山景布子著、集英社刊)

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著者プロフィール

奥山景布子(おくやま きょうこ)

1966年生まれ。小説家(主なジャンルは歴史・時代小説)。名古屋大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。主な研究対象は平安文学。高校講師、大学教員などを経て、2007年「平家蟹異聞」で第87回オール讀物新人賞を受賞し作家デビュー。受賞作を含む『源平六花撰』(文藝春秋)を2009年に刊行。2018年、『葵の残葉』(文藝春秋)で第37回新田次郎文学賞、第8回本屋が選ぶ時代小説大賞をW受賞。近刊は『フェミニスト紫式部の生活と意見~現代用語で読み解く「源氏物語」~』(集英社)『ワケあり式部とおつかれ道長』(中央公論新社)など。文庫オリジナルの『寄席品川清州亭』シリーズ(集英社文庫)や、児童向けの古典案内・人物伝記も精力的に執筆。古典芸能にも詳しく、落語や能楽をテーマにした小説のほか、朗読劇や歴史ミュージカルの台本なども手掛ける。「紫式部」を素材にした書籍としては、ほかに紫式部と清少納言が現代の子どもに向かって話しかけるスタイルの児童向け伝記『千年前から人気作家!清少納言と紫式部<伝記シリーズ>』(集英社みらい文庫)がある。
公式ブログ http://okehuko.blog.fc2.com/.

RICCA(リッカ)

漫画家、イラストレーター。群馬県出身。児童向け作品を多く手掛け、漫画作品に、『<集英社版・学習まんが世界の伝記NEXT>津田梅子』(監修/津田塾大学津田梅子資料室、シナリオ/蛭海隆志)、『<集英社学習まんが日本の伝記SENGOKU>武田信玄と上杉謙信』(監修/河合敦、シナリオ/三上修平)、『胸キュン?!日本史』(4コマ漫画担当、著/堀口茉純、イラスト/瀧波ユカリ、集英社刊)。イラスト担当作品に集英社みらい文庫の『真田幸村と十勇士』シリーズ、『三国志ヒーローズ!!』(いずれも著/奥山景布子)ほか多数。歴史好き。推し武将、推し文豪の聖地巡礼にも赴く。ソロキャンプも趣味。X https://twitter.com/ricca_comic

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