シネマでみる、この世界
吉田徹
政治学者の吉田徹が、新旧の名作映画から歴史や現代社会を読み解く。
ホロコースト――人間が人間でなくなる場
ナチス・ドイツによるユダヤ人の集団虐殺である「ホロコースト」は、数えきれないほどの映画の題材となってきました。最近も、アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した『関心領域』(ジョナサン・グレイザー監督)が大きな話題となったことは記憶に新しいところです。
ヨーロッパでは第二次世界大戦前から戦中にかけて、約600万人ものユダヤ人が強制収容所などで虐殺されました。なぜ最も文明的な国家が特定人種や集団を政治目的のために組織的に抹殺することになったのか――その不気味な経験は、いつの時代でも、我々に、大きな不快感や疑問を呼び起こします。私もアウシュヴィッツ(ポーランド語名ではオシフィエンチム)を訪れたことがありますが、のどかな田園風景の中にコンクリートの建物の塊が鎮座し、そこから延々と鉄道線が延びていく光景に、人間による何か異常な営みを感じ取ったことを覚えています。
ホロコーストを生き延びた作家プリーモ・レーヴィは、自身の強制収容所での経験をつづった代表作『これが人間か』(竹山博英訳、朝日新聞出版、2017年)でこう書いています。「これが人間か、考えてほしい/泥にまみれて働き/平安を知らず/パンのかけらを争い/他人がうなずくだけで死に追いやられるものが」(ちなみに、レーヴィを主人公にした『遥かなる帰郷』〈フランチェスコ・ロージ監督、1996年〉という映画もあります)。人間の所作によって人間が人間でなくなる場がナチスによる絶滅収容所でした。
ただ、この世界史上の悲劇が広く知られるようになったのは比較的最近のことでもありました。戦後直後の1947年に出版されたこのレーヴィの本も、当時は全く注目を浴びませんでした。ホロコーストの事実は、ナチス支配地域の国がこれに協力したことや、東西冷戦中は西側、東側諸国がそれぞれの陣営の結束を重視したため、積極的に注目しなかったためです。ホロコーストの詳細を衆目が知ることになったのは、1978年に放映されたアメリカのテレビドラマ『ホロコースト』がきっかけになったとされています。ヨーロッパでは1985年に、作家マーティン・グレイの自伝をもとにした『愛する人たちのために』をベースにしたドラマが放映され、さらに有名なクロード・ランズマン監督の『ショア』が公開されたことで、一般的な知識となりました。それまで「ジェノサイド」と呼ばれていたユダヤ人の集団殺害が「ホロコースト」と呼ばれるようになったのは、これらの映像作品の影響があるともいわれます。ホロコーストと映像は切っても切り離せない関係にあることがわかります。
そこで今回は、映画にとって依然として重要な題材となり続けている、ホロコーストの発端と実際、そしてその後に焦点を当てて、3本の映画を紹介しましょう。
『ヒトラーのための虐殺会議』(DVD発売元:クロックワークス)
ホロコーストの計画化――『ヒトラーのための虐殺会議』
なぜナチス・ドイツは、組織的かつ計画的なユダヤ人殺戮に手を染めることになったのか。背景には指導者ヒトラーを含め、ナチスの反ユダヤ主義があったことは間違いありません。シェイクスピア『ヴェニスの商人』に見られるように、ヨーロッパには古からユダヤ人への偏見が存在してきましたが、ユダヤ人が特定の信仰を持つ人々のことではなく、「アーリア人種」の対極に位置する特定の人種であると喧伝するようになったのはナチスでした。
ただし、ユダヤ人蔑視と組織的なユダヤ人の抹殺の間にはかなりの溝があります。ナチスの内部には、誇り高いアーリア人がユダヤ人虐殺に手を染めるべきではないと考える人たちもいました。すでにソ連などのユダヤ人は戦闘行為の中で殺害されることが常でしたが、それでもなお、なぜナチスはホロコーストを進めることになったのか。多くの歴史家の間でいまでも論争が続いています。
理解のひとつの鍵を提供してくれるのは『ヒトラーのための虐殺会議』(マッティ・ゲショネック監督、2022年)です。これはナチスがヨーロッパ中のユダヤ人を集めて集団虐殺することを正式に決めた1942年1月の会議(「ヴァンゼー会議」)の内容を再現する作品です。この会議は、残されている議事録によって、どのような人間がどんな発言をしたのかが正確に確認できるものだったからです(記録責任者は1961年にイスラエルで裁判にかけられたことで有名になったアイヒマンでした)。ホロコーストの全容が戦後に次々と明らかにされたのは、ナチスが行き当たりばったりではなく、組織的・官僚的にこれを行うために多くの文書記録が残されていたからでもあります。
当時、ナチスが抱えていた問題は、東部戦線に点在する多くのユダヤ人でした。彼らの家屋や財産を没収して、代わりにドイツ人を植民させる計画があったものの、そのための財源や労働力が不足していました。さらに反ユダヤ主義から国内のユダヤ人を国外追放しなければならなかったものの、戦況が不利になったことから輸送が進まないという状況にありました。邪魔者となったユダヤ人をアフリカのマダガスカル島やシベリアに追放することも計画されましたが、これも思ったように軍が進めないことから、実現できないままでした。
そこで、域内のユダヤ人を東部に集め、働けない者は抹殺するという計画が練られたわけです。イデオロギーではなく、いわばロジスティックスの問題からホロコーストという計画が練られたという解釈は、歴史家ゲッツ・アリーが『最終解決』という著作で強調したもので、ホロコースト研究の「機能派」と呼ばれます。この映画もそうした解釈を採っています。
次々と大型ベンツで湖畔の邸宅に乗り付ける当時のナチ党や政府幹部たちに、議長のハイドリヒ親衛隊大将が求めたのは「ユダヤ人問題の最終解決」でした。しかし、政府内部にはそれぞれ立場があります。すでに多くのユダヤ人を抱えて食住供給に困難を抱えるポーランド総督府はさらなる受け入れは負担軽減策がないと嫌だといい、全ヨーロッパのユダヤ人移送のためには同盟国の同意が必要になるため外交問題になると指摘する者もいます。経済官僚は、大量輸送のための財源を心配します。法務官僚は追放の法的根拠を問います。権限争い、忖度、売り込み、さや当て、取り繕いなど、ごく普通の会議でもよく見られる風景が展開されます。登場人物が多いので、開始10分50秒くらいから始まる会議出席人物の説明を覚えておくといいでしょう。
ヨーロッパ社会に最も同化していたのがドイツ系ユダヤ人でしたから(だからこそ憎しみの対象となったわけですが)、そもそも誰をユダヤ人と認定するのか、国防軍に配属されているユダヤ人をどうするのかということも討議になります。禁止となっていた混血婚カップルや彼らの混血児は免除される方針が検討されますが、では、その混血児の兄弟や子どもはどうなるのかといった難しい問題に直面することになります。会議では断種手術をすることなどが検討されますが、血統や人種で人間を分けることの理不尽さがよく分かります。
この作品の妙は、主催者である親衛隊からは匂わせられるものの、最後の最後まで「最終解決」が具体的に何であるか、明かされないことです。会議出席者も薄々感じ取りながらも口に出そうとしません。ヴァンゼー会議の議事録にも、どのようにしてユダヤ人を虐殺するかの具体的方法については記録されていないため、映画では、会議室ではなく懇親の場でそれが明かされた、という演出を採っています。
その場で、ある人物がこう問います。「(過去に)3万3771名のユダヤ人に対して特別処理をするのに36時間かかった。つまり1時間に938人。(ヨーロッパ全体の)1100万人は1万1720時間、つまり488日間かかる」。しかもこうした場合、ドイツ兵の「精神の負担」が問題になると、その「倫理的」な側面を問題視します。これに対して「最終解決」は「人道的な方法」で実施されることが約束されます。その方法を、最後にアイヒマンが明かします。
「ユダヤ人は鉄道で施設に到着。労働不可能な者を選別し所持品を没収。消毒と偽って彼らを気密なガス室に誘導します。例の薬品は外から投入します。正しく行えば10~15分で完了。部屋を換気し、死体を搬出して処理します。高性能の焼却炉も計画中です」――こうした綿密に練られた計画に出席者皆が納得して、会議は終わります。
『サウルの息子』(DVD発売元:ファインフィルムズ)
人間であるために――『サウルの息子』
アウシュヴィッツ絶滅収容所での死体処理シーンから始まるのは、アカデミー賞外国語映画賞も受賞した『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー監督、2015年)です。絶滅収容所の悲惨さを描く映画は数多くありますが、この映画はその中でも最もリアルなもののひとつでしょう。ほぼ全編がサウルの目線を追う手持ちカメラで撮影されているということもありますが、どういう意味でリアルなのか、それを説いていきましょう。
ハンガリー系ユダヤ人サウルは、死体処理をはじめとする雑用を行う収容所の「ゾンダーコマンド(別部隊)」の一員で、ある日、ガス室で処理された少年の姿を目にします。サウルは、この少年が何者なのか、情報を執拗に集めようとします。ゾンダーコマンドの多くは最終的には殺される運命にありましたが、必要な労役者でもあるため、様々な場所に出かけたり、人間と接触したりすることもできたためです。彼は、解剖に回された少年の遺体を処理しないよう医師に懇願し、収容所に送られてくる人間の中から、ラビ(ユダヤ教の聖職者)を見つけ出そうと躍起になります。彼は「息子が殺された」と告白し、ラビと思しき人物にカディッシュ(死者に捧げるユダヤ教の追悼の祈り)をして欲しいと頼みます。
ガス死した親族の遺体を処理しなければならないという、筆舌に尽くしがたい経験があったという事実も残っていますが、映画ではもっともこの少年が本当にサウルの息子だったのか、判然としない部分もあります。もし本当に息子だったら、なぜ彼の素性を知ろうとするのか、なぜ彼と対面した時に何の表情も見せないのか。作中では、サウルが仲間からそもそも「息子なんかいない」と指摘される一コマもあります。
「人間は根本的には野獣で、利己的で、分別がないものだ、それは文明という上部構造がなくなればはっきりする」(前掲書)とは、このアウシュヴィッツでの収容所生活を送った、先述したレーヴィの言葉です。同じように、哲学者アーレントは、『全体主義の起源』で、絶滅収容所の真の問題は、それが抹殺の場所というよりも、人間を動物のようにさせてしまうことにあると指摘しました。このように考えると、サウルはそのような非人間的な状況下で、未来を失った少年を弔うという、収容所では一見、何の役にも立たないことを敢えて行うことで、最も人間らしい性質を自らの手で回復しようとしていたのではないかとみることもできます。このように解釈した時、少年が本当に彼の息子だったのかどうかは、実は物語の本筋ではないことがわかります。生存競争だけが規律となる世界で、人間性を回復しようとする物語であることに『サウルの息子』のリアルがあるのです。
作品では、これも史実である、ゾンダーコマンドたちによる反乱と脱獄が企てられていることが伏線として描かれています。彼らが抹殺の対象になろうという時、隠していた武器で看守らに攻撃を仕掛け、サウルも少年の死体を背負って脱走を試みます。しかし、その中途で死体を手放してしまった彼に、物語はもはや未来を与えることもありません。
自らの運命が潰えようとしている時、サウルは自分を発見した地元の子どもに微笑みかけます。死ぬべき者しか存在しない収容所から逃げ出すことができた彼が最期に笑顔を見せたのは、その少年にもしかしたら未来を託すことができたからなのかもしれません。
『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』(DVD発売元:アットエンタテインメント)
生き残った者の責務――『シモーヌ』
絶滅収容所にいた者、つまりその腕に囚人番号を刻印された者で政治家になった者は多くありません。しかし、度重なる偶然でもって生還を果たし、それゆえに残りの人生を世の中を善き場所に変えることに捧げた政治家も存在します。中でも最もよく知られた人物は、フランス人のシモーヌ・ヴェイユでしょう。彼女の名前は、人工妊娠中絶を実現させた1974年の「ヴェイユ法」、あるいは日本でも知られるようになった議員の男女同数を定める「パリテ法」の推進者としても知られますが、わずか16歳の時に、当時ナチスに協力していたフランスで捕まって、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所へと送られ、ホロコーストで両親と兄を亡くした経験の持ち主でもありました。
そんな彼女の人生を描くのが『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』(オリビエ・ダアン監督、2021年)です。原題のサブタイトルが「世紀の旅」と銘打っているように、1927年に生まれ2017年に亡くなった彼女の人生はフランスの20世紀を体現するものでもあり、フランス戦後史を知るにも最適な一本です。
作品は、晩年のヴェイユが自分の人生を回顧するところから始まります。自身の人生の転換点――当時まだ珍しかった女性司法官として刑務所待遇を改善させたこと、保健大臣として中絶認可を推し進めたこと、女性として初めての欧州議会議長となったこと、エイズ患者支援に尽力したことなど――を交互に織り交ぜながら、収容所から生存したユダヤ系女性としての人生を浮き彫りにしていきます。モノローグの文章は、彼女の自伝『シモーヌ・ヴェーユ回想録』からの引用となっています。また、作品中に説明がないのでわかりにくいのですが、終盤に登場するユダヤ人死亡者の「名前の壁」は、彼女が設立に尽力し所長を務めたパリの「ショア記念館」に設置されているもので(ヴェイユの意向もあって記念館は無料なので是非訪れてみてください)、その後にフレームアップされる剣はフランスの名士たちで構成される「アカデミー・フランセーズ」会員に授けられるものです。ヴェイユの剣には、彼女の人生を象徴する「ビルケナウ」「自由、平等、友愛」「多様性の中の統合」(EUの標語)、そして収容所での番号が彫られています。
ヴェイユの政治的闘いの根底にあるのは、彼女が母親から受けた愛情と教育であることも、徐々にわかっていきます。職業人になることを諦めて家庭に入ることになった母イヴォンヌは、幼いシモーヌに「あなたは勉強して自立しなさい」と諭します。母親はまた、収容所で絶命する間際に「善行なさい」との遺言を残します。ヴェイユは収容所での経験を、レーヴィと同じように「食料や毛布を死守して、自分たちが生き延びるためには勇気を出して利己的にならざるを得なかった」と振り返ります。それでも、手づかみでわずかな食事をほお張らなければならない母親のために、スプーンを命がけで探し出そうとする姿から、彼女が母親の戒めに忠実だったことが窺われます。
冒頭に、ユダヤ人迫害と絶滅収容所の話は広く知られていなかったと書きましたが、そのことにヴェイユはずっと苦しめられていた事実も指摘されています。歴史家のトニー・ジャットが「ヴィシー(=第二次世界大戦中におけるフランスの対独協力政権)症候群」と表現したように、戦後、フランスもまたナチス・ドイツに協力したこと、その中でユダヤ人追放に手を貸したことを恥としてきました。そしてフランス人自らがレジスタンスを組織して解放を勝ち得たことが正史として戦後流通していました。そんな状況で、ヴェイユのような生存者は「集団的記憶の中のトゲ」のように邪魔だったわけです。
ヴェイユは女性であること、そしてユダヤ人であることの二重のハンデを負った人物でもありました。それゆえ、彼女は、女性と社会的弱者の支援に一生を捧げることになります。エリート校のパリ政治学院を卒業し、夫の反対にあいつつも、3人の子どもを育てて司法官として刑務所や留置所の環境改善を粘り強く進めていきます。50年代のフランスはアルジェリア戦争に翻弄されましたが、現地で拷問にあっている政治犯の本国での保護も実現させます。保健大臣に抜擢されてからは、数多くの男性議員の批判を浴びながら、中絶法を成立させます。エイズが問題となる80年代になってからは、支援体制構築のために国際会議を主催します。それらは、作中のヴェイユの言葉を借りれば「尊厳と民主主義、そして人間性の問題」だったのです。映画では、今では飛ぶ鳥落とす勢いの極右政党である国民戦線(現・国民連合)から罵声を浴びせられるシーンもありますが「親衛隊に比べたら脅威じゃない」と一蹴するように、極右政党はそんな彼女にとっては敵ですらなかったでしょう。
「あなたは生きなきゃいけない」「生と死の隔たりはわずかしかない。破壊と再生も紙一重」とは、ヴェイユが若くして子どもを亡くした麻薬中毒のエイズ患者女性にかける言葉です。たまたま生存者として生きることを余儀なくされ、だからこそ社会の不遇をなくすことを責務とした人物ならではの人生訓ではないでしょうか。
「好むと好まざるとにかかわらず、私たちには団結を生む責任がある。過去の出来事から学び、未来へと進むものだ」――単なる過去の歴史を知るというだけでなく、世界の紛争地でジェノサイドやホロコーストが再び生じているという現実を前に、人間は何のために生きているか、どう生きるべきなのかということを、これらの映画は教えてくれます。
- 著者プロフィール
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吉田徹 (よしだ とおる)
同志社大学教授
1975年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は比較政治学、ヨーロッパ政治。著書に『ミッテラン社会党の転換』(2008年、法政大学出版局)、『二大政党制批判論』(2009年、光文社新書)、『ポピュリズムを考える』(2011年、NHK出版)、『感情の政治学』(2014年、講談社)、『「野党」論』(2016年、ちくま新書)、『アフター・リベラル』(2020年、講談社現代新書)などがある。