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シネマでみる、この世界

政治学者の吉田徹が、新旧の名作映画から歴史や現代社会を読み解く。

ナショナリズム――戦争を生むのか、戦争で生まれるのか

 ナショナリズムとは何でしょうか。様々に観念される多い概念ですが、社会科学では「政治的単位とネーション(民族的・文化的)単位が一致すべきであるという政治的原則」という、文化人類学者アーネスト・ゲルナーによる定義がよく知られています(『民族とナショナリズム』)。これは、特定のネーション(国民や民族)が存在しているとして、これらが、その属する共同体の様々なルールや決定の主体であるべきだ、とするものです。
 そう考えると、ナショナリズムと民主主義もまた、実は深い関係にあることがわかります。「この宗教には神もなく礼拝所もなく、また来世もないけれども、イスラム教と同様、全地上を自らの兵士、布教者、殉教者であふれさせた未完の宗教となった」とは、思想家トクヴィルによるフランス革命の描写ですが、圧政に苦しんでいる庶民が自分たちで支配権を打ち立てようとする力は、歴史で民主化を推し進める原動力となってきました。
 文化人類学のベネディクト・アンダーソンが、ネーション(民族や国民)を「想像の共同体」と呼んだことはよく知られているように、もっともこのネーションは多分に想像力の産物であることから、ここから「誰がネーションで、誰がネーションではないのか」という線引きの問題が出てきます。つまり、ナショナリズムは「同胞同士で助け合わなければならない」という包摂の論理として機能する一方、「同胞でない人間は助けなくとも良い」という排除の論理を必然的に伴うことになります。現在、日本を含む多くの先進国でみられる移民に対する忌避感やヘイトは、こうしたナショナリズムの発露でもあります。かようにして、ナショナリズムは、二面性を伴う現象なのです。
 ナショナリズムを考える際にさらに重要なのは、「本質主義」と「構築主義」という、ニつの異なる捉え方です。「本質主義」は、ネーションとは本来的に文化的な同質性を持ったものだとみなし、「構築主義」は、ネーションは様々な神話や制度によって人為的につくられたものだとみなす立場です。このいずれの立場をとるかによって、ネーションの範囲やその特徴、そのネーションに基づくナショナリズムをどう評価するかも変わってくることでしょう。
 そしてこれらナショナリズムの三つの側面が色濃く表れるのが戦争です。戦争は、共同体の自主独立、ネーションの範囲、ネーションの本質を明らかにする行為でもあるからです。今回は、このナショナリズムが持つ「包摂と排除」「本質主義と構築主義」という二つの二面性を念頭に置きながら、3本の映画を見ていきたいと思います。


今回紹介する3作品のDVD。左から、『カサブランカ』(発売元:ワーナー・ホーム・ビデオ)『麦の穂をゆらす風』(発売元:ジェネオンエンタテインメント)『7月4日に生まれて』(発売元:ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント)

アメリカ参戦の軌跡――『カサブランカ』

 最初に取り上げるのは、日本でも有名な『カサブランカ』(マイケル・カーティス監督、1942年)です。内容がハンフリー・ボガート演じるリックと、彼の元恋人役でイングリッド・バーグマン演じるイルザの間の、モロッコはカサブランカを舞台にしたロマンスであることは広く知られているでしょう。ただ、当時の時代状況を考えれば、この映画はアメリカ人の参戦意識を高め、第二次世界大戦の正当性をアピールすることに主軸を置いたものであることの方が重要です。
 アメリカ人のリックは、過去にスペイン内戦やイタリアのムッソリーニが侵略したエチオピアで戦った過去を持つ人物ですが、今では厭世気分に浸り、カフェバーを経営する遊び人に過ぎません。そして彼の店に、昔、パリで愛し合い、チェコ人のレジスタンス活動家と結婚したイルザが現れる――このようなストーリーだけでも、あるいはナチスドイツに支配されていたフランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」が全編で流れることを考えても、戦時中のヨーロッパを強く意識した映画であることは明瞭です。
 当時のモロッコがフランスの植民地であった点もポイントになっています。ナチス支配下にあったフランスは、ドイツ占領地域と対独協力政権であるヴィシー政府(正式には「フランス国」)に分割されていたことから、ナチスと保護領モロッコ、そしてヴィシー政府という三重の統治構造になっていることが、ストーリー展開や登場人物に深みを与えています。例えば、終盤で警察署長ルノーがミネラルウォーター「ヴィシー」(今でもある)をゴミ箱に捨てるシーンなどは象徴的でしょう。
 リックの経営する「リックス・カフェ」は、ポルトガル経由でアメリカに亡命を希望する人々が訪れる逃避所にもなっており、ナチス支配から逃れようとする多くが彼を頼りにしていることも示唆的です。トランプ大統領の言う「アメリカファースト」は、もともとは第二次世界大戦参戦に反対する「アメリカファースト委員会」の名から来ています。アメリカは大戦当初、孤立主義路線を捨てず、ヨーロッパの戦争に参戦しないままでした。つまり、戦わないことを決意したリックは、当時のアメリカの象徴でもあるのです。
 イルザは、夫が出国できるよう、リックがたまたま入手した出国通行証を手に入れようとします。嫉妬に駆られたリックは、カサブランカに彼女が残るなら譲ってもよい、と条件を出します。イルザはリックの態度に苛立ち「あなたも彼も同じ目的で戦ったでしょう」と迫りますが、彼は「自分のためにしか戦わない」とにべもありません。


映画『カサブランカ』より

 結局、リックは夫よりも彼女を愛しているということを証明するために、通行証を2人に譲ることを決意し、そればかりか、ファシズム勢力と戦うため、戦争に参加することを決意します。「新しい友情の始まりだ」――リックがフランス人ルノーに言うセリフは有名ですが、これはアメリカが第二次世界大戦を戦うことを決意する意思の表明にもなっています。
『カサブランカ』は1941年、3期目の大統領に就任したルーズヴェルトが、第二次世界大戦への参戦を模索していた時期と同じくして製作されたものです。やはりナチスに支配されたノルウェー出身という設定のイルザ、その夫であるチェコ人、リックを手助けするフランス人ルノー、こうした人々の国を救うために、アメリカが第二次世界大戦に参戦する理由を提示することこそが、この映画の核心になっています。封切り時に映画を見た同時代のアメリカ人たちは、切なくも甘い物語をみて、その戦意を高揚させたことでしょう。女性への愛とナショナリズムの心を巧みに組み合わせているところが『カサブランカ』を名作にしている所以です。

戦争が国民をつくる――『麦の穂をゆらす風』

 ナショナリズムが戦争を誘発することも確かですが、他方で戦争が特定のネーションをつくり上げることも確かです。そうしたナショナリズムに翻弄される兄弟の姿を描くのは、名匠ケン・ローチ監督の『麦の穂をゆらす風』(2006年)です。なお、アイルランド独立戦争を描いた、対照的な『マイケル・コリンズ』(ニール・ジョーダン監督、1996年)の名もあげておきます。これらの作品はそれぞれパルムドールとヴェネチア国際映画祭金獅子賞に輝いています。
 アイルランドがイギリスから公式に独立するのは1922年のことです。イギリスは、世界帝国となる前から、現在のグレートブリテン島を北上して各地を征服し、12世紀の入植に始まり、1801年にアイルランドを併合したことで、「大ブリテンおよびアイルランド連合王国」が誕生します。歴史的にアイルランド問題が解決をみなかった背景には、アイルランドが主としてカトリックの地であり、国教会のイギリス人がその権利を認めたがらなかったことが挙げられます。
 アイルランドが独立の道を歩み始めるのは、第一次世界大戦中、1916年の「イースター蜂起」を経て、大戦後の1919年には一方的な独立宣言をしてからのことです。アメリカのウィルソン大統領が民族自決を掲げたことから、ヨーロッパ大陸で多くの新興国家が生まれたことも作用しました。イギリスはその独立を認めなかったため、武装蜂起をしたアイルランド共和国軍(IRA)との武力衝突が始まります。『麦の穂をゆらす風』は、女性や子どもがイギリス軍の犠牲となった「血の日曜日」が起きるなどして、両国の間でもっとも激しい戦闘のあった1920年代初頭を舞台としています。
 医者として将来を嘱望されていた主人公ダミアンは、友人がイギリス軍に無残に殺されたことをきっかけに、IRA入隊を決意します。「俺たちはボーア人さ、アフリカの植民地並みだ」と、アイルランドの人々はイギリス支配脱却の意思を強くします。ちなみに、当時のアイルランド問題の担当は、後に首相となるチャーチル植民地相でした。
 ダミアンには、同じくIRAで活躍する尊敬する兄テディがいますが、彼は一旦イギリス軍の囚われの身になります。「君らは不法に国を占拠している」「国から出ていけ」――テディはこうして拷問にかけられますが、拷問をしたイギリス軍将校も「ソンム(第一次世界大戦の戦場)で戦ったんだ」と述べて、自分もイギリス・ナショナリズムの犠牲者であることを匂わせます。実際、イギリスは、第一次世界大戦後に職のない復員兵を大量にアイルランド戦線などに投入しました。
 ダミアンは独立闘争を進めるなかで、密告をした仲間を処刑せざるを得ないという、惨い経験をします。しかし、事態は彼もまた同じ目に遭う状況へと発展していきます。イギリスがアイルランド南部の独立を「アイルランド自由国」として認める一方、北部(アルスター)をイギリス領に留める案(イギリス=アイルランド条約)を提示したことで、IRA内が条約批准派と反対派に分裂したためです。あくまでも完全な独立を求めるダミアンと、妥協を是とするテディとの間にこうして埋めがたい溝が生まれます。


映画『麦の穂を揺らす風』より

 こうして南北にアイルランドが分割されたことで、北アイルランドでは90年代までIRAの武力闘争(イギリスから見ればテロ)が続くことになり、イギリスのEU離脱では北アイルランドとの国境が問題になるなど、100年前に生まれたこの問題は今も尾を引いています。
 ダミアンを捜索しに、自由国軍はかつて彼の殺された友人の実家にも踏み込み「政府の命令」と、イギリス軍とまったく同じ言葉を吐きます。内部の敵を排除しようとするイギリスのナショナリズムと新たなアイルランドのナショナリズムに違いはありません。
「誰と戦うかは簡単にわかる。何のために戦うかをよく考えろ。僕は今何のために戦うかがわかる」――アイルランド全土を解放するという大義のために命を捨てる覚悟をしたダミアンの心境です。ナショナリズムは、敵から攻撃されることによっても鼓舞されます。歴史をみても、フランス革命防衛戦争(ナポレオン戦争)や普仏戦争、そして現在のウクライナ戦争を含め、敵国と戦うことによって、もともと薄く存在していたネーションとしての意識が強化され、大きな力を発揮することになります。ナショナリズムが戦争を生むというだけではなく、戦争によってナショナリズムが発展していくという循環があることにも気づかされる作品です。

国を愛することの意味――『7月4日に生まれて』

 果たしてナショナリズムは、必ず好戦的なものなのでしょうか。そうではなく、国を正しい方向へと糾そうとする戦いもナショナリズムなのだ、ということを教えてくれるのは、史実に基づいたオリバー・ストーン監督の『7月4日に生まれて』(1989年)です。この作品は『タクシードライバー』(1976年)や『ディア・ハンター』(1978年)などと同様、ベトナム帰還兵の困難を主題にするものですが、戦争を経てナショナリズム観が変転することを描く作品でもあります。
 トム・クルーズが務める主人公ロンの誕生日は7月4日、アメリカの独立記念日です。1946年生まれの彼は、まだ第二次世界大戦の記憶が生々しい環境で育ちます。高校でレスリング部の選手として活躍するロンですが、期待に反して大会で負けてしまったため、ベトナム戦争中ということもあり、海兵隊への入隊を決意します。「親父たちは第二次世界大戦、俺たちも歴史の一部になるんだ」。敬虔の念が深いカトリック家庭に育ち、レスリング大会での敗北でもって親からの期待にも応えられなかった彼なりの承認を求めての決意でした。
 ところが早速に動員されたベトナムの戦地は過酷なものでした。ある日、哨戒中に彼の率いる部隊はベトコンと間違えて無辜の住民を撃ち殺してしまい、さらにはその混乱の中でロン自身が仲間のアメリカ兵を誤射してしまうことになります。報告を受けた上官は、この事実を握り潰します。彼自身も、続く戦闘で半身不随となるほどの重傷を負います。
 負傷兵として母国アメリカに戻っても、ロンは期待していたように、英雄扱いされることもありませんでした。戦争下の予算カットから劣悪な病院の状態はもちろんのこと、時代は1968年、すでに5年近くも続く戦争に少なくないアメリカ国民が反対の声を上げ、若者を中心に反戦運動が広がっていたためです。反戦運動は、シカゴの民主党大会に数千人のデモ参加者が押し寄せ、警官隊と衝突するという「暴動」と相前後して、全国に広がりを見せていくことになります。ロンはもちろん、反戦活動には批判的です。
 治療を終えて故郷に錦を飾ろうと帰ってきても、周りはすっかり姿の変わってしまった彼に戸惑うだけで、温かく迎えてくれるわけではありません。帰還兵として参加したパレードでも、第二次世界大戦の退役軍人の時と異なって、兵士を揶揄するような反戦デモに出くわします。ここでロンは、もはやアメリカはベトナム戦争に実質的に負けたということを察します。住民を前にしたスピーチで、彼が「戦争に勝つ」という言葉に二の句が継げず沈黙してしまったのも、それが嘘になると自分でわかっていたからでしょう。


映画『7月4日に生まれて』より

 生きる意味を喪失した彼は、外地メキシコで酒と女の日々に浸ります。ベトナム戦争によって約7万5000人の兵士が障がいを負い、派遣された300万弱の兵士の2割弱がPTSDを発症したとされています。この地では彼と同じように、車イス生活を余儀なくされたり、精神トラブルを抱えたりした帰還兵の慰みの場所でした。そこで繰り広げられる、トム・クルーズと、やはり帰還兵役を演じるウィレム・デフォーとの取っ組み合いは本作品の見どころのひとつですが、ここに至ってロンは告白します。「俺は小さな町で育って親父とお袋がいた。迷うことなど何ひとつなかった。頼れるものがあった。全て失った。どうしたらいい?」と。
 彼が見出したのは贖罪の道でした。それが誤射で殺してしまった兵士の家族に真実を告げて赦しを請い、そしてベトナム戦争反対を声高に主張することでした。「人々は言う。アメリカを愛さぬ奴は出ていけと。僕は愛している。僕はこの国を愛している」――自分の身体を傷つけ、戦闘の真実を国民に知らせず、デモを弾圧し、戦争の現実と社会との間に折り合いをつけようとしない時の政権に対して抗議の声を上げることです。この作品では紹介されていませんが、現実のロンは湾岸戦争やイラク戦争に反対の声を上げ続け、アメリカ反戦運動の象徴として活躍することになりました。この時、彼はようやく社会から認められたと感じたことでしょう。
 もし国家が自分の信じるところと異なる方向に進み、しかもそのために数多くの犠牲者を生み出し、そこに虚偽や欺瞞が込められているとしたら、それを世に知らしめ、仲間をつくり、異なる方向へと導こうとすることもまた、ナショナリズムと呼ぶべきではないでしょうか。そして、これこそがナショナリズムと民主主義とが調和する瞬間でもあるのです。

吉田徹(同志社大学教授)


著者プロフィール

吉田徹 (よしだ とおる)

同志社大学教授
1975年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は比較政治学、ヨーロッパ政治。著書に『ミッテラン社会党の転換』(2008年、法政大学出版局)、『二大政党制批判論』(2009年、光文社新書)、『ポピュリズムを考える』(2011年、NHK出版)、『感情の政治学』(2014年、講談社)、『「野党」論』(2016年、ちくま新書)、『アフター・リベラル』(2020年、講談社現代新書)などがある。

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