
第20回
旅の終わり
更新日:2025/09/24
- 「旅の終わり」という言葉で思い出すのは、二〇一〇年のアメリカ映画『ウェイバック−脱出6500km−』(ピーター・ウィアー監督)。
実話を元にしたとされる本作は、第二次世界大戦が勃発した一九三九年のポーランドから始まる。当時のポーランドはナチス・ドイツとソ連に分割占領されており、後者に居住していた主人公のポーランド兵士にスパイ容疑がかかる。否定し続けるが追及は厳しく、ある日、彼の妻が尋問室に連れて来られ、夫の有罪を震え声で証言した。
兵士は二十年の刑を言い渡され、悪名高いシベリアの強制労働収容所へ送られる。彼は脱獄の機会をうかがい続けた。収容所が地獄だったからだけでなく、愛する妻に会いたかったからだ。あの時の彼女の顔は傷だらけだった。偽証を強要され、ひどい拷問を受けていたのだろう。それだけでも可哀そうなのに、今ではきっと夫を売った罪悪感から、心も傷だらけに違いない。彼は必ず生きのびて故郷へ帰り、妻に「許す」と言ってあげたかった。
脱獄を計画する彼の周りに、体力も胆力もある男たちが五、六人、自然に集まった。中には地理に詳しいロシア人もいて、ひたすら南を目指すことになる。それぞれわずかな食料と雑貨を持ち、脱獄後は過酷なサバイバルが始まるが、一人、また一人と斃れてゆく。六五〇〇キロの道のりを這うように進み、幸運を味方にして共産圏を抜け、インドに到達したのは、なんと一年後だった。二人しか生き残れなかった。
だがこれで終わりではない。戦争はまだ続いており、主人公はヨーロッパへ入っても共産国にいる妻とは連絡がとれなかった。ようやく戦争が終わる。すると今度は冷戦が始まり、共産国は固く扉を閉ざしてしまう。夫婦が再会できたのは、ベルリンの壁が崩壊した一九八九年以降だ。
別れてから半世紀。老いた夫はようやく老いた妻を探し出し、抱きしめながら「許す」と言うことで、激動する政治に翻弄された長く辛い苦しい旅にようやく決着をつけたのだった。
人生はよく旅に喩えられる。
旅は人の一生と同じく、始まりがあり、過程があり、終わりがある。平坦な道、危険な道があり、そこを徒歩で、馬車で、スポーツカーで、一人寂しく、あるいは楽しい連れといっしょに、穏やかな好天の下を、時に真夜中の嵐の中を、ひたすら前に進み、逆行はSFの世界でしか起こりえない。必ずしも長い平穏な旅に満足するとも限らない。短くも刺激的な旅で存分に己を燃焼させたかった、と残念がる者もいる。
旅の過程はあらかじめ定められているのだろうか。それとも次々に目の前にあらわれる分岐点での選択の積み重ねによって、道筋はいかようにも変化するものなのか。それはわからない。わかっているのは、どんな旅であれ終わりが来るように、人は誰でもいつかは死ぬということだ。
死という旅の終わりに何が起こるのか。
ヒエロニムス・ボス(1450頃~1516)が『守銭奴の死』で、一つの答えを提示している。選択が重要だ、しかも死の直前の選択が最重要だ、と。 -
ヒエロニムス・ボス『守銭奴の死』1485-1490年 油彩・板 93×31cm ワシントン・ナショナルギャラリー(アメリカ) 画像提供/ALBUM/アフロ -
かまぼこ型の天井の下、男が赤いカーテンをめぐらせた天蓋付きベッドで死につつある。いや、もはや半分この世の者ではないため裸体でいる。周りに家族も召使も医者もいないのは、ほんとうにいないというより、死には一人で対峙せねばならないということをあらわしていよう。
矢を持つ骸骨姿の死神が扉を開け、「こんばんは~」といった気楽な感じで入ってくるところだ。死神の矢に射抜かれれば、男の最後の生命の火は消える。それまでのわずかな残り時間に彼の信仰心を蘇らせるべく、天使が寄り添い、高窓から射し込む神の光を指さす。だが男は目を上げようとしない。彼が見ているのは死神だが、地獄の住人が差し出す目の前の金貨の袋へも手をのばして今にも受け取る寸前だ。
タイトルどおりの守銭奴ぶりは、いつから始まっていたのだろう。男の過去が、初老の頃の残像として画面中央に出現している。濃緑の長衣をまとい、腰に大きな鍵をぶら下げた姿だ。鍵は、財産を入れた頑丈な宝箱の錠を開けるためのもので、常に身に付けていないと不安なのだろう。今またその宝箱の蓋を開け、中を確認している。そこには金貨などがびっしり詰まった大きな甕が入っており、ついでに化け物まで巣食っているが、彼にはそれが見えない。天蓋にも長持ちの下にも、とにかく部屋中に魑魅魍魎がうごめいている。そうした悪しきものたちは、財産に対する男の度外れた執着が呼び寄せたものである。
フロイトによれば、金銭や労力を極度に惜しむ守銭奴的性癖は、幼年時代の「肛門期(心理発達段階の二段階目)」を正常に通過することができずに、糞便保持の喜びを知ってしまったのが原因だという。つまりは親のしつけの失敗によるという説だが、それがほんとうに正しければ、この男のしみったれた性向にはずいぶん年季が入っていることになる。
もちろんボスは四世紀後のウィーンの精神分析医の説など知る由もなく、ただ男がどうやって財を成したかのヒントだけを描き込んだ。画面下部、床にころがるアーメット(バイザー付き兜)とガントレット(籠手)、そして槍。この守銭奴は、貴族ないし傭兵だったのだ。
当時の戦においては、勝者は敗者からありとあらゆるものを分捕ることが許された。勝ち戦が続けば一財産築けただけでなく、傭兵隊長が一国の領主になることさえ可能だった。この男も戦場から戦場を駆けめぐり、命をかけて金貨を貯め、戦に参加できなくなって倹約しているうち、倹約自体が目的化して、ついには金貨にウジがわくように魑魅魍魎がわくまでになったらしい。
そんなどうしようもない旅の終わりに、それでも天使が来臨して男の魂を救おうとしてくれている。男は今、二股に分かれた道を前にしているのだ。天国に通じる道と、地獄への道。
ところがこの様子では、男は死出の旅にも財産を持ってゆきそうだ。たとえ持って行けたとしても無駄だと思うのだが。いや、待て、待て。「地獄の沙汰も金次第」というではないか。あんがい男の選択は、これで正しいのかも……。
アメリカ人画家エドワード・ホッパー(1882~1967)は、自分自身の旅の終わりを描いた。それが『二人のコメディアン』という絶筆だ。 -
エドワード・ホッパー『二人のコメディアン』1966年 油彩・キャンバス 74.9×104.1cm ブルース博物館(アメリカ) 画像提供/Heritage Image/アフロ -
ホッパー作品はどれも、アメリカのありふれた都会や田舎の情景をリアリズム手法で描きながら、画面の異様な静けさ、人物の孤立と孤独感の深さ、極度の明暗表現などによって、逆に現実が異化された印象を与える。それは映画的とも言えるし、見る者に強制的に「物語」を紡がせる力、と言い変えられよう。
つまり鑑賞者は、何も説明されない画面から、どうにかして物語を編み出さねば落ち着かない気分にさせられる。そこがホッパー作品の魅力であり、面白みだ。十人が十通りの物語を作ってもおかしくない、そんな作品ばかりなのだ。単に線路脇にぽつんと家が一軒建っているだけの絵でさえも(拙著『名画と建造物』角川書店、参照)。
一方、『二人のコメディアン』は、制作年が一九六六年と分かった段階で、生まれる物語は限られる。なぜならこの年、八十三歳のホッパーは、自分も妻も死出の旅の途上にあることを自覚していた。長く患っており、衰弱も著しかった。絶筆を意識しての制作だった。実際、翌年にはホッパーが、さらにその翌年は妻が病死している。本作はこの世に向けての、この世にまだ生き続ける人々に向けての、夫婦そろっての別れの挨拶なのだ。
ホッパーは背が高く、内向的で、秘密主義者で教養があり、保守的だった。結婚は四十一歳の時で、妻は一歳年下だった。彼女は背が低く、社交的で、劇団の女優をしていたこともあり、画家を志していたが、結婚後は夫のマネージャーとして秘書として、またモデルとして彼を支えた。子供はいなかった。
ゆっくりキャリアを積んでいたホッパーが、有名美術館に作品を買い上げてもらうなど、知名度が急激に上がっていったのは、まさに妻を迎えてからのことだ。夫婦は互いに補完し合っているように思えた。しかし、妻の膨大な日記によれば、彼女は自分の画家としての才能を夫によって潰された、と恨めしく思っていたようだ(夫婦の仲は測りがたい)。
さて、本絶筆だが、シェークスピア曰くの、「この世は舞台、人はみな役者」をなぞり、背の高いピエロと背の低いピエレットが手をつなぎ、客席に向かって最後のお辞儀をしている。芝居は完全に終わった。続きはない。彼らの人生という旅も終わった。見てくれた人、拍手してくれた人、ブーイングをしたかもしれない人など全ての人に向かい、愚かで滑稽なピエロを演じていた二人が感謝の挨拶を送る。
鑑賞者は第一列目の席の観客からのアングルで、夫婦を見上げる。大型客船のごとき巨大舞台に比し、二人の役者はずいぶん小さく見える。それはホッパー自身の、次の言葉と関係があるのだろうか――「芸術家の九五パーセントは、死んだ一〇分後には完全に忘れ去られる」。
ホッパーは自分もそんな一人であり、大舞台のちっぽけなピエロだと悲観的だったのかもしれない。そういえば作家の吉村昭氏も死の少し前に夫人にこう言っていたと、何かのエッセーで読んだことがある。曰く、「死んだ作家の本は売れないから、今の家を売ってもっと狭いアパートに引っ越しなさい」。
ホッパーも吉村昭も、何と自分を過小評価していたことだろう。彼らの人生の旅は短かったが、彼らが産み出した芸術の旅はこれからもずっと続いてゆく。
本連載はこれが最終回です。「旅」の連載という筆者の旅は、一年八カ月でした。ご愛読、ありがとうございます。書籍化されましたら、改めてまた手に取っていただけると嬉しいです。
中野京子
- ●ヒエロニムス・ボス(1450頃~1516)……15世紀ネーデルラント(現在のオランダ)出身の画家。幻想的かつ寓意的な宗教画で知られ、三連祭壇画『快楽の園』などに見られる奇怪なモチーフは、後世のシュルレアリスムにも影響を与えた。スヘルトーヘンボスに生涯暮らし、聖母マリア兄弟会に所属。王侯貴族からの注文も多く、その独創性は死後も高く評価され続けた。
- ●エドワード・ホッパー(1882~1967)………20世紀アメリカを代表する画家。都市や郊外の風景に孤独な人物を配した構図で知られ、代表作『ナイトホークス』では静謐な空間に漂う心理的緊張を描く。商業美術を経て画家として独立し、妻ジョセフィンとともに創作を続けた。アメリカ的風景に潜む孤独と静寂を描き続けた孤高の画家。
バックナンバー
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第20回 旅の終わり
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更新日:2025/06/25
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第16回 空の旅
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更新日:2025/04/23
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第14回 恋の旅
更新日:2025/03/26
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- 著者プロフィール
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中野京子(なかの・きょうこ)
北海道生まれ。作家、ドイツ文学者。西洋の歴史・芸術に関する広範な知識をもとに歴史や名画の解説書、エッセイを数多く執筆。2007年に上梓した『怖い絵』シリーズが好評を博し、2017年に『怖い絵』展、2022年には『星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム』を監修。『名画で読み解く王家12の物語』『名画の謎』などの人気シリーズのほか、『名画の中で働く人々――「仕事」で学ぶ西洋史』『中野京子と読み解く クリムトと黄昏のハプスブルク』『名画に見る「悪」の系譜』など著書多数。最新刊は『西洋絵画のお約束―謎を解く50のキーワード』。著者ブログは、「花つむひとの部屋」。
バックナンバー
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