
第13回
日本製品の旅
更新日:2025/02/26
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人とともに物品も旅をする。移動手段が徒歩しかなかった時代ですら集落から集落へ目新しいモノが運ばれたし、大型船が地球を一周するようになると、ありとあらゆる珍奇な品々が――時には未知の伝染病までいっしょに――行き交った。
とうぜん日本製品も旅をした。
欧米へ渡った日本製品は、そのエキゾティックな魅力ゆえに画家たちの目を惹き、いくつもの名画の中に登場するようになる。そんな作品を制作年度順に三点見てゆこう。
まずは十七世紀オランダ黄金時代のハルメン・ステーンウェイク(1612頃~1656)が描いた『ヴァニタス―人生のはかなさ』。 -
ハルメン・ステーンウェイク『ヴァニタス―人生のはかなさ』1640年頃 油彩・パネル 39.2×50.7cm ロンドン・ナショナルギャラリー(イギリス) 画像提供/アフロ -
ヴァニタス(Vanitas)とは、英語のヴァニティ(Vanity=虚栄)の語源となったラテン語で、美術用語として使われる際には、「人生の虚しさを寓意的にあらわす静物画」を指す。十六世紀から十七世紀にかけて、とりわけ北ヨーロッパで好まれたジャンルだった。
『方丈記』の「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」に深く納得する我々日本人にとって、諸行無常の思いは理解しやすい。ただしさまざまな物品をリアルに描いた静物画が、「モノが古びて壊れるのと同様、人も老いて死にゆく定め」をテーマにしている、ということはなかなかわかりにくい。ヒントの一つは頭蓋骨で、これが描き込まれていれば間違いなくヴァニタス画である。
ステーンウェイクの作品にもしっかり頭蓋骨が登場し、しかも左上から斜めに射し込む日の光が、その丸い頭部を照らして、「メメント・モリ(=死を忘れるな)」を無言で「語る」。しかも下顎が欠けたこの頭蓋骨は丸テーブルの端に不安定に置かれており、今にも床へころがり落ちて粉々になりそうだ。
さほど大きくないこのテーブルに、雑多な物品が山積みされている。細長い天板までジャンプ台のようにはみ出し、一番端には巻貝の殻。まさに「魂の抜け殻状態」が示される。
当時は高価で貴重だった書物は「蓄えられた知識」の、ショーム(オーボエの原型)やリュートやフラウト・トラヴェルソ(フルートの原型)は「音楽の歓び」の、ピンク色の絹布は「贅沢」の、火の消えかかった香炉は「芳香」の、それぞれ儚さを物語る。また右上の大きな素焼きの水甕には、運搬のための縄紐が掛かっているが、それはささくれだって早晩千切れてしまうのは明白だ。切れれば甕は割れるだろう。
そんなこんなの残り時間を、蓋のあいたクロノメーターが告げている。このクロノメーターの真横に置かれているのが日本刀だ。時代にもよるが、基本的にエリート層の武士だけに許された帯刀であり、殺傷能力の高い武器なので、ここでは「権力」の象徴として描き込まれた。確かに権力もまた長くは続かず、うつろいやすい。
さて、この日本刀だが、鞘が華やかに装飾された贅沢品で、さぞや高額だったろう。鎖国中の日本が平戸と長崎限定でオランダ人との商取引は許されていたからこその、オランダ絵画への登場である。当時は帆船で風まかせの航行なので、アムステルダムから長崎まで半年から一年かかる長旅だったという。
せっかくなので、抜き身の反りかえった姿を描いてほしかった。そうすれば日本を知らないオランダ人が、西洋剣との違いに気づけただろう。日本刀は両刃ではなく片刃で、叩き斬ったり刺し貫いたりするのではなく、遠心力を利用して「引き斬る」使い方をすること、繊細で美しいが強靭な刃であることを、わかってもらえたはずだ。
さらに言えば、その抜き身の茎(なかご)に「村正」などと彫ってあれば、今度は日本の歴史マニアたちが喜び、本作の知名度ももっと上がっていたに違いない。
次は十九世紀のジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(1834~1903)の作品を見よう。彼はアメリカ人として生まれたが、父親の仕事の関係でロシアやヨーロッパで教育を受け、イギリスの画家として認められた。
『白のシンフォニー2番』(ないし『リトル・ホワイト・ガール』)はホイッスラーが三十歳ころの作品で、当時ヨーロッパを席捲していたジャポニズム(日本趣味)の影響が見てとれる。彼自身、日本文化に強い関心を持ち、日本製品も収集していた。 -
ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー『白のシンフォニー2番』(ないし『リトル・ホワイト・ガール』)1864年 76.5×51.1cm 油彩・キャンバス テート美術館(イギリス) 画像提供/アフロ -
画中の白いドレスの女性はとうてい「リトル・ガール」には見えないが、それもそのはず、モデルはホイッスラーの恋人で、当時二十歳を過ぎていた。しかも婚約指輪を嵌めている。鑑賞者がすぐ指輪に気づかされるのは、彼女がマントルピースの上に左腕を置き、五指を微妙に開いているからだ。
メランコリックで色白の美しい横顔と、鏡に映された別人のように黒ずんで陰気な表情の落差は、見る者に違和感を与え、想像力を刺激する。
マントルピースの上に置かれた朱塗りの碗は、おそらく本物の日本製だろう。隣の白磁の花瓶は中国産かもしれない。また彼女が右手に持つ団扇は、円形ではなく角形なので京団扇(都団扇)のようだ。紺の色合いは日本風だが、赤と白も目立ち、絵柄は曖昧で何を描いているのか判然しない。ヨーロッパ市場向けに大量に制作された安物の可能性もある。
画面右下にはピンク色のアザレアが咲き誇っている。この花もまた日本と関係があり、十九世紀初頭、つまり本作完成のつい半世紀ほど前に、日本のツツジを品種改良して作られた新しい花なのだ。
ところでこの女性はホイッスラーの妻にはなれなかった。実のところ、婚約指輪さえもらっていない。それは絵の中だけのことだった。モデルと娼婦は同類と見なされていた時代なので、ホイッスラーの家族が反対したと言われている。
白いドレスの彼女は、四十代前半で亡くなったことは確かなようだが、他の絵画モデルたちと同じように、晩年のことはほとんど知られていない。
ホイッスラーより二十歳ほど若いジョン・シンガー・サージェント(1856~1925)もアメリカ人だ。ただし生まれたのはイタリアのフィレンツェ。というのも両親が典型的なコスモポリタン(定住せず世界を放浪する者)だったからだ。
フィラデルフィアの開業医の父と、実家から莫大な遺産を継いだ母は、長女を産んだ後、いっさい仕事をしないことにしてヨーロッパへ旅立つ。ホテルからホテル、貸家から貸家へと転々としたため、六人の子どもたちの出生地はみな違う。
サージェントが十八から二十四歳の間に家族で移り住んだ国は、イギリス、スコットランド、ノルウェー、スイス、スペイン、イタリア、ポルトガル、モロッコ、アルジェリア、パレスチナ、エジプト、そして彼にとって初めての故国アメリカだったというから驚くばかりだ。とはいえこういうライフスタイルは、現代の欧米の超富裕層にはさほど珍しいものではない。かつての王侯貴族の「移動宮廷」の名残なのかもしれないし、かつてのイギリス貴族が働く人間を見下していたこととも関係があるかもしれない。
さて、そうした生活の中でサージェントは若くから図抜けた画才を示し、まずは肖像画家としての名声を獲得してゆく。その初期の傑作が『ボイト家の娘たち』だ。すでに彼特有の華麗で大胆なタッチが、特に少女たちのエプロンの描写に見てとれる。 -
ジョン・シンガー・サージェント『ボイト家の娘たち』1882年 221.93× 222.57 cm 油彩・キャンバス ボストン美術館(アメリカ) 画像提供/アフロ -
ボイトはサージェントの友人であり、同じアメリカ人でコスモポリタンだった。ただしサージェントほどめまぐるしい旅はせず、故国と別宅のあるフランスに毎年半々ずつ暮らしていた。サージェントはフランスにいる時、ボイトの四人の娘の肖像を依頼され、これを描いた。ここには彼がスペインで感銘を受けたベラスケス作『ラス・メニーナス』の影響が色濃いと言われている。
だとしたらカーペットに足を投げ出して座る四歳の可愛い末娘が、現代版マルガリータだろう。その横で両腕を後ろに組んだ八歳の三女、奥の暗がりで自然に両手を垂らす十二歳の次女、横向きで両手を前に組む十四歳の長女の三人は、ラス・メニーナス(=宮廷の侍女)というわけか。
姉妹は毎年毎年、アメリカとヨーロッパを二度ずつ往復していたのだ。帆船時代と違い蒸気船になっていたから航行時間ははるかに短くはなっていたが、それでも幼い身体には負担だったのではないか。そしてそれが原因かどうかはわからないが、この時代には珍しく四人とも生涯独身だった。そのうえ長女と次女は精神疾患に苦しむようになった。
彼女たちといっしょに大西洋を往復していた双子もいた。人間ではない。白と青で美しく彩色された巨大な有田焼の双子壺だ。長女が寄りかかっている様子を見ると、二メートル近い高さがありそうだ。片割れは、画面右に半身を見せている。
ボイト家はこの日本製の壺を丁寧に梱包し(もちろんそれは複数の召使の仕事だったが)、船に載せ、梱包を解いて飾り、また梱包して船に載せ、梱包を解いて飾り……ということを、長年にわたって行ったのだ。
日本には「物にも魂が宿る」という考えがあり、それに従えば、ひんぱんに旅を強いられたこの有田焼の双子壺もきっと魂を持ち、四人の娘たちを心配していたのではなかろうか。
- ●ハルメン・ステーンウェイク(1612頃~1656)……デルフト出身の、17世紀オランダの画家。弟のピーテル・ステーンウェイクと共に叔父にあたるライデンの画家、ダーフィット・バイリーの弟子となり絵画を学ぶ。静物画家として魚などを描いた作品でも知られている。
- ●ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(1834~1903)……アメリカ出身の、19世紀後半の画家、版画家。パリで後の印象派の画家たちも通ったシャルル・グレールの画塾に学び、ロンドンではラファエル前派や浮世絵をはじめとする日本美術の影響を受ける。
- ●ジョン・シンガー・サージェント(1856~1925)……19世紀後半から20世紀前半のアメリカの画家。フランス、イタリアで美術教育を受け、ロンドンとパリで活動した。上流社交界の人々を描いた肖像画画家として人気を博したが、のちに旅した世界各地の風景を描いた水彩画を多く残している。
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- 著者プロフィール
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中野京子(なかの・きょうこ)
北海道生まれ。作家、ドイツ文学者。西洋の歴史・芸術に関する広範な知識をもとに歴史や名画の解説書、エッセイを数多く執筆。2007年に上梓した『怖い絵』シリーズが好評を博し、2017年に『怖い絵』展、2022年には『星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム』を監修。『名画で読み解く王家12の物語』『名画の謎』などの人気シリーズのほか、『名画の中で働く人々――「仕事」で学ぶ西洋史』『中野京子と読み解く クリムトと黄昏のハプスブルク』『名画に見る「悪」の系譜』など著書多数。最新刊は『西洋絵画のお約束―謎を解く50のキーワード』。著者ブログは、「花つむひとの部屋」。
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