旅から生まれた名画 中野京子

第17回

旅の副産物

更新日:2025/06/25

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 歩くか、馬を使うしかなかった昔々の巡礼者、放浪者、吟遊詩人、巡業劇団員などは、各地に新しい情報を届ける、貴重なニュースソースでもあった。彼らとの接触によって、人々はまだ見ぬ土地の様子やそこで起こった事件、またこれから自分のいる場所でも起こりそうな変化(最悪の場合だと戦争)を察知し、備えることができたのだ。それは旅がもたらす大きな副産物だった。

 小さな副産物なら無数にある。

 たとえば蒸気機関車の発達による懐中時計の普及だ。時刻どおり発進させねばならない鉄道員はもちろん、乗客もまた個人で時計を持つ必要性を知った。時計業界が大いに潤ったのは言うまでもない。

 同じく、車内で読むための小型本の量産もそれだし、見知らぬ者同士が懇意になる可能性を秘めたコンパートメント内では、ふだんなら想像もできなかったさまざまな人脈を得るチャンスも少なくなかった。場合によっては結婚相手も見つかった。

 そうした旅の副産物を見てゆこう。


 まずは神話時代。

 ブドウと酒と陶酔の神バッカス(=ディオニュソス)は旅が人生だった。

 彼は主神ゼウスと人間の女セメレの間の子だが、母は子を妊んだまま死んでしまう。そこで父が彼女の腹から胎児を取り出し、月が満ちるまで自分の太腿に埋め込んで育てた。つまりバッカスは、ゼウスの太腿からオギャアと生まれ出たのだ(今や人工子宮は理論上可能な技術だ。神話というのは突拍子もないように見えて、現代医学を先取りしたかと思うような怖さを秘めている)。

 ヴィーナスと同じで、バッカスも子供時代のエピソードは無い。ヴィーナスが完璧な八頭身美女として世にあらわれたように、バッカスも嬰児のエピソードをのぞけば、初登場の段階ですでにほろ酔い状態の若者だった。何しろ彼は、ギリシャ、トルコ、エジプト、シリアなど広範囲を自分の信者たちといっしょに旅しながら、各地でブドウの栽培法とワインの醸造法を教えてまわり、教えながら飲みまくっていたのだ。

 とはいえ、一瞬、酔いの醒めた瞬間もあったことを、ヴェネチア派最大の画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490頃~1576)が、『バッカスとアリアドネ』に描いている。


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『バッカスとアリアドネ』1520~1523年 油彩・キャンバス 176.5×191 cm ロンドン・ナショナルギャラリー(イギリス) 画像提供/ALBUM/アフロ

 ティツィアーノらしい完璧な画面構成と明るい色彩、魅力的な人物群が、バッカスのこの有名なエピソードを十全に語り尽くす。ブドウの葉冠をかぶった若々しいワインの神は今、アジアから連れてきたネコ科の豹に引かせた二輪凱旋車から飛び降りようとしている。

 なぜ?

 その前にまずバッカスを取り巻くにぎやかな一群をざっと見ておきたい。

 二輪車のすぐそばで、山羊足の少年サテュロスがちょこちょこ歩きをしている。可愛らしい笑顔と、紐でひきずる血まみれの仔牛の頭部の落差が大きい。これはバッカス祭が動物を八つ裂きにし、生のまま食べるという儀式を行っていたことを示すものだ。

 少年の後ろには、陶酔のあまりとろんとした目の信女たちが、シンバルやタンバリンを鳴らして続く。さらにその後ろに、ロバに乗って居眠り中の布袋腹の小男。彼はブドウからワインを醸造する秘儀をバッカスに教えた、養父シレノスだ。他にも全身に蛇を巻いた蛇使いや、牛の骨を振り回しながら踊る男、ワイン樽を背負う逞しい男などが、にぎやかな音楽と喧騒にまみれて列を作る。この列は、途切れなく画面の向こうまでずっと続いているのだろう。

 こうした熱狂的信者たち同様、バッカスもまた同じように酔っていたはずなのだが、目の前に現れたミノス王の娘アリアドネを見た瞬間、電撃的一目惚れに襲われ、一挙に体内のアルコールは吹き飛び、彼女に突進するために凱旋車を飛び降りたのだった。

 バッカスの、なんと真剣な表情。恋する者の顔!

 アリアドネは驚き、一瞬、逃げ腰になるが、この後すぐバッカスは彼女に黄金の冠を与えて求婚した。二人は幸せな夫婦となる。残念ながら人間の身のアリアドネには寿命があったので、バッカスにとって結婚生活はあまりに短く感じられたかもしれないが、妻の死後、彼女の王冠を空に投げて星にした。ティツィアーノはそのかんむり座も、抜かりなく空に描き込んでいる。

 バッカスにとっての旅の最大の副産物、それはブドウでもワインでもなく、愛する唯一の妻アリアドネだったというわけだ(アリアドネについての詳細は、拙著『名画の謎 ギリシャ神話篇』参照)。


 十九世紀前半の蒸気機関車が出始めの旅には、どんな副産物があったろう。

 フランスの風刺画家オノレ=ヴィクトラン・ドーミエ(1808~1879)が、十六点から成る「鉄道シリーズ」で乗客の喜びと阿鼻叫喚を漫画風に描いている。『忘れがたい旅』もそのうちの一点だ。確かにこんな目にあえば、生涯忘れられぬだろう。


オノレ=ヴィクトラン・ドーミエ 『鉄道』:(9)「忘れがたい旅」(ル・シャリヴァリ誌 1843年7月 25日号)リトグラフ 19.7 × 26.4 cm 個人蔵 画像提供/Bridgeman Images/アフロ

 今も昔も車両はランクづけされている。当時、コンパートメント室は一等車で富裕層向け、木のベンチに並んで座るのは二等車。どちらも屋根付き車両だった。前者は居心地はいいが、とんでもない悪党と二人きりになる危険がある(ミステリの殺人事件はたいていここで起こる)。その点、後者は目撃者が多いので逆に安心かもしれない。

 三等車となると危険は別のところにあり、それがこの絵で表現されている。見てのとおり無蓋車で、屋根付き車両が数台、最後尾に連結されている。現代人が見たら動物運搬車かと思うだろうが、貧民用の汽車の旅がこれだった。もちろん椅子などないし、ぎゅうぎゅうに詰め込まれる。男女の儀礼的ディスタンスなどかまっていられない(この点に関して日本人は満員の通勤電車を知る身だ)。

 トンネルに入ろうものなら、容赦なく黒煙に襲われるが、格安料金なので文句は言えない。好天だと見晴らしも良いし、風を直接受けて気持ちもいいはずだが、雨が降ればどうなるか。

 いや、雨より強風の場合のほうが悲惨だということをドーミエが教えてくれる。いくつもの帽子が吹き飛ばされ、傘も横跳びに飛んでいる。やせっぽちの男も危ない。いや、それどころか、前の車両の屋根(ここにも乗車できた)にへばりついていた乗客は木の葉のごとく吹き飛ばされ、今にも三等客たちの頭上に墜落しそうだ。怪我人、必至。

 それでも人々は新しい乗り物を体験したがったのだ。この「忘れがたい旅」も彼らの話のタネとして、子供らに語り継がれるのではないか。


 同じことはイギリスでも起こっていた。イギリスが産業革命のスタート地点なのだから当たり前のことだが、しかしさすがと言うべきか、イギリスが産んだ副産物は、今に続くすばらしいものだった。

 一八三〇年代から四〇年代にかけてのイギリスは、およそ一世紀前の『ジン横丁』(ホガース作品)と同じようにアルコール問題に悩まされ、禁酒運動も盛んだった。辛い肉体労働と低い賃金に苦しむ最下層の人々が安酒に逃げ、アルコール中毒によって己も家族も町も崩壊させていた。いくら禁酒を説いても効果がなかった。

 一八四一年、一人のバプティスト伝道師も、この状況を何とかしたい、自分にできることはないだろうかと、心を悩ませていた。発想のユニークな伝道師だったので、なぜ彼らは酒に溺れるのかと考えるより先に、なぜ自分は酒に溺れずにすんだのかと考えてみた。彼自身、貧しい家に生まれ、子供時代は家具屋などの徒弟をやらされ、神に仕える身となって三十二歳になるが、今なおやはり生活は苦しく、辛いことも多く、酒で現実を忘れようとしたとしてもおかしくはなかった。

 だが彼はそれをしなかった。そしてそれは自分の心が強いからとか、神への信仰が篤いからとは思わなかった。彼が思ったのは――伝道の仕事でいろいろな土地へ旅していたからだ、酒より旅のほうが楽しいからだ!

 そこからがさらに凄い。

 伝道師は人々にも酒より旅のほうが楽しいと教えることにした。ちょうど地方で禁酒大会が開かれる時期だった。ロンドンの貧民窟に沈む彼らを、そこへ連れて行くのもちょっとした旅になる。

 さっそく伝道師は一人で鉄道会社とかけあい、おおぜいの人間が三等車で往復するのだからと、料金を格安の一シリング六ペンス(農民のおおよそ一日の手作業分)にしてもらい、新聞で客を募った。意識していたかどうかはわからないが、これが世界初のパックツアーだった。

 一度は汽車に乗ってみたいと思っていた労働者たちが、募集を知ってあっという間に五百人も集まる。ドーミエのカリカチュアのように、三等車はさぞかしすし詰め状態になっただろう。それでも汽車旅は大好評のうちに終わった。

 起業する人間の常として、伝道師はビジネスチャンスを逃さず、自分の名を冠した「トーマス・クック社」を立ち上げる。アイディアは次から次に湧いてきた。時刻表、ガイドブック、ホテルのクーポン券、予約代行、トラベラーズ・チェックなどが副産物として生まれ、行き先は国内だけでなくヨーロッパ中、果ては世界中へ、また客層も貧困層から中産階級、富裕層へと拡がってゆく。

 旅行業の可能性にイチ早く気づき、ゼロから世界的旅行会社(現在は「トーマス・クック・グループ」)に育てあげたのが貧しい伝道師だったというのは実にロマンがあるし、現代の野心的な若者の心をも鼓舞するに違いない。
●ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490頃~1576)……盛期ルネサンスに活躍した、ヴェネツィア派の画家。ベッリーニの工房で研鑽を積むとともに、兄弟子のジョルジョーネからも影響を受けた。神話、宗教、肖像と幅広いテーマで画才を発揮。教皇をはじめとして、神聖ローマ皇帝のカール5世やその息子でスペイン王のフェリペ2世など、同時代の貴顕に愛された巨匠。
●オノレ=ヴィクトラン・ドーミエ(1808~1879)……19世紀フランスを代表する風刺版画家・画家・彫刻家。マルセイユに生まれ、幼少期にパリへ移住。若くして石版画技術を学び、新聞や雑誌の挿絵で頭角を現した。社会や政治への鋭い批評精神にあふれた作品で知られ、特に市民の暮らしや人間の内面を見つめた表現は、後の写実主義や印象派の画家たちにも影響を与えた。

著者プロフィール

中野京子(なかの・きょうこ)

北海道生まれ。作家、ドイツ文学者。西洋の歴史・芸術に関する広範な知識をもとに歴史や名画の解説書、エッセイを数多く執筆。2007年に上梓した『怖い絵』シリーズが好評を博し、2017年に『怖い絵』展、2022年には『星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム』を監修。『名画で読み解く王家12の物語』『名画の謎』などの人気シリーズのほか、『名画の中で働く人々――「仕事」で学ぶ西洋史』『中野京子と読み解く クリムトと黄昏のハプスブルク』『名画に見る「悪」の系譜』など著書多数。最新刊は『西洋絵画のお約束―謎を解く50のキーワード』。著者ブログは、「花つむひとの部屋」

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