旅から生まれた名画 中野京子

第1回

東方の三博士

更新日:2024/02/28

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『怖い絵』シリーズなど、西洋の文化的・歴史的背景から名画を読み解く著作を多数発表してきた中野京子さん。この連載では“旅”を切り口として、西洋の絵画が描いてきた旅、旅の手段、旅によって広がった絵画世界などを取り上げます。第1回のテーマは、『新約聖書』の「東方の三博士」です。


ジェームズ・ティソ『旅の途上の東方三博士』 1886~94年 不透明水彩、グラファイト・紙 20.2×29.2cm ブルックリン美術館(アメリカ) 写真提供/アフロ

 以前、雑誌への寄稿者が肩書きを「旅人」としているのを見て、新鮮な驚きを感じたことがある。旅人という言葉は、それだけでもうロマンをかきたてられるからだ。

 親の仇を探して漂泊する若侍、帆船で海原をさまようオランダ人、宝を求め続ける冒険者、心の傷を旅空の下でしか癒せない繊細な魂……。自分の意志で、あるいは強いられてやむなく、旅人は知らない世界へ歩んでゆく。再び故郷へ帰れるかどうか、帰りたいと思えるのかどうかもわからない。旅人は旅行者とは違うからだ。

「旅」は、その過程自体が重視され、スケジュールはない。対するに「旅行」は、明確な目的地とスケジュールを持つ。「自分探しの旅行」という言い回しがなく、「修学旅行」を「修学旅」と言わないのはそのためだし、「旅」には哀愁、「旅行」には明るさのイメージが付随する所以もそれだ。
「旅」という漢字にも不思議な魅力がある。方偏だが、元は「㫃」、即ち「戦の旗」を意味する文字と、「从」、即ち「複数の人」ないし「従う」を示す文字を組み合わせたものだ。ここからわかるのは、「旅」の字源が「軍旗はためく下、大隊が遠征する」という意だったこと。転じて、今や戦に無関係の長距離移動を意味するようになったわけだが、それでも戦の危険な香りは残っており、旅についてのさまざまな諺などにあらわれている。

 日本では、「旅は道連れ、世は情け」「旅は憂いもの辛いもの」「旅の恥はかき捨て」「かわいい子には旅させよ」を知らない者はいないだろう。世界でも、「冒険に価値あり(イソップ)」「どれだけ教養があるかを語る必要はない。どれだけ旅してきたかを語れ(ムハンマド)」と旅の勧めがある一方、「ロバが旅に出ても馬になって帰るわけではない(西洋諺)」との皮肉も忘れない。

 またいつの世も、旅行記や旅を軸にした小説は無数生まれている。絵画作品もその例に漏れない。本連載では、何世紀にもわたって個性豊かに表現されてきた旅や旅行や遠征の名画を紹介してゆきたい。
 まずは『新約聖書』から。

 パレスチナ北部のガリラヤに住む処女マリアは神の子を宿し、大工ヨセフがそれを受け入れて結婚。平穏に暮らしていたが、臨月間近、ローマ皇帝から人口調査のため領民は全員戸籍登録せよ、との通達があった。当時このあたりもローマ帝国の領土だったのだ。

 夫婦は登録地のベツレヘムへ旅立つ。距離にして一五〇キロもあるので、現代人よりはるかに健脚だったにせよ、そしてマリアをロバに乗せていたにせよ、優に四、五日はかかったはずだ。到着後、ヨセフは宿をとろうとしたが町はおおぜいの登録者で混みあい、どこも空きはなかった。幸い親切な宿の主人が厩を貸してくれたので、牛やロバといっしょに麦藁の上で休むことができた。マリアは夜中に産気づき、イエスを産む。近くにいた羊飼いたちがこれを寿いでくれた。

 数日、ないし十数日後、「ユダヤ人の王」誕生を知らせる「輝きながら動く星」に導かれて、東方三博士が厩を訪れた。彼らは黄金、乳香、没薬を贈呈し、幼子イエスを拝んで帰っていった。

 東方とは当時の先進国ペルシャ(現イランを中心とした大帝国)、博士とはマギ(占星術師)をいうが、単なる星占い師ではなく、ペルシャ宮廷に仕える祭司にして最先端の天文学者を指す。贈り物の黄金は神の国の栄光をあらわし、乳香は神性の証し、没薬は受難の予告とされる。博士を導いた星はハレー彗星との説がある。

 旅籠の厩で繰り広げられる三博士の礼拝シーンは、ジョット、ボッティチェリ、ルーベンス、ベラスケスといった錚々たる画家による名画が知られるが、十九世紀のフランス人画家ジェームズ・ティソ(1836~1902)は、ラクダに騎乗し、キャラバンを組んで神の子のもとへ向かう三博士の旅程、という珍しいシーンを描いた。

 ティソは長らくファッショナブルな社交界シーンの画家として英仏で人気を博していたが、四十代後半に宗教的啓示を得、聖書シリーズ制作を決めた。さっそく一八八六年、八九年と二度にわたって中東を巡り、多くのスケッチや写真をもとに千九百年の昔の再現に挑み、三百点を超えるイエス・シリーズを発表して大評判を得た。

 フランス人なのにジェームズという英語名を持つだけあり(?)、ティソのこのイエス・シリーズは非常に斬新だ。特にゴルゴタの磔刑シーンの一つなど、イエスの全身はなく、釘を打たれた足の甲しか見せず、嘆く聖母マリアやローマ兵や見物人たちが画面いっぱいに広がっている。イエスの視点で描かれているからだ。

 なるほど、十字架にかけられた人間からはこんなふうに下が見えているのかと、逆さ地図を初めて見た時のような、新たな「ものの見方」を教えられる気がする(拙著『名画の謎 旧約・新約聖書篇』文春文庫参照)。

 本作へもどろう。

 これまたシリーズ中の一点であり、這いつくばって幼子イエスを拝むそれまでの博士のイメージを刷新するものだ。おおぜいの従者を引き連れ、三人並んでこちらへまっすぐ向かってくる姿は、馬よりも背丈の高いラクダに乗っているだけに、まるで西部劇のヒーローのように雄々しい。


ジェームズ・ティソ『旅の途上の東方三博士』(部分) 写真提供/アフロ

 博士たちは鮮やかなサフランイエローのさらさら流れるようなローブをまとい、荷を運ぶ従者らの厚手の毛織物とははっきり区別されている。伝統的に三人は若者、壮年、老年の姿で描かれるが、ここでもそれは踏襲されており、真ん中の博士は白髭で老年、右は顎鬚が少ないので若年、左が壮年であろう。

 ペルシャは広大なので、彼らの旅程が何百キロにわたったのかはわからない。聖書にも何も記されていない。ラクダは時速四〇から六〇キロで走れるというし、今でもアフリカの砂漠ではラクダに塩を運ばせているが、一五〇〇キロの道のりを四十日で踏破できるらしい。ティソが描いた聖書時代の博士のキャラバンは、一見ゆったりと見えながら、存外かなりの速さで目的地に到着したのかもしれない。

 今、彼らが通っているのは、現エルサレム旧市街地の東に位置するケデロン渓谷のようだ。重なる山々、蛇行する狭い道、砂地に白い小石群。ところどころに緑草が残るがそれも道理で、エルサレムの冬の平均気温は十度前後なのだ。当時もそう大きく変わっていないとして、我々が勝手に思い描く雪のクリスマスとは異なり、旅程はそう辛いものではなかっただろう。

 星に導かれて進む三博士という主題は、もちろんティソが初めて取り上げたわけではない。ただし数が少ないのは確かで、それはマリアもイエスも画面に登場しないため発注者がさほどいなかったからだ。絵画的興趣さえあれば人気は出るのだが。
 事実、ティソより四世紀も前のルネサンス時代、ベノッツォ・ゴッツォリ(1421頃~1497)がメディチ家のリッカルディ宮殿内マギ礼拝堂を飾るために制作したフレスコ画『ベツレヘムに向かう東方三博士』は、今もフィレンツェ観光の際には外せない。


ベノッツォ・ゴッツォリ『ベツレヘムに向かう東方三博士』(東壁) 1459~61年 フレスコ、テンペラ 405×516cm メディチ・リッカルディ宮殿(イタリア) 写真提供/アフロ

 それにしてもこの絵は、タイトルを知らなければ聖書のエピソードとは気づかないだろう。ティソ作品もその意味では同じだが、中東が舞台ということは誰でもわかる。ところがゴッツォリの場合、背景はイタリアのトスカーナ地方だ。衣装に至っては全く聖書時代と違う。「京都の葵祭」と称しながら、最新流行のブランド服を着て練り歩いているようなもの……と思えばまさにそのとおりで、毎年一月六日にフィレンツェで行われていた公現祭(三博士の参拝を記念する祝日)の東方三博士仮装パレードを模しつつ、絵画上で着せているのは豪華絢爛な宮廷衣装、という凝った作りなのだ。

 画面上部中央に要塞風の城があり、一行がそこから出てきたとわかる。騎乗や徒歩の行列は長くくねくねと続き、画面中央では鹿狩りシーンも見えるが、それが一行の者なのか、単に鹿狩り見物しながらの行列なのかは定かではない。果物がたわわに実る果樹と、複雑に入り組んだ奇妙な白い岩山の対比もシュールだ。まだ遠近法が確立されていないので不自然さはあるものの、全体に色彩豊かなタピストリー的趣がある。

 白馬にまたがった主人公たる若者は、盛大に美化されたロレンツォ・デ・メディチ、その後ろを進む赤い帽子に白馬の主はロレンツォの父であり、本作の発注者でもあるピエロ、隣で茶色いロバに乗るのはロレンツォの祖父コジモと言われている。


ベノッツォ・ゴッツォリ『ベツレヘムに向かう東方三博士』(東壁・部分)  写真提供/アフロ

 ピエロとコジモの後方に徒歩の集団が見える。その中に、長い白ヒゲを生やした二人の老人にはさまれて、赤い帽子の男が眉間にしわを寄せながら、横目で鑑賞者のほうを見つめてくる。彼の帽子には「OPVS BENOTII」、即ち「ベノッツォ作」と記されている。明るく華やかな作品とはそぐわない表情だが、彼こそがこの絵の制作者ゴッツォリだ。

 そう気づいて改めて一人一人の顔を見てみれば、個性豊かに描き分けられた彼らの誰ひとり、楽しげな表情をしていない。全体の色彩がカラフルで、豊かな自然の中をのんびり通ってゆく様子なので、パッと見ると明るい雰囲気なのだが、人物群は陽気さから程遠い。大事な宗教行事ということで、厳かな顔つきをさせたのか。

 ゴッツォリの師フラ・アンジェリコが聖性に満ちた世界を構築して評価されているのに対し、ゴッツォリはどうも世俗的すぎると思われて今に至るも芸術的評価が低い。それを気にして、人物をしかつめらしい顔に描いたのだとしたら少し残念だ。それともこれはメディチ家の意向だったのか。

 ちなみにメディチ家は公現祭を主催する「東方三博士同信会」の幹部だった。コジモは実際に三博士の一人に扮してパレードに参加したこともあるし、よい位置から祭を見物するため、行列の通る道路沿いに別邸を建てもした。本作の注文も、イエスに贈り物をもたらした三博士と自分たち一族を結びつけたイメージづけを狙ったのかもしれない。

 メディチ家がフィレンツェに富と芸術という贈り物をもたらしたのは確かだが、メディチという家系自体の旅は十八世紀までだった。断絶してもはや子孫はいない。
●ジェームズ・ティソ(1836~1902)……フランスの画家。フランドランらに学び、1859年のサロンに初入選。ジャポニスムの流行を捉えた風俗画で知られる。晩年は、聖書の挿絵制作に没頭。「キリストの生涯」の成功ののち、旧約聖書の物語を手がける中で没した。
●ベノッツォ・ゴッツォリ(1421頃~1497)……イタリア初期ルネサンスの画家。フラ・アンジェリコの助手を務めたのち、1450年頃から独立し、聖堂壁画などを制作。次第に国際ゴシック様式の影響が色濃くなり、華麗な画面構成に特徴がある。

著者プロフィール

中野京子(なかの・きょうこ)

北海道生まれ。作家、ドイツ文学者。西洋の歴史・芸術に関する広範な知識をもとに歴史や名画の解説書、エッセイを数多く執筆。2007年に上梓した『怖い絵』シリーズが好評を博し、2017年に『怖い絵』展、2022年には『星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム』を監修。著作の人気シリーズに『名画で読み解く王家12の物語』『名画の謎』、近著に『名画の中で働く人々 ――「仕事」で学ぶ西洋史』『名画と建造物』『愛の絵』など。著者ブログは、「花つむひとの部屋」

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