
第12回
冬の旅
更新日:2025/01/29
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冬と死は親和性が高い。寒さは生きものを殺すのだ。暖房が完備された先進国においてさえ、季節ごとの死亡率一位は冬である。徒歩や馬車でしか旅ができなかった時代に、冬がいかに危険だったかは想像に難くない。
そして「冬の旅」と言えば、多くの人、とりわけ音楽愛好家が思い浮かべるのは、フランツ・シューベルトによる同名の連作歌曲集だろう。
この歌曲集(歌詞はドイツの詩人ヴィルヘルム・ミュラーの作品)の主人公は、失恋した若者。喪失感にうちひしがれた彼の魂の漂泊が、厳しい冬を歩く旅人になぞらえられている。
旅人の目に映るのは、かつてのせせらぎを忘れて凍りついた川、よそよそしい町、つきまとう黒いカラス、裸足で氷上を歩く一文無しの辻音楽師などだ。最後に旅人が辻音楽師のあとをついてゆきたい衝動にかられたのは、死への憧憬であったのか……。
こうした、冬、旅、死と通底するイメージをもつ絵画が、ドイツ・ロマン派を代表するカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774~1840)によって描かれている。シューベルトの『冬の旅』が生まれる十六年前だ。タイトルは、『教会のある冬景色』。 -
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ『教会のある冬景色』1811年 油彩・キャンバス 32.5×45cm ロンドン・ナショナルギャラリー(イギリス)画像提供/アフロ -
広い丘陵一面を、深い雪が覆う。だが不等辺三角状の巨大な岩々と常緑樹であるモミの木々だけは、それに屈せず屹立している。いや、もう一つ屹立するものがある。画面右のモミの木に抱かれているかのようなイエス磔刑(たっけい)像と、画面中央奥で靄に霞むゴシック教会だ。
本作は、一見、無人の風景画と見間違えそうになるが、十字架の前の岩に男がよりかかって祈っている。シューベルトの登場人物は恋する若者だったが、こちらはもう若いとは言えない痩せた男だ(ふさふさした顎鬚(あごひげ)は、フリードリヒ自身の自画像によく似ている)。男が両脚を前方へ不自然に投げ出し、雪の上に直に座っているのは膝を折ることができないからだ。その証拠に木製の松葉杖が二本、そばに打ち捨てられている。 -
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ『教会のある冬景色』(部分)画像提供/アフロ -
彼は夜の帳が落ちかけたこの雪の中、わざわざ人けない丘を杖をつきながら登ってきた。十字架の場所は前から知っていたのだろう。そして「マタイ伝」のペテロ(名の由来は「石」)のように、岩の上に教会を建てるつもりだったのかもしれない。実際、彼の真摯な祈りによって、壮麗な教会が幻のように立ち現れてきた。
それともこれら全てが、死にゆく男の幻覚にすぎないのだろうか。現実には病院のベッドに寝たきりで身動きできず、だが魂だけは自由に冬の旅ができた。その旅の終わりに、来るべき場所へ来て神の赦しを得、永遠の命を約束された。もはや松葉杖も肉体も不要だ。あらゆる音を吸い取る雪中であっても、すでに彼の耳には教会の鐘の音や天使の歌声が響いていたに違いない。
――キリスト教的神秘を現実の風景に託して表現するのが、フリードリヒ作品の特徴である。それは彼が子供時代から厳格なルター派の信仰を叩き込まれたのが要因、と考える研究者もいる。
また彼の作品のもう一つの特徴である「冬景色、孤独、死」に関してだが、この分かちがたい三位一体は間違いなく子供時代の体験を引きずったものだ。
フリードリヒは十人兄弟姉妹の六番目に生まれた。七歳で母を亡くし、十七歳になるまでに次々四人のきょうだいも亡くしている(多産多死の時代だった)。特に彼の精神を痛打したのは、十三歳の冬の出来事だ。凍った川でスケートをしていて氷が割れ、水中に落ちたフリードリヒを助けようとした弟が逆に溺死してしまったのだ。
もともとメランコリックな気質だったフリードリヒは、自責の念からいっそう自己の内へ内へとこもってゆき、生涯に重篤な鬱に何度か襲われ、自殺未遂もおそらく二度(諸説あり)経験している。
ある精神科医の研究によれば、鬱病患者の描く絵には著しい特徴があり、まず画面構成においては空間が広くてシンメトリーを有し、色彩は乏しい。モチーフには、遠方の山、荒涼たる冬景色、墓地、枯木、黒い鳥などがひんぱんに現れるというから、まさしくフリードリヒの作品は症例研究のお手本のごときだ。
では三十七歳で描いた『教会のある冬景色』はどうか。画中の死にゆく男はやはり画家本人で、いよいよまた自死を考え始めたのだろうか。
いや、この時期の彼は、前年に描きあげた代表作『樫の森の修道院』がプロイセン王室お買い上げとなり、ようやく知名度が上がってきたところだった。だからこそ廃墟や墓場で仄めかすのではなく、直接的に人の死を描くことができたとも言える。 -
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ『樫の森の修道院』1809~10年 油彩・キャンバス 110.4 ×171 cm ベルリン旧国立美術館(ドイツ)画像提供/アフロ -
鬱は克服されつつあり、フリードリヒ本人の長く苦しい冬の旅も、このあたりからようやく終わりが見えてきたのだった。
十六世紀フランドル(ベルギー西部からオランダ南西部とフランス北東部にまたがる地域)の冬の旅を見てみよう。ピーテル・ブリューゲル(1526頃~1569)作『ベツレヘムの人口調査』。 -
ピーテル・ブリューゲル 『ベツレヘムの人口調査』1566年 油彩・板 115.5 ×163.5cm ベルギー王立美術館(ベルギー)画像提供/アフロ -
当時は基本的に絵画にタイトルはなかったので、後世に付けられて定着したものだ。ブリューゲルの住むフランドルの現実に、聖書の出来事が嵌めこまれていることを踏まえての命名である。
逆に、このタイトルからベツレヘムにもこんなに積雪があるのかと早とちりする人も出てくるかもしれない。もちろんベツレヘムの十二月が零度以下になることはほとんどないので、このような厚い雪が積もるなどありえない。また画面左下で、豚の解体作業がおこなわれ、風船にするための膀胱がほしくて待っている子供もいるが、豚を不浄と見做すユダヤ人には無縁の行為である。
画面は鳥の視点で描かれている。同じ雪景色でも、フリードリヒ作品とは全く趣が違う。ブリューゲルは人間に対する関心が熱いのだ。
屋根にも雪が積もり、川や池には氷が張り、いつもは薄汚れた小路も広場も白い化粧をほどこして美しい。裸形の木の繊細な枝の絡みの先には、真っ赤な太陽が沈んでゆく。夕方なのだ。どれほど寒いだろう。この頃は小氷河期にあたるが、にもかかわらず、子供たちは手製のスケートで滑ったり、コマをまわしたり、元気に遊んでいる。大人はせっせと働いている。
左上の大きな川(手前に長い平底舟が見える)を、荷を背負う人たちが渡っている。氷はすべりやすいので歩行には慎重さが必要で、誰もが歩幅を狭くして、ゆっくり前かがみで歩く。
画面左の旅籠(はたご)の前に、人がおおぜい集まっている。ここは今、臨時の人口調査所、実質的には徴税所になっている。当時のフランドルはスペイン・ハプスブルク帝国の領土とされてしまったため、フェリペ二世は効率的に満遍なく搾取すべく、人口動態を把握するための制度を取り入れたのだ。
長い氷柱(つらら)が下がったあたりの旅籠の壁に、ハプスブルク家の紋章である、皇帝冠をかぶった双頭の鷲の紋章が垂れ下がる。人々の前にはテーブルが置かれ、毛皮の襟付きコートを着たスペイン側の役人が、記帳したり金を受け取ったりしている。 -
ピーテル・ブリューゲル 『ベツレヘムの人口調査』(部分)画像提供/アフロ -
ブリューゲルは、他国に占領されたこの過酷な現実を、聖書時代と重ね合わせたのだ。イエス誕生前からユダ王国(現在のパレスチナ)は古代ローマ帝国の軍門に下っていた。そして皇帝アウグストゥスの命令により、国民は全員、自分の生まれた町で戸籍登録することになった。
「ルカ伝」によれば、ガリラヤの町ナザレに住む大工ヨセフはダヴィデの家系であったため、ベツレヘムの町で登録することになったという。そこで彼は臨月間近の妻マリアとともに、一五〇キロも離れたベツレヘムへ向かったのである。
絵の中の二人を見つけるのは、さほど難しくないだろう。前景に比較的大きく描かれている。臨月のマリアはさすがに歩けない。そこでロバに乗っている。青いマントはマリアの色だ。ロバの轡(くつわ)を握るヨセフは、大工のしるしであるノコギリをかつぐ。
またロバと並んで牛も歩をあわせている。旧約聖書の「イザヤ書」には、「牛は飼い主を知り、ロバは主人の飼い葉桶を知っている」という言葉があり、そこからイエス生誕の厩(うまや)のシーンには、馬ではなくロバと牛が描かれることになった。 -
ピーテル・ブリューゲル 『ベツレヘムの人口調査』(部分)画像提供/アフロ -
夫婦が戸籍登録と納税を済ませた時、すでに旅籠は満員で泊まることができなかった。しかし身重のマリアに同情した宿の主人が厩を使わせてくれたため、なんとか二人は体を休めることができた。
この夜、十二月二十四日、ロバの背に揺られての旅はやはり身体に堪えたのか、マリアは急に産気づき、そのまま厩で出産。イエスは飼い葉桶に寝かされた。この日を寿(ことほ)いで二千年にわたってキリスト教徒たちはクリスマスを祝い続けている。
もし人口調査がなかったら、ベツレヘムに行くこともなく、マリアはもう少し遅れての出産になっただろう。もしかするとクリスマスとお正月が同日になっていたかもしれない。
- ●カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774~1840)……ドイツ・ロマン主義を代表する画家。崇高な自然風景、荒涼とした土地、廃墟などを題材とした、象徴的作風で知られる。人物が登場する場合は、作品の鑑賞者の視線に重なるよう後ろ向きに描かれることが多い。
- ●ピーテル・ブリューゲル(1526頃~1569)……16世紀フランドルで活躍した、北方ルネサンスを代表する画家。版画の下絵師として活動を始めた後、油彩画に専念するようになる。初期には民間伝説や迷信などを描いた作品、スペインの圧政に対する怒りを風刺する宗教画を経て、晩年は農民生活を題材とした作品を多く残す。後に二人の息子も画家となる。
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- 著者プロフィール
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中野京子(なかの・きょうこ)
北海道生まれ。作家、ドイツ文学者。西洋の歴史・芸術に関する広範な知識をもとに歴史や名画の解説書、エッセイを数多く執筆。2007年に上梓した『怖い絵』シリーズが好評を博し、2017年に『怖い絵』展、2022年には『星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム』を監修。『名画で読み解く王家12の物語』『名画の謎』などの人気シリーズのほか、『名画の中で働く人々――「仕事」で学ぶ西洋史』『中野京子と読み解く クリムトと黄昏のハプスブルク』『名画に見る「悪」の系譜』など著書多数。最新刊は『西洋絵画のお約束―謎を解く50のキーワード』。著者ブログは、「花つむひとの部屋」。