旅から生まれた名画 中野京子

第15回

巡礼

更新日:2025/04/23

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巡礼は、宗教的行動と旅がミックスされたものだ。神道や仏教、またキリスト教やイスラム教といったそれぞれの信者たちがそれぞれの聖地を訪れて祈る、特別な行為である。

もちろん日常空間にも寺院などの宗教施設は存在するので参拝はできるが、巡礼の基本は遠方の聖地へ足を運ぶことにある。お金も労力も時間もかけ、途次の危険も顧みず、一方でしかし旅の楽しみも味わいつつ、日常から非日常へ移動して聖なる空間に触れた後、再び日常へもどってくるのだ。

交通手段の限られた時代には、巡礼に行きたくとも行けない者のほうがはるかに多かった。貧しい共同体では皆で何年もお金を積み立て、一人の巡礼者を選んで自分たちの分も祈ってきてもらい、帰郷後の体験談を楽しみに待ったという。

カトリック教徒にとっての人気の聖地は、総本山たるヴァチカンはもちろん、聖遺物を祀る各地の大聖堂や、奇蹟が起こったと評判の地などだ。スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラやフランスのルルドの泉などが有名で、巡礼者の中には治癒を信じて介助者に連れられた病人も多い。現代では世界中から巡礼者が集まり、ある意味、観光地化している。

ルルドは聖地としては新しい。十九世紀半ばに村の十四歳の少女が洞窟の近くで薪を拾っていると、目の前にマリアが出現したのが発端だ。やがて少女は近くに泉を見つけ、その泉の水を飲んだ病人が次々に回復したことで教会もこの奇蹟を認め、小さな聖堂を建てた。それが今や大聖堂となり、世界中から人々を迎えている。

筆者の友人も大学で講師をしている時、夏休みを利用してルルドへ行った。その感動を縷々(るる)聞かされたが、まさか翌年の夏にもう一度出かけるとは思わなかったし、数年後には大学をやめ、修道女になったのには驚いた。もともと幼児洗礼のクリスチャンではあったが、それにしても思い切った人生の大転換だ。これも「ルルドの奇蹟」の一つだろうか。

伊勢神宮などでも感じたが、何世代にもわたる人々の真摯な祈りが蓄積された場所は独特のオーラに満ちている。非クリスチャンの筆者も一度はルルドに行ってみようかと思っているうち歳月がたち、二〇一一年に仏独墺合作映画『ルルドの泉で』(ジェシカ・ハウスナー監督)が公開されたので、これで済ますことにした。

現地での撮影もあり、ルルドが想像していたよりずっと大きな宗教都市だとわかった。そこへ集まる病気の人たちの、奇蹟への思いの強さにも圧倒される映画だった。


イギリスの例を見よう。


エドワード・ヴィリアーズ・リッピンギル『セント・メアリー・レッドクリフ教会の外に並ぶ巡礼者たち』1825~1830年頃 油彩・パネル 45.7×68.6 cm ブリストル市立博物館・美術館(イギリス)画像提供/アフロ

十九世紀前半の、ブリストル派と呼ばれた画家エドワード・ヴィリアーズ・リッピンギル(1790頃~1859)による『セント・メアリー・レッドクリフ教会の外に並ぶ巡礼者たち』。

イギリス西部に位置するブリストルの、十二世紀後半に建造が始まった古い教会が巡礼者の目的地だ。セント・メアリーとは聖母マリア、レッドクリフは教区の名なので、「レッドクリフ教区の聖母マリア教会」の意。この教会の完成は十五世紀なので、イギリス・ゴシックの代表的建造物と言われる。

エリザベス一世はこの教会を「我が国で一番美しく、最も善良かつ、最も有名な教区教会」と呼び、実際、何度も訪れている。ロンドンからブリストルまでは一七〇キロ以上あり、馬車や輿(こし)に乗っての参詣だった。

スペインやヴァチカンから命を狙われ、舟遊び中に砲弾を撃ち込まれたこともあったエリザベス一世は、出かける際にひんぱんに日程や進路を変更したことが知られている。この教会へ行く時も、もちろん毎回注意を怠らなかったことだろう。

リッピンギルの作品は、そのエリザベス時代よりもさらに前の、中世が舞台だ。そのことは画面左端の前景に立つ女性が、エナンという円錐形の被りものをしていることからわかる。エナンは中世における高貴な女性にのみ許された被りものであった。

巡礼者たちは老若男女とりどりで、貧富の格差も大きかったことは、着ているものから察せられる。彼らは画面右手の回廊を通って階段を下り、左手の階段を上がって教会内へ入ってゆく。


エドワード・ヴィリアーズ・リッピンギル『セント・メアリー・レッドクリフ教会の外に並ぶ巡礼者たち』(部分)画像提供/アフロ

右階段の上から、数人の男女が大きな担架を運んで慎重に下りてくるところだ。担架の上には白いマットとシーツが敷かれ、女性が横たわっている。そばには介護人たちもおり、富裕階級の病人とわかる。この教会もまた奇蹟の場と認識されていたのだ。


ロシアではどうか?

キリスト教(ギリシャ正教会の流れを汲むロシア正教)がいちおう国教となったのは、西暦九八八年だ。とはいえ広大広漠の大地だから、さまざまな異教やシャーマニズムが長らく並存したのは当然だろう。

ロシア正教はイコン(聖画)の崇拝と巡礼を推奨した。つまりロシアにおいてイコンは聖堂の単なる飾りではなく本当に奇蹟を起こす力があり、また巡礼は聖性に触れるための、いわば生活様式の一つとみなされたのだ。それはロシア革命まで続いた(いや、実のところ今でもイコンの力を信じるロシア人はけっこういる)。

十九世紀ロシアを代表するイリヤ・レーピン(1844~1930)が『巡礼中の敬虔な女性たち』を描いている。一見、写真と見まがいそうだ。それほどの実在感がある。


イリヤ・エフィモヴィチ・レーピン『巡礼中の敬虔な女性たち』1878年 油彩・キャンバス 73.3×54.5 cm 国立トレチャコフ美術館(ロシア)画像提供/アフロ

飲み水を入れたヤカンや食料などを入れた袋、編み籠などを持ち、疲れ切って猫背気味に歩く二人は、杖がなければ倒れてしまいそうだ。厚手のスカーフをかぶり、よれよれのコートを着ているところを見ると、空は明るくてもそうとう寒いのだろう。見渡す限りの平原で、風でも吹こうものなら遮るものとてない。

そうやって直接身体で自然を受け止めながら、何日も何日も歩き続けてきたのだろう。要所、要所の女子修道院で泊めてもらい、食事を出してもらって、ここまで来た。目的地まであとどのくらいあるのだろう。

二人の関係はわからない。たぶん母娘だと思われるが、そうだとしたら母親の持つ荷物のほうが重そうなのは解せない。もしかすると娘は身体が弱いのかもしれない。娘の健康回復を願っての巡礼という可能性が高い。だがこのままでは母親まで健康を害してしまうのではないか。

レーピンの容赦ないリアリズムによって、この作品は、彼の傑作『ヴォルガの船曳き』の女性版といった趣きがある。


一方、スペインのフランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828)の描く『聖イシードロの巡礼』はリアリズムと対極にある。


フランシスコ・デ・ゴヤ『聖イシードロの巡礼』1820~1823年頃 油彩混合・キャンバス 138.5×436 cm プラド美術館(スペイン)画像提供/アフロ

これは耳が聞こえなくなった晩年、「聾者(ろうしゃ)の家」にこもって制作した『我が子を喰らうサトゥルヌス』をはじめとする壁画「黒い絵」シリーズ中の一点だ。ナポレオン戦争で国土が蹂躙され、陰惨な殺戮現場を見て、見て、見続け、描いて、描いて、描き続けてきたゴヤにしか生み出し得ない、まさに悪夢のごとき、凄まじく「黒い」絵である。

聖イシードロは十一世紀にマドリッドに実在した敬虔な信者で、井戸を掘ったり農作業をする中で数々の奇蹟を起こして人々を助けたという。十七世紀に死後列聖され、農夫や労働者、またマドリッドの守護聖人となった。ゴヤの生まれる二百年近く前のスペイン王フェリペ三世が、聖イシードロの聖遺物に触れて病気を治したとの言い伝えもある。

このように本来は希望のある巡礼祭で、ゴヤは若いころにも同じ主題で明るい作品を二点描いている。ところが七十代半ばになるとこの表現だ。こう表現せねばならなくなるほど、ゴヤは闇の底の底まで見つめすぎたということか。

草木の一本もない折り重なるような高原の、その稜線をなぞるように巡礼者たちはうねうねと長い列を作る。先頭の一団は異様な塊を形成し、膜にでも包まれているかと思うほどだ。しかもいっしょにいながら、みごとに全員の視線がばらばらだ。顔も皆どこか人間ばなれしている。

杖をついて一番前を歩く男は獲物を見つけた猛禽類さながらだし、左横の黒いフードの女性は何かに怯えて体を強張らせている。右端でギターを弾く男は、拷問でも受けて悲鳴を上げているかに見える。普通に考えれば、黒い口を開けている者たちはギターの音に合わせて歌っているのだろうが、とてもそんなふうには見えない。

彼らは巡礼地に到着するのが怖いのだろうか。奇蹟など起きない、良いことなど何もないと知っているのだろうか。巡礼とは何なのか。まやかしなのか……。

堀田善衞のゴヤ伝は本作についてこう綴る――

「恐ろしいほどの迫力をそなえた一枚である。私はこの前に立つ毎に、いまにもこの巡礼たちに押し倒され踏み潰されるのではないかと感じ、身をそらせたくなるのを覚える。絵のなかから、この無意味集団がどさどさと出て来るかに思われるのである。私にとってもそういう絵画経験ははじめてのものであった。」
●エドワード・ヴィリアーズ・リッピンギル(1790頃~1859)……ノーフォーク州キングズ・リン出身の、イギリスの画家。ロンドンで働いた後ブリストルに移り、エドワード・バードやフランシス・ダンビーら「ブリストル派」と呼ばれる画家グループと親交を深める。特に自然主義で爽やかな色彩を得意とするバードからは多大な影響を受けたと言われている。
●イリヤ・エフィモヴィチ・レーピン(1844~1930)……ハリコフ(現ウクライナのハルキウ)出身のロシアの画家、彫刻家。風俗画や歴史画、肖像画などを得意とし、近代ロシア美術を代表するリアリズムの旗手として活躍。ロシア各地を移動しながら展覧会を開催した進歩的グループ「移動派」に加わり、政治や社会の矛盾を問う作品や、革命をテーマにした作品を発表した。
●フランシス・デ・ゴヤ(1746~1828)……フエンデトドス出身のスペインの画家。貧しい少年時代から絵を描き始め、宮廷のタペストリー(織物)の下絵描きから出発して宮廷画家としての名声を手にする。一方、聴力を失うという個人的な悲劇や、国家の動乱を体験するなかで、狂気や戦争の悲惨さを告発する版画集や連作を制作するなど作品は多岐にわたる。

著者プロフィール

中野京子(なかの・きょうこ)

北海道生まれ。作家、ドイツ文学者。西洋の歴史・芸術に関する広範な知識をもとに歴史や名画の解説書、エッセイを数多く執筆。2007年に上梓した『怖い絵』シリーズが好評を博し、2017年に『怖い絵』展、2022年には『星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム』を監修。『名画で読み解く王家12の物語』『名画の謎』などの人気シリーズのほか、『名画の中で働く人々――「仕事」で学ぶ西洋史』『中野京子と読み解く クリムトと黄昏のハプスブルク』『名画に見る「悪」の系譜』など著書多数。最新刊は『西洋絵画のお約束―謎を解く50のキーワード』。著者ブログは、「花つむひとの部屋」

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