旅から生まれた名画 中野京子

第16回

空の旅

更新日:2025/05/28

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 現代人は飛行機の存在を当たり前として暮らしているが、それでも空を飛ぶことへの憧憬が失われたわけではない。

 なぜというに、パイロットならいざ知らず、巨大な乗り物の中に入って運ばれることは、素朴な「飛ぶ」という行為と同じではないからだ。多くの人の「飛びたい」という願いは、おのおのが鳥のように自由に飛翔することを意味する。

 歩くように、走るように、いつでもどこでも思うがまま自力で飛べること、それでこそ、「飛んだ」と言えるのだ。


 ギリシャ神話はその願いを必ずしも肯定しない。なぜなら空は神々の領域であり、人間ごときがそこを侵犯してはならないからだ。

 イカロスの悲劇はそれを語っている。

 イカロスという名は、歌にもなっているので、神話に興味のない人にも知られていよう。父のダイダロスが鳥の羽根を蠟で固めて作った翼でイカロスも空を飛んだわけだが、父の言いつけ――「あまり低く飛ぶと霧に羽根が濡れて落ちる、あまり高く飛ぶと太陽の熱で蠟が溶けて落ちる。ちょうどよい高度を飛べ」――を守らず、飛ぶ悦びに酔い、高く、高く、より高く、ついに太陽に近づきすぎて翼を失い、墜落死してしまったというのだ。

 この、いかにも若者らしい悲劇は、「先人の積み上げてきた知恵を活かせない無謀」と解釈される一方、「若きパイオニアが通過する、時に命を賭した冒険」と見なされ得る。イカロスの人気は、後者の解釈からくるものだ。

 とはいえ、実際に空を飛ぶための手段を編み出したのは、父のダイダロスのほうである。

 発明家であり名工だったダイダロスは、ミノス王のためにラビリンス(迷宮)を建造したが、その後、王の怒りを買って息子ともども高い塔に幽閉されてしまう。見張りが厳しく、たとえ塔から出られたとしても、陸路や海路を使うのは無理だった。残るは空のみ。つまり逃走手段としての飛行だ。

 ロシアの歴史画家ピョートル・イワノヴィチ・ソコロフ(1753~1791)が、人工の翼を装着したダイダロスとイカロスを古典様式で描いている。


ピョートル・イワノヴィチ・ソコロフ『ダイダロスとイカロス』1777年 196.4×145cm トレチャコフ美術館(ロシア) 画像提供/akg-images/アフロ

 黒髪、黒髭、浅黒い肌の逞しい壮年の父と、金髪巻き毛に白い肌のまだ中性的な少年――ふたりの肉体的対比が鮮やかだ。背景は海で、彼らがいる場所は塔ではなく岩棚らしい。ダイダロスは万全を期し、イカロスの翼を細いブルーの紐でしっかり身体に巻き付けてやっている。

 イカロスの絵画は多くの画家によって、特に墜落シーンが取り上げられてきたが、翼は天使や悪魔のように背中に自然に生えているかのような描写がほとんどだ。それに対してソコロフは神話に忠実に、あくまで人工物、翼もどきだということを鑑賞者にはっきり思い出させる。

 となると、イカロスは自らの華奢な両腕を翼と一体化させ、結んだ紐を握って上下に動かし続けねばならない。それは荒海を長く泳ぎ続けるのと同じくらい難儀なことだから、ダイダロスほどの筋肉量が必要だ。上昇気流に乗れば楽になるが、しかし乗ったままだと今度は太陽に近づきすぎる。

 イカロスの死は規定事項だった。それをこの絵が教えてくれる。


 魔女はどうか?

 魔女には翼など不要で、箒があればよい。箒にまたがって夜の空を飛ぶ魔女のイメージは、箒など使ったことのない現代の若者の目にも、しっかり焼き付いているはずだ。それほどにも魔女と箒の定着度は高い。

 箒には魔力があると、古くから信じられていた。一説によると古代ギリシャの数学者ピタゴラスも、少女が箒をまたぐことを禁じている。これは箒の魔力に加えてその形体から男根を重ね合わせ、少女が箒をまたげば妻になる前に母になってしまう、との諫めだという。

 また箒の先は、かつて木の枝を束ねて作られていたが、その束ねた先から生命力があふれ出ると信じられていた。さらにその力は、不作と飢餓に直結する恐ろしい荒天を追い払うほど強いとされたのだが、魔女と箒がセットになると、逆に魔女が荒天を呼び起こすと言われるようになり、長期にわたる悪夢のような「魔女狩り」「魔女裁判」へと捻じ曲げられていったのは周知のとおりだ。

 同時期、ふだんは普通の主婦の顔をもつ魔女たちが、夜中に箒に乗ってブロッケン山などの小高い山や森に集まるのは悪魔崇拝の儀式を行なうため、というストーリーも形成されてゆく。

 箒だが、この家庭の必需品そのものに飛行能力があるとの説と、箒にはそのような力はなく、魔女が身体に秘薬を塗ることで飛べるようになる、という説がある。前者の場合の魔女は着衣姿だが、後者の場合は裸体で描かれることが多く、且つ、秘薬の作り方もまことしやかに語られる。

 材料はなかなかのインパクトだ。世界一猛毒とされるトリカブトをはじめとして、ベラドンナ、イヌホオズキ、チョウセンアサガオ、スズラン、ヒヨスといった神経麻痺や幻覚症状を引き起こし、しかも量によっては生命にかかわる毒草の数々を調合して膏薬とし、肌に塗る、というのだ。食すわけではないので問題はないということらしいが、良い子は試さないほうがいい。

 魔女たちはこの膏薬を素肌や箒に塗り、裸体で夜空へ飛び出す。秘薬による幻覚とも相俟って、すばらしい高揚感だったに違いない。

 女性の裸体画を得意としたスペインの画家ルイス・リカルド・ファレロ(1851~1896)の『魔女の安息日』のヒロインは、今で言う「美魔女」の典型に見える。

 コウモリの飛び交う満月の夜、悪女の髪の色とされる赤毛をなびかせ、若い魔女が飛翔する。うっすら笑みを浮かべ、地上を見下ろしながら。


ルイス・リカルド・ファレロ『魔女の安息日』1880年 油彩・キャンバス 74.3×41.2cm 個人蔵 画像提供/Super Stock/アフロ

 左手に掲げる小さな松明は、死と魔術の女神ヘカテーを思い起こさせてどこか不吉だが、その松明の火も長い赤毛も激しく真横に走り、箒に巻いた布まで派手に翻えることで、不吉さも吹き飛ばす勢いだ。かなりのスピード感。ガラ空きの高速道路を、スポーツカーで目一杯速度を上げたように。

 彼女の箒の乗り方も、通常と違って乗馬の女座りの体勢だ。この座り方はかなり安定感が悪い。二〇〇キロ近い速度のスポーツカーを、片手で運転するようなもので、スリルはいっそう増していよう。

 スピード狂にはたまらない空の走行である。


 翼や箒よりもっと安心感が欲しい人向けには、アラビアンナイトで有名な「空飛ぶ絨毯」がある。これは羽根を集める苦労もいらず、軟膏を塗る手間もない。しかも思っただけで絨毯のほうで勝手に飛んでくれるし、楽に十人以上は乗れる上に荷物だって載せられる。

 飛行機と同じ?

 いや、全然違う。飛行機は小さな窓からしか外が見えないし、なんといってもジェット音がうるさいので神経質な人間には向かない。だが空飛ぶ絨毯なら三六〇度世界を見下ろせるし、自然の空気も吸えて、音はといえば、風にはためく絨毯や鳥のさえずり程度だ。高所恐怖症なら低目のところを飛べばよい。

 ロシア帝政時代の代表的画家ヴィクトル・ミハイロヴィチ・ヴァスネツォフ(1848~1926)が、ロシア版『空飛ぶ絨毯』を描いている。


ヴィクトル・ミハイロヴィチ・ヴァスネツォフ『空飛ぶ絨毯』1880年 油彩・キャンバス 165×297cm ニジニノヴゴロド州立美術館(ロシア)画像提供/Alamy/アフロ

 これは「イワン・ツァレーヴィチと火の鳥と灰色オオカミ」という民間伝承がもとになっている。イワンはイヴァンとも表記されるロシアの典型的男性名(日本なら太郎、ドイツならハンスのような)。またツァレーヴィチは姓ではなく、「ツァーリ(ロシア皇帝)の息子」という称号だ。

 ロシア文学やロシアの政治家の演説と同じで、民間伝承のストーリーも長い。「イワン・ツァレーヴィチと火の鳥と灰色オオカミ」(タイトルも長い!)の粗筋をざっとまとめると――

 昔々、ツァーリは自分の庭園に生えている金の実のなる一本のリンゴの木をとても大事にしていた。しかし夜ごとに庭園の金のリンゴを火の鳥が食べてしまうので、生け捕りにせよと、三人の皇子に命じた。イワンは末子でいつも兄二人から苛められており、出発の際も二人に置いてゆかれる。ひとりになった皇子は三叉路で決断を迫られたり、灰色オオカミに助けられたり、他国の王女と相思相愛になったりと冒険した後、火の鳥も得て帰国の途につくが、待ち伏せていた兄たちに殺されてしまう。だが灰色オオカミに生き返らせてもらい、兄たちに復讐し、姫と結婚してめでたし、めでたしの大団円。灰色オオカミは馬に変身するなど、なかなかの活躍をするので、タイトルにも登場する次第。

 ヴァスネツォフ作品は、イワンが火の鳥とともに空飛ぶ絨毯で帰国するシーンだ。人の気配すらないロシアの広大な草原を眼下に、イワン皇子が絨毯の上にすっくと立っている。近くを飛ぶ大フクロウたちとほぼ同じ高度を、絨毯もまた四隅を大きく湾曲させ、鳥の羽ばたきさながら悠然と飛ぶ。

 分厚く美しい手作りのロシア絨毯である。模様はペルシャ絨毯とは違い、ロシア人好みの花が色とりどりにあしらわれた独特のもの。枠柄に描かれた動物は、馬に変身した灰色オオカミかもしれない。

 イワンは皇子らしく正装し、帯剣もしている。凛々しい表情で前を見つめ、火の鳥を入れた素晴らしい装飾の鳥籠を携える。鳥籠は金色に輝いているが、それは中にいる火の鳥がそうさせているのだろう。火の鳥の形体は手塚治虫の傑作『火の鳥』とどこか似ている。

 それにしても、こんな絨毯に一度でいいから乗って、日本中の空をめぐってみたいものだ……と思いながら、ふと疑問を持った。日本には、たとえば畳などの道具を使って空を飛ぶ、という民話はほとんど聞いたことがない。なぜなのだろう?

 天の羽衣伝説はあるが、主人公は天女の羽衣を隠しただけで自分では飛ぼうとしていない。先人たちがリアリストだったということもあるかもしれない。高低差の大きい入り組んだ地形で、天候の激変や気流の悪さ、何より雨の多さ、しかもしばしば雷を伴い、台風も襲う。空は憧れの領域にはなり得なかったのか?

 いや、飛翔の夢がそんなことで潰えるわけがない。無理とわかっても憧れるのが人の常だ。もしかすると日本人は道具を使うことを嫌うのではないか。ヤマトタケルノミコト(日本武尊)が白鳥になったように、日本人のメンタリティーは、むしろ鳥への変身のほうを好むのかもしれない。鳥のように飛ぶのではなく、鳥となって飛びたい、と。
●ピョートル・イワノヴィチ・ソコロフ(1753~1791)……18世紀後半のロシア出身の画家。貴族の農奴として生まれたが10歳の頃解放され、帝国美術アカデミー(現在のサンクトペテルブルグ美術大学)に入学。ドミトリー・レヴィツキーに師事し、歴史画や神話画を中心に制作。作品は18世紀ロシア美術における新古典主義の潮流を反映しており、アントン・ロセンコの影響を受けた折衷主義を体現している。
●ルイス・リカルド・ファレロ(1851~1896)……グラナダ出身のスペインの画家。裕福な家庭で育ち、当初は軍人を目指していたがその道を断念。パリに移り住んでからは美術、化学、機械工学などを学び、ガブリエル・フェリエールに師事した。作品には神話や天文学、オリエンタリズムの要素を融合させたものが多く、19世紀末の象徴主義や幻想芸術の中で独自の位置を占めている。
●ヴィクトル・ミハイロヴィチ・ヴァスネツォフ(1848~1926)……ヴャトカ(現在のキーロフ州)出身のロシアの画家。神学校で学んだ後に帝国美術アカデミーに入学。1870年代初頭には移動派(ペレドヴィジーニキ)に参加していたが、後に象徴主義・幻想画へ転向。宗教画家としての評価も高く、建築分野においてモスクワのトレチャコフ美術館本館のファサードデザインも手掛けている。ロシアの民族的ルーツと象徴主義を融合させた19世紀末の代表的画家の一人。

著者プロフィール

中野京子(なかの・きょうこ)

北海道生まれ。作家、ドイツ文学者。西洋の歴史・芸術に関する広範な知識をもとに歴史や名画の解説書、エッセイを数多く執筆。2007年に上梓した『怖い絵』シリーズが好評を博し、2017年に『怖い絵』展、2022年には『星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム』を監修。『名画で読み解く王家12の物語』『名画の謎』などの人気シリーズのほか、『名画の中で働く人々――「仕事」で学ぶ西洋史』『中野京子と読み解く クリムトと黄昏のハプスブルク』『名画に見る「悪」の系譜』など著書多数。最新刊は『西洋絵画のお約束―謎を解く50のキーワード』。著者ブログは、「花つむひとの部屋」

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