旅から生まれた名画 中野京子

第19回

遍歴の騎士たち

更新日:2025/08/27

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 日本の武士による「武者修行」に似て、ヨーロッパの若い騎士たちも、各地の馬上槍試合に参加するなど腕試しをしつつ、理想の騎士道、冒険、新たな知見などを求め、自己研鑽のために遍歴していた時代があった。

 そうした騎士は英語でナイト・エラント(knight errant=遍歴の騎士)と呼ばれている。武士と違うのは、必ずしもお家取り潰しであぶれた者ではなかったこと、また徒歩ではなく文字どおり馬に騎乗しての旅だったことだ。

 十五世紀後半になると、軍事技術の進歩や火器の使用などにより従来の騎士の重要性が薄れてゆくが、そうなると逆に、騎士道や騎士に対する憧憬や美化の機運が高まった。とりわけ古き良き時代のナイト・エラントは――現実には日本の薄汚い浪人者と変わらない風体だったはずなのに――自由で高貴で勇気ある騎士の鑑として、文学などさまざまな芸術に取り上げられるようになる。

 そのような架空の騎士物語を山ほど愛読した老ドン・キホーテが、サンチョ・パンサを伴ってついに妄想の旅へ出たのも、ナイト・エラントという存在が強烈なロマンの香りを放ち、男たちの心に響いていたからだろう。


 ナイト・エラントが聖人になった稀有な例が、ドラゴン退治で有名な聖ゲオルギウスだ。

 伝承やそれをもとにした『黄金伝説』(キリスト教の聖人伝)によれば、ゲオルギウスは紀元三世紀後半に実在したパレスチナ生まれのギリシャ系貴族。父親はローマ帝国軍人だったという。ただし伝承の寄せ集めなので異説もあるし、またドラゴン退治の場所も初期にはカッパドキア、やがてゲオルギウスの生地自体がカッパドキアで、ドラゴンがいたのはレバノンと主張する学者もいる。

 そのあたりには拘泥せず、ドラゴン退治伝説にフォーカスしよう。

 ――遍歴の途上、騎士ゲオルギウスはドラゴンに苦しめられている国に入った。話を聞くと、以前からここに棲みついていたドラゴンが毎日生贄を要求し、この度は王女が選ばれたため、国中で嘆いているというのだ。

 言うまでもなくドラゴンは「邪悪と異教」の象徴である。ゲオルギウスはさっそくドラゴンと対決し、槍で突き殺し、王女を救い出す。感謝した人々はゲオルギウスの勧めに従い、これまでの異教を捨ててキリスト教に改宗した――。

 通常のおとぎ話であれば、騎士は王女と結婚し、やがてその国の王になりました、めでたし、めでたしとなるところだが、これは聖人伝なので、そうした庶民感情には斟酌しない。ゲオルギウスは皆がキリスト教を受け入れたことを確認すると、そのまま別の土地へと去ってゆく。あくまでナイト・エラントたる自己を貫いたわけだ(そこがまたゲオルギウス人気に拍車をかけた)。

 それから月日がたって紀元四世紀前半、ゲオルギウスの遍歴は最後を迎える。彼はキリスト教を禁教と定めた異教の王に捕らえられ、拷問の末、斬首されたことで殉教者となった。ゲオルギウスに「聖」が冠された所以である。


 『聖ゲオルギウスとドラゴン』の主題は、何世紀にもわたって名だたる画家たちに取り上げられてきた。ラファエロ、デューラー、ベッリーニ、ティントレット、ウッチェロ、カルパッチョ、etc.。

 ここではフランス象徴派ギュスターヴ・モロー(1826~1898)の作品を見てみよう。縦長画面の中に、伝説の要素が全て含まれている、と言いたいところだが、カルパッチョ作品などに見られる、他の犠牲者たちの白骨の残骸は見当たらない。


ギュスターヴ・モロー『聖ゲオルギウスとドラゴン』1889-1890年 油彩・キャンバス 141×96.5cm ロンドン・ナショナルギャラリー(イギリス) 画像提供/Heritage Image/アフロ

 とはいえ、それは些末なことで、モローのゲオルギウスと馬は凛々しく美しい。色彩も考え抜かれている。ゲオルギウスの頭部に輝く金色の光輪、黒い甲冑、対照的な白馬、そして翻る布はピンクがかった赤で、長槍は真っ赤だ。その穂先は、今しもドラゴンの胸を貫き、口から血を流させている。ドラゴンの醜悪さも申し分ない。

 背景に高い岩山が連なり、右側の崖には生贄の王女が座って手を合わせている。伝承においてもそうであったように、ここでも彼女の存在感は壁紙のように薄い。

 ゲオルギウスのイメージが定着すると、肖像画にこの英雄を重ね合わせることで、その人物に実際以上の魅力をまとわせることが可能になった。

 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490頃~1576)による『カール五世騎馬像』がそれで、一五四七年のミュールベルク戦での勝利を祝って制作された。縦三・三メートル、横二・八メートルの大画面の迫力は圧倒的で、ティツィアーノの代表作の一つでもある。本物の血を使って描いているとの噂まで広まった、この画家らしい赤の効果も満点だ。


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『カール五世騎馬像』1548年 油彩・キャンバス 335×283 cm プラド美術館(スペイン) 画像提供/Erich Lessing/K&K Archive/アフロ

 神聖ローマ皇帝カール五世にしてスペイン王カルロス一世(他にブルゴーニュ公やら何やら、それまでのハプスブルク家筆頭者として最多の肩書をもつ)は、聖ゲオルギウスさながら長槍を握り、今しも戦の深い森を抜け、夕陽の野に走り出たところだ。まさに英雄登場のシーンである。

 カトリックの守護神を任じるカール五世が戦った相手は、イスラム教徒でもユダヤ教徒でもなく、同根のキリスト教プロテスタント同盟軍だった。同じキリスト教徒同士なだけに、近親憎悪は燃えさかる。その憎しみが老帝の長い顎をますます突き出させたかのようだ。

 しかしこの絵には大きな嘘がある。現実のカール五世は当時五十歳間近。現代と違って老年とされる歳ではあったが、それにしても戦闘続きの日々に肉体は弱り、単騎で駆け巡ることなどできなくなって、戦場では輿に載せられて移動していた。とうていナイト・エラントを気取れる状態ではなかったのだ(拙著『名画で読み解く ハプスブルク家12の物語』参照)。


 ちなみにゲオルギウスの英語読みはジョージ。息子にこの名をつける両親がどれほど多いか、驚くばかりだ。

 歴代イギリス国王ジョージ(今のところ六世まで)、アメリカ大統領ジョージ・ワシントンとジョージ・ブッシュ父子、作家のジョージ・オーウェル、詩人のジョージ・ゴードン・バイロン、作曲家のゲオルク(ドイツ語読み)・フリードリヒ・ヘンデル、ロシアの学者ゲオルギー(ロシア語読み)・ガモフ、ビートルズのジョージ・ハリスンやアメリカの投資家ジョージ・ソロス、映画監督のジョージ・ルーカス、俳優のジョージ・クルーニーなど、ちょっと思い浮かべただけでもこれだけいる。

 ドラゴンを倒した遍歴の騎士の、人気のほどが命名からもうかがえよう。


 当然ながら、ロシアにもナイト・エラントはいた。

 帝政時代に神話画や歴史画で活躍したヴィクトル・ミハイロヴィチ・ヴァスネツォフ(1848~1926)が『岐路に立つ戦士』で描いている。


ヴィクトル・ミハイロヴィチ・ヴァスネツォフ『岐路に立つ戦士』1882年 油彩・キャンバス 167×299cm 国立ロシア美術館(ロシア) 画像提供/Bridgeman Images/アフロ

 果てしないロシアの荒野に日没が迫る。ナイト・エラントは道を間違えたのかもしれない。白馬を前に進ませて、こんなところまで来てしまった。荒野にはところどころに大きな石がごろごろころがり、底知れぬ濁った沼もあり、どこまでもどこまでも同じ景色が続いている。

 鎖帷子を身につけた騎士は背中に円形の盾を負い、矢筒も備えている。長槍はモロー作品と同じで赤いが、鐙(あぶみ)に載せたブーツは雨にも雪にも耐えられそうな、実用一点張りの無粋さだ。

 そのブーツのそばに、柄の付いた大きな鉄球が見えている。これは棍棒の一種で、メイス(=槌鉾)という殴打用の武器だ。

 兜の下から長い顎鬚が見える。白馬のたてがみも長い。どちらももう若くはないのだ。長い遍歴に疲れ果てているようだ。遍歴の騎士とその相棒は、まるで墓石のような石板の前でしばし黙考している。足元には人間と馬の頭蓋骨がころがり、カラスがそのあたりに止まっている。腐肉をついばむカラスたちは、次の獲物が来たのを知ったのだろう。不吉な黒い翼を拡げて飛んでくる。

 上の石板に書かれた文は、こうだ。「まっすぐ行けば命はない。歩く者、馬に乗る者、飛び越える者の道はない」これは叙事詩「イリヤ・ムロメッツと強盗」から取られた一文なので、石板の下部、草に覆われた部分には「左に行けば富を、右に行けば妻を、まっすぐ行けば死を得る」の一部が見えている。

 騎士はまっすぐ行こうとしている。なぜなら白馬はそれを感じ取り、深くうなだれているからだ。

 ナイト・エラントの末路の多くがこうだったのかもしれない。若いころならいざ知らず、今さら妻も富も欲しいとは思わない。老いは欲を摩滅させ、死を受け入れやすくする。彼もとうに死を覚悟していた。だからこの荒野をまっすぐ進んでゆくだけだ。

 ゲオルギウスが最後に殉教したように、このロシアのナイト・エラントも粛々と人生の旅を終えようとしている。そしてこの終わりもまた、遍歴の騎士のロマンにふさわしい。
●ギュスターヴ・モロー(1826~1898)……19世紀フランスの画家。象徴主義を代表する存在で、幻想的で神秘的な世界を描いた。パリに生まれ、古典美術や東洋文化の影響を受けながら、精神性の高い構図と精緻な装飾を特徴とする作品を多く残した。印象派とは異なる方向で芸術を追求し、晩年は教育にも力を注いだ。没後、自宅は美術館として公開されている。
●ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490頃~1576)……盛期ルネサンスに活躍した、ヴェネツィア派の画家。ベッリーニの工房で研鑽を積むとともに、兄弟子のジョルジョーネからも影響を受けた。神話、宗教、肖像と幅広いテーマで画才を発揮。教皇をはじめとして、神聖ローマ皇帝のカール5世やその息子でスペイン王のフェリペ2世など、同時代の貴顕に愛された巨匠。
●ヴィクトル・ミハイロヴィチ・ヴァスネツォフ(1848~1926)……ヴャトカ(現在のキーロフ州)出身のロシアの画家。神学校で学んだ後に帝国美術アカデミーに入学。1870年代初頭には移動派(ペレドヴィジーニキ)に参加していたが、後に象徴主義・幻想画へ転向。宗教画家としての評価も高く、建築分野においてモスクワのトレチャコフ美術館本館のファサードデザインも手掛けている。ロシアの民族的ルーツと象徴主義を融合させた19世紀末の代表的画家の一人。

著者プロフィール

中野京子(なかの・きょうこ)

北海道生まれ。作家、ドイツ文学者。西洋の歴史・芸術に関する広範な知識をもとに歴史や名画の解説書、エッセイを数多く執筆。2007年に上梓した『怖い絵』シリーズが好評を博し、2017年に『怖い絵』展、2022年には『星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム』を監修。『名画で読み解く王家12の物語』『名画の謎』などの人気シリーズのほか、『名画の中で働く人々――「仕事」で学ぶ西洋史』『中野京子と読み解く クリムトと黄昏のハプスブルク』『名画に見る「悪」の系譜』など著書多数。最新刊は『西洋絵画のお約束―謎を解く50のキーワード』。著者ブログは、「花つむひとの部屋」

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