失踪願望。失踪願望。

第34回

カタカナ、南国、閏年 二〇二四年二月

更新日:2025/05/14

  • Twitter
  • Facebook
  • Line
2月2日(金)
 代理店の男と打ち合わせをした。しゃらくさいカタカナ言葉を連発するので「何を言っているか分かりません」と言いたかったが、その説明がかえって面倒なので無言で聞いていた。
 言葉自体も覚えられないので、商談の席で最近使われるカタカナ語を調べてくれと事務所スタッフに依頼する。
 マーケティングやターゲットなどはなんとなく分かるが、アジェンダ、コミット、ローンチなどと聞き慣れない単語がどんどん増えてくる。なんのことやらさっぱりだが、これは恥ずかしいことなのだろうか。この類の打ち合わせ(ミーティングとわざわざカタカナにしていた)を居心地悪いと思うのはぼくがじいちゃんだからなのだろうか。結局、そのカタカナ語をぼくにもわかるように訳してもらって企画書を改めて読んだら、単純なインタビュー依頼だった。思えば、簡単なことをむずかしくするのが代理店のまず最初の仕事だったんだなあ。八十年代、九十年代、それ以降にも、ギョーカイ用語的なカタカナ語があった。コンセンサス、コンテンツ、コラボレーション、イノベーション、インセンティブ、バーチャル、リテラシー、メセナ、インフラ、ミッション、アメニティ、などなど。これ全部、日本語にしていくとレポート用紙が真っ黒になりますな。
2月3日(土)
 冬になると雪中で電車と自動車が衝突する映像を見かけるが、年を取るとああいうのにショックを受け暗い気持ちになった。
 それでなくとも冬は阪神・淡路や東日本の地震の映像、地下鉄サリン事件など、気の重くなる映像を見かけることが多い(そういえばサリン事件は、親友の木村弁護士が率先して闘っていた)。いずれにしても、国民的トラウマだ。そういう時には本を読んでやり過ごす。『世界ノンフィクション全集』を久しぶりに読んだ。
2月5日(月)
 天気予報がやかましい。寒いんだから雪が降るのは当たり前だ。現代人は「外出を控えましょう」とか誰かに喚起されなければ判断できなくなっているのだろうか。ちょうど北海道で取材をしているライター竹田から連絡があって「札幌は大雪ですわー。街は綺麗だし熱燗がうまい。酔っても二軒目へ移動する途中で寒くて覚めちゃうから、二軒目でまた同じくらい飲めちゃう。わはははー」と陽気だった。あれはあれで問題があるな。
2月6日(火)
 予報通り雪となった。寒いのは嫌いだが雪は嫌ではない。
 日本は場所によっては世界でも有数の豪雪地帯らしいのだが、そのひとつに奥会津がある。むかしここで映画を撮ってから、何かと通うようになった。仕事の時もあれば用がなくても温泉に入りに行くこともあった。
 冬に奥会津から帰る道はいつも雪だった。山道なので慎重に運転しなければならない。山を降りていくと徐々に雪が減ってきて、栃木県に入る頃には運転も容易になるのだけれど、「無事に帰ってきたな」という気持ちと「ああ、また東京の暮らしかあ」と少しさみしいような気持ちがあった。
 ある年の帰り道、大規模な寒波の影響で山を降りても栃木県に入ってもジャンジャン雪は降っていた。日曜日だったので運転慣れしていないドライバーがそこらじゅうで事故を起こしていて渋滞も発生していた。夕方には東京に着いているはずだったのに、埼玉でも積雪があり高速道路も閉鎖されるとの情報も入った。
 幸い、同行者の中には翌日に急ぎの仕事がある者はおらず、その日は諦めて群馬県某市に泊まることにした。同じことを考える人は多かったらしく、ホテルは大きいのも小さいのもアヤシイところも、どこも満室であり、最後に空いていたわびしく寒そうな小さな民宿になんとか部屋を確保した。不思議なことに誰も泊まっていない。ホテルの人は長い白髪をみつ編みにしていて、ヒッチコックの映画に出て来そうな雰囲気。緊急事態だから仕方ないのだが、その民宿は全体的にくっきりオンボロでバブルの時に建て増しでもしたのだろうか、構造もなんだかヘンで、ある部屋の前にはかすれた文字で「担架室」なんて書いてあった。むかし病院だったのか。まあ、ビール飲んで寝ちゃえばいいや、と思って自動販売機の高額な缶ビールを三本買ったら売り切れになってしまった。外は大雪なのでコンビニにも迂闊に行けないし、行っても開いているかどうかも分からない。仕方ないので車座になって三本のビールを四人で小さなコップで分け合って背中を丸めて飲んだ。
 翌朝、天気は回復し爆発的な陽射しの中で帰宅した。途中、利根川や荒川の河川敷が真っ白で美しかった。
2月7日(水)
 明日から宮古島に行く。「宮古島文学賞」の最終選考だが、「シーナばかり宮古島に行ってずるいじゃないか」というイチャモンをつけられ、雑魚釣り隊の仲間が何人も便乗同行してくれるらしい。楽しみで眠れないなんて珍しいことだ。
2月8日(木)
 あまり眠れずに機内で寝ようと目論んでいたのだが、ANAの南方路線でよく遭遇するガハハ親父もウフフ姉ちゃんもいなかったので無事に眠れた。プレミアムクラスというのはありがたい。
 生まれて初めてビジネスクラスに乗ったのは、どこかは忘れたけれどヨーロッパからの帰り道だと思う。でも、前日に明日は帰国だあと飲みすぎて二日酔いだったのでずっと寝ていた。もったいないことをした。しかし、あの頃はどこでもよく眠れた。眠れたし、飲めたし、食べられたし、書けた。
 島に到着して最終選考に出てから会食に参加して、二十時過ぎくらいに終わる。前泊している雑魚釣り隊数人とこの「失踪願望。」の連載チームが合流して飲んでいるようだ。ライター竹田から携帯に何度か連絡が入っていたので折り返す。
「椎名さーん、どこにいるんですかあ? いま童夢が菊之露を空けました。まろやかでうまいのです!」
 ほとんど呂律が回っていないので、編集タケダに代わってくれと言う。
「椎名さーん、早く来てください。今、なびぽんぱん、じゃなかった、大なびぱんびんを頼んだところですぅ」
 あのしっかり者のタケダさんも泡盛にやられてしまったようなので、そっと電話を切った。
2月9日(金)
 ホテルの朝食会場にWタケダが現れて「なんで昨日は来なかったんだ」とかわるがわる文句を言ってやかましい。
 編集タケダが「なびぱんびん、美味しかったですよ」と主張する。なびぱんびんとは宮古島ではヒラヤーチーのことだという。ヒラヤーチーというのは小麦粉を使ったお好み焼きのような沖縄料理だから、宮古島お好み焼きといったところか。具は何?と聞くとふたりとも「なんらかの葉野菜が入っていた」、「赤があったからにんじんか紅生姜のどっちかだ」と曖昧だ。たくさん飲んだのだろう。
 ライター竹田がふいに声をひそめ「マグロなんとかなんないですかね」と築地の仲買いみたいなことを言う。聞けば今夜の宴会の肴を確保するために雑魚釣り隊は出船するらしいが、釣果は確実とは言えないので保険をかけたいらしい。マグロが保険とは贅沢な話だが、こちらも宴会に出る身なので「なんとかしよう」と低い声で請け負った。
 まずは市役所に出向いて入賞作品の記者発表だ。選考委員の大城貞俊さんとはこれまで何度も同席しているが、いつも真剣かつ柔軟に討論してくれていて、応募作品への講評が素晴らしい。彼の意見を聞くのが毎年楽しみなくらいだ。文学賞は作品と共に育っていくものだが、その中核にああいった骨のある人がいるのは宮古島の財産だろう。
 今回は若い書き手が「爆ぜる」という作品でその才能を文字通り爆発させたが、そういう書き手が少しでも世に出てきたことに個人的には安堵している。
 また、AIが正面から出てくる作品もあったが、ああいったものを使いこなす、あるいは題材にする機会は今後、もっと増えていくだろう。ひとつの兆しが見えた。

 受賞作の記者発表を終えた後、『失踪願望。』取材チームと合流する。タルケンこと、垂見健吾が来ていた。沖縄に魅せられ移住した南方写真師だ。せっかく宮古島に来たのだからどこか海っぺりでこの単行本の表紙撮影をしてしまおう、と編集タケダが根回し良く招聘したのだった。
 宮古島に土地勘のあるタルケンの案内で島北部の海岸で撮影をしていると雨が降ってきたので、ヒルメシがてらタルケンなじみの池間港の食堂へ。
 タルケンに任せているとサザナミダイの刺身、セーイカの刺身や、地ダコとゴーヤの炒め物が出てきた。これは飲まないわけにはいかないがビールがないという。「そうなのか」と呟くとドライバーの竹田が「そんな悲しい声を出さないでください。分かりましたよ」と車で近くの商店にオリオンの缶ビールを買いにいってくれた。持つべきものは察しの良い年下の友人である。コリコリしたタコとシャキシャキしたゴーヤでビールがうまい。三本も飲んでしまった。四本目を飲もうとしたところで「あくまで雨宿りですから」と編集タケダに制止される。いつのまにか晴れ間が出ていた。お土産に島で獲れたモズクまでもらった。今夜から合宿生活なのでこれをゆし豆腐に入れよう。
 撮影の続きをして「いいのが撮れたねえ」とタルケンが言うのでこの日はおしまい。タルケンに最後に撮られたのはいつだったかもう思い出せないが、出会ったのはまだ彼が文藝春秋の写真部にいた頃だった。四十年も前だ。ライフワークである沖縄の撮影をはじめ、今やタルケンにしか撮れないものを撮っている大御所になっている。

 夜は、昨日のうちに全員集合したという雑魚釣り隊の合宿地に向かった。東京、大阪、那覇から十三人が集まって「かたあきの里」という沖縄古民家を一棟借りしているのだ。町の東側、静かなところでどれだけ飲んで歌っても苦情ひとつ来たことがない。
 釣り自慢たちは昨日、前のめり気味に出船したのだが釣れたのはオジサン、グルクン、ウメイロモドキというカラフルな南の魚ばかりで唐揚げかマース煮にしかならないなあと頭を抱えていたら、夕方に宮古島文学賞の事務局が丸々と肥えたキハダマグロを届けてくれたようだ。マグロ保険がここにきて機能した。
「隊長、ありがとうございます」と料理長のザコが言う。
「うむ、頭を上げてくれ。これを刺身、ヅケ、鉄火丼、竜田揚げなどにしてくれ。ネギトロなんかもいいぞ」とぼくは厳かに伝えた。
 オリオンビールを飲みながらみんなでなんとなく近況報告をし合う。雑魚釣り隊はコロナがちょうど蔓延しはじめる四年前、緊急事態宣言が出る直前に滑り込みでここに来ている。それから四年が経ち、連載も終わり、社会も変わったけれど、このメンバーは相変わらずだ。会わないうちに賢しげになってしまったヤツはいなくて、みんな安定のバカで安心した。
 ザコがマグロの刺身盛りを大皿でどーんと置いてくれる。「都会の居酒屋はほんの四切れのマグロで一八〇〇円とか取るもんなあ」と言うとトクヤが枝豆の殻を投げてきた。これでどこの居酒屋の話かバレてしまった。各種南国魚の天ぷら、アーサ汁、豚の味噌漬け焼き。肴はなんでもござれで、島の泡盛はパッションフルーツやレモンで割る。ゲストのタルケンは怪しい探検隊の歴史からいえば雑魚釣り隊の先輩にあたるのだが、みなに「タルケンおじい」と呼ばれ慕われていた。久しぶりに胃がはち切れるほど飲み食いした。
2月10日(土)
 ホテルで朝メシを食べ、光のいい午前中のうちに昨日、雨でできなかった砂浜での写真を撮ってしまい、この旅のお仕事は終わりだ。まえかわ食堂で「すば」を昼飯にして、午後の早い時間からまたも「かたあきの里」へ行き、宴会を始めてしまう。
 オジサンは唐揚げに。グルクンはマース煮に。どんな雑魚でも釣った魚は食べるのがわしらの鉄のオキテだ。この日もビールも泡盛もどんどん空いて、途中、下戸(ゲコ)の三嶋が車を出して酒の追加の買い出しに行ってくれた。
 宴会の終盤、隊の料理長であり、プロのミュージシャンでもあるザコがギターを持ち出して、恒例となった「男はつらいよ」を歌ってくれた。この前は盛岡だったが、南の島で聞く寅さんもいいものだ。
 買い出しから戻った三嶋はレーザーポインタで夜空を指しながら、酩酊状態の西澤と名嘉元に「あれがシリウスです。おおいぬ座にありますから、英語では“DOG STAR”、犬星なんて言われてます」とか星座を解説しているが「沖縄の犬は舌を出していつも寝てるだけさあ」と会話が噛み合っていない。それでも真面目な三嶋は「近くにはこいぬ座もプロキオンもあります」と続けるが「沖縄の星は犬ばっかりだねえ」とやっぱりズレている。明日にはふたりとも忘れているだろう。しかし、恒星の名前をスラスラ言えるのはとても格好いい。
 そのうち、そのあたりで寝始める者、麻雀で負けているらしくリベンジを企てる者(トクヤ)、まだしつこく飲む者、酔い覚ましに散歩に出る者、それぞれの夜を過ごしている。いつも自己責任の現地集合。決して団体旅行ではなく、あくまで個人が集まって宴会するだけ。このあたりの好き勝手具合がこの集団が長く続いている理由なのかもしれない。久しぶりによく遊んだ。
2月13日(火)
 東京に戻った。寒いので着込んで虎ノ門の目医者に向かう。眼球やその周辺も特に問題ないとのことで安心して新宿三丁目に流れ「池林房」で打ち合わせがてら生ビールのち焼酎お湯割りをやっていると、宮古島に延泊していたトクヤとベンゴシが帰ってきて、また宴会となってしまう。
 トクヤは宮古島はあったかかったねえ、また来年も行こうねえと嬉しそうに繰り返していた。
2月16日(金)
 息子と近所の町中華でビールをのんでいると若い子が二人で入ってきた。華奢でふたりとも髪が長かったので、綺麗な女の子二名だなと思っていたら、どうやら男女のカップルのようだ。
 彼らがテーブルについて上着を脱ぐと、二の腕から首のあたり、よく見ると頬まで刺青が入っていた。女の子には腕から首、耳の後ろまで長い蛇が刻まれている。蛇が全身を這っているようでなかなかカッコいい。カメラを持っていたら「ちょっと撮らしてくれませんか」と言っていたと思う。アサヒカメラの休刊は痛恨だったなあ。
 息子が「若い子はけっこう普通にタトゥーを入れているよ」と教えてくれた。昔は倶利迦羅紋紋なんて言っていたのになあ。蛇を飼っているカップルは瓶ビールを美味しそうに飲んでいた。
2月18日(日)
 ツマが入院してしまった。右手親指のあたりの調子が悪く、マイクロスコープや顕微鏡で細かい手術をしなくてはならないらしい。
 食べ物や生活に必要なものをいろいろと用意していってくれたが、ぼくは彼女がいなくてはどこに何があるのかも分からなくなりつつある。彼女は度胸があるが、こっちはまるでダメだ。ただもうオロオロしている。
2月20日(火)
 厚生労働省が飲酒によるリスクをまとめたガイドライン案を公開した。新聞に載っていたので読んだが、生活習慣病や高血圧をはじめとした病気のリスクがあるとして、「飲酒量をできる限り少なくすることが重要」らしい。国の基本方針によると、成人男性は「純アルコール量」というのを一日当たり四〇グラム以下におさえる必要があるらしい。
 純アルコール量ってなんだ。缶ビールだったらロング缶二本、日本酒だったら一合弱、ウイスキーはダブル一杯らしい。ふざけたことを書くんじゃないと漫画に出てくるカミナリ親父みたいに新聞をぐしゃぐしゃ丸めてぽいっと捨てたかったが、家には誰もいない。自分が拾うのもバカらしいので静かに閉じた。
2月21日(水)
 午後から慶應病院へ行き、そのあと、ライター竹田と池林房で落ち合って飲む。
 昨秋に盛岡で、つい先日には宮古島で聞いたザコの歌う「男はつらいよ」がとても感動的だったで、あれをもっと多くの人に聞いてほしいと熱弁すると、「じゃあイベントをやりましょう」と竹田は察しがいい。
「ただザコさんに歌ってもらうだけではただのライブですので、椎名さんにも働いてもらいます」
 いつだか雑魚釣り隊で十周年記念イベントをやった。いつもの海岸キャンプでやっている宴会、音楽、バカ話を新宿でやってしまおうと、太田トクヤの演劇箱となじみの居酒屋数店舗に協力してもらい、会場ごとに「トークショー」「横暴な隊長(ぼくのこと)の陰口を言いながら呑む」「音楽ライブ」「大食い対決」などプログラムを作り、どの会場も飲み放題。もっと昔に「やまがた林間学校」を怪しい探検隊でやったけれど、あれの雑魚釣り隊バージョン、新宿版という感じだった。
 あのイメージでいっちょうたのむ、と竹田に伝えた。竹田は何人規模を想定しているのか。ザコのライブがメインでいいのか。その選曲はどうなるのか。各出版社に協力を要請していいのか。などと細かい質問を早口でまくしたててきたが「全部、任せる」とぼくはジンジャーハイボールに切り替えた。
「いっつもそうだもんな」
 竹田はブツブツ言いながら、昨春に広告代理店から独立してひとり広告代理店マンとなった橋口太陽を呼び出すと、太陽はちょうど近所にいたから、とすぐに現れたのであらましを説明する。
「椎名さん、そしたら予算感ですとか、この池林房にどれだけ利益を落としたいのかとか、各種告知のためのデザイナーとか印刷所とか広告とかそういうものはどうしますか」
 太陽も早口でいろいろ聞いてくる。
「全部、任せる」
「いっつもそうだもんな」
 竹田も太陽も文句を言っていたが、そのあとウイスキーを飲んでいると「新宿のイベントも久しぶりだから楽しみですねえ」と調子良くなってきた。今日も純アルコール量を平気で突破した。
2月22日(木)
 ツマが戻ってきた。三泊四日の入院とはいえ嬉しいものだ。
 息子から「なるべくオフクロに負担かけないようにしてやってくれ」と言われているので、何か手伝おうとするのだが、彼女は自分でなんでもできてしまうし、ぼくが何か手出ししようとすると嫌がる。仕方なくぼくは本を読むかテレビを見るしかない。
2月25日(日)
 予想していたことだが、寒いのでさまざまなことに気が乗らない。編集者や友人から「たまには飲みましょう」と連絡をもらい、気分転換のためにも出かけようかなとその時は思うのだが、朝目覚めると気が重かったり、煩わしさを感じたりする。
 気だるさに加えて、眠れない夜は最悪だ。昔は眠れなかったら小説でもエッセイでも書いていれば好転することもあった。変わらなくても時間が過ぎたが、今はそうもいかない。夜中に頭がうまく回らないことも多い。気づけば無為な朝を迎えている。
2月27日(火)
 冬季鬱でも原稿は書かなくてはいけないので、あたたかい宮古島のことを思い出しながらコラムを書いた。思ったより短時間で書けたので、酒のカクヤスで黒ビールを頼んだ。
2月29日(木)
 閏年だ。といっても、なぜ四年に一度、一日追加されるのか。なぜ二月の終わりにそれが居座るのかはよく分からない。
 これだけ生きてきても分からないことはたくさんある。
 日経平均株価が上がったら誰が儲けるかも分からないし、建設中のビルの上にでっかいクレーンをどう運ぶのか想像もつかない。週刊誌にコラムやエッセイを寄せていた時は、世の中の流行などはある程度、情報として入ってきたが、令和になってからは壊滅的に知らない言葉が増えた。サブスクとかなんとかペイとかまったく分からない。

Ⓒ 撮影/内海裕之

著者プロフィール

椎名 誠(しいな まこと)

1944年東京生まれ、千葉育ち。東京写真大学中退。流通業界誌編集長時代のビジネス書を皮切りに、本格デビュー作となったエッセイ『さらば国分寺書店のオババ』(’79)、『岳物語』(’85)『犬の系譜』(’88/吉川英治文学新人賞)といった私小説、『アド・バード』(’90/日本SF大賞)を核としたSF作品、『わしらは怪しい探険隊』(’80)を起点とする釣りキャンプ焚き火エッセイまでジャンル無用の執筆生活を続けている。著書多数。小社近著に『続 失踪願望。 さらば友よ編』。

本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.