第31回
ソコーツ、おみやげ、閉塞感 二〇二三年一一月
更新日:2024/12/18
- 11月1日(水)
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タクシーに乗って新宿を抜け病院に向かう。御苑の並木の銀杏が色づいてきた、とか書きたいものだがどちらかといえばこのごろは胃のきげんが悪い。
ムカシは胃に歯のある男と言われたものだが胃酸過多というやつだろうか。いまワープロでその文言を打ったら遺産過多と出た。どこの国の話だ。
- 11月3日(金)
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編集者というのは優れたソムリエみたいなもので、日々「椎名さんの好きそうな本を見つけました」と書籍を送付してくれたり、「こんな記事が出てましたよ」とFAXを寄越してくれたりする。
この日届いたのは、書評の記事だったが、出だしからぼくのことを「ほとんど中毒者のように酒を飲み、日々深く酔っぱらう」などとあってなかなか面白い。編集者からは「こんな好き勝手な書評を書いたら椎名さんは悲しんだり怒ったりするだろうか、と筆者が気にしてました」というメモも添えられていたのだが、書評というのは好き勝手に書く読者の特権だ。ぼくはそれをいちばん身近な友人に教えられていた。
- 11月6日(月)
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ハロウィンとかいうこの世でいちばん無駄なバカ騒ぎが終わって一安心したら街はジングルベルジングルベルとやかましい。
まつりは関東は神輿 、西のほうは山鉾 を牽く。東北は竿を担ぎ巨大な飾りものを牽いて跳ねる、とまあだいたいそんなふうになっているんじゃないか。神輿は三社祭りが圧倒するけれど、そのうち、東京名物はヘンテコお面まつり、なんて言われるようになるんじゃないだろうか。
ハロウィン。恥ずかしいなあ。
ああいうふうにはしゃぐなら関東のどこかで三〇〇キロはあるデカカボチャをとってきてからにしてほしい。
そういえば日本にいっぱい来ている外国人でアメリカの農村部から来ているんじゃないかと思えるでっかい二〇〇キロぐらいはありそうな男女がズルガタひきずっていく巨大なトランクには何が入っているんだろうか。ま、余計なことでした。
まつりを模倣導入するんだったらスリランカのぺラヘラ祭りがいいですぜえ。電飾された象の行進、生き埋めにされた死者が生きかえる見せ物、踊るコブラ。飽きないですよ。
- 11月8日(水)
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なんだか胸と脚が痒いので慶應病院の皮膚科にかかる。
しかし、特に異常も見られずに「疲れなどもあるかもしれませんね」と曖昧なことを言われる。まあ「フツネツガドボ菌に感染しているので、今すぐ入院です!」などと言われないだけマシだが。一応、塗り薬を出してもらう。帰り際に「血行が良くなると痒みが強くなるかもしれないのでお酒は控えめに」と告げられる。ううむ。
- 11月10日(金)
- 気候も良いし仕事も捗ったので夕方からビールを飲んで、ここらでいっちょう映画でも見たいなとテレビをつけたが、たいしたものをやっていない。『幕末太陽傳』とかが見たいぞおいコラと悪態をつきながら番組表を確認しようとボタンを押してもなかなか機能しない。爪先で強く五秒くらい鋭く押すと、渋々といった感じで番組表が出る。やっぱりたいした映画はやっていなかったのでネル。
- 11月11日(土)
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映画『幕末太陽傳』が好きだ。映画と落語が好きな人がいるとこの映画はタカラモノのようなものなのでよくDVDをプレゼントしていた。そんなことを考えながら、書庫でDVDを探すが、見つからない。
すこし前のことだが、手持ちの在庫がなくなったので、ひさしぶりに買って見たら、音声がおかしい。モーレツにキンキンする音と音楽だった。光学録音を失敗しているのではないか。こんなことがあるんだなあ。それともこっちのAV機器がおかしいのか。交換するのもいろいろ面倒なんだろうなあ、と、腹だちまぎれにすぐに捨てたのを思い出し、ますます今すぐ見たくなる。購入はもう十本目ぐらいになるが次に買うのが勝負ということになる。なにやら落語のような話になってきた。
この映画は何本もの古典「落語」を組み合わせてあってモーレツに脚本がうまい。さらに、役者たちのセリフ回し、そのセンスがすばらしい。だからなおさら「音」が重要なのだ。とくに、江戸時代の貸本屋の小沢昭一さんが素晴らしい。ああいう映画を見ていくと江戸時代は昭和のほんのトナリだったのだなあ、と改めて思う。もうこういう傑作はあらわれないのだろうなあ。
- 11月13日(月)
- 今週も病院通いだ。北里大学病院で圧迫骨折の跡を診てもらった。階段を布団かかえて降りてはいけません。スポーツ骨折の人がいっぱいいた。自分のはソコーツ(粗忽)骨折とでもいうのだろうか。
- 11月14日(火)
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我が家には世界各地で購入してきたおみやげや、おみやげのつもりで買ったおみやげ未満の物体がたくさん散らばっている。
それをまとめて雑文集にしたら怪しくも愉快な本『机の上の動物園』(産業編集センター)になった。それをヒントに日本旅行作家協会の打ち合わせで「作家が各地から持って帰ってきたものを展示したり売ったらどうか」と提案したら、それはいい! とみな乗り気になり、あれよあれよとぼくが発案者としてオークションを開催することになった。ぼくはチベットのお守りを出品することにした。
ちょっと大事になってしまったが、世界のガラクタはちゃんと土地の記憶と紐づいているのでなかなか楽しい。そんな話をしながら池林房で関係者とビールとハイボールを飲んだ。
- 11月15日(水)
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午後から三鷹の指圧マッサージに行って腰が楽になった。夕方からは雑魚釣り隊の健太郎と池林房だ。
雑魚釣り隊の最終巻のプロモーションに関する打ち合わせや、文庫化についての相談など、いくつかの議題をクリアにしながらビールを飲む。
池林房で飲んでいると雑魚釣り隊のメンバーが嗅覚鋭くわらわらと集まってきて最終的には宴会になってしまう。本来なら打ち合わせの進行を優先させるべき健太郎が誰よりもハイボールをガブガブと飲み、最後は「じゃあまた来週、飲みながら打ち合わせをしましょう」という結論になる。何を打ち合わせているのかもはや誰もわからないけれど、永遠と打ち合わせは続くのだ。
- 11月18日(土)
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市原市の主催する更級日記千年紀文学賞の授賞式のため、朝から千葉方面へ。
竹田が往復の運転手をしてくれた。彼の借りてきてくれたレンタカーで時間に余裕を持って都内を出発したが、強風のためアクアラインが通行止めになっているという。湾岸線は渋滞が起き、じりじりとするが何もできない。到着はギリギリだった。
なんとか授賞式には間に合い、表彰と講評をした。受賞作は高齢化とそれに伴う介護、現代における動物との暮らし方など時代に即した主題が並び、小説とはやはり世相の受け皿なのだなと実感した。16歳という受賞者がいたのも印象に残った。
3回目となったこの文学賞だが、応募作に課題があるとすればタイトルの付け方だろうか。タイトルで目を惹くものが少ない。読んでいくうちにああなるほどと合点がいくケースもあるが、書店に並んでいるとまず手にとってもらえないだろう。今回の応募者が職業作家になるかどうかはわからないが、いい編集者と巡り合えればいい。
都内に戻ってから行きつけの中華料理屋で軽く飲む。運転してくれた竹田もレンタカーを返してから合流した。
市原あたりは少し前だったら完全に自分で運転して出掛けるようなところだが、今は竹田のようなイキのいいあんちゃんがやってくれるとなによりラクである。渋滞なんかにあうと当方の精神がささくれるので実にありがたい。
彼が自分の時間を費やして何かしてくれた時には感謝の気持ちを込めてアルバイト代でも払いたいのだが、本人は「ビールおごってくれればそれでいいっす」と気持ち良い返事をして、気持ち良く生ビールを次々に飲み干すのであった。レモンサワーも紹興酒も飲み干すのであった。サンラータンメンも大盛りで飲み干すのだった。
- 11月20日(月)
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最近、タクシーなどに乗っていると車の中で息苦しくなってしまうことがある。吐き気や頭痛に襲われるというわけではないのだが、自己を保つのが難しい不安定な状態としか言いようがない。
先の市原への道中もそうだった。時間がない状態で渋滞しているという状況がもたらす圧迫感も悪いほうに働いたのかもしれない。窓を少し開けてみたが、気休めにしかならなかった。
同じような理由で飛行機も避けるようになってしまった。閉塞環境が年々苦手になっていく。昔、チリ海軍のオンボロ軍艦で旅したことがある。自分のことではないみたいだ。
- 11月24日(金)
- 伊集院静さんの訃報が届く。肝内胆管がんとのことだ。がんを公表し療養に専念すると発表したのはつい先日のことだったような気がする。
- 11月27日(月)
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長くお世話になった元文藝春秋の編集者、寺田
英視 さんと久しぶりに新宿の居酒屋で会う。寺田さんは孤高をいく、まったくサムライのような人だ。武道で鍛えられた体、まっすぐの姿勢、そして視線。定年退職されてからもうずいぶんたったと思うが、現役時代とちっともかわらない。寺田さんを前にするといつもぼくは緊張してしまう。
「ながいことお世話になりました」と、思い出話を肴にこころからお礼を言いつつ静かに杯を重ねるオトナの宴であった。
- 11月29日(水)
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旅のおみやげほどやっかいなものはない。と、枕草子だって言っている。いや、言ってはいなかったか。あの頃の旅のおみやげってどんなものだったのだろうか。名物なんてものが各地にあったのだろうか。いくつかの古典を読みこんで本にしたらおもしろいだろうなあ。現代はおみやげだらけ。食べものならまだしもけっこう困るのはでっかいコケシとか熊と鮭とか。ほしい人もいるだろうから「市」を開いたらいかが、とぼくも参加している「旅人」のあつまりに声をかけたら開催された。いろいろ集まって盛況だったようだ。
今日は朝から慶應病院に行き、夕方からこの日本旅行作家協会のパーティーとオークションがあったのだが、少し体調が悪くキャンセルした。発案者としては申し訳ないことをしたが、もともとパーティー方面は苦手でもありどうにもふんばりがきかなかった。
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連載第16回~26回は単行本『続 失踪願望。 さらば友よ編』になりました!
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連載第1回~15回は単行本『失踪願望。 コロナふらふら格闘編』になりました!
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Ⓒ 撮影/内海裕之
- 著者プロフィール
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椎名 誠(しいな まこと)
1944年東京生まれ、千葉育ち。東京写真大学中退。流通業界誌編集長時代のビジネス書を皮切りに、本格デビュー作となったエッセイ『さらば国分寺書店のオババ』(’79)、『岳物語』(’85)『犬の系譜』(’88/吉川英治文学新人賞)といった私小説、『アド・バード』(’90/日本SF大賞)を核としたSF作品、『わしらは怪しい探険隊』(’80)を起点とする釣りキャンプ焚き火エッセイまでジャンル無用の執筆生活を続けている。著書多数。小社近著に『続 失踪願望。 さらば友よ編』。