失踪願望。失踪願望。

第37回

訃報、タワゴト、男はつらいよ 二〇二四年五月

更新日:2025/06/25

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5月1日(水)
『続 家族のあしあと』の単行本を担当してくれた集英社の編集者の訃報が届く。かねてから闘病していたのは聞いていたが、改めて残念な知らせを聞くのは辛い。
 彼は全身が文学青年の気配だった。打合せなどでも、ぼくの考えに寄り添いながら、話が着地するまで待ってくれる人だった。その気配が物静かながら力強く、じつに頼りになった。もっと沢山のことを話したい人だった。悲しくてならない。
5月3日(金)
 大型連休で東京に人が少ないらしい。それはいいなあ。ぼくは山手線が好きで、東海道新幹線で出かける帰りに品川から外回りで新宿で帰ってくる。大崎のオフィス街とか渋谷と原宿の間の代々木公園側の広い空の景色が好きだ。Suicaだって持っている。駅でお金を入れる作業(あとで孫に聞いたら「チャージ」というらしい)はできないので事務所のスタッフにやってもらう。
5月5日(日)
 唐十郎さんの訃報が報じられた。このところ訃報ばかりじゃないか。
5月8日(水)
 慶應病院で診てもらう。差し迫った異状なし。
5月11日(土)
 東北新幹線のホームで、身体のでっかい外国人女性のグループがやかましく話をしていた。スペイン語のような気がする。昔はよく南米の空港とか欧州の港とかで見かけた光景だ。その脇を厚い底のブーツと短いスカートをはいた日本人の女の子が通っていった。どちらもガラガラとキャリーケースを引っ張っている。最近の日本を象徴するようなあじけない場面でもある。
 新幹線に這いずり乗って、クロステラス盛岡でのトークショーに向かった。
 盛岡は暑かったので、まずは「ぴょんぴょん舎」で冷麺。心地よい辛みが染み出したあのスープを飲まないと話がはじまらない。トークショーにはなつかしい盛岡のみなさんの顔が揃っていた。なんだか第二のフルサトに帰ってきた気分だ。終わった後は、「海ごはん しまか」で打ち上げをするというゴールデンコースだ。カツオ、カレイ、瓶に入った塩水うにと、トラウトがたまらない味だった。
5月12日(日)
 もりおか啄木・賢治青春館でちょうど企画展「賢治の童話・絵本展」をやっていたので、見学に行く。『春と修羅』と『注文の多い料理店』が出版100年だそうだ。
 この代表作だけでなく賢治のタイトルの付け方は天才的だ。あるいは優秀な編集者がいたのだろうか。
 天気も良かったので三陸方面に足を伸ばし、宮古市を抜けて田老町まで行くと「たろう大漁まつり」というのをやっていたので、そこで昼飯。射的などの出店がある古典的な良いまつりで、人が多かった。スマホで昼飯のそばを撮ってみたが、どのように撮れているか自分では分からなかった。盛岡駅でスタッフらと生ビール。夕方の新幹線で東京に戻る。
5月14日(火)
 太田トクヤより北海道産のホワイトアスパラが届いた。こういう季節のごあいさつを律儀に重ねる人は徳が積まれるのだ。茹でて塩をふって食べた。
5月16日(木)
 午前中はおとなしく原稿を書いていた。夕方から新宿に出て、「池林房」で夏に小学館から出る文庫の打ち合わせ。タイトルでちと迷う。目黒がいたらなあ、と思う。
 ぼくは作家なのでたぶん当たり前なのだろうが、人よりは読書量が多い。たくさん読んできたけれど、読み散らかしてきただけ、とも言える。昆虫みたいに読んだはしから必要な情報を吸収して生活に役立てるようになれればいいのだが。
5月18日(土)
 映画『シン・シティ』をいきなりテレビでやっていたのでシアワセに観る。
 アメリカンヤクザコミックを原作にした、ハードボイルドの極致ともいえる作品で、長い時間画面が白黒ではなく赤黒で覆われている、なんだか無茶苦茶な映画だが、ぼくはあのゴチャゴチャが好きなのだ。抗争でバタバタと人が死んでゆく。特に日本風の二刀流と手裏剣と弓矢で活躍する女用心棒がカッコいい。久しぶりに観たけれど、やはり面白かった。
 最初に観た時、型破りな映像に「これからの時代はこういうのが主流になる」と衝撃を受けたが、待っていても何事もおこらず、そうでもなかったらしい。残念!
5月20日(月)
 何日かかけて書いた、『すばる』連載の最終回の原稿を終える。連載ではなくて「連作」。こういう飲んだくれのタワゴトみたいなのをつみあげていく小説というのが好きだ。
5月24日(金)
 本の雑誌社の浜本社長と「池林房」で早い時間から密会する。密会って言ってもいつも通りの話をするだけだったけど。目黒がいなくなってもうずいぶんたつが、浜本が相当しっかりしてきているのを感じた。けっこう彼はガンコなのだ。
5月26日(日)
 新刊発売記念と雑魚釣り隊結成20年を祝う「新宿3丁目まつり」に参加するために午前中から新宿へ。
 全体運営の橋口太陽と竹田聡一郎が演者のために控室を用意してくれていて、そこにはメインの演目であるザコの歌を演奏するバンド仲間がいたので、まずは挨拶がてら乾杯。トクヤが池林房から生ビールを運んできてくれた。
 海苔弁も用意されていたので、それをツマミにする。アコーディオンを弾く女性はアダルトビデオの監督らしく、その独特の世界の話が聞けて面白かった。手にイレズミがしてあった。
 その合間に太陽や竹田、さらに数人の編集者が次から次へ楽屋へやってくる。
「このTシャツを着てください」
「十一時半に会場に来てください」
「海苔弁をさっさと食べてください」
「この本三〇冊にサインしてください」
「生ビールたくさん飲むんだからトイレ行っておいてください」
 いろいろ指示してくるので、「はいはいはいはい」とすべて言いなりになった。トクヤもしばしば来て「椎名さん生ビールおかわり?」と聞く。はいはいはいはいと言ってさらに飲んだ。
 第一部はトクヤが持っているイベントスペース「雑遊」でぼくのデタラメトークと、ザコたち音楽仲間のライブ「樋口のギター」だ。
 ザコというのは雑魚釣り隊の料理長であり、普段はミュージシャンでもある。「雑魚釣り隊の歌」なるものも作り、近年はキャンプ地にギターを携えて「ちょっと歌います」と寅さんの「男はつらいよ」をアコースティックギター一本で聴かせてくれた。声量がゆたかで、なんだかわからないままにものすごく感動した。その歌をもっと多くの人に聴いてもらおう、というのもこのイベント発足の大きな理由だった。
 まずぼくが新刊発売のトークショーをやってしまう。照明が当たって暑かったので途中でビールを飲んだ。前列のお客さんからは「いいなあ」の声があがっていた。
 そのあとがザコたちの出番だ。ギター、ウッドベース、サックス、トランペット、アコーディオンと編成が雑多で珍しく、だがなかなか聴かせる。ザコが弾いていた「樋口のギター」は故人になってしまった樋口正博さんが所有していた形見分けだ。樋口さんは雑魚釣り隊の企画発案者で「つり丸」という釣り雑誌の編集長だった。ぼくのところに来て「椎名さん、またハチャメチャなキャンプをやってくださいよう。釣りなんてやんなくてもいいんです」と釣り編集者にあるまじきオファーをしてきた。
 そのヤブレカブレな度胸を意気に感じて引き受けたようなものだったが、おかげであれから20年もの間、ぼくが「ちょっと遊びに行きたいな」とか「新宿で一杯やろうぜ。誰かいるか?」と連絡すると素早く反応してくれる年下の友人がたくさんできて、その大部分が今日ここにいる。
 そんなことを考えながらザコたちが奏でる「男はつらいよ」とトリに歌った「怪しい雑魚釣り隊の歌」を聴いていたら涙が出ていた。「椎名さんが泣いてる」と何人かに笑われてしまった。
 第二部は「池林房」と「海森」に分かれて宴会だ。前日に出たアジ釣りが爆釣だったらしく、アジフライ食べ放題、ビール、焼酎、日本酒、泡盛飲み放題。結局、昼から八時間くらい飲んでいた。アホの積み重ねだがよく眠れそうだ。
5月28日(火)
 日本旅行作家協会が主催する斎藤茂太賞の最終選考会に出席する。
 受賞作は小坂洋右さんの『アイヌの時空を旅する 奪われぬ魂』に決まった。
 近年、旅が伴うノンフィクションやルポルタージュはどんどん肩身が狭くなっている。交通網の発達や情報社会の肥大化が大きな原因だろう。そんな中、小坂さんがカヤックやカヌーや山スキーを駆使しながらアイヌ民族の世界観や自然観を追いかけたこのルポルタージュは、一縷の希望のようなものだ。必要以上に金をかけなくても、切り口と綿密な取材で新たなジャンルが切り拓かれるのだ。いいぞいいぞ、と思う。若い人はみんな旅や冒険にもっと出かけてほしい。
5月31日(金)
 親しい編集者が重い病気にかかってしまったという報告を聞き、うろたえた。深酒してしまった。

Ⓒ 撮影/内海裕之

著者プロフィール

椎名 誠(しいな まこと)

1944年東京生まれ、千葉育ち。東京写真大学中退。流通業界誌編集長時代のビジネス書を皮切りに、本格デビュー作となったエッセイ『さらば国分寺書店のオババ』(’79)、『岳物語』(’85)『犬の系譜』(’88/吉川英治文学新人賞)といった私小説、『アド・バード』(’90/日本SF大賞)を核としたSF作品、『わしらは怪しい探険隊』(’80)を起点とする釣りキャンプ焚き火エッセイまでジャンル無用の執筆生活を続けている。著書多数。小社近著に『続 失踪願望。 さらば友よ編』。

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