失踪願望。失踪願望。

第27回

夏バテ、ガメラ、盆踊り

更新日:2024/05/08

  • Twitter
  • Facebook
  • Line
7月1日(土)

 いつテレビはこんなふうに通販番組ばかりになったのだろう。などと言いつつダラダラと「今から30分以内に」とか「社長、安い!」とか流行りもんをついみてしまう。「王様夢心地枕が3980円!」など威勢よくやっているのをみて王様としては安っぽいなあと思いながら、睡眠に悩みがある者として少し考える。
 かつては洋服や財布などを通販で買ったこともあった。7勝3敗くらいの成績だ。いい買い物ができていた気がする。でも、最近は何もいらないなあ。

7月3日(月)

 朝から経口補水液しか飲まず病院に向かい、スポーツ整形外科にかかる。腰は相変わらず痛い。コルセットが邪魔だ。劇的に改善することはなく帰路に。日差しはギラギラだ。家に帰るとサワダ君から京都のうまそーなトマトが届いていた。
 夜中、ドンガラドンガラと落雷が激しいので眠れない。停電なので電池式のランプを出してきてイタリアの山の本を読む。たくさん純文学を読んでいた若い頃を思い出した。

7月6日(木)

 猛暑とか酷暑とか真夏日とかなんでもいいのだがとにかく暑い。神保町でこの連載の打ち合わせの予定だったが、たどり着く前に行き倒れてしまいそうなので、打ち合わせは延期してもらおうと企む。しかし家にはツマの姿がない。そういえばどこかで仕事だと聞いた気がする。
 行き倒れも困るが飢え死も嫌なので、我が家のそばで打ち合わせはできないかと画策し、近所の中華料理屋で春巻とチャーハンとニラレバを食べる。生ビールと紹興酒を飲む。もうイッパイの未練を残して帰宅。
 テレビをつけたら吉田類のシリーズもの『酒場放浪記』をやっていた。ハシゴした気分でつい見てしまう。この番組はかなり高い確率で、たまたま入った店で同窓会が開かれているような気がする。なぜだろう。

7月7日(金)

 今日も夏バテ気味だから餃子と蒸し鶏とワンタン入り担担麺を食べたいと事務所のWさんに頼むと「もう付き合ってくれる人はいないかもしれません」と冷たい。ダメ元でいつものWタケダに連絡すると「連続中華は嫌だ」「なんで夏バテで餃子なんだ」「焼き鳥が食べたい」「蕎麦で日本酒なら行く」「七夕だしシュワっとした泡でしょう」とテキもなかなかにワガママである。
 みんなの意見をまとめると「マグロの刺身がいい」という結論になって、近所の居酒屋で連日の宴会。「なんで結論がマグロの刺身なんですか?」と聞かれたが、ここは軽々に返答してはいけない。「うむ」と厳かに頷いてやりすごした。でも夏バテは本当で、夏になるといつもぼくは痩せ細ってしまうので、こうして人と飲むのがいちばんの対策だ。少し焼酎を飲みすぎた。

7月10日(月)

 朝食のあとに必ずフルーツが出てくるが、夏になると顔ぶれがめざましくニギヤカになる。特にメロンは甘いのはもちろん、ゴリゴリと硬く青いのも楽しい。北海道の余市に別荘を持っていた時、庭にさくらんぼの木があったので自分のところのを食べていた。いい時代だったんですなあ。

7月12日(水)

 病院ばかり行っている気がするが、午後から慶應病院へ。今月も問題ないと言われやや安堵する。

7月14日(金)

 映画出演の依頼をうけた。役どころは「森のなかの怪しいじいさん」いいなあ。しかし今の日本に森があるのかなあ。都会のなかの怪しいじいさんはいっぱいいるけどなあ。あっ! 今のオレだ。
 いきなりだったので少し迷った。急逝した目黒のお別れ会の頃にプロデューサーからその依頼をうけたので考えこんでしまった。目黒は大学時代、映研にいた。やつとは本と同じくらい映画についてたくさんの話をした。でも今は相談もできない。
 映画を作るんじゃなくて「出る」話は迷うところだったがなにか不思議なツナガリを感じた。プロデューサーの孫家邦さんの「オトコギ」のようなものもここちよかった。
 今日はその衣装合わせのために調布にある角川大映スタジオへ。大魔神とガメラに迎えられた後に、広めの会議室に勢ぞろいしたスタッフの数の多さに、小規模作品とはいえ、ああ映画の現場ってこうだったなあと感慨深いものがあった。若いスタッフが多い。ベテラン風の貫禄のある人もいるが最年長はまちがいなくぼくだなあ。
 用意されていた〝日曜日のおじいさん〟のような服を何着か試着した。おじいさんは毎日が日曜日だったか。生まれて初めてループタイというものを装着して皆の前に立つと「いいですね。これでいきましょう」と監督。どんなふうに動くか、どんなおじいを演じるのか、申し訳ないくらいちっともイメージが膨らまないが、監督は「そのままでいい」と言ってくれているし、なんとかなるだろう。しかし、ロケは8月の中国地方で敢行すると聞いてややひるむ。暑いんだろうなあ。
 衣装合わせが終わるとメシの相談だ。昼には遅く夜には早い中途半端な時間で、大映の食堂も閉まっていた。
「近くにつげ義春さんゆかりの中華料理屋があります。餃子とビール、どうでしょう」と帯同してくれた編集Tが言うがあまりの暑さにすぐ新宿に逃げ帰ることにする。
 多摩川のそばのこのあたりはなじみのある風景だ。車の中でうとうとし、少し復活してビールにありつく。少々くたびれた。

7月18日(火)

 人間ドックのため大学病院へ。いろいろと検査をする。その合間に本でも読めるといいのだが、「次はこっちで心電図です」「はいはい」「こっちで採血です」「はいはい」「身長と体重です」「はいはい」とけっこう忙しく、落ち着いて読めないかもしれない。
 医者に「大きな問題はなさそうですね」と言われるが、小さい問題はたくさんあるのだろうか。まあ、とにかく帰ってビールだ。

7月21日(金)

 今週も慶應病院に行く。圧迫骨折は良くなっておらず、ビリビリでもチクチクでもなく、少し歩幅が乱れた時などはガインとした痛みがくる。こんなふうにずっと体のどこかに痛みがある、というのはじわじわとヒトをダメにしていく、を実感する。暑さのせいもあるんだろうなあ。

7月23日(日)

 午後までに原稿を終わらせてテレビをつける。名古屋場所は伯桜鵬、北勝富士、豊昇龍が3敗で並ぶ誰が勝っても「よくやったぞう」という千秋楽なのだ。
 優勝決定戦までもつれて豊昇龍が初優勝。モンゴル出身でスガラグチャー・ビャンバスレンという本名らしいが、インタビューで「泣いちゃったですね」の言い方が叔父の朝青龍に似ていた。久しぶりにいい場所だった。
 夕方から孫娘が浴衣を着て盆踊りに出かけていった。猛暑も悪いことばかりじゃない。孫の海ちゃんを身内のじいじいが語るのもなんなのだろうけれど人生はずんずん動いていくのだなあ、ということをしみじみ感じる。

7月24日(月)

 神保町の学士会館で、市原市が主催する更級日記千年紀文学賞の選考会議。終わって館内のレストランで黒ビールを飲むのが楽しみなので、何人かの編集者と待ち合わせをしていたのだが、そこに左手にギプスをつけたタケダが登場した。
「おつかれす」と挨拶もそこそこに黒ビールをひといきでジョッキ半分飲んで「自転車でコケました。小指と薬指の間の皮膚がえぐれて骨がうっすら見えました。全治6週間です」と簡潔に述べた。
 本人には悪いが面白い。転んでまだ3日目で痛みがあるようで、パソコン仕事も麻雀も運動もできず、「ひたすらゾンビものの映画を見てるだけっす」とわけのわからないことを言っていた。
 南アフリカ生まれのライアル・ワトソンという生物学、動物学者がいる。
 ずいぶん前に『風の博物誌』という本をベースにしたドキュメンタリーがテレビ朝日で4日間にわたって放映されたときにナレーションを担当した。そのために繰り返し読んだのだが、「風」だけについてこんなに世界中の現象について語っている本はない。驚くべき本だ。番組では人間がクシャミすると唾液のハヘンが半径3メートルにわたって広がっていく、という実写をスローモーションで見せてくれた。大声おしゃべり親父が喋りまくる寿司屋にはあまり行きたくない、とあらためて実感したものだ。
 そのライアル・ワトソンによると、サルは木の上や崖などで暮らしていて、木の枝や自然の突起物をグリップするためにまずは指の力が強くなりどんどんその動きが繊細になっていったようだ。その中でも小指というのは肝心な指で、「それが自由に動かない状態、つまり君は今サルなんだ」とタケダに指摘してあげると、「そうすか」とウホウホとビールを飲んでエビフライを食べていた。「小指に乾杯だ」と言うと、シングルモルトに切り替えてさらに飲んでいた。そのうちギプスと包帯のスキマに挟んだSuicaを見せびらかして「これだけが唯一、便利なんです」と地下鉄で帰っていった。

7月26日(水)

 福井県の美浜町の海水浴場で海水浴客がイルカに体当たりされたり、噛まれたりする事故が続いているようだ。
 イルカは水中のいい生き物ランキングで間違いなく海部門の1位だろう。そしてきっと我々が想像している以上に賢い。南半球では人間の漁を手伝う群れすらいると何かで読んだこともある。
 人間の子どもが遊ぶのに力の加減を知らないのと同じで、イルカからすればじゃれているだけなんだろうけれど、体が大きいからなあ。とにかく必要以上に大事(おおごと)にしてほしくない。向こうからしてみたら海水浴客こそが海への闖入者(ちんにゅうしゃ)なんだから、海に入るということをちゃんと考えてほしい。

7月27日(木)

 日本旅行作家協会の「斎藤茂太賞」授賞式のために日本プレスセンターのレストラン・アラスカに行く。ここはカレーがうまいのだが、今日はお仕事だ。
 受賞作『トゥアレグ 自由への帰路』(デコート豊崎アリサ)は素晴らしい作品だった。トゥアレグのフィールドワークと一体化し、彼らと友達になっていく。写真もうまい。誰もが自然な表情をしている。

7月30日(日)

 朝メシのパンがうまかった。小平に住んでいる時、花小金井に「まるじゅう(丸十)」という好きなパン屋があったのだが、しばらく前に、閉店してしまったと聞いた。個人商店ばかり割りを食う世の中は嫌だなあ。

『続 失踪願望。 さらば友よ編』刊行記念 特別寄稿
Special Essay シーナとメグロ 文:竹田聡一郎
は、こちら⇒

Ⓒ 撮影/内海裕之

著者プロフィール

椎名 誠(しいな まこと)

1944年東京生まれ、千葉育ち。東京写真大学中退。流通業界誌編集長時代のビジネス書を皮切りに、本格デビュー作となったエッセイ『さらば国分寺書店のオババ』(’79)、『岳物語』(’85)『犬の系譜』(’88/吉川英治文学新人賞)といった私小説、『アド・バード』(’90/日本SF大賞)を核としたSF作品、『わしらは怪しい探険隊』(’80)を起点とする釣りキャンプ焚き火エッセイまでジャンル無用の執筆生活を続けている。著書多数。小社近著に『遺言未満、』。

本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.