〈刊行記念 特別寄稿〉

『続 失踪願望。 さらば友よ編』

椎名誠

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Special Essay

シーナとメグロ

文:竹田聡一郎


2022年11月17日。新宿にて。(撮影/齋藤浩)

2021年春、コロナ真っ只中で開始された椎名誠さんの日記「失踪願望。」も連載開始から3年が経ち、シリーズ第二弾『続 失踪願望。 さらば友よ編』(2024年5月9日発売)も書籍化されます。自身の新型コロナウイルス感染の記憶も遠くなり、量は減ったものの仲間たちと冷えたビールと原稿を重ねる日常をようやく取り戻した椎名さんを襲う盟友・目黒考二さんの訃報。深い喪失感のなかでシーナが考えたこと、思い出したこと、決意したこととは? 収録された2022年7月から2023年6月までの日録、そして書き下ろし「さらば友よ!」には、大切な人たちへの思いがあふれ出しています。
刊行に合わせ、目黒さんの跡を継ぐ形で椎名さんの公式ホームページ「椎名誠 旅する文学館」の館長を務め、当連載の構成ライターとしても椎名さんに伴走してきた竹田聡一郎さんがエッセイ「シーナとメグロ」を寄せてくれました。

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「兄貴のような弟分」と「才能はあるのに努力しない人」

 目黒考二さん(以下メグロさん)がいなくなってしまった。当代随一の文芸評論家としてはもちろん、椎名誠さん(以下シーナさん)にとっては書評誌「本の雑誌」をともに立ち上げたかけがえのない相棒であり、シーナさんのそばで遊ぶ我々にとっても良き兄貴分だった。
 僕が〝シーナとメグロ〟の会話を最後に聞いたのは2022年10月13日だった。シーナさんの日記文学『続 失踪願望。 さらば友よ編』(以下本作)にも書かれているが、メグロさんが聞き手としてシーナさんにインタビューをして、終わるとそのまま神保町の中華料理店に流れてビールを飲んだ。メグロさんは「牡蠣の香り揚げ唐辛子煎り炒め」というものをうまいうまいと食べていた。
「お前、牡蠣なんか好きなの?」
「牡蠣は昔からずっと好きだよ。牡蠣『なんか』とか言うなよな。あなたも食べてるじゃない」
「唐辛子が効いていてうまいね。紹興酒飲もうかな」
「俺はまだウーロンハイかな」
 シーナさんとメグロさんは決して饒舌ではない。
 12月27日のふたりの最後の会話(涙が出るので日録の引用は控えます)も、メグロさんが去ってしまった後の3月30日の日録でシーナさんが回想する「本の雑誌」編集部での朝方の朴訥な掛け合い「どうした?」「読んでた」「そうか」からも分かるように、このふたりは基本的に長い会話をしない。
 それでも、お互いのことになれば意外と饒舌なのだ。
 椎名さんは本書の中だけでも「文芸評論家そのもの」、「おかしな存在」、「長く、深い、親友、相棒」、「いろんな意味で親密な同志」、「トコトンのめり込んでいくやつ」、「安心な水と光を持った男」、「兄貴のような弟分」と目黒さんを評した言葉をちりばめている。
 メグロさんはシーナさんよりお喋り好きだったかもしれない。酒場や麻雀卓で会う機会がほとんどだったが、その度に最近読んだ本のこと、競馬のこと、そしてシーナさんのことをたくさん聞かせてくれた。
 ふたりを軸に「本の雑誌」創世記を描いた漫画『黒と誠~本の雑誌を創った男たち~』(カミムラ晋作/双葉社)がある。そこでもかなり紹介されているが、その他にも「椎名はおれの(石原)裕次郎だ」や「才能はあるのに努力しない人」、「裏ドラを理不尽にのせる嫌なヤツ」、「回り道ばかりしてた作家」と僕が聞いただけでも、メグロさんはシーナさんをこんな風に語り、時には嘆いたりもしていた。2023年5月の「本の雑誌」特大号「さらば友よ!」号に同じくふたりの盟友である木村晋介弁護士が「巧妙なけなし」とシーナとメグロについて名文を寄せているが、そういうことなんだろう。
 もちろん賛辞を送ることだってある。メグロさんは「本の雑誌」2016年10月号で、ある作家が語った「成功する男の条件」を用いてシーナさんをこう評している。
「運があること、才能があること、愛嬌があること。この3つだ。運のあるやつはいる。才能のあるやつもいる。その両方を持つ人も少なくない。だが、愛嬌のあるやつは極端に少ない」。
 そして同じ原稿の中でメグロさんはシーナさんへ「今後の活動についての個人的な希望」として、犬の写真集とタイムトラベル小説を出せ、と残している。「どちらも傑作の予感がある」とも。

メグロのいない日々と走りはじめた筆

 メグロさんがいなくなってしまった2023年1月、シーナさんは「取材は受けたくない。コメントも出さない。原稿も書きたくない」と言った。僕が知っているだけでも何件もの取材や原稿の依頼が届いていた。それをすべて断っていた。
「俺はズタボロですべてが最悪で寝てるから放っておいてくれ」と声を荒らげ、「目黒がいない」と泣いたりしないように伊達眼鏡をかけた。「神経からくるようなキリキリした悲しみがあるんだ」とこぼしたのは、一周忌も過ぎた最近のことで、今もまだ墓参りはできていない。追悼してしまうとメグロさんのいない毎日を認めてしまう。それが嫌なのかもしれない。
 しかし、本作『続 失踪願望。』を読むとシーナさんは無意識下だとしてもメグロさんについて数多く触れている。そりゃそうだ、と思う。作家生活45年を迎えたが、その長い時間の中で本が出ればメグロさんに必ず読んでもらい、何か迷えば電話を入れ、「目黒に怒られてばっかりだ」と言いながらもいつも楽しそうだった。
 このシリーズの第一作にあたる『失踪願望。 コロナふらふら格闘編』では自身の新型コロナウイルス感染とその前後でシーナさんを支えてくれた奥様・渡辺一枝さんについての記述が目立った。「60年ごしに書いた一枝さんへのラブレター」というなんともスイートなレビューを見かけたが、それと比べると今作ははからずも「目黒さんへの弔辞」となってしまったようにも読める。
 著者にとってはそんな解釈は不本意かもしれない。でも、メグロさんはずっと、50年近くずっと、作家であり友人の椎名誠に寄り添ってきた。「椎名誠 旅する文学館」の1コーナー、「椎名誠の仕事 聞き手 目黒考二」では全著作をメグロさんが読み、シーナさんに鋭く迫った。その様子はシーナとメグロの共著『本人に訊く』(集英社文庫)に収録されているが、それ以外でも遠慮のないまっすぐな批評や指摘、解説や時に称賛という形でシーナさんへ膨大な量の言葉を残してきた。
 その最たるものが、本作の帯にもある「おい、シーナ、逃げるなよ」というダイレクトな叱咤だ。「私小説の怒濤の奔流であるセクスアリスについてお前はまだ書いてない」とメグロさんは厳しく言及する。この「逃げるなよ」はシーナさんに響き、突き動かし、本の雑誌の連載「哀愁の町に何が降るというのだ。」では青年期の自身の性の目覚めや体験を生々しくつづることになった。


2023年3月7日。本の雑誌社にて。(撮影/編集部)

最後の時間と最後の乾杯

 シーナとメグロ。友情なんて言葉はあまりにもありきたりで、絆っていうには意外とドライな面もある。パートナーとか傍輩なんていうのも少し違う。シーナとメグロはそれ以外の言葉を持たない作家と書評家だ。
 冒頭で書かせてもらったのは、あくまで僕が聞いたシーナとメグロ最後の会話だが、そのあと、11月17日の日記にあるように、ふたりは「宍戸健司さんの門出を祝う会」という、なんだか放免祝いのような妙なイベントで顔を揃えている。
 その日、メグロさんは杖をついていた。今思えば、もう身体は癌に蝕まれていたのかもしれない。誰かが心配して声をかけると、本人は「ちょっと腰が痛くてね」と苦笑いしながらも、それなりに酒を飲んで肴をつまんで、いつものように本と書店と競馬の話をしていた。
 会も終盤となった頃、シーナとメグロの姿が「浪曼房」の奥のテーブルにあった。険しい顔をしているわけではない。笑っていたわけでもない。淡々と何かを話し込んでいた。このひと月後にはメグロさんは入院してしまい、年が明けて逝去してしまう。結果的にはこの日がシーナとメグロが対面した最後の時間だった。
 しばらく経ってから、少しだけ勇気を出して「あの時、何を話していたんですか?」と聞いてみたことがある。シーナさんは例によって「忘れたよ。でもいつもどおりだと思う」と簡潔に答える。本当に忘れてしまったのかもしれない。ひょっとして誰にも言いたくないのかもしれない。それはどっちでもいい。短い言葉の応酬でもシーナとメグロにしか共有できないものはたくさんあるのだ。
 あるいはシーナさんの言う「いつもどおり」の中には、「逃げるなよ」もセクスアリスも、「怒られてばっかりだ」もタイムトラベル小説への挑戦も、すべて含まれているのだろうか。
 この「失踪願望。」シリーズも、「哀愁の町に何が降るというのだ。」もまだまだ連載中だ。その中にメグロさんが読みたかったものが書かれるのだろうか。シーナとメグロに散々楽しませてもらった我々が、今後はしっかりと読んでいかなくてはいけない。

撮影/橋口太陽(vidro)

著者プロフィール

竹田聡一郎(たけだ・そういちろう)

ライター。「椎名誠 旅する文学館」二代目館長で、シーナ率いる雑魚釣り隊・副隊長。 サッカーとカーリングとビールを追って世界中を旅して書きたい1979年、神奈川生まれ。 著書に『BBB ビーサン!! 15万円ぽっちワールドフットボール観戦旅』(講談社文庫)など。

続 失踪願望。 さらば友よ編

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