いろいろな人のいろいろな色 色覚多様性をめぐって 川端裕人いろいろな人のいろいろな色 色覚多様性をめぐって 川端裕人

第20回

<コラム>社会学者・徳川直人さんが見る「色覚異常問題」①

更新日:2023/12/27

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 東北大学・大学院情報科学研究科の徳川直人さん(社会学)は、『色覚差別と語りづらさの社会学 エピファニーと声と耳』(生活書院 2016年)という書籍で、21世紀になってはじめて、色覚の問題を本格的な社会学的テーマとして取り上げました。


『色覚差別と語りづらさの社会学 エピファニーと声と耳』(生活書院 2016年)

 この書籍は、タイトルにもある「色覚差別」が、かつて、様々な制度的なもの(学校健診での網羅的な色覚検査や、社会の隅々にまで行き渡った職業的な制限など)と、制度的ではないもの(専門家を含め、わたしたちの心の中にある思い込みなど)が、たがいに補強しあって成り立っていたことを明らかにしています。その際、当事者は、「声」を奪われ、「語りづらさ」を抱えることになりました。

 本連載では、まさに当事者の「声」を聞こうとしているわけですから、徳川さんが明らかにしたことや、今、懸念していることをうかがっておきたいと考えました。

 今、20世紀と比べて、先天色覚異常をめぐる諸状況は改善しているように見えます。少なくとも、かつてのような、理不尽な就労制限などは減りました。カラーユニバーサルデザインなど、色のバリアフリーの手法もある程度、普及しています。それでも、手放しで楽観できるわけではなさそうです。根拠があやふやな就労制限は今も残っていますし、色のバリアフリーも充分行き渡っているわけではありません。

 徳川さんが見る、「かつて起きたこと」と「今、懸念すること」について、2回に分けて、聞いていきましょう。

 まず、「かつて起きたこと」について。
学校というフォーマルな場で……
 色覚検査自体は、本来、ただの検査であり、それ自体には差別的な部分はないはずです。

 しかし、本連載では、日本で行われてきた検査では、検査で「異常」とされること自体が大きな困りごとになる、本末転倒なことも多く起こっていたことを指摘しました。

 一方、徳川さんは、色覚検査が公的な性格を帯びたものとして、学校という場で行われ続けたことによって起きる「推論」について問題にします。

「学校というとてもフォーマルな場で検査が行われているとなると、これはやっぱり危険なものに違いないという『推論』を生み出し、それにお墨付きを与える作用を発揮していたと思います。例えば、私自身の経験をお話ししますと──」

 徳川さんは、先天色覚異常と診断された当事者でもあるご自分の経験をもとに説き起こしました。
「推論」が駆動する
「小学校の頃に色覚検査を受けると、私は途中から読めないところがでてきます。それを見た級友たちは、いろいろな質問をぶつけてきました。『おまえ、色が見えないのか』と。まず『石原表の数字が見えない、イコール色が見えないらしい』という理解がありました。その次にすぐに、『おまえ、信号をどうやって見ているんだい』という質問がくるんですね。あるいは『黒板、何色に見える?』というように、身の回りにある色付きのものについて次々に質問されます」

 こういった状況は、20世紀に学校で色覚検査を受けた人にはおなじみのものでしょう。ぼく自身も経験がありますが、石原表に描かれた数字が読めなかったり、他の級友と違って見えても、自分自身にとっては自明な色の世界があるわけで、そのような質問には困惑させられるばかりでした。

 そして、徳川さんは、このように検査が「~が見えない」を探知するために使われるときこそ、「世の中には、色覚異常という大変危険なものがあって、それは学校で全員検査をして見つけ出さなければならないほど深刻なものだ」という「推論」が駆動する瞬間だったのではないかというのです。
言葉を奪われること
 実を言うと、こういった質問に回答を迫られることは、いわば「無理ゲー」です。

 「たとえば、『黒板は何色に見える?』という質問に対して、『深緑色』と答えたとしても、相手が見ている深緑と自分が見ている深緑が同じなのかわかりません。それが本当に同じかと考えた途端、もう次の説明ができなくなるんです。その同一性なんて誰も証明できません。私にとっての色覚検査体制というのは、当事者である自分が、自分についての説明の言葉を失っていくということでした」

 すべての人にとって、自分が見ている色について、色名を使う以上の説明ができないのは当たり前です。「赤」と言っても信じてもらえず、「ではその赤とはどんな色か」と問われたら、有効な回答をできる人はいません。検査で「異常」とされた人だけがそのような説明を求められ、同時に説明の能力を失効させられていくというのは、とても残酷なことでした。

「そもそも、自分の感じる色を相手に伝送するなんてことは誰にもできませんよね。音や味も同じで、それは、必ずしもネガティブなことではありません。中立に考えてみれば当たり前のことですし、だとしたら私たちはどうやって会話していたのだろう、何をもって「普通」だと考えていたのだろうというように、身体感覚とコミュニケーション、人の多様性といった奥深くて重要なテーマにつながる経験にもなりえます。うまく掘り下げれば、子どもにとっても自己や他者についての省察、哲学への入門になるでしょう。しかし、かつての色盲検査の枠組みでは、それが「正常/異常」のふりわけになって、少数者の側だけが、感覚が共有できない、技術やルールを共有できない、話題が通じなさそうだ、しかしその自覚がない……というように孤立させられていきました。そこに問題があったと思います」

 検査で「異常」とされた瞬間に、「感覚が共有できない」「技術やルールを共有できない」「話題が通じない」、にもかかわらず「自覚がない」、つまり、とても困った、迷惑な人になってしまうわけです。本来は「共有できている」ことも含めて、ことごとく「自覚がない」のだからと不信の目で見られるうちに、当事者自身も自分の感覚を信じられなくなるように仕向けられました。そして、求められる通りに、自制して口をつぐむしかない、というのがかつて起きたことでした。

「当事者が説明する言葉をどんどん失っていく一方で、それに先立つシンプルな推論、『色が見えなくて困っているんだろう』『それじゃあ、世の中、渡っていけないよね』という部分だけはしっかりあって、それにあらがうことができませんでした。何をどうしゃべってもそれを突き崩せないというもどかしさ。あるいは、そのもどかしさ故に、自分でも仕方がないと自分自身をおさえ込んでしまうようなことが起きていました。

 これは、検査が、クラスで一斉に、教室などでずらりと並んで実施されていて、プライバシーなんかあったものではなかったという、よく指摘される問題に帰することができないことです。というのも、検査体制の全体が、なぜ検査をしなければならないか、検査で『異常』とされたらどうすべきなのかについて、上のような論理を備えていたからです」

 徳川さんは自分自身の経験をからめて語ってくれましたが、これは社会全体に起きていたことでもありました。制度的な検査や様々な就労制限が、わたしたちの側の思い込みを深め、まわりまわってさらに検査や制限を正当化していた、というのは徳川さんの著作から得られる一つの重要な知見です。
専門家も「推論」を強化する
 当時、専門家である眼科医たちも、そういった「推論」を強化する方向で言葉を紡いだといいます。

「専門家の方々の大部分は善意で書いているんです。しかし、色弱者、色盲者のために、という思いの先生方でも、一人残らず検出して、思わぬ過失、事故、危害などを避けさせなければならない、というように、かえって先入見を作り出してしまう書き方をされている場合がありました。あるいは、『世の中には厳然としてこういう差別構造があるのでそれを回避するためにもやむを得ない』という書き方ですとか」

 かつて非常に一般的だったこういった説明の仕方は、今でも、時々、耳にすることがあるかもしれません。つまり、「当事者のために」という善意に基づいて、危険を回避するため、あるいは「厳然たる差別」にあらかじめ気づいておくように、注意喚起すべき、というような説明です。ところが、その際、懸念される、「危険」は、やはり「推論」に基づいたあやふやなもので、今も昔も、検証されたものは多くないのです。

「実際の仕事や作業でそんな危険が本当にあるのかどうか、現場の状況に即した検証は難しく、実はハッキリしていませんでした。また、信号や道具を改善すれば解決できるという着想もかなり早くからありました。しかし、危険が「ないとも限らぬ」と専門家から言われたら、学校や事業者も不安になって、門前払いも生じるでしょう。当事者も自制するでしょう。その事態を受けて、これが社会の現実だからきちんと検査を受けておこう、というふうに検査体制がさらに正当化されてゆき……と、論理が閉じた循環のようになってゆきます。「色覚差別」はこうして発生した過剰反応の体系なのではないかとさえ思います」

 なお、危険が「ないとも限らぬ」と述べたのは、代表的な検査表、いわゆる「石原表」の開発者で、東京帝国大学の医学部長も務めた石原忍(1879-1963)その人です。学校用に作られた『学校用色盲検査表』(1921年初版)に付属した「付録 通俗色盲解説」に書かれており、その記述は2000年頃まで、つまり20世紀が終わる頃まで踏襲されていました。実は、当該部分のすぐ後に、「しかし……いまだかつてその実例を聞かない」と続けられているのですが、結局、充分に検証されることなく「過剰反応」が定着してしまった経緯があります。

 20世紀の色覚差別を駆動した「推論」の体系について、議論をし始めると、それだけで一大テーマになります。ここでは、専門家が事態を改善しようとして、むしろ「推論」を強化し、「論理が閉じた循環」を形成するのに寄与してしまったかもしれないと指摘するに留めます。
医療には過剰負担だった
 さらに、徳川さんは、こういった状況が、医師の側にとって、過剰な負担だったのではないかと指摘します。社会も医師に多くを求めすぎていたのではないか、と。

「体に関わることなのだから、全部お医者さんが言うことが正しいし、その提言に従わなければいけないという思い込みも、社会の側にあったのではないかと思います。本来だったら、色覚の違い、ひいては人間の多様性をどう受け止めるか、どんな論理でものを考え、社会をどう作ってゆくかというのは、もっと学際的な応用領域だと思うんですよね。医学部や工学部の範囲だけでなく、哲学、論理学、倫理学、心理学、法学、教育学、社会学や経済学までも入るような非常に広範囲にわたる総合科学であるべきだろうと思いますけれど、その全範囲にわたってお医者さんが発言しなければいけなかった、あるいはその使命や資格があると自認してしまったのは、いかにも、過剰負担だったのではないかと思います」

 かつて、わたしたちは医療に多くを求めすぎ、また、医師も無理をしてそれに応えたがためにこういうことが起きたという見立てです。わたしたちの社会が、医学に、医療に、何を負託しているのか、大いに考えさせられます。


社会学者の徳川直人さん。

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著者プロフィール

川端 裕人(かわばた ひろと)

1964年生まれ。小説家・ノンフィクション作家。東京大学教養学部卒業。日本テレビ勤務を経て作家活動に入る。小説作品として『銀河のワールドカップ』『空よりも遠く、のびやかに』(いずれも集英社文庫)ほか、ノンフィクション作品として科学ジャーナリスト賞2018・第34回講談社科学出版賞受賞作品『我々はなぜ我々だけなのか』(海部陽介監修、講談社ブルーバックス)、『「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」原論』(筑摩書房)、『ドードーをめぐる堂々めぐり 正保四年に消えた絶滅鳥を追って』(岩波書店)ほか多くの著作がある。また、共著作として科学ジャーナリスト賞2021受賞作品『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』(西浦博との共著、中央公論新社)など。近刊は『ドードー鳥と孤独鳥』(国書刊行会)。ツイッターhttps://twitter.com/rsider /メールマガジン『秘密基地からハッシン!』(初月無料)https://yakan-hiko.com/kawabata.html

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