いろいろな人のいろいろな色 色覚多様性をめぐって 川端裕人いろいろな人のいろいろな色 色覚多様性をめぐって 川端裕人

第13回

第1章 CUDOの2人に聞く──2色覚はどんな色の世界?①
~感覚は説明できない。だから「色の距離」を考える~

更新日:2023/03/15

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■色覚異常だと肉を焼けない?

 世の中では、男性の5パーセント、女性の0.2パーセントはいると言われる「先天色覚異常」をめぐって様々な「説」が飛び交っています。

 ソーシャルメディアなどを観測していて、何度も話題になるのは、例えば、こんなものです。

 ──花見が楽しくない。桜の花は色が感じられず美しく見えない。

 ──紅葉が楽しめない。紅葉狩りに行っても、他の人がきれいと言うのがわからない。

 ──焼肉の焼き具合がわからない。生肉と焼けた肉の区別がつかないので、生と気づかずに食べて食中毒になりかねない。

 これらは、当事者が「自分は色覚異常なので──」というふうに語る場合もあれば、多数派の3色覚の人がシミュレーション画像などを見て、「うわっ、こんなになっちゃうんだ。こりゃ、困るよね!」というふうに語る場合などが、両方あります。

 色覚をめぐる取材を始める前、ぼくはこれらのことが都市伝説のたぐいで、みんながなにかのきっかけに「色覚異常はこんなもの」というふうに思い込んでいるだけなのではないかと思っていました。

 というのも、すでに説明したとおり、自分自身も「先天色覚異常」と診断されており、にもかかわらず、自分自身の色覚が、多数派の人たちとどう違うのかまったく自覚できずにいるタイプの当事者だったからです。ぼくにとって、桜の花は淡いピンクで儚げで美しいし、鮮やかな紅葉は目に楽しいし、生肉と焼けた肉の違いは自明です。自分を基準に考えれば、「色覚異常なので、これができない」という言葉は、大幅に「盛っている」、いや、それどころか根本的に違うことを言っている、としか思えませんでした。

 ですから、はじめて、シミュレーション画像を見て、「これが色覚異常の見え方である」と言われた時には、正直、戸惑いました。こんなふうに見えているはずがないじゃないか! と。たとえば、生肉と焼いた肉が区別しにくい件ですが、たまたま手元にあった牛肉を焼く前に撮影してシミュレーションしたところ、こんな画像になりました(【写真3】【写真4】【写真5】)。【写真4】【写真5】が、そのシミュレーション画像なのですが、3色覚の人が見た場合、本来、赤いはずの生肉の赤みが消えて、茶色っぽい、焼けたような色に表現されているはずです。


 生肉のシミュレーション画像(すき焼きで火を入れる前に撮影)。これらは、色弱者にとって区別のつきにくさを示している。「このように見えている」とするのは間違いであることは、本文で述べる。

 ぼくの見え方は、これらのシミュレーション画像とまったく違います。赤っぽい生肉は、赤っぽい生肉です(としか言いようがありません)。一方で、シミュレーション後の画像(【写真4】【写真5】)は、非常に不自然で、生肉がこんなふうに見えるはずがない! と感じます。少なくとも、自分はそんなふうに見えていないので、「こう見えているんでしょ」と訳知り顔に言われると、困惑せざるをえませんでした。

 しかし、取材を進める中で、先天色覚異常と診断される人たちの中でも、非常に大きな違いがあるのだと知り、ぼくは自分の不明を恥じます。自分自身は、多数派の3色覚の色世界にほとんど適応できるタイプだけれど(実感として、ぼくの人生における色覚の困りごとは、検査で「異常だ」と言われることと、それに付随する誤解や面倒事だけです)、そうではない人たちもいて、たしかに、生肉の赤っぽい色と、肉が焼けた時の褐色は、区別がしにくい色の組み合わせなのだそうです。

 特に、2色覚と呼ばれる色覚タイプの人は、その傾向が強く、先のシミュレーション画像は、それを念頭に置いたものです。2色覚の人にとっては、写真のオリジナル(【写真3】)とシミュレーション後の画像(【写真4】が1型(P型)2色覚、【写真5】が2型(D型)2色覚)が、同じか、とても似て見えるそうです。あくまでもシミュレーションがうまくいっている場合ですが。

 というわけで、本章では、2色覚の当事者にこういったざっくりしたことを聞いてみたいと思います。ぼくが「本当?」と思ったようなことが、どの程度「本当」であって、どの程度「当たらない」のか。事実に基づかない神話のようになってしまっている部分はあるのかないのか。また、シミュレーション画像とはいうけれど、それらは当事者の立場としてどれくらい信頼してよく、利用する際には、どんなことに注意すればいいのかといったことなど。

 漠然とした関心であるがゆえに、かなり広範囲にわたる疑問に答えてもらわねばならず、どんな方に聞けばいいのかまず考えました。そして余人をもって代えがたいと思える人物にお願いすることにしました。

 カラーユニバーサルデザイン機構(CUDO)の副理事長の伊賀公一さんです。伊賀さんは、2色覚の当事者であり、かつ、3色覚の色世界と2色覚の色世界の間を取り持つ知識を持ち、それを様々な立場の人たちに伝える仕事をしてきた経験を持っています。まさに橋渡しのような仕事をしてきたわけですから、ぼくからの困難な問いかけになんとか回答してくださるはずです。

■カラーユニバーサルデザイン機構(CUDO)について

 まず、カラーユニバーサルデザイン機構(CUDO)について簡単に触れておきましょう。

 CUDOは、「色覚の違いや色の感じ方の個人差を問わず、できるだけ多くの人が暮らしやすい色社会を作るため」、2004年に結成されたNPO法人です。

 CUDOが提唱する「カラーユニバーサルデザイン」(CUD)は、社会の様々な局面で普及しつつある「色のバリアフリー」の代表的な取り組みと考えられています。例えば、小中高の教科書での色の使い方、家電のリモコンなどに使われる色名のついたボタンの採用、様々な自治体の役所のサインや広報誌の工夫、鉄道会社の路線図を含む様々な表示の改善、気象庁のウェブサイトでの色使い、近年、改訂された、警報などの防災関連情報の色分けの改善、日本産業規格(JIS)で定められた「安全色」の制定といったことに、濃淡の違いこそあれCUDOは参画してきました。

 また、CUDOには、当事者団体の側面があります。結成メンバーの多くは「色弱者」(少数派の色覚の当事者のことを、CUDOではそう呼びます。本章でも使います。用語について詳しくは連載第7回目を参照のこと)でしたし、どんな色の使い方が様々な色覚タイプの人にとって見やすいか確認する検証協力者の大部分も「色弱者」です。さらに「CUD友の会」と名付けられた団体は、CUDO個人賛助会員の有志が中心となって活動しており、当事者、その家族などが交流し情報交換できる場になっています。

 ぼくは、前著『「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」原論』の取材の最中に、CUDOの理事長、副理事長、理事のみなさんと意見交換をさせていただく機会がありました。その際には前著の中での「発見」だった「多様で連続的」な色覚像についてお伝えし、意見を聞かせてもらうのが中心でした。本連載では、そこから一歩進んで、そういった様々な色覚の様々な当事者がお互いにどんなふうに理解しあえるか考えるための基礎の部分を固めるためにお話を伺いたいと思いました。

 CUDOメンバーの色についての知識は半端なものではありませんし(3色覚の色世界を前提にしているカラーコーディネーター1級や講師資格を持っている人もザラです)、なおかつ、自らの特別な色覚についても考察し続けています。さらに、CUDOの事業の一つである普及啓発事業の中で、色覚の多様性について人に伝える仕事もしています。さきほど「当事者であり、かつ、3色覚の色世界と2色覚の色世界の間を取り持つ知識を持ち、それを様々な立場の人たちに伝える仕事をしてきた」と表現したのは、まさにこのようなことです。

 というわけで、CUDO副理事長の伊賀公一さんに登場していただきます。伊賀さんは1型(P型)2色覚、つまり、L錐体を持たず、SとMの2種類の錐体を利用して色を感じる色覚タイプだそうです。これとは別に、M錐体を持たない2型(D型)2色覚もあり、ここでは、まず両方のタイプに当てはまることから話を始めて、のちにもっと話を広げていきたいと思います。

■感覚は説明できない

 2色覚の見え方とはどんなものか。それを多数派の3色覚に説明してほしい。

 そんな問いに対して、伊賀さんはまず含蓄深いことを語ってくれました。

「その質問をされた時には、よく色以外の話から始めていいですか、と聞くんです。きょうは暖かいですよね、って問いかけて、みんな暖かいってわかるけど、その暖かいってどんなかんじか教えてくださいって言われたらどうですか。砂糖が甘くて、塩はしょっぱいって、みんなわかると思いますが、じゃあ、甘いとしょっぱいがどう違うのか言語化して教えてくださいと言ったら、もう説明できる人はいないんですね」

 これは、考えてみれば、そのとおりです。

 暖かいとか、寒いとかいう感覚は、それを感じている人にとっては自明です。あまりにも自明すぎて、言葉で説明しようとしても、はたと困りますよね。「暖かいって、暖かいってことだよ!」とか「甘いって、甘いだよね!」とか、同義反復的な説明をしそうになってしまいます。

 そして、色も同じことなのだといいます。

「結局、自分の感覚を人に説明することはできないので、科学的な方法で計測して推し量ったり、あるいは、それぞれの感覚の中で似ているか似てないかを個々に話すことしかできないんです。色で言うと、赤と橙は近く感じるけれど、赤と青は離れて感じ、白と黒はもっと離れて感じる、というようなことを互いに確認します。今は、赤、青といった言葉で説明していますけど、色名を言わずに色票(色の見本を紙などに印刷したもの)を見せて、こっちの色票の色(白)とこっちの色票の色(黒)が100離れているとすると、こっち(赤)とこっち(緑)の色票は50くらい離れていて、こっち(青)とこっち(白)は40くらいで……みたいに議論するところからはじめますね」

 感覚はそのまま言葉にはできないけれど、それをなんらかの形で定量化することで手がかりとする、というのが、伊賀さんのアプローチのようです。いろいろな色票を使って、「色の距離」を考えるのは、多くの人にとって新鮮なことかもしれません。そして、その上で、この色とこの色は、多数派の3色覚の人にとってはかけ離れた色だけれど、2色覚の人にとってはかなり近い、というふうな組み合わせを様々に見つけられるかもしれません。

 以下に、多数の3色覚の人たちにとっては明らかに違う色なのに、2色覚者や「強度」と診断される色弱者にとっては、近く見える色の組み合わせを例示します(【図26】)。当事者と一緒に、あるいはシミュレーターを入れたスマホを片手にいろいろな色票の組み合わせを試していけば、おそらくこういった色の組み合わせを見つけて、理解を深めることができそうです。


3色覚者には違う色だが、2色覚者には近く見える色の組み合わせの例。当事者と一緒に、あるいは色覚シミュレーターを通して見てみるとよい。

「東京都カラーユニバーサルデザインガイドライン」
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/kiban/machizukuri/kanren/color.files/colorudguideline.pdf

 もっとも、そうやって見つけた色の組み合わせにどんな法則性があるのかというところまではなかなか理解するのが難しそうです。 伊賀さん自身、講演などでは、コンピュータディスプレイの画面で、RGBの3つの値を様々に操作しながら説明するのだそうですが、「文章と図」くらいで、もう少し納得感のある表現はできないでしょうか。

写真撮影・画像加工:川端 裕人
図表作成・デザイン:小松昇(ライズ・デザインルーム)

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Ⓒ ATSUKO ITO ( Studio LASP )

著者プロフィール

川端 裕人(かわばた ひろと)

1964年生まれ。小説家・ノンフィクション作家。東京大学教養学部卒業。日本テレビ勤務を経て作家活動に入る。小説作品として『銀河のワールドカップ』『空よりも遠く、のびやかに』(いずれも集英社文庫)ほか、ノンフィクション作品として科学ジャーナリスト賞2018・第34回講談社科学出版賞受賞作品『我々はなぜ我々だけなのか』(海部陽介監修、講談社ブルーバックス)、『「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」原論』(筑摩書房)、『ドードーをめぐる堂々めぐり 正保四年に消えた絶滅鳥を追って』(岩波書店)ほか多くの著作がある。また、共著作として科学ジャーナリスト賞2021受賞作品『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』(西浦博との共著、中央公論新社)など。近刊は『ドードー鳥と孤独鳥』(国書刊行会)。ツイッターhttps://twitter.com/rsider /メールマガジン『秘密基地からハッシン!』(初月無料)https://yakan-hiko.com/kawabata.html

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