いろいろな人のいろいろな色 色覚多様性をめぐって 川端裕人いろいろな人のいろいろな色 色覚多様性をめぐって 川端裕人

第12回

準備の章【後編】 とても悩ましい色覚検査の問題④
~受診する際の諸注意と、新しい色覚観へのアップデート~

更新日:2023/01/18

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検査は信頼できるクリニックで

 さて、いよいよ眼科を受診するとします。

 その際には、少し注意が必要です。学校健診でも、地元の眼科でも、検査を行って指導する側が、十分な知識を持っていない場合や、20世紀によく見られたような差別的、高圧的な態度を取ってしまう場合がいまだにあるようなのです。

 ぼくがソーシャルメディアで観測し、時折、体験談を聞いているところによると、学校健診で、または眼科での検査の後で、今でも、「医師にはなれない」、「消防士にはなれない」、「文系に進んだほうが無難」などと指導されることがあるようです。これらはいずれも、間違いだったり、ミスリーディングなものです。信じてしまったら、不利益に直結します。

 また、「色覚多様性という耳触りのよい言葉に騙されずに、現実を見るべき」「差別されるからそのつもりで」「自分が劣っていることを自覚して、わきまえて生きるように」というふうな、ちょっと耳を疑うようなことを言われて傷ついた当事者や保護者の声も聞きます。当事者や家族がネガティヴな意識を植え付けられるなら、それも不利益といえるでしょう。

 さらに、色覚検査やカウンセリングに対応するのが迷惑そう、面倒くさそうだった、ということもよく聞く不満です。今は、ネットでいろいろな声が拾えるようになっているために耳に入ってくるだけで、こういった眼科医は、ごくごく一部だと信じたいものです。

 しかし、そのようなリスクを回避するためには、検査はなるべく実績のあるクリニックを選ぶのをお勧めします。学校健診の後なら、養護教諭に聞けば、地域で信頼できる眼科医を把握しているかもしれません。ゼロから探さなければならない場合でも、ウェブサイトにしっかりと色覚についての説明ページを設けているクリニックであれば、検査とカウセリングをないがしろにしていないことがわかります(色覚検査の診療点数はとても低く、カウセリングは時間がかかるにもかかわらず点数がつきません。それゆえ、好まない眼科医も多いと聞きます)。

 もっとも、色覚検査に熱心で知識豊富であるものの、意識は20世紀のまま、というケースもありえます。だから、「色覚異常の危険性」をことさら書き立てていたり、パターナルな(父権主義的な)意識が透けて見えるところは避けた方がよいと思います。

 しかしながら、これは「好み」の問題かもしれず、ウェブサイトの内容がご自分にとって好ましいものであれば、よいのであろうとは思います≪注ⅷ≫

≪注ⅷ≫20世紀に生まれ育ち「色覚異常」と診断された当事者として、自分が眼科医に対して、厳しい目を向けがちなことを自覚しています。この一節は、その警戒心に影響されているかもしれません。ただ、古くから色覚の問題にかかわっている、先輩にあたる団体からは、ぼくの立場は、むしろ、生ぬるいとも言われることも事実です。拙著の書評では、「眼科医たちに対する川端氏の記述には若干の遠慮が見られる」と指摘されました(参考文献【55】)。実際そうだと思います。眼科医は、日本で色覚問題を改善していくに際して鍵となる集団であることは間違いありません。ぼくは、問題意識を共有してくれる眼科医と議論をしつつ、状況を改善するための意見表明をしていきたいと思っています。



当事者団体と話す

 それでも、検査、診断、カウンセリングの中で、納得のいかないことがあった場合の策として、もうひとつの提案をしておきます。

 それは──

 相談窓口を持っている当事者団体や支援者団体と話をしたり、勉強会、交流会に参加する。

 というものです。当事者団体や支援団体は、当事者が「自分に誇りを持てる」ことを大切にしていますし、また職業的な面についても「自分ごと」として情報を収集しています。当事者がどんな工夫をすれば、困りごとを解消できるかというノウハウも蓄積しています。

 熟考の上で、検査を受けたものの、結果としてモヤモヤしてしまった場合は、下に挙げるような当事者団体、支援者団体に相談したり、ミーティングに参加してみると良いでしょう(昨今、オンラインで参加できるものも増えています)。

 当事者団体・支援団体で、ぼくが把握しているのは下記の通りです。それぞれ団体の性質(まさにカラー)は違いますので、ウェブサイトを見て、ご自分の関心にあうところを見つけてください。いずれの団体も、勉強会や交流会をしばしば開いており、それらの中で、気になるものに参加してみるのは大いに意義があることだと思います。

・カラーユニバーサルデザイン機構(CUDO)
 https://www2.cudo.jp/
 https://www2.cudo.jp/wp/?page_id=152(相談窓口)
・CUD友の会
 https://cud.jp/
・北海道CUDO
 https://www.color.or.jp/
・人にやさしい色づかいをすすめる会
 https://cud.nagoya/
・CUDをすすめる会
 https://cud.awa-g.net/
・しきかく学習カラーメイト
 https://color-mate.net
・日本色覚差別撤廃の会
 https://tetpainokai.jimdofree.com

 簡単に説明します。「カラーユニバーサルデザイン機構(CUDO)」「北海道CUDO」「人にやさしい色づかいをすすめる会」「CUDをすすめる会」は、色のバリアフリーの強力な手法である「カラーユニバーサルデザイン」の推進団体です。いずれも交流会、勉強会などを行っています。また、「CUD友の会」は、CUDOの個人賛助会員有志が運営するもので、月に一度サロン(2022年の時点ではオンライン)を開いています。

「しきかく学習カラーメイト」は、教員や元教員を中心とする集まりで、絵本やマンガなどの教材作成や学習会を通じて「色覚多様性について、正しい理解を広げる活動」をしています。とくに児童生徒の進路指導についてのノウハウを持っているとのことです。

「日本色覚差別撤廃の会」は、1990年代から活動している老舗です。今も払拭されない「色覚差別」を撤廃することに力を注いでおり、多くの当事者がその恩恵を受けているとぼくは思います。

 以上の中で、特にCUDOは、専用の相談窓口を持っています。他の団体は、一般的な問い合わせフォームやメールアドレスなどからコンタクトしてみてください。

 以上で、本連載の文脈でできる、現状の検査についての悩ましさと、そこで「受けるか/受けないか」という悩みについて、自分が言えることを書きました。

 これらはあくまで「現状において」、なおかつ、ぼくという書き手の目から見て、という話です。ぼく自身、検査では「異常」と診断されながら、色覚検査の時以外には自分の色覚が多数派と違うことを、人生の中で一度も自覚できてこなかったタイプの当事者で、そういった「微妙な当事者性」もこの部分の記述に影響している可能性があります。そういった留保を表明しつつも、将来的にはどんな形になればよいと考えられるか、もう少しだけ、突っ込んだことを書いておきます。

よくある反論〜簡便かつ普及している

 まず、現状の検査は、十分に正確ではないし、実際の「困りごと」を反映しないことも多いのが問題です。今は、石原表で「異常」とされたら、さらにパネルD-15という色並べのようなテストをすることで、「強度」か「中程度以下」かを判別するのが標準ですが、そこまでしても、検査の精度が大きく改善しないことは、すでに報告されています(参考文献【41】)

 では、眼科医サイドは、なぜ、従来検査にこだわるのでしょうか。

 ひとつは、21世紀になってからの、定量的な検査の勃興がまだそれほど知られておらず、本連載で述べたようなことがリアリティをもって受け入れられていないことが挙げられると思います。

 ぼくが『「色のふしぎ」と不思議な社会』を書くための取材をしていた2010年代後半において、海外ですでに評価を得て実用化されていた定量的な新検査について、色覚の「専門家」の眼科臨床医でも詳しい人には出会えませんでした。一般的な眼科医では、今もご存知ない方が多いと思います。

 さらに、色覚検査に熱心な眼科医の先生との対話の中で、しばしば出会う特徴的な考え方も関係していると思われます。それはつまり、「石原表に欠点があるとしても、現状において簡便で普及している実用的な検査であり、それを否定したら代替の検査はない(検査を廃するに等しい)」というものです。

 ここで、注目すべきは、「簡便かつ普及している」のだから、という部分です。実を言うと、このロジックは、数十年から使われていました。しかし、現在では従来から懸念されていた欠点がより明確に分かるようになり、かつて思われていたよりもずっと大きいかもしれないと示唆されているわけです。そうなると「実用的」とも言いにくくなるわけですから、長いこと放置してきた問題をそろそろなんとかしませんか、というのがぼくの提案です。

アノマロスコープを使えばいいのか

 それでは、本来の確定診断の方法であるアノマロスコープが普及すれば問題は解消するのでしょうか。

 残念ながら、それは心もとないと思っています。

 もちろん、アノマロスコープを適切に使えば、従来の診断カテゴリーとしてはより「正確」な診断が下せるはずです。しかし、今の「多様性と連続性」の知見から浮かび上がるのは、これまでの「異常」の概念と「実際の困りごと」の間に、食い違いがあるのではないかという疑念です。アノマロスコープをあらためて活用するにしても「実際の困りごと」との相関を問う研究を積み重ねる必要があります。

 また、アノマロスコープが世界的に使われなくなった理由の一つは、検査を行う側に習熟が必要だったり、検査を受ける側の慣れや態度などが検査に影響したりして、一貫した結果が得られにくいからだということも、よく指摘されます。ハードも相当高価で、頻繁なメンテナンスも必要ですし、それを使う人の養成も含め、運用コストは相当なものになりそうです。今の日本で、あらためて各地に導入するのは非現実的かもしれません。

新しい検査に変えればいいのか

 とすると、イギリスのCADやアメリカのCCTなどの新しい検査を導入すればいいではないか、という考えが頭に浮かびます。

 これらは、検査を受ける人がパソコンのモニタと対話形式で行うものなので、検査を行う側の習熟はほとんど必要ありませんし、一貫した、定量的なデータをもたらしてくれるようです。また、そのスコアと職業適性や日常生活での困りごとなどとの相関を示す研究もすでに行われています(CADのスコアと航空パイロットの色覚適性を調べる研究は、実際に飛行機を飛ばしてタスク分析をした上で、様々な項目をチェックする徹底的なものでした(参考文献【44】)。

 これなら、うまくいくのではないかと希望を持ちたくなります。

 しかし、実は、それだけでもダメだと考えています。

 もちろん、CADやCCTなどの新検査を新しいゴールドスタンダードとして受け入れるだけの知見が積み重ねられて実際に使えるようになれば、検査を受けた人に、より定量的で信頼できる結果を知らせることができるようになるでしょう。

 そして、イギリスやEU諸国の民間航空パイロットやロンドン地下鉄の運転士の新基準のように従来、門前払いされてきた人たちのうち、かなりの部分を受け入れることもできるかもしれません。

 また、多数派の3色覚の色世界に充分適応できている人たちに、わざわざ必要がない診断を下したり、意味の薄い指導を行わずに済むかもしれません。

 ただ、現状でこれを行っても、従来の境界線をずらすことになるだけです。

 さらに言えば、より少数者となって、はっきりと「異常」側に置かれた人たちに、もっと強い制限をかけることにつながる可能性もあると思います。

 色覚多様性の議論で一番大切なのは、これだけの多様性をもった人々が、互いの見え方に敬意を払い、尊重しあいつつ、共存できることのはずです。現状の色覚検査を新しい検査で上書きしても、「正常と異常」の境界線を動かしただけで終わってしまうのは、むしろ望ましくない結末です。

思考実験〜ロンドン大学シティ校が提案する6段階の分類

 前節までの議論を踏まえて、少し思考実験をしてみましょう。イギリスでCADを開発したロンドン大学シティ校のチームが、今後、色覚を6段階で考えるべきではないかと提案しているのですが、これはどのように捉えればよいでしょうか(参考文献【35】)

 この提案によりますと、新たな分類には、CV(カラービジョン)からCV5までがあります。この中で、平均的な多数派の色覚はCV1です。

 一方、スーパーノーマル、平均を越える赤-緑方向の色弁別能力の持ち主もいて、CV0とされています。そして、CV2くらいから、従来検査では「異常」とされる人が混ざり始めます。それでも、CV4の何割かまでは航空パイロットや鉄道運転士の条件を満たします。でも、一番「強い」CV5は、色の識別を要求される職業には向かないとされます。


ロンドン大学シティ校のジョン・バーバー教授が提案した6段階の色覚分類。赤-緑軸の弁別能力に即したスコアに基づいて分類されている。実際に航空機を飛ばしてタスクを洗い出した研究で、「弱い(Poor)」色覚とされるCV4の何割かまでは、航空パイロットに必要な条件を満たしていることがわかった。

 たしかに、実証的で、透明で、より説得力がある基準になるだろうとは思います。でも、この中で、たとえば、CV5に分類される人が、これまで日本で支配的だった「色覚異常は劣っている」という枠組みの中にすっぽり落ち込むとしたら、人数が少ない分、より力の弱いマイノリティになってしまうシナリオも決して否定できないと思うのです。

 今の時代にはもうそんなことはあり得ないという楽観論をぼくは持てません。前節で指摘した、「正常と異常」の境界線を動かしただけになってしまう可能性が十分にあると思います。

 つまり、「困りごと」を見つける検査が「正確」であることは大切ですが、その結果を適切に受け止める枠組みで運用することがさらに大切なのです。

 検査を受けることで「自分の色覚が自覚できる」メリットがあったとしても、これまで流布してきた色覚観に基づいて「自分は劣った存在だ」と刷り込まれ、また社会からもそう扱われるのだとしたら、当事者にとってその部分はまったく余分、いや足を引っ張られる要素でしかありません。

新しい色覚観に即したアップデートを

 繰り返します。困りごとはあっても、それは優劣ではないというのが、現在の色覚観です。

 診断結果が「困りごと」に即したものになることはもちろん必要ですが、それに加えて、社会的な常識として、新しい色覚観が普及してはじめて、色覚検査は「ぜひ受けたほうがいいよ」と素直に言えるものになるでしょう。

 さらに、「色のバリアフリー」によって社会的に今も多く存在する、色による情報伝達の不公平を減らしていくことや、今も「思い込み」に基づいて存続している職業の制限などが再検討されることがセットになって、やっと望ましい未来を手繰り寄せることができると思っています。

 簡単にまとめると、今後、以下の4つが同時に進むことが必要だとぼくは思っています。

・「色のバリアフリー」を推進することで、多数派の3色覚が作り上げた色世界において弱者となっている人の困りごとを減らしていく。

・根拠が明らかではないまま今も続いている職業的な制限についてきちんと検討して、制限があるとしても適正なものにする。

・色覚が多様であることを常識として、その違いが優劣ではなく、得手不得手であるというような、新しい色覚観を普及させる。

・新しい色覚観に基づいて検査の体系を再検討し、従来の枠組で目標とされた「異常を見つけ出す」を「受益者を見つけ出す」ことに変える。偽陽性(場合によっては「誤診」)を大量に生む全員検査にはこだわらず、検査の真の受益者はどんな人たちなのか、また、その人たちに利益を与えるにはどんな検査をどのように運用して、どのような社会的な環境整備を行うべきか、医療だけでなく、倫理的・法的・社会的な側面(ELSI)の専門家を交えて議論してコンセンサスを作る。

 結局、色覚をめぐる現状は網の目のように様々な問題が連関しており、検査の議論は単に検査だけの話では終わりません。色覚の多様性にまつわる社会的な受け止め方を肯定的なものにすることや、一部の人だけが不利になる状況や「思い込み」を払拭する取り組みとともにあって、はじめて健全なものになると考えています。

図表作成・デザイン:小松昇(ライズ・デザインルーム)

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Ⓒ ATSUKO ITO ( Studio LASP )

著者プロフィール

川端 裕人(かわばた ひろと)

1964年生まれ。小説家・ノンフィクション作家。東京大学教養学部卒業。日本テレビ勤務を経て作家活動に入る。小説作品として『銀河のワールドカップ』『空よりも遠く、のびやかに』(いずれも集英社文庫)ほか、ノンフィクション作品として科学ジャーナリスト賞2018・第34回講談社科学出版賞受賞作品『我々はなぜ我々だけなのか』(海部陽介監修、講談社ブルーバックス)、『「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」原論』(筑摩書房)、『ドードーをめぐる堂々めぐり 正保四年に消えた絶滅鳥を追って』(岩波書店)ほか多くの著作がある。また、共著作として科学ジャーナリスト賞2021受賞作品『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』(西浦博との共著、中央公論新社)など。近刊は『ドードー鳥と孤独鳥』(国書刊行会)。ツイッターhttps://twitter.com/rsider /メールマガジン『秘密基地からハッシン!』(初月無料)https://yakan-hiko.com/kawabata.html

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