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雨宮処凛(作家、活動家)

“普通の日本人”のあいまいな不安 第1回 「日本人ファースト」で開いたパンドラの箱

成蹊大学・伊藤昌亮さんに聞く

 SNSで排外的な投稿やリポストをしつつ、自己紹介欄には「右派でも左派でもない普通の日本人」「ただ普通に日本を愛しているだけの日本人」――そんな言葉を載せているアカウントは少なくない。日の丸をアイコンとするそのような人々を総称して『日の丸クラスター』と呼ぶネットスラングもあるそうだが、今、そんな“普通の日本人”の裾野がどんどん広がっているように感じる。
 そのきっかけとなったのが「日本人ファースト」という言葉だ。
 日の丸の小旗を振り、「ニッポン」とコールしながら移民政策反対デモに参加する一方、職場や家庭では「善良な隣人」だろう人々の姿が2025年の夏以降、突然、可視化された。
 そんな“普通の日本人”が抱える不安や剥奪感から、分断の瀬戸際に立つに至った日本社会の行く末を、さまざまな専門家との対話を通じて考える。


伊藤昌亮氏(左)と雨宮処凛氏(右)

 戦前・戦後、震災前・震災後、コロナ前・コロナ後。そんなふうに大きな出来事をきっかけにして「前」と「後」をつけた言葉は多くある。
 最近、私の中でそれにもうひとつ、新しいものが加わった。「日本人ファースト前」と「日本人ファースト後」だ。
 戦争や天災や未知のウイルスの流行など、何か特別なことがあったわけではない。しかし、2025年6月を区切りとして、この国は、確実に変わった。たったひとつの「日本人ファースト」という言葉でパンドラの箱が開いてしまったのだ。
 以来、外国人に対する厳しい言説が容認されるハードルはぐっと下がり、8月末からは移民政策反対デモが始まった。10月には全国10カ所以上で移民政策反対デモが開催され、老若男女問わず、多くの人が参加した。
 いったい、何が起きているのだろう?
 目の前に広がる無数の日の丸の小旗と、それを手にする「普通」の人々を見ながら途方に暮れるような気持ちで、思った。
 そうして頭に浮かんだのが、社会学者で成蹊大学教授の伊藤昌亮さんだ。
 伊藤さんとはこれまで2回、対話している。
 1回目は昨年(2024年)10月、イミダスで「生きづらさを抱えた現代人が『リベラル』を嫌う理由~ひろゆき人気に見る冷笑系ブームと弱者争いがもたらしたもの 」と題して対談。
 2度目は今年1月、YouTube番組「雨宮処凛のせんべろ酒場」にて、「石丸・玉木・斉藤現象を読み解く 」と題して対談。
 と書いて、たった1年で状況があまりにも変わっていることに驚いている。例えば「冷笑系ブーム」。私は参政党の登場により、それは終焉(しゅうえん)したと思っている。また、昨年夏の都知事選であれほど「時の人」となった石丸氏が、1年足らずでこれほど存在感をなくすとも思っていなかった。
 さて、「日本人ファースト後」に伊藤さんと会うのは初めてだが、なぜ話をしたいかと言えば、私は伊藤さんの提唱する「あいまいな弱者」という言葉であらゆる問題が鮮やかに整理された経験があるからだ。
 例えば「あいまいな弱者」に対するのはあいまいでない、「わかりやすい弱者」ということになるだろう。
 ちなみに多くの人がわかりやすい弱者=「社会的弱者」として想像するのは、高齢者や障害者、失業者や女性、LGBTQ、在日外国人などではないだろうか。
 そのような人たちに配慮が必要だということは、社会的にも合意が取れていると思う。
 その一方で、現在はわかりやすい弱者以外の人たちも、多くが弱者性を持っている時代だ。非正規雇用だったり低賃金だったり貯金ゼロだったり望んでも家庭を持てなかったり。現役世代の多くが何かしらの剥奪感を抱えている。
 しかし、名付けられていない彼らは「弱者」とは認められない。よってどこからもなんの支援も受けられず、「自己責任で勝ち抜け」とばかりに放置されている。
 この現実と、あいまいな弱者の多くがリベラルを支持しないことには関連性があるということを鮮やかに描くのが、伊藤さんの「『オールドなもの』への敵意 左右対立の消失と新たな争点」(『世界』25年2月号)。現役世代がなぜリベラルを支持しないのかについて、伊藤さんは以下のように書いている。
「昨今のリベラル派はとりわけ多様性の観点から、マイノリティを苦しめている文化的な弱者性にばかり目を向け、彼らを苦しめている経済的な弱者性のことを気にかけているようには見えないからだ。
 そうして『誰が弱者なのか』を一方的に決め、自分たちが守りたいものだけを守ろうとしているように見えるリベラル派の中に、彼らは強い権力性を見出し、さらにそこで守られている存在、すなわちマイノリティの中に『既得権益』を見て取る」
 参政党は、25年の参院選でそんな「リベラルの弱者リスト」に載っている属性をことごとく否定した。
 外国人はもとより、LGBTQや発達障害の否定、高齢者を見捨てるような方針までを次々と打ち出した。
「参政党『真ん中』からの反革命」(『世界』25年10月号)で伊藤さんは、参政党が守ろうとしているのは、「真ん中」にいる人々ではないかと指摘している。
 真ん中にいながらも、昨今の賃上げの動きからは取り残された、どちらかと言えば「ロウアーミドル」な人々。大企業の正社員や公務員などではない人。
 そんな人々に、消費税廃止や国民負担率10ポイントダウン、15歳までの子ども一人につき月10万円給付、給付型奨学金の拡充、また、小規模事業者やフリーランスを守る、非正規雇用の正規雇用化、アルバイトやパートタイムで働く人々やお母さん、専業主婦を守るなどの政策が支持されたのではないかという指摘だ。
 特筆すべきは、これらの人々は必ずしも「貧困層」ではないということだ。
 参政党はわかりやすい弱者=「端っこ」を切り捨てる姿勢を見せることで、そんな「真ん中」を守ることをアピールした。

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