いろいろな人のいろいろな色 色覚多様性をめぐって 川端裕人いろいろな人のいろいろな色 色覚多様性をめぐって 川端裕人

第28回(最終回)

おわりに

更新日:2025/12/24

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 わたしたちヒトの集団の中で、多くの人たちは「3色覚」に基づいた色を見ています。しかし、同じ集団の中にも、まったく別の原理で世界を色分けして見ている「2色覚」の人たちや、それに近い人たちが、一定の割合でいるというのは、驚くべきことです。本連載は、色の見え方の「違い」がどのようなものなのか知りたいという好奇心から始まりました。

 本来、感覚の違いは、わかり合うことがとてもむずかしいものです。だれも、他人が感じているものを、そのまま自分の感覚として感じることはできないからです。

 しかし、カラーユニバーサルデザイン機構(CUDO)の伊賀公一さんと田中陽介さん、画家の黒坂祐さん、臨床検査技師の服部博明さん、アナウンサーの生田竜聖さん、高校教諭の岩﨑真寿美さんと田口陽一さんにお話をうかがう中で、いくつかのことがまさに「見えて」きたのではないかと思っています。簡単にまとめてみます。
「色世界」の違いを少しでも理解する
 まず、見え方の違いを知るための模索をする中で、いくつかの「有効な説明の仕方」を知りました。

 カラーユニバーサルデザインを普及させる立場の伊賀さんや田中さんは、色覚の違いを具体的な方法で語るための方法を工夫しており、言葉のひとつひとつに思索の跡が感じられました。例えば、3色覚の人たちが感じる色味をまん丸の環の形に配した、いわゆる色相環を「潰して楕円にする」方法(第14回で紹介)は、直観的で、役に立つと感じました。色と色の違いを「距離」で考えることなども、「違い」を理解するうえで重要でした。

 さらに、2色覚的な見え方の中でも、1型(P型)と2型(D型)では、結構違うものだということも初めて知ることができました(第15回)。これは、3色覚の人に説明するためのシミュレーション画像では、どちらの型も赤と緑の区別が薄いことから、どうしても似た印象になり、「似たようなもの」と考えられがちなのです。しかし、実際に、当事者同士が語り合ってみると、互いに食い違うことがたくさんあるといいます。本連載においてもちょっとマニアックな話かもしれませんが、とても大切なことです。

 さらに、2色覚は3色覚に比べて、色の識別能力が単に足りない、というわけではなく、有利な面もあることを確認できたのは、とても大切なことでした。

 第22回~第24回で話を伺った臨床検査技師の服部さんが超音波検査をするときなど、微妙な濃淡の差や形に反応して、すばやく病変を見出すことができている、という実感があるそうです。CUDOの二人も、3色覚の人と2色覚の人が一緒に行動していると、時々、2色覚の人の方が、なにかに素早く気づくということをよく経験してきました。それは、カムフラージュされた昆虫だったり、水面下ではっきり見えにくい魚だったり、濃霧や降雪の向こうで見えにくくなっているもののシルエットだったり、様々です。

 ヒトの3色覚は、赤-緑の感覚を作るために、無理をしている部分があるので、そこにリソースをとられない2色覚の人では、メリットとなる部分もあることは理論的にはわかっていましたし、基礎研究も多くあります。それに加えて、生活実感として、裏付けとなるエピソードがあるというなら、3色覚と2色覚の違いは、得意と不得意の分野の違い、という考え方が、ますます補強されるように思います。
3色覚の色世界では苦労する
 にもかかわらず、2色覚の人は、3色覚が多数を占める社会で、やはり苦労することがあるということも、対話を通じて感じたことです。

 2色覚の当事者個々人の側からみるとき、困難は二段階になっているようです。

 まずは、3色覚には当たり前の色の組み合わせが、2色覚では似た色に見えることがあり、それらを区別することが難しいということです。臨床検査技師の服部さんは、大学生時代の病理検査の実習で、「グラム染色」を学んだときに、ピンクと紫の区別に苦労しました。それに類することは、多数を占める3色覚の人たちが作る色の仕組みの中では、しばしば起きます。

 さらに、2色覚の人が、3色覚を前提にした色を単に区別するだけでなく、色名で表現したり、色名でラベルされた画材で色を塗ったりするときに、もう一つの困難が生まれます。

 今、わたしたちが使っている色名とは、3色覚の人たちのコンセンサスから生まれたものです。2色覚の人が見ている色とは根本的に違うので、たとえば、第25回で紹介したアナウンサーの生田さんが「食レポ」などで、色への言及が求められた場合、スタッフに確認して、色名を選ぶ必要がありました。また、臨床検査技師の服部さんは、染色の結果をスケッチするという課題では、3色覚用に準備された画材の中から「適切な」色を見つけられずに、「色間違い」をしたと先生に咎められました。これは、服部さんに限らず、小学校の図工の時間には、20世紀を通じて、よく起こってきたことだと思われます。

 画家の黒坂さんは、色の識別や、色名の問題を(もっといえば、色とはなにかという問題を)、しばしば自らの作品の主題に取り入れて創作をしています。黒坂さんの作品は、感覚の違いとコミュニケーションの問題をあぶり出しており、「色」の違いがもたらす世界の亀裂みたいなものを見せてくれます。わたしたちは、日常生活の中で、そのような亀裂にあまり気づかずに暮らしているのだと思います。

 2色覚の人たちが一方的に不利になるのは、3色覚の色世界に2色覚の人たちが合わさざるをえないときです。3色覚の人たちは、2色覚の人たちに「がんばって合わせてもらっている」ということを、意識すべきだと思います。
色を制御することと、色覚を検査すること
 そもそも、このような色覚の違いを、わたしたちが意識して、社会的にも問題にするようになったのは、ここ150年から100年のことです。

 近代社会において、色を使った信号などの情報伝達の仕方が発達したことと、違う色覚の持ち主を見つけ出す検査の方法が確立したことが裏表一体となって、色覚の違いは社会的な問題として注目されるようになりました。特に日本では、学校健診で全員検査して、選別のうえ、職業に制限を設けるなどの非常に厳しい措置が取られました。

 では、それ以前はどうだったのでしょうか。現生人類ホモ・サピエンスは、数十万年ほどの歴史を持っているとされますが、かなり早い段階から、様々な色覚のメンバーを集団の中に含んでいたと考えられます。今現在、人類誕生の地アフリカでも、他の地域でも、常に一定の頻度で、様々な色覚の人が存在することが一つの根拠です。言い換えれば、人類がアフリカから出て地球上に拡散する前に、すでにこういった多様性を持っていたはずだ、ということです。

しかし、色覚の違いが取り立てて意識されることは、少なかったかもしれません。それこそ、わたしたちが子ども時代に仲間と遊んでいて、そのうちの一人が、よく昆虫を見つけたり、少し夜目がきいたり、微妙な濃淡の違いを見わけたりして驚くことはあっても、そこには「色覚の違い」、もっと言えば、「視覚のシステムの違い」がかかわっているという発想にはなかなかならないように。

 やはり、色にまつわる苦労は、様々な色を使って重要な情報が伝えられるようになってから際立つようになったのだと考えられます。そして、日本の場合、色覚検査が確立したのが、110年前ほど前なので(石原表の完成が1916年)、110年間にわたって、「正常と異常」をベースにした色覚観が、一般社会にも普及し、今でも「当たり前」に感じられるのではないでしょうか。人類が「色覚の違い」を明確に意識して過ごしてきた時間は、長い人類の歴史の中でも、ほんの一瞬のことです。
色覚多様性を織り込んだ文化を
 そういった過去を踏まえて本連載をあらためて振り返ると、未来への展望がいくつかの方向で拓けて見えてくるように思います。

 まずは、今、わたしたちが、たぶん新たな別の局面に立っているのかもしれない、ということです。

 3色覚も、2色覚も(本連載では主題となりませんでしたが、それらの「間」の存在である様々な変異型の3色覚も)、生物としてのヒトとしては、異常とか正常とかといった話ではなく、進化の歴史の中で、「わたしたちはこのようにある」という類のものだと、科学的な探究からすでに分かっています。100年と少し前に「色覚の違い」に気づいたわたしたち人類は、そういった新たな知見を踏まえて、今やお互いを理解し合おうとする時代に入っているのではないでしょうか。

 今の時代においては、従来は、わかり合うことができなかった(2色覚側が一方的に合わせるしかなかった)状況も、本連載で試みたように、ある程度は、相互理解できるのです。

 例えば、3色覚の人は、2色覚ワールドを、「色のシミュレータ」などを通して、その一部だけとはいえ経験することができます。あくまでも「困りごと」を伝えるものだということは理解しなければならないものの、これまでは「困りごと」がどの程度なのかも伝えることが難しく、過大にも過小にも考えられることが多かったのです。一方で、2色覚の人も、「色のめがね」などのアプリを使えば、自分の目には似た色に見えるものが、実は3色覚の人にとってはかなり違うものなのだと気づきやすくなります。さらに情報技術が発展すれば、あらかじめ見分けにくい組み合わせを避けたり、リアルタイムで注意喚起したりできるようになるでしょう。スマホアプリがスマートグラスで使えるようになると、とても便利だろうということは、簡単に想像できますよね。

 当事者を見つけ出す検査そのものが、今は相当変なことになっていることは懸念点ですが(本連載の第9回から第12回まで、とても悩ましき現状を語っています)、従来の「選別と排除」の枠組みではなく、みんなにとってよいものを探るユニバーサルデザインや個々人を支援する技術によって、色の見え方の違う人たちの間に橋がかけられる素地がすでにできています。

 そして、教育の現場では、このような未来を導くための力強い取り組みも始まっていることも本書では報告できました。これまで当事者の先生が、子どもたちに話をすることはあまりなかったのですが、高校教員の岩﨑さんと田口さんは、当事者としての経験を生徒の前で語りつつ、理解しあうことの大切さを訴えています(第26回、第27回)。当事者がみずから、次の世代のために声を上げ、また、3色覚側の仲間も増やしつつ、理解を深めていこうとする取り組みが、ここで始まっているのです。それは、お二人だけというわけではなく、たとえ散発的ではあっても、各地で同様のことが起きています。

 本連載で登場いただいた2色覚の友人たち(と呼ばせてもらいます)をはじめとして、多くの当事者が、深い自己省察とともに語り始めたことが、古くからの「思い込み」や、それに基づいた「制度」を溶かしはじめているのではないかと考えます(本連載を書きつないでいく途中で、「鉄道の運転士(動力車操縦者)」の色覚に、「正常」が求められなくなったのは象徴的な「事件」でした)。
2色覚の色の言葉を
 そして、ここまで来ると、さらなる可能性が思い浮かびます。

 本連載の中で、2色覚の色の見え方について語る場合にも、どうしても3色覚の色名を使わざるをえませんでした。なぜかというと、2色覚の人たちが共通に使う色の名前がないからです。おそらく、2色覚の人たちは数が少なく、互いに分断されていたので、共通の語彙を作る機会がなかったのだと思います。

 もちろん、3色覚の人の方が多い以上、3色覚の色名を使ってコミュニケーションすることが必要なときはあるでしょう。でも、それ以外の、非言語的な生活の局面でも、本来、自分たちのものではない色のカテゴリーや色名に振り回されざるをえないというのは、相当おかしなことです。

 ならば今、2色覚の共通の語彙を作れないでしょうか。なぜなら歴史上はじめて、当事者どうしが、分断されずにつながる環境が整っているからです。かつて、2色覚の人は、診断を経て自分の色覚の違いを自覚しても、仲間を見つけるのが困難でした。学校生活で、同じクラスに複数、2色覚の人がいることは稀ですし、核家族では、親きょうだいの中でも自分だけが違う色覚を持っているという場合の方が多かったのです(遺伝の仕組み上、そうなります)。

 しかし、今は、インターネットが発達し、当事者が集う場がいくつもできています。スマホアプリなどを使って疑似体験をし、自分の見え方を理解することも格段にハードルが低くなりました。ぼくが本連載で出会った「友人たち」やそのさらに友人たちの中から、やがてそういった「共通の語彙」を作り出す人たちが現れるのではないかと思います。

 そのとき、2色覚の色の言葉はどのようになるでしょうか。

 例えば、「赤と緑が近い色に見える」というとき、「赤」も「緑」も3色覚の言葉だということを思い出してください。それらは、2色覚の人にとっては近い色なので、「赤」でも「緑」でもない、別の色名を与えてもいいのかもしれません。一方で、明暗には敏感なので、色あいが同じでも明るさが違う色を別の名で呼ぶことは多くなるかもしれません。3色覚の人にとっての「青」と「水色」のように。

 最初は、2色覚のインフルエンサーが、「3色覚の人の赤と緑をまとめて、◯色と呼ぼう」「3色覚の人にはわからないらしい、こういう違いを色の違いとして考えて◯色、◯色と名付けよう」などといい出して、他の当事者も使い始める、みたいなことが起きるのかもしれません。あるいは、CUDOのように色の仕組みに詳しい当事者が多く集まる場で、独自の色名が議論され、コンセンサスを得ていくのかもしれません。黒坂さんのような色をテーマにした画家の作品がきっかけになることもあるかもしれませんね。

 そして、ひとたび、共通の色カテゴリーや、色名を得ると、そこから2色覚の色世界への考察はさらに深まるはずです。当事者は、自分自身への理解も深まるだけでなく、3色覚ワールドとの対応も考えやすくなるでしょう。一方、3色覚側も、この世界に「正しい色」というものなどなく、それぞれに見え方は違うのだということを、意識しやすくなるでしょう。

 そして、わたしたちは、3色覚も2色覚も、その他の色覚も、みんなまとめて一つの集団の中にいるのだと、しっかり理解できるようになればと思うのです。

 本連載を終えるにあたって、以上のようなことを考えました。
(了)

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長い間、連載「いろいろな人のいろいろな色~色覚多様性をめぐって~」をご愛読いただき、ありがとうございました。

Ⓒ ATSUKO ITO ( Studio LASP )

著者プロフィール

川端 裕人(かわばた ひろと)

1964年生まれ。小説家・ノンフィクション作家。東京大学教養学部卒業。日本テレビ勤務を経て作家活動に入る。小説作品として『銀河のワールドカップ』『空よりも遠く、のびやかに』(いずれも集英社文庫)ほか、ノンフィクション作品として科学ジャーナリスト賞2018・第34回講談社科学出版賞受賞作品『我々はなぜ我々だけなのか』(海部陽介監修、講談社ブルーバックス)、『「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」原論』(筑摩書房)、『ドードーをめぐる堂々めぐり 正保四年に消えた絶滅鳥を追って』(岩波書店)ほか多くの著作がある。また、共著作として科学ジャーナリスト賞2021受賞作品『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』(西浦博との共著、中央公論新社)など。2024年『ドードー鳥と孤独鳥』(国書刊行会)で第43回新田次郎文学賞を受賞。ツイッターhttps://twitter.com/rsider /メールマガジン『秘密基地からハッシン!』(初月無料)https://yakan-hiko.com/kawabata.html

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