いろいろな人のいろいろな色 色覚多様性をめぐって 川端裕人いろいろな人のいろいろな色 色覚多様性をめぐって 川端裕人

第25回

第5章 色覚マイノリティのアナウンサーが
「色の情報」を伝えるとき

更新日:2024/09/25

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 テレビ局のアナウンサーという仕事は、「言葉を使って視聴者に情報を伝える」ことのプロです。

 仕事をする中で「色」にかかわることを言葉で伝えなければならない局面もあるはずです。

 本連載で話をうかがっている2色覚の当事者は、多数派である3色覚の人とは色の感覚が違うので、当然ながら、3色覚の人たちが語る色名は謎が多いものです。とはいっても、2色覚の人たちだけで暮らして、自分たちの感覚にそぐった色名を作っていくことも難しいので、結局、3色覚用の色名をだましだまし使っていくしかない、という立場に置かれています。

 では、2色覚のアナウンサーがいたとすると、どうなるでしょうか。話しかける相手の大多数は3色覚なのですから、あたかも自分が3色覚の色を理解しているかのように色名を語らなければならなくなるでしょう。

 フジテレビの生田竜聖さんは、朝の情報番組「めざましテレビ」「めざましどようび」のメインキャスターとして活躍する人気アナウンサーです。実は、生田さんは、「先天色覚異常」(眼科の診断名)の当事者です。「2色覚」や「異常3色覚」などのさらに細かい分類まではわからないとのことですが、実際に色の見え方の体験としては2色覚かそれに近いタイプのようです。

 そんな生田さんが、「言葉を使って情報を伝える」アナウンサーの仕事を、どのようにして行っているのか。お話をうかがいました。

 色覚をめぐる様々な混乱や問題は、半分は「言葉の問題」だとも言えます。生田さんがどのように「壁」を乗り越えているのかを知ることで、その一面が明らかになっていくことも期待しています。
●アナウンサーになるまで
 まず生田さんが自分自身の色覚について、どのように自覚するようになったのか、というところから聞いていきましょう。


生田竜聖アナウンサー。1988年生まれ。

「幼稚園、小学生の頃、僕が描く絵は、他の人の描くものと色の使い方が違っていたので、親はもしかしたらと思っていたようです。でも、僕の自覚はまったくなかったんですね。本格的に調べたのは確か中学で美術の時に、やっぱり色の使い方が難しくて、これはどうやら人と違うなということをはっきり自覚したときです。文化財の絵を描くという課題があって、仏像を描こうとしたら、その色が何と表現していいか、どんな色で描けばいいのかわからなくて……」

 仏像の色は、3色覚の色名としては、茶系が多いように思います。でも、2色覚の人にとって、茶は、赤や緑と区別がつきにくいことが多く、画材で似ている色を探そうとしても、生田さんにとってはどれを選べばいいのか困難でした。自分の目には一番近い色の絵の具を選んでも、3色覚の目にはまったく違うものだということもありうるのです。

 ここで色名はすべて、3色覚を前提にした色名であることを思い出してください(今後、わざわざ「3色覚の色名」というふうには書きません。今、通用している色名は、すべて3色覚の世界のものです)。

 人との違いをここで自覚した生田さんは、町の眼科医を訪ねて「赤緑色覚異常(現在の用語では先天色覚異常)」という診断を受けました。この診断名は、総称のようなもので、さらに「2色覚」と「異常3色覚」に分かれるのですが、そこまで詳しいことは告げられなかったそうです。しかし、生田さんは「自覚できる」程度に色の感覚が他の人と違うことや、様々なエピソードから「2色覚寄り」であろうと推察できます。

「やはりショックでしたが、人と見え方が違うんだ、これは個性の一つくらいだな、というふうに受け止めました。不便といっても、髪の色とか、服の色とかの話題がちょっとわからないくらいでした。高校生の頃で覚えているのは、僕は白いTシャツを着ていたつもりが、友だちに『なんでピンクのTシャツ、着ているんだよ』って言われたことがあって。白と思ったものが淡いピンクだったみたいなんです。そんなふうに話が合わないことはありましたけれど、それぐらいのことで」

 生田さんは、1988年生まれなので、中学生時代はちょうど21世紀になってすぐの頃のことでした。さいわいなことに20世紀によく見られたような「心ないことを言われる」経験もないとのことで、時々不便は感じつつも、とりたてて重たく感じることはなく、学生時代を過ごしたそうです。

「自分の色覚を本格的に気にしたのは、やはりアナウンサーとして入社するときでした。当時は、アナウンサー採用試験の中に健康診断もあって、人事も僕の先天色覚異常については認識がありました。そこを理解したうえで内定をいただいたのですが、不安もある中、人事担当者がかけてくれた言葉は今でもよく覚えています。『色がわかりにくいなら、生田くんには、できること、できないことがあると思うけれど、それは相談しながらやっていきましょう』と」

 入社前の色覚検査と聞くと、かつての色覚と就職の問題を少しは知っているぼく(川端)は、自動的に身構えてしまう部分があります。というのも、表向きは色覚のいかんにかかわらず採用することになっていながらも、入社前の色覚検査で「異常」とされると(あるいは健康診断はなくとも、自己申告すると)なにか別の理由がつけられて採用が取り消されるといったことを、21世紀になっても耳にすることがあったからです。しかし、生田さんが就職活動を行っていた2011年、フジテレビにおいて、そのような心配は杞憂だったようで、むしろ「合理的な配慮」の対象として扱ってもらうことができました。

「アナウンス室では、さまざまな番組企画取材の依頼に対応する際に、室員の食品アレルギー、高い所が苦手か、その他に苦手なものがないかなどを把握し、依頼を受ける時の割り振りの参考にするのですが、僕の色覚も、その一つという扱いで、特別な扱いにはなっていないんです」

 そのような経緯で、生田さんは、色をめぐって「できること、できないこと」を意識しながら、アナウンサーとしての第一歩を踏みだすことになったのだった。
●競馬の中継は担当しない
 テレビ局のアナウンサーは、ニュース番組、バラエティ番組、スポーツ番組など、様々な番組に登場し、「言葉で情報を伝える」役割を担います。

 入社した時点で、生田さんが心配していたのは、スポーツ中継でした。

「特に競馬の実況はできないのではないかと思っていました。競馬の実況はジョッキーの帽子の色と服のデザインで、瞬時に判別して馬の名前を言う必要があって、これは僕には難しいなと思いました」

 しかしアナウンサーの職域は実に幅広いので、生田さんが「競馬」を辞退しても、ほかにいくらでも活躍の場はありました。なお、生田さんは、後々、スポーツ中継ではバスケットボールの実況にかかわる時期があったのですが、それは特に問題は感じなかったそうです。

「バスケの場合、ユニフォームをホームとアウェーで明らかに色を変えるんです。白と濃い色というふうに。だから、両チームの選手が入り乱れても、僕の目にもしっかりわかるものでしたね」

 調べてみたところ、日本バスケットボール協会のユニフォーム規定では、各チーム、淡色と濃色の2種類以上のシャツを用意しなければならず、試合でははっきりと区別できるものを使用することになっているようです。そして、淡色のシャツは白色が望ましく、濃色のシャツは白色以外の「濃い色」でなければならない、とのこと。

 試合では、片方のチームが白色、もう片方が濃色ということになるのでしょうから、これは2色覚の人にとっても、明確に違って見えるでしょう。いや、それどころか、明るさの違いで色の区別することは、2色覚の人は得意かもしれないので、生田さんはむしろ瞬時の判断をしやすかったかもしれません。
●食リポは、人に聞け!
 スポーツで使われる色は、それを使って情報を伝えるものなので、コントロールすることも可能です。バスケットボールのユニフォームは、意図していたのかどうかはわかりませんが、ユニバーサルデザイン的な観点を取り入れたものになっているようです。このことは、他のスポーツでも原理的にはできることなので、今後、どんどん対応したスポーツが出てくることを期待したいところです。

 一方、日常の中にもっとカジュアルに埋め込まれているものの中には、コントロールが難しいものも多くあります。

「新人アナウンサーの頃に、食リポ、飲み物のリポートをする仕事があって、そのときには困りました。ディレクターさんに、『色と味を伝えてください』と言われることがあって、じゃあどうしようかと」

 いわゆる「食リポ」は、見たこと、感じたことを視聴者に適切に伝えるよい練習になるため、若手のアナウンサーに割り振られることが多い仕事のようです。しかし、「みずみずしい赤と緑の夏野菜サラダ」とか「夏らしいエメラルドグリーンのドリンク」といった状況は、生田さんにとっては実感を伴わないものです。また、生田さんが色について感じたことを語っても、それは同じ色覚の人には伝わっても、多数派には意味をなさないこともあるでしょう。

「だから、僕が食リポをするときには、自分からはなるべく色には言及しないようにしているんです。自分では自信があっても、他の人とは違うかもしれないので。それでも、ディレクターさんから色を伝えてほしいと言われた場合には、スタッフに『これ、何色って言ったらいいですか』って聞いています」


生田アナは2011年フジテレビ入社。「めざましテレビ」「めざましどようび」メインキャスターとして活躍。

 ぼく(川端)は、2色覚の人の割合が日本よりも多いアメリカやニュージーランドの西洋人が多い共同体で暮らした経験があるのですが、2色覚の人に「ちょっとあなたの目を貸してくれ」と言われたことがあるのを思い出しました。"Can I borrow your eyes?"といきなり言われるとドキッとしました。しかし、これは文字通り、自分のかわりに色を見てほしいという意味なのでした。3色覚にとっての色は、2色覚の自分にはわからないから教えてほしいということなのです。生田さんも、まさにその方式を取っており、その都度、破綻なく食リポをこなしてきたそうです。

 もっとも、これができるためには、自分がカミングアウトしても問題ないという心理的安全性が確保されていることが必要です。生田さんが、スタッフに素直に聞くことができたのも、まさにそのような環境だったからだと思われます。
●事件事故の現場から
 ときには、スタッフに聞けないような状況もあります。たとえば、事件事故などの現場から、リポートしなければならないような場合です。

「事件事故などの現場では、画面には映せないことを言葉で伝えなければならないことがあります。例えば具合の悪い人について伝える場合、『血色が悪いです』『唇が紫になって……』というようなことを言うのは、僕には難しいです。でも、入社したときに、人事の先輩に言ってもらったことを今もよく覚えているんです。『生田は色でいろいろな違いがわからない分、他のところを見分ける力があると思うから大丈夫』って。それで、自分は色以外の洞察力みたいなものを鍛えるように心がけてきたんです」

 たしかに、顔色や唇の色ばかりが、見て伝えるべき情報というわけではないでしょう。たとえば、「ぐったりしている」とか「指先が震えている」とか、そういう別の情報もあります。そもそも、こういうリポートをするときは、自らが持っている感覚を総動員しつつ、伝えるべきことを取捨選択して、簡潔な言葉で伝えようとするわけですから、色という一要素にばかり執着するのも、また不健全なことです。

 生田さんは、かつて人事の先輩に言われた通り、やはり「色以外」の情報に対して敏感になっていると自覚しているそうです。

「もともとアナウンサーという仕事を志したのも、人に何かを説明したりすることが得意だからというわけではないんです。どちらかというと相手の話を聞く方が向いているかなと。インタビューとか対面してお話しする時に、表情とか空気感といいますか、本当に抽象的な言い方になりますけれど、そういうものを読み取って、こういう話の流れにしようとか、そういう洞察みたいなものは鍛えるようにはしていますね」
●情報番組のキャスターとして
 生田さんは、朝の情報番組である「めざましテレビ」のキャスターとして13年のキャリアを持っています。そして、2022年からは、「めざましどようび」のメインキャスターとしても活躍しています。

 情報番組のキャスターは、自ら情報を伝えつつ、出演者の発言の舵取りをする、番組の進行役です。その時々に社会的な注目を集めている様々な事象を扱いつつ、一出演者という立場をこえて、番組の進行に責任を持つ重要な役割を担っています。当然、直面することは様々です。

 これまでに、生田さんが自分の色覚ゆえに困ったことはあったでしょうか。

 生田さんは、ふっと一瞬の間を置いてから、こう言いました。

「一番はっきりとあるのは、紅葉、ですかね。紅葉の季節は、映像をみんなで見て、『きれいですね』といいますが、僕は全然わからないんです。それで、ふーんって顔をしています。もちろん、自然として美しいなと思いますけど、赤く色づいてというのはわかりにくいんです。あとは、やっぱり、髪の色ですかね。僕には染めた髪の色の認識が難しいんです。例えば、インタビューに出てくる人が茶髪と赤髪とか、区別が付かないことがあるので、スタジオで出演者のみなさんと話す時、話が合わないことがあります。そういう時はもう黙ることになりますね。そうですね、髪の色は特にこれまで一番話が合わない回数が多いかもしれないですね」

 ということで、時々、話題に加わることができない難点はあるとのこと。一方で、そこは他の出演者にまかせて、いったん引いた後で、次の展開を準備して番組を先に進めることもできるわけです。それなりに困った瞬間なのかもしれないですが、「この程度か」というものでもあります。


「めざましテレビ」は毎週月~金曜日の朝5時25分~8時放送。
(左から)伊藤利尋アナウンサー、井上清華アナウンサー、生田竜聖アナウンサー。
(c)フジテレビ


「めざましどようび」は毎週土曜日の6時~8時30分放送。
(左から)阿部華也子アナウンサー、生田竜聖アナウンサー、西山喜久恵アナウンサー。
(c)フジテレビ

●これから目指す人と目指すべきもの
 というわけで、今、アナウンサーの仕事を目指したい当事者の若者がいたとして、生田さんはどんな助言をするかと問うたところ、即答でした。

「何とかなるから気にしなくていいよ、ですかね。僕も、最初、入社する時はドキドキして、やっていけるのかなと悩みましたが、意外と何とかなるものなのだなと、今は思います。どうしても必要なときは、相談すればいいだけの話なんですよね」

 かつて「差別」の対象になって、カミングアウトすることで仕事を失いかねない、あるいは「結婚できない」というような心配が生じた時代がありました。生田さんからの力強いメッセージは、今は、もうそんなことはなく、当事者の心理的安全性が確保された社会になりつつあるということと裏表の関係にあると考えられます。

 さらに、将来的に社会がどのように変化していくべきか?という点について、生田さんはこんなふうに語りました。

「ユニバーサルデザインというのはやはりありがたいなと思います。それがもう普通になるぐらいになってくれれば生きやすくなるかな。僕、東京の地下鉄を利用するときに、色で判断していなくて、それでも、苦労していないんです。苦労してないってことは、きっとうまくできているんですよね」

 東京の地下鉄はおそろしく路線が多く複雑で、もはや色だけで区別するのはだれにとっても難しくなっています。そこで、路線ごとにアルファベットを割り振ったり、駅にも番号を入れたりして、「色以外」の工夫もされているのです。それは外国人の訪問者にもわかりやすいなど、つまりは「ユニバーサルデザイン」のひとつの例なのでした。

 それを言うなら、テレビの情報番組も、色のユニバーサルデザインを取り入れるべき余地が大いにあるものです。気象庁や自治体が発表する警報などはともかく、局ごと番組ごとに工夫をする場合、あくまで多数派の3色覚の人たちだけの方を向いて見やすいものを作りがちです。生田さんは、まさに「僕にはわかりにくい!」と言える立場にいるわけで、ぜひ、その立場を活用していただきたい!というふうなことを話し合い、お話を終えたのでした。
●色を区別することと色名を言うこと
 生田さんは、「言葉で伝えるプロ」です。

 体験談を伺ううちに、生田さんの仕事とかかわる色の問題には、2つの要素があるように思いました。

 ひとつは「色の違い」を認識して、そこから情報を抽出すること。もうひとつは、色名を適切に言葉にして伝えること。これらの二点です。

 前者はそもそも「色が違う」と認識できるかどうかが問われます。競馬の中継で、色の違いが認識できなければ馬の名がわからず中継できないというようなときに問題になります。

 後者は、区別した上で、さらにそれが何色なのかをマッチさせた上で、視聴者に伝えることが要求されます。「みずみずしい赤と緑の夏野菜サラダ」とか「夏らしいエメラルドグリーンのドリンク」のように。こちらでは色を区別するだけなく、3色覚における色名を付与しなければならならず、もう一段、踏み込んだことが必要になるわけです。

 インタビューの中で、生田さんは、まさにそのことについて説明してくれました。

 例えば、自分が「色覚異常」だと語ると、「交通信号はわかるのか」と聞かれるそうです。

「交通信号は、明らかに色が違うじゃないですか。全部違って見えるので、間違いませんね。何色って言われたら言えないですけど、違うことは分かるんです」

 交通信号は、様々な色覚の人が区別できるように、かなり工夫されているので(完璧ではないにせよ)、区別はできます。かといって、それは生田さんにとって「赤、黄、青(あるいは緑)」というわけでもないのです。

 もしも、同じ色覚の人たちがまとまって一緒に暮らしていていれば、独自の色名を工夫できると思うのですが、生田さんの同類は社会に幅広く薄く存在するだけなので、自分たちの色名を得ていません。そして、多数派が持つ色カテゴリーに応じた色名への適応を迫られているわけです。

 というわけで、「言葉で伝える」ことを生業としている生田さんと話していると、当事者が直面する困難のさまざまな層を意識することになりました。

 区別できるかできないかという問題と、3色覚の色名を言えるかどうかは、同じではありません。そして、実生活の中では、区別できることで事足りることもあれば、自分のものではない色名を使うことを強いられることもあるわけです。

 後者の場合、違ったことを言うと「色間違いした」などと言われてしまいがちです。当事者であっても、色を見るメカニズムについて詳しくなければ「自分は間違う」というふうに認識しているかもしれません。

 実際には「色間違い」などではないことは、この連載では何度も強調したところです。また、三色覚側の見え方をしている人たちは、2色覚側の見え方の人たちが、がんばって「合わせている」ことを、理解していただきたいと思います。
撮影(生田氏):石井康義(千代田スタジオ)

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Ⓒ ATSUKO ITO ( Studio LASP )

著者プロフィール

川端 裕人(かわばた ひろと)

1964年生まれ。小説家・ノンフィクション作家。東京大学教養学部卒業。日本テレビ勤務を経て作家活動に入る。小説作品として『銀河のワールドカップ』『空よりも遠く、のびやかに』(いずれも集英社文庫)ほか、ノンフィクション作品として科学ジャーナリスト賞2018・第34回講談社科学出版賞受賞作品『我々はなぜ我々だけなのか』(海部陽介監修、講談社ブルーバックス)、『「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」原論』(筑摩書房)、『ドードーをめぐる堂々めぐり 正保四年に消えた絶滅鳥を追って』(岩波書店)ほか多くの著作がある。また、共著作として科学ジャーナリスト賞2021受賞作品『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』(西浦博との共著、中央公論新社)など。2024年『ドードー鳥と孤独鳥』(国書刊行会)で第43回新田次郎文学賞を受賞。ツイッターhttps://twitter.com/rsider /メールマガジン『秘密基地からハッシン!』(初月無料)https://yakan-hiko.com/kawabata.html

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