いろいろな人のいろいろな色 色覚多様性をめぐって 川端裕人いろいろな人のいろいろな色 色覚多様性をめぐって 川端裕人

第17回

第2章 画家・黒坂祐の色をめぐる冒険①

更新日:2023/09/13

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 新進気鋭の画家、黒坂祐さんは、2型(D型)2色覚の色覚の持ち主で、自らの色覚に自覚的な創作で知られます。黒坂さんの作品に触れると、「色とはなんだろう」という揺さぶりをかけられて、ある人は不安を覚え、ある人は感覚的かつ知的な興奮を味わうかもしれません。
 ぼくは、2022年に東京都新宿区のオペラシティで2ヶ月間にわたって開かれた個展を訪ね、作品に魅了されました。

 一方で、ぼくの知人の当事者の中には、子どもの頃に、図工や美術の時間に、他の人とは違った色使いをして、教師に叱られた経験を持つ人がかなりいます。理不尽な話ですが、それをきっかけに、絵を描くこと自体が嫌になったという人も多いようです。

 一線で活躍する画家である黒坂さんは、どんな道のりを歩んできたのでしょうか。湯河原町のアトリエを訪ねて、お話を伺いました。
自身の色覚と美術系の進路
 黒坂祐さんを訪ねたのは、2023年6月です。7月と9月に予定されている個展の準備のさなか、時間を割いていただきました。

 絵の具と油の匂いがするアトリエにて、まず伺ったのは、自分の色覚が他の人と違うことに気づいたときのことでした。

「僕は、1991年生まれなので、学校で全員、色覚検査をしていたぎりぎりの世代です。たぶん小学4年生のときに色覚検査があって、健康カードみたいなものに『色覚異常』という文字が書かれていたんです。それで親に報告したほうがいいのかなと、母に話しました。母は、『ああ、やっぱり』みたいな感じで、気づいてはいたみたいです。その反応が大したものではなかったので、自分自身も大したものと思いませんでした。

 ただ、今から振り返ってみると、図工の時間とかに、友だちに色を聞くようになったのは、自分が人とちょっと違うのを理解し始めたということでしょうね。その時は同級生と比べると、『技術的に劣っている』みたいな捉え方でした」

 さいわい、小学校の図工の時間や、中学校の美術の時間に、先生から「この色は間違っている」などと叱責を受けるようなことはなかったそうです。もっとも、この時点で、黒坂さんは、絵が大好きな子どもというわけではなく、小学校中学校も部活動は運動部だったとか。本格的に絵とかかわるようになったのは、高校で進路を考えるようになったときでした。

「それまでは、1つ上の兄が、絵が得意だったり、仲の良い友だちにも絵が得意な子がいて、自分はそれを見ている立場だったんです。高校2年生のときに、デザイナーになりたいという、ちょっと具体的な夢ができました。それはファッションでもプロダクトでも、何でもよくて、近所に美術予備校ができたのをきっかけに、そっちの道に行こうと決心しました。そこから絵を、真剣に描き出したという流れです」

 黒坂さんは、近所に美術予備校ができたといういくぶん偶然の要素もありつつ、美術系の大学のデザイン科をめざすことになりました。しかし、そこではじめて大きな困難に直面します。
平面構成は難しい!
「デザイン科の受験コースというところに入ったんですけど、そこでやることが、大きくわけて3つありました。デッサン、立体造形、平面構成です。デッサンと立体造形は問題なくできていたと思いますが、平面構成では、色も大事な要素です。絵の具を扱って、例えばレモンと花、花とハンカチ、といったものを画面に構成しなさいというような課題が出ます。その時に、色の再現性が求められたり、実物以上に魅力を引き出す構成をすることが求められたりするんです」

「再現性」というのも、「実物以上に魅力を」というのも、「多数を占める3色覚の人たちにとって」という前提でのことです。見え方が多数とは違う黒坂さんにとっては、それがことさら難しかったそうです。

 考えてみれば、商業的なデザインは、多数に対するアピールを求められる場合がほとんどです。もちろん、デザインといっても様々なものがあって、ある特定の分野においては、黒坂さんの色覚が不利にならなかったり、場合によっては有利なこともありうるでしょう。しかし、入試では、そういったことは考慮されにくく、マジョリティ側が基準になりやすいのは、容易に想像できます。
油絵科に切り替える
「デザイン科を受験して、2浪しても駄目で、もうそろそろ美大受験をやめるかなというときに、油絵科の先生に声をかけてもらったんです。油絵科なら、再現性も別に求められないですし、自分の中で答えを出して、とにかく魅力的な画面を作ればよいという世界なので。それで、油絵科の受験コースに移って、そこでは認められた気もして、楽しく、夢中になって取り組めました。1年ちょっと油絵のトレーニングをして、東京藝大に合格したんです」

 東京藝術大学といえば、日本の美術系大学における最難関だと考えられています。油絵科はその中でも、最も伝統ある学科のひとつでしょう。そんな学科に進んだ黒坂さんは、入学後、絵を描きまくったのだろうと想像するところですが、実は、そうではなかったのだそうです。

「日本の美術系の大学では、いわゆる油絵学科が現代美術というジャンルを担っています。みんな油絵を描いて受験するんですけど、入学後は、一旦、現代美術を学ぶ場になるんです。僕も絵を描く手を止めて、パフォーマンスであったり、ビデオを撮ってみたり、写真を撮ってみたり、いろいろなメディアを経験して学んで、自分が扱うべき問題を探していきました。結局、学部4年生になって、助成金をいただいてスイスなどに行かせてもらえる機会があり、そこで西洋の油絵の歴史を目の当たりにして、やっぱり魅力的に思い始めました。それと同時に、自分の『色』の問題にも意識が戻り始めて、絵を描いてみようと思ったんです。それで大学院に行って、そこからはもうずっと絵を描いています」
絵の具は3色覚を前提に作られている
 こうやって、黒坂さんは、自分のテーマにたどりつきました。最初はデザイン科志望だったのが、油絵科を受験して大学に入り、様々なメディアを通じた表現活動を一通り経験した後で、油絵に戻ったわけです。その際、自らの色覚というのは、当然のように向き合うべきテーマになったといいます。

「やはり、それまで、自分では封印してきた、無視してきた部分があるんです。でも、絵を描いていくなら、もう無視はできないので。例えばコミュニケーションの問題を絵画で扱おうというときに、色覚が違うことがコミュニケーションにおいてどう影響してくるかとか、大きな問題を考えるときの一部という感じだったんです。とはいっても、最初の頃は、色よりも、形や質感が優位で、今、振り返ると、色とあまり向き合おうとしていないんです。

 その頃の絵を見せてもらうと、無彩色や青系、黄系のように、生まれ持っての色覚の違いがあまり反映されないような色相のものを使っているものが多いように見受けられました。黒坂さんは、2型(D型)2色覚で、3色覚の色世界における赤と緑の距離を近く感じるので、赤みや緑みがある色を避けて、多数派との間で齟齬が少ない色を選びつつ、形や質感を重視しているような印象です。



「でも、本格的に描いていくと、例えば画材を買いに行く頻度も増えたり、色面を塗ることも増えていきますよね。そんな中で、色の問題が、自分の中でどんどん大きくなっていったんです。ちょっとこれを見極めなきゃいけないぞという気持ちになっていきました」

 色というのは、外界に「実在」するというよりも、同じ光センサー構成を持った「3色覚ワールド」の人たちの間で共有されている「コンセンサス」のようなものです。それを共有しない人にとっては、絵を描くときに絵の具を買うという入り口の部分からして小さなつまづきがあったということなのです。それは裏を返せば、取り組むべき「コミュニケーションの問題」の一部でもあるのでした。
赤と緑をあえて使う
「やっぱり自分が思っている色と違う色を描いているということが無視できないなとは思って、自分で絵の具を作ることも考えたんです。でも、すでに出来上がっている色に対するシステムについても扱わないといけないと思って、いろんな試みをしてきました」

 ぼくがはじめて黒坂さんの絵を生で見た個展では、ハンガーにぶら下がったチェリーを描いた二枚の絵に目が留まりました。片方は「緑を背景に赤いチェリー」、もう片方は「ピンクを背景に緑のチェリー」という、ドキっとさせられる色の構成でした。前者は、緑の葉っぱを背景にした時に赤い果実が目に入ってくる状況に似ていて自然に感じるのですが、後者には大きな違和感がありました。

しかし、描いた黒坂さんにとっては、両方とも似た色使いに見えていたはずです。その一方で、背景の塗り方は明らかに違って、色の大きな違いを取り去ると、むしろ、質感や陰影にこそ、この作品世界のヘソがあるようにも感じたのです。

「赤や緑とか、自分の中でずれが大きいものを、鑑賞者とのずれを意識して、あえて使うというようなやり方でした」と黒坂さんは簡潔に解説してくれました。

 ぼくはといえば、黒坂さんの色覚の特性を知った上で鑑賞したという面もありますが、それを見て、色というものの相対性を強く感じさせられ、ふわふわした気分になりました。


〈言及した「ハンガーとチェリー」は右端にある2枚〉

「色」を考えずに直感に従う、「境界上の色」を使う
 その後、黒坂さんは、コミュニケーションの問題を表に出すよりも、自分の色覚に素直に従うことを試みるようになります。

 アトリエの床に無造作に転がっていた絵の具のチューブのうち、いくつかぼくに差し出して見せてくれました。

「結構、即物的なやりかたですが、色名を隠してみたりするんです」と。

 それらのチューブは、テープで色の名前が隠されているだけでなく、別の色の絵の具がべったりついていたり、制作現場の生々しい痕跡が見て取れました。

「自分の感覚のままに色を使った跡という感じですね。こっちを触った後にこっちを触って、もうどんどん直感的に手に取って、パレットに出してというようなことをやっていました。既製品のパレットと見比べてもらうと、トーンが似ているのがはっきりわかると思います。さらに、最近、とても大切にしているのは、何か『見づらさ』みたいなものなんです」

 そう言いながら黒坂さんが見せてくれたのは、色名を隠しておらず「オリーブグリーン」と書かれた絵の具のチューブでした。

「グリーンと書いてあるし、緑だと思って使うんですけど、それを見た人からは、割と茶色と言われることが多いんです。つまり、多数派の方にとっても、緑と感じる人もいれば、茶に感じる人もいる、結構、揺れが大きい「境界上の色」なんです。こういう色を使って、さらに混色もするんで、何色に見えるかという視点を鑑賞者から奪おうというのが、今、取り組んでいることですね。このポトスを描いた絵とかは、できるだけ見づらく、判別はそれぞれできるんだけども、何がどう違ってとか、これが何の色でとか、というのをできるだけ押し殺していこうとしています」


〈色名をテープで隠した絵の具のチューブ〉


〈黒坂さんが直感的に作ったパレット(左)と、既製品のパレット(右)〉


〈「境界上の色」であるオリーブグリーンの絵の具〉

色の属性から自由になる。
 黒坂さんはもう一点、別の絵を見せてくれました。人の姿を描いた小さな絵です。

「固有色という概念があります。例えば人の肌はこんな色、リンゴはこんな色というふうに共有されている色です。でも、自分の色覚に素直に見ると、その固有色は違うんです。そこで、自分の見え方に忠実に、例えば、人の肌の色を、3色覚でいう、緑であったり、紫であったり、黄であったりが、多く含まれている色で、描けるのだろうかとか。でも、考えてみたら、固有色ってあくまで絵画上の言葉で、リンゴが赤と結びついているのはそうかもしれないけど、現実で言えば嘘ですよね。リンゴだっていろいろありますし。この物体はこの色、みたいなものが実際とは違って固定化しているのは変だし、僕は、色の属性から自由になる、そこからじゃないと出発できないなと思うので、今、やっているんです」


〈話題に出てきた、人の肌の「固有色」を自分の色覚に素直に解釈した作品(左)と、何色に見えるかという視点を鑑賞者から奪う意図があるポトスを描いた作品(右)〉

 こういったことは、黒坂さんの様々な試みの一部です。

 すべてを紹介するのは無理ですし、また、いちいち解説しながら絵を見てもらうのも無粋でしょう。長い時間をかけてぼくに色々説明してくださった中でも、黒坂さんは、ぼそりとこんなふうに語っていました。

「結局、自分のために絵を描いているんです。それを言葉にすると、大分後退してしまうんですよ。昔はすごい説明して回っていたんですけど、どんどんやめるようになってきています」

 それでも、ぼくは言葉で聞き、それをここで伝えるしかありません。表現としては「後退」したとしても、黒坂さんがなににこだわって、なにをしようとしてきたのか、その身振りが伝わればと思います。

 そして、関心を持った方は、ぜひ、黒坂さんの個展に足を運んでください。
【黒坂祐さん個展情報】
「サーフ」

会期:2023年9月28日(木) - 10月22日(日)
会場: NADiff gallery
http://www.nadiff.com/?cat=16
住所:〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿1-18-4
   NADiff A/P/A/R/T 1F,B1F
電話:03-3446-4977
定休日:月曜日(祝日の場合は翌日火曜日休み)
営業時間:12時~20時

写真撮影:川端裕人

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Ⓒ ATSUKO ITO ( Studio LASP )

著者プロフィール

川端 裕人(かわばた ひろと)

1964年生まれ。小説家・ノンフィクション作家。東京大学教養学部卒業。日本テレビ勤務を経て作家活動に入る。小説作品として『銀河のワールドカップ』『空よりも遠く、のびやかに』(いずれも集英社文庫)ほか、ノンフィクション作品として科学ジャーナリスト賞2018・第34回講談社科学出版賞受賞作品『我々はなぜ我々だけなのか』(海部陽介監修、講談社ブルーバックス)、『「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」原論』(筑摩書房)、『ドードーをめぐる堂々めぐり 正保四年に消えた絶滅鳥を追って』(岩波書店)ほか多くの著作がある。また、共著作として科学ジャーナリスト賞2021受賞作品『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』(西浦博との共著、中央公論新社)など。2024年『ドードー鳥と孤独鳥』(国書刊行会)で第43回新田次郎文学賞を受賞。ツイッターhttps://twitter.com/rsider /メールマガジン『秘密基地からハッシン!』(初月無料)https://yakan-hiko.com/kawabata.html

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