
独身、一人っ子、親戚づきあいなし。
作家・安田依央は、還暦を目前にして、はたと考えた。
「自分は死後、無事に骨になれるのか?」
人は死んだら、自動的に骨になれるわけではない。
また骨になれたとして、誰かしらの手を煩わさずには
どこかに葬られることもない。
元司法書士として、人々の終末に深く関わってきた筆者が
ずっと後回しにしてきた自らの行く末。
孤独死、孤立死……年間2万人以上の人たちが
誰にも看取られず死にゆく長寿大国・日本。
長年ほったらかしにしておいた宿題にとりかかるかのごとく、
「終活のプロ」が、自分の「骨の行方」を考えるエッセイ。
第13回(最終回)
【ほねの後】
最終章 わたしの骨はどこへいく ②
更新日:2025/10/29
(承前)
- 部屋の外 役割なき骨
-
三つ目の部屋を出て、回廊に立つ。
で、考えた。
それこそ、私の骨に何か役割はあるのだろうかと。
骨の役割、前回の最後に格差と書いたが、言い換えれば骨の価値だ。
役割を担う骨とは、誰かにとって価値がある。
それが仮に負の感情の対象だとしても、少なくとも軽くはない意味を持っているだろう。
しかし、私たち、身寄りなき者同盟の骨に思いを寄せる者はおそらくいない。
残された人の思いを山のように背負ったよその骨を横目に、ふーん大変ですなあと思うだけなのだ。
さて、ではこの役割を持たないヒマな骨は、どこへ行けばいいのだろうか。
お墓? 誰も来ない。
樹木葬で自然と一体になる? 他人と一緒に練られて仏像になる? うーん、身寄りなき者が骨を残す意味は果たしてあるのか疑問だ。
じゃあ、どうする?
残ってもどうせ役割がないのならいっそ消えちゃってもいいんじゃないのかなあと、ちらっと思った。
うちの船は乗組員を一人失い、二人失い、順当にいけば私が最後に一人残るだろう。
ぷかぷかと、孤独のままに漂う。
では、一切誰とも交わらないかというと実はそうでもなく、私にもそれなりに友人はいる。
幼なじみや中学、高校、大学の友人、社会人になって知り合った人々。
中でも学生時代から続く友人たちは、もう長い付き合いなので、互いに遠慮なく気楽な時間を過ごせる。
男女問わずよき友人たちだ。
しかしながら、こんなことを書くと怒られそうだが、どこかで一線を引いているのも事実なのだ。
私は長年、自分を変人だ、変わり者だと自認し、公言してきた。
それは今思えば幼少期から苦しんだ居心地の悪さや孤独から逃れるために、いつしか編み出した術だったのではないかという気がしている。
変人という言葉は自分を守るための盾であり、壁だ。
壁を作ってしまえば、もう誰も入ってこられない。壁のこちら側にいれば、傷つくことはないのだ。
私はどうせ理解されないからと、友人たちとの間にさえ壁を築き、一人で生きて一人で死ぬと言い続けていたわけだ。
私の骨を前に悲しんでくれる友人はいるかも知れないが、だからといって骨の始末を頼むような、余計な負担はかけたくない。
- 第四の部屋 骨の消滅
-
そんなわけで四つ目の部屋で「骨の消滅」を考えよう。
骨が消える。骨を消す。
何やら恐ろしげな話だが、現実的にできないこともない。
まず考えられる一つ目は、火葬場に骨を残していくという方法。
第四章で関西では火葬場に骨の一部を残していくという話をしたが、たとえば大阪市では、まったくお骨を持ち帰らず、すべてを残していくこともできる。
ただ、その場合は後々問題にならないように誓約書の提出が求められ、さらにはこの誓約書は故人本人の誓約では受け付けられないので注意が必要だ。
なお、これも市町村によって扱いが異なり、特に関東では元々全部収骨が主流であり、許可されないことが多いようだ。
とりあえず、私の場合、大阪市民である限り、その気になればお骨全部を火葬上に引き取ってもらうこともできるわけだ。
この場合、骨は、有価金属を回収されたのち、一部は合葬墓に納められる。
その他の部分に関しては各市町村も対応に苦慮しているようだ。
いずれ合葬墓も一杯になってしまうだろう。市民の反発もあってなかなか踏み切れないようだが、そのうち肥料やコンクリート素材となるのかも知れない(実際、そのような検討がされているようではある)。
それでは、もっと完全な消滅を目指す?
その方策がないわけではない。
実際、アメリカでは遺体を薬品で溶かし、跡形もなくしてしまうという葬送が行われているそうだ。
残った液体は下水に流しておしまいだ。
あるいは遺体を堆肥にしたり、何ならキノコ胞子を植え付けたシートで全身を覆うキノコ葬というのも存在する。
土葬や火葬に比べるとエコらしい。
いずれこのような葬送方法が日本でも採用される日が来るだろうか。
ところで、骨の消滅をもくろみ、痕跡一つも残さないという始末について、もしかすると、ずいぶんと自分勝手な話だなと思われた方もいるのではないだろうか。
私は一人が好きだし、できる限り人に迷惑をかけたくないと、この連載でもしばしば書いてきたが、それ自体が傲慢な考えなのかも知れないとも思う。
確かに、いくら私が変人だと壁を作ってみても、人間一人では生きられないのだ。
それは孤独がどうのという話ではなくて、食べ物だって住むところだって、完全自給自足の生活でもしない限りは必ず誰かの手を通しているはずだ。
地球上にたった一人で暮らしているのなら、私の骨は私だけのものだが、現実はそう単純ではない。
果たして、「どうせ役割なんかない骨でして。そんなわけで好きにさせてもらいやすぜ、んじゃ完全消滅を」と言いきってしまっていいものだろうか。
もし、あなたや私が自分の骨の完全消滅に成功したとして、その後、遠い親戚や友人知人が、「何故? 私は骨揚げに参加したかった。きちんと弔いたかった」と嘆く可能性がないわけではないのだ。
先ほどの大阪市の火葬場に骨をすべて残す際には誓約書が必要だと書いたが、本人の誓約書ではダメな理由がこれだ。
自分の骨なんだからどうしようと勝手だろうと思う人がいるかも知れないが、本人がよくても周りが納得するとは限らないので、のちのトラブルを回避するために親族の同意が必要とされているのだ。
実際あるのだ。
生前、特に深い付き合いもしていなかったのに、亡くなったと知ると、骨を供養せねば、お参りをせねばと逸る人がいる。
そんな人からすると、骨の完全消滅はショッキングなことだろう。
自分という存在、故人と自分の関係性(故人からすると細いものであったとしても)を全面的に否定されたような気分になるのかも知れない。
役割を持たないはずだった骨が予想外のところで思わぬ責任を背負わされる可能性もないではないということだ。
じゃあどうするんだという話になるが、これはもう、あらかじめ周囲に対して、俺は消えるぜ、完全消滅だぜと言っておくしかないだろう。
お別れは骨じゃなくて、生きてる間に本人の方にしてくれたまえと頼んでおくのだ。
といっても、誰がいつ死ぬかなんて、大抵の場合、分からないわけで、ならば誰に対しても、毎日悔いのないように付き合うしかないだろう。
一期一会の精神でいくしかない。
そんなわけなので私の周囲の人、今後ともよろしく頼む。 -
私の最後のifを書いてみる。
死んだ私、色々事前に準備していたものが功を奏し、今はまだ誰だか知らない誰かの協力を得て、うまい具合に制度を利用し、いい感じの骨になった。
生前、一期一会の精神で生きると共に、周囲のみなさんに私の骨は完全消滅すると宣言してある。
ほうきで掃かれるのか、バケツに集められるのか、よく分からないが、袋か何かに入れられて、移動を待つ。
体内にある有価金属を回収されたのち、残りの骨のいくらかを市営の供養塔に合祀されることになりました。
めでたしめでたし。
腐ることなく、うまく骨になれて、しかもさ迷う骨壺を残すこともなかったのだ。
理想的ではないかと思う。
と、思ったのだが、なんか腑に落ちない。
なんでか? と考えてみる。
別に合祀に不満があるわけではないし、残った部分は場合によっては肥料になったりするのかも知れないので、人様のためになっていいことではないか。でも。
しかしね、骨、わたしの骨よ、私はお前に問いかける。
あんた、本当にそれでいいのか?
だって、これではあまりにも夢がない。
おもしろくないのだ。
どうせ家族も、思ってくれる誰かもいない私なんて、腐って迷惑さえかけなきゃ、しかるべき場所にしかるべき方法で骨を始末してもらえばそれでいい。誰も祈ってくれる人もいないのだから――。
それはそう。
そうなのだが、そこに甘んじるのか私の骨よ?
たとえば、いつかの未来、老女となった私が病にふせっていたとしよう。
苦しい、何のために闘病しているのか分からない。私はなぜ生かされているのだろう。
死んだらどうなるのかと考えてみるが、私は老女になっても無宗教だ。
哀れな老女の脳内には天国も極楽も何もない。
死んだら無かよ、おい。
けっ、つまんねえなあとやさぐれた気分にもなるだろう。
だから私は考えた。
これから先の人生、何年何十年続くのか、楽ありゃ苦もあるのか、どんな状態で生き長らえるのか分からない。
孤独に辛い思いをするかも知れず、あいかわらずオタクぶりを発揮して一人楽しく暮らしているのか、意外に早く死ぬのか。
ただ、生ききった最後の最後に、「お楽しみ」を一つ用意するのはどうかと思ったのだ。
- 隠し部屋 死後のお楽しみ
-
四つの部屋をめぐった。
結論は消滅?
ああでもないこうでもないと考え、あちらこちら巡った結果が消えて終わりとは、ちょっとむなしいや、なんて思っていると、ふと回廊の隅の壁に目立たない切れ込みが入っているのに気がついた。
よく見ると、子どもの背丈ぐらいの小さな扉があるではないの。
まさかまだ続きがあるとは思わなかったと、わくわくしながら背中を丸めて、どうにかくぐって入ってみる。
よいしょと立ち上がり、顔を上げて、はっとする。
そこに拡がるのは一面の海だ。
打ち寄せ、足もとを洗う波。
きらきらときらめくソーダ水の色。
はるか遠くに霞む水平線。
これは楽しいと、柄にもなくはしゃいでしまう私。
死後の楽しみといっても、実際にわたしの骨がそれをエンジョイするかどうかは分からない。
死後、私たちがどうなるのか、なんて誰も知らないのだ。
私は無だと思っているが、それが正解とも言い切れない。
エビデンスがないからな、エビデンスが。
さあ、そろそろこの旅もフィナーレだ。華々しく幕を引こうではないか。
よし、決めた。
わたしの骨は海へ行く――。
これで決まりだ。
骨よ、喜べ!
お前は海へ行けるのだ。
何故、海か?
まず、私は海が好きだ。
特に深海の濃いブルー。
しかし、私にとっての海は遠くにありて思うものなのだ。
暑いのが苦手なので今さら海で遊ぶということはまずない。
また、私は元暗黒系のバンドマンなので身体の露出を厭うタイプの人間である。
ある種、信仰上(‼)の理由により、黒く長く、ずるずるした服を着ているのだ。
もちろん、お見せできるようなスタイルではないという切実な理由もあり、諸々あって水着なるものを着るわけにはいかないのである。絶対に。
最後に海に入ったのは、多分、三十代ぐらいに友人と行った奄美大島だった。
当時は今でいうラッシュガードの上下に救命胴衣をつけてシュノーケリングで海に浮かんだが、今、あれをやる元気はない。
まかり間違って海水浴に出かけたとしても厳重に肌を隠し、パラソルの中から汗だくで海を眺めることしかできないだろう。
何の苦行だそれは。
つまり、私にとって、波間に浮かび、漂うことは、もはや生きている間には叶わぬ夢なのだ。
その点、骨ならば身軽だ。水着の心配もない。
波間を漂い、海流に乗って世界中旅することもできるだろう。
骨を完全に消し去ることは不可能ではないが、確かにそれってただの断絶だよなあと思う。
その先には何もないのだ。
誰の記憶にも残らない。
だから断絶ではなく、循環の中に入る。その方がよっぽど楽しいのではないだろうか。
骨を海に託せば、水に溶け、風に運ばれ、雨となってふたたび大地に戻る。
消えるのではなく、姿を変えて巡り続けるのだ。
そういえば、私の小説の中に、海について描いた場面があるので少し抜粋してみよう。 - ◆
-
小笠原の陽光は眩しく、海は青くどこまでも深い。
かつてあの幻想のスノードームを満たしたバタフライピーのゼリーと同じ色だ。群青、瑠璃、藍。深く深く沈んだ先は音のない闇。
(中略)
いつか深海で眠る。
ふと目覚め、黒い水底から水の色を逆に辿って光ある方へと浮かび、漂う。陽光が波に刻まれ、たぷたぷと揺れるだろう。
水はあたたかく、途方もない安らぎをもたらすのだ。
通りすがりに気が合って少し時間を共にしただけの友人――。自分たちの関係を説明するのにこれほどぴったりした言葉はなかった。
ただ思い、支え合う。
この先の道は分かれているのかも知れない。
それでもいつの日か、大海原のどこかで再会した時に、自分は精一杯頑張ったのだと互いを誇れるよう、自分らしいやり方を探して生き抜いていくのだ。 - ◆
-
昨年上梓した小説『深海のスノードーム』の一節、ある人物の散骨のシーンだ。
ここで散骨をしているのは故人の家族ではない。たまたま出会い友情を育むことになった人たちだ。
考えてみれば、あれは私自身の願望でもあったのだ。
人知れず消えてしまうよりも海を目指す。
これから先、そんな風に私を海に運んでくれる友人に出会えればいいし、そうでなくともこの本に書いたいくつもの知識を駆使し、誰かを捕まえるか、行政を動かして新しい制度を作るかして、何とか海に撒かれるようにしたい。
もちろん簡単なことではないだろう。
越えなければいけない障害、一の壁、二の壁、三の壁、死後事務委任だとか後見人だとか、乗り越えなければいけない課題が山のようにある。
できることをやり、できないことをできるようにするための方法を模索していく。
いつか海に行く日を楽しみに、私はこれからの人生を歩んでいこうと思うのだ。
- 私は海へ行く
-
四章の終わりに、私はこう問いかけた。
祈りとは何か、と。
その答えは思いのほか身近にあった。
私の骨は誰かの祈りの対象にはならない。だから火葬場でひっそりと消えてかまわないと思うのも事実。
けれど、私が最後に心の底から望むのは自然の中に還ることだった。
いずれ私は、両親の骨を彼らの希望通り海に撒くだろう。
私が生きている間には海を見て、または風、雨に、懐かしい両親や他の死者たちの存在を感じることだろう。
だから私は海へ行く。
私の骨は波間を漂い、深海に沈み、やがて浮上する。
空を見上げ、時に風になり、海を渡る。
雨や大気に混じり、ふるさとの国に降り注ぐこともあるかも知れない。
それは誰にも抱かれず、誰にも祈られない骨になる道だ。
けれど、同時に誰からも祈られる道かも知れないとも思う。
消え去るのではなく、自然の中に還るのだ。 
-
そして、いつか、同じ船にいた懐かしい武将たちとすれ違うかも知れない。
その時、骨はどんな会話を交わすだろうか。
私の骨は役割を担うことはないだろう。
それでも私が死んだあと、もし誰かが私のことを考えてくれるのならば、海の水や風の中に私を見出してほしいのだ。
海は私の最後の居場所であり、生命のはじまりの場所でもある。
だから私は海へ行く。
宗教を介さずとも祈ることはできる。
それは先を歩き、先に死んでいった誰かを通して、自分自身と対話することなのかも知れない。
その時、私の骨はふたたび輪郭を描き始めるだろう。
いずれ誰からも忘れられ、形を失ったとしても、私は自然の中に存在し続けるのだ。
さて――。
私は海を選んだ。
あなたはどうだろうか。
役割を持つ骨として誰かに守られ続けるのか、誰からも顧みられることなく、ひっそりと消えるのか。
たとえば、墓に眠る?
たとえば、うつくしい木の下で自然に還る?
たとえば、家族の胸に抱かれ続ける?
あるいは、海を?
それとも、いっそ宇宙へいく?
あなたの骨はどこへ行きますか?
これはあなた自身の物語の最終章なのだ。 - (了)
- 『わたしの骨はどこへいく?』をご愛読いただき、誠にありがとうございました。
筆者の安田依央さんから、読者の皆様にメッセージです。↓↓↓ -
旅をともにしてくださったあなたに、心よりの感謝を。
物語は幕を閉じても、骨たちの時間はまだつづいています。
夜の商会では、よる猫と管理人が、
静かな灯のそばで、次の頁をめくっています。
どうぞ、夜の扉をそっと開けてみてください。
note「骨屋よる猫商会」
https://note.com/honeya_yoruneko
安田依央
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第13回(最終回)
最終章 わたしの骨はどこへいく ②
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第一章 骨への遠き道のり①
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第1回
序章 ~骨、尊くて時々やっかい~
更新日:2025/06/18

- 著者プロフィール
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安田 依央(やすだ いお)
1966年生まれ、大阪府堺市出身。関西大学法学部政治学科卒業。ミュージシャン、女優、司法書士などさまざまな職業を経て2010年、第23回小説すばる新人賞を受賞して小説家デビュー。著書は『たぶらかし』、『四号警備新人ボディーガード』シリーズ(いずれも集英社)、『出張料亭おりおり堂』シリーズ、『深海のスノードーム』(いずれも中央公論新社)など多数。
『終活ファッションショー』、『ひと喰い介護』(いずれも集英社)は司法書士として依頼人の終末に関わってきた経験をベースにした小説。
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序章 ~骨、尊くて時々やっかい~
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