
独身、一人っ子、親戚づきあいなし。
作家・安田依央は、還暦を目前にして、はたと考えた。
「自分は死後、無事に骨になれるのか?」
人は死んだら、自動的に骨になれるわけではない。
また骨になれたとして、誰かしらの手を煩わさずには
どこかに葬られることもない。
元司法書士として、人々の終末に深く関わってきた筆者が
ずっと後回しにしてきた自らの行く末。
孤独死、孤立死……年間2万人以上の人たちが
誰にも看取られず死にゆく長寿大国・日本。
長年ほったらかしにしておいた宿題にとりかかるかのごとく、
「終活のプロ」が、自分の「骨の行方」を考えるエッセイ。
第7回
【ほねの後】
第三章 墓は消え 骨は残る ①
更新日:2025/08/20
- やったね、骨になった!
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さて、多くの難関を突破し、晴れて私も骨になったとしよう。
バンザイ! やったね。いや、ここへ来るまでにはホント大変だったよーと言いたいところだが、喜ぶのはまだ早い。
この本の真の目的、骨はどこへいくのか?
最大の問題はここから始まるのだ。
例によって、私のifだ。
どうにか壁を乗り越えて、無事骨になれた。
火葬場の炉の上でホカホカ、ばらばらの状態で寝そべっている。
だが、この骨は誰かが拾わなければそのままだ。
といっても、昨今はどこの火葬場も混み合っている。首都圏では特にひどく、時期によっては十日待ちなんてこともあるそうだ。
いつまでも優雅に寝そべっているわけにはいかないのだ。
次の人が待っている。
まあ、人々の善意、そして色々と仕組みや何かを総動員して、どうにか骨壺に収まることもできたとしよう。
骨壺の中で、しみじみとこれまでの人生を顧みて感慨にふけるのである――。
いやいや、待て待て、骨。何をのんきにしてるんだ。
お前、これから先どうするんだよ。とんでもなく大きな問題が目の前に立ちはだかっているんだぞ。
いわば、骨の身の振り方である。
- 母のこと
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実を言うと、この連載中に私の母が亡くなった。
もう長い間、意思の疎通も難しかったし、去年の夏にはかなり危ない状態にもなっていたので、覚悟はしていた。
寂しいのは寂しいが、最後は食事も取れず、点滴をつながれていた母だ。
ようやく楽になったんだなと、少しほっとしてもいる。
長らく帰ることのできなかった自宅に、母は骨になって戻ってきた。
現在、母のお骨はリビングに安置してある。
当面はここに置いておくつもりだ。
この骨をどうするかは私の背負う宿題の一つだ。
何しろ、父の希望は母の遺骨を手許に置いておき、自分が死んだら一緒に散骨してほしいというものなのだ。
まあ、それはいいのだが、もし私が先に死んだらどうするつもりなのだ、元カリスマ。
きっと父は骨壺を二つ抱えて途方に暮れることだろう。
- 墓なき家の漂流骨
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お墓はどうした? と思われただろうか。
我が家に墓はない。
安田家は元々愛媛県の吉田という小藩の出身だが、廃藩置県によってその地を離れている。
余談になるが、私の曽祖父は浄瑠璃に凝って身上を潰したらしい。私がオタクなのは隔世遺伝かも知れない。
曽祖父母は跡継ぎのなかった安田家に夫婦養子に入っており、そこに眠る安田家の祖先と私たちの間には血縁関係がない。
家名を守っていかなければならなかった(というほどの名家ではないが、「家禄」という、代々、家に対して与えられる給与があるため家を存続させておく必要があった)時代から時が経ち、家の縛りが弱くなってくると、苗字が同じだけのご先祖は遠い存在になっていく。
お墓参りはおろか、私は吉田の地(現在は宇和島市の一部)に足を踏み入れたことさえない(機会があれば行ってみたいとは思っているが)。
一応、そういうことを疎かにしない叔父が供養の策を果たしたようなので、そこはまあいいのではないかと思う。
では安田家は全員、墓なしの漂流骨としてさ迷っているのかというとそんなことはない。
この叔父が父方の祖父母に託される形で京都の某有名寺院にお墓を建てている。
父は長男だが、私と同じく変わり者なので、色々あって、このような結果となった。
何しろ曽祖父がそんな人だし、父方の祖母は開拓時代の北海道の出身だ。
先祖代々の土地を守ってきた人たちに比べるとかなりリベラル寄りの家だったとは思うが、それでもまだまだ長男に重きが置かれていた時代にこの結論である。
このあたりの経緯については、私には色々と悶着があったのう、という記憶しかないが、もしかすると、叔父の家に男子(私のいとこ)がいたことも関係しているのではないかと今になって気がついた。
あらあら、そうなの。でもね、お墓は家ごとのものだから、あなたたちにはそもそもそこに入る権利はないのよと、しきたりに詳しい、お墓警察の方々に言われるまでもなく、父も母も、もちろん私もそこに入るつもりは一ミリもない。
じゃあ、あんたたちのお墓を作ればいいじゃないかと思われるかも知れない。
収容人員は三名だ。
父、母、私。
で?
お墓を建てたとして、そのあとどうする?
私は来年、還暦だ。どんなに長生きしたとしても残りは四十年程度だろう(できればそんなに長く生きたくないが)。
うまい具合に父が先に死んだとして、最後の収容者、つまり私が死んだ時点でこの墓に参る人も、管理する人もいなくなる。
というか、父であれ、私であれ、三人目はかなり危うい。
ここまでさんざん書いたとおり、誰が骨にしてくれるのか、誰がその骨を拾い、お墓に納めてくれるのかという問題があるからだ。
一の壁、二の壁というあれだ。
せっかくお墓を用意しても、そこまでエスコートして納めてくれる誰かの存在なしには、入ることさえできないのだ。
- 荒れる墓
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まあ、仮に何とかお墓を作ったとして、誰かの手を借り、三人目の私まで無事入ることができたとしよう。
だが、このお墓、誰も参る人がいないのだ。
花は枯れ(そもそも、その花は誰が供えてくれる?)、草ぼうぼう。見るも無惨な荒れ放題となるだろう。
まあ、生きている今でも掃除が苦手な私だ。
(人間、ほこりがたまったぐらいでは死なへんがなとか言ってサボっているうちに、ほこりどころじゃない汚れが蓄積されていくのだ)
別に外観が多少荒れていても構わないが、ご近所墓のお参りに来た人が不快に思われたり、哀れさに目を背けたりするかも知れない。
これはちょっと迷惑かもと、人に迷惑をかけたくないと生きてきた私は思うのだ。
- 無縁墓は他人事ではない
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ところで、お墓というのは永久にそこにあるものなのだろうか?
まあ、そうとも言えるし、そうではない場合もある。
これは子孫が承継していれば、という条件付きなのだ。
そもそも、「お墓を買った」という言い回しをすることが多いので、何となく土地付きのような気がするが、実はそうではない。
墓石には所有権があるが、墓所については借りている形がほとんどだ。
永代使用権を買ったというのが近いだろうか。
あれ、実は自分の土地ではないのである。
使用料とは別に発生する管理費が滞った時点で、そこは無縁墓となり、関係者は名乗り出るようにと記された立て看板が立つことになる。
一定期間経って、誰も名乗り出なければ、中のお骨を納骨堂や別の場所に合祀して、更地にして新たに販売するケースが多いのだ。
考えてみれば、この狭い国土の中、しかも墓地として運用されている土地の面積はわずかなものだ。
いつまでも占有されていては次の人が入れない。
子孫の代までつつがなく「家」が続き、お墓を守っていく人員がいればいいが、そうでない家はやがて明け渡しを求められる。
すべての人に未来永劫の眠りを約束していては、やがて日本全土が墓所になってしまうのだ。
そんなわけで、私。
とりあえず、十数年か数十年かの安寧のためにお墓を建てる?
誰も来ないのに?
いや、いらんやろ。
- お墓は何のためにあるのか?
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そもそも、何のために墓を作る必要があるのだろう。
お墓というものには二つの役割がある――と私は考えている。
一つは骨を納めておく場所、もう一つはお参りするための場所だ。
これについては、「両墓制」というのがあってだな、と民俗学好きの私はついうんちくを披露したくなるのだが、長くなるのでこれはまた別の機会に譲るとしよう。
- 祖霊信仰と手を合わせる場所
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多くの日本人の死生観の根底にあるのは、祖霊信仰というものだ。
詳しい説明は省くが、要は墓参りをしてご先祖様に手を合わせるもの。
亡くなった人たちは、やがて先祖の霊となり子孫を見守っていくのだ。
なるほど、これはどこかに手を合わせるための場所が必要だ。
この祖霊信仰というのはとても美しい。
地域によって異なるが、基本的に亡くなった人の魂は清められ、山や海にある死者の国へ行き、田畑や子孫を見守るとされている。
古きよき日本の原風景を見る思いだ。
だから、都会へ働きに出ている者たちも盆や正月には帰省して、墓参りをしたり、仏壇に手を合わせるということが行われてきた。
そう、少し前までは――。
- 都市と墓の分断線
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この祖霊信仰が自然に根付いていたのは、生まれ育ち、死んでいく場所が地続きでつながっていた時代だ。
家、土地、血縁、そして死後が連続していたからこそ、墓は祖霊の依(よ)り代(しろ)として実感をもって機能していたのだ。
だが、今では人々は生まれた土地を離れ、都会で暮らし、生きる場所と死ぬ場所、骨のあるべき場所も別々になっていく。
骨が魂を宿すという感覚自体が揺らぎ始めているのかも知れない。
- 墓じまい
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現在の日本は少子高齢化、人口減少、そして一極集中というキーワードで語られるように地方は衰退する一方だ。
逆に言うと、過疎化、耕作放棄、限界集落だろうか。
気が重くなるような言葉ばかり並んでしまう。
人口流出が始まったのは戦後の高度経済成長期、若者たちが労働力として都会に集ったことからだ。
集団就職とか金の卵とか言われたそうだ。
彼らは都市部で働き、そこで家庭を築いた。
年齢的には私の両親の世代にあたる。
その後、核家族化が進み、両親と子どもで構成される世帯が主流になった。
現在は彼らの子どもの世代、孫の世代が世の中の中心となっているわけだ。
この場合、故郷にきょうだいの中の誰かが残り、意識的に家を継続していかない限りは、都会から見たふるさとはどうしても遠い存在となっていくだろう。
世代が下がるにつれ、その傾向はますます強くなっていく。
親の世代は現在七十代後半から八十代だ。
加齢とともに、墓参りのためだけに帰郷するのが辛くなるのは当然で、自分たちの住む都市部に墓を移したいと考える人たちが増えているのだ。
いわゆる墓じまいと呼ばれるもの。
これがまた色々ハードルが高い。
お寺ともめたとか、多額の離檀料(りだんりょう)を請求されたとか、様々な話を聞く。
確かに、お寺にとって檀家が離れていくのは死活問題で、その結果、地方の寺院がたちゆかなくなってきている。
それでも、墓じまいの希望者が激増しているのが現実なのだ。
(第三章、第8回につづく)
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- 著者プロフィール
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安田 依央(やすだ いお)
1966年生まれ、大阪府堺市出身。関西大学法学部政治学科卒業。ミュージシャン、女優、司法書士などさまざまな職業を経て2010年、第23回小説すばる新人賞を受賞して小説家デビュー。著書は『たぶらかし』、『四号警備新人ボディーガード』シリーズ(いずれも集英社)、『出張料亭おりおり堂』シリーズ、『深海のスノードーム』(いずれも中央公論新社)など多数。
『終活ファッションショー』、『ひと喰い介護』(いずれも集英社)は司法書士として依頼人の終末に関わってきた経験をベースにした小説。