
独身、一人っ子、親戚づきあいなし。
作家・安田依央は、還暦を目前にして、はたと考えた。
「自分は死後、無事に骨になれるのか?」
人は死んだら、自動的に骨になれるわけではない。
また骨になれたとして、誰かしらの手を煩わさずには
どこかに葬られることもない。
元司法書士として、人々の終末に深く関わってきた筆者が
ずっと後回しにしてきた自らの行く末。
孤独死、孤立死……年間2万人以上の人たちが
誰にも看取られず死にゆく長寿大国・日本。
長年ほったらかしにしておいた宿題にとりかかるかのごとく、
「終活のプロ」が、自分の「骨の行方」を考えるエッセイ。
第5回
【ほねの前】
第二章 腐らず骨になれ ②
更新日:2025/07/23
- (承前)
お次は、少し話が逸れるが、医療について。立派な骨になるためにはこれも避けて通れない話だ。
- 入院に必要な「誰か」
- 何とか運良く、生きた状態で病院に運ばれたとしよう。
しかし、次なる関門が待ち受けている。
入院となったあなた、まず必要となるのは保険証、そしてもうひとつ、自分以外のピチピチと生きた人間だ。いや、実際には別にピチピチしてなくても多少くたびれていても生きていればいい。
その人間とはいわゆる保証人とか身元引受人とかいわれるもの。こいつを用意しないといけない。
ここでいう保証人や身元引受人には大きく分けて、二つの意味がある。
まず、料金の支払いが滞った際の保証、そして死亡した場合に遺体を引き取るものだ。
- 親族がいない時、保証人には誰がなる?
- 病院の支払いといったって、高額療養費制度なんてものもあり、そんなに高額にはならないでしょと思うが、(差額ベッド代なんかがあったらそうでもないか)じゃあ、友人にそれを頼めるかというと、私のような人間の場合なかなか難しい。
もし、自分と同じ境遇の身寄りなき立場の友人がいれば、お互い様だな、で頼みやすいが、残念ながら私の周囲にいるのは、家族のいる、つまりは身寄りのある人ばかりだ。
迷惑をかけることはないと決まっていても、お金の絡むことは非常に頼みにくい。
こういう時、親族というのは便利だよなあとつくづく思う。あ、いや、便利というのも語弊があるな。ありがたいと言い直しておこう。
ましてや後者の仕事は遺体の引き取りである。
病院は医療を行う場所なので、死ねば最後、遺体は管轄外または対象外となってしまう。
なる早でお引き取りくださいと言われてしまうのだ。
もしも死者が事前に葬儀社を決めておかなかったとしたら、誰がどこにどうやって運ぶのか。身元引受人は遺体を抱えて途方に暮れることになるのだ。
誰に頼むよ、こんなの?
「俺が死んだ後のことはお前に頼むぜ」なんて言える相手は現実にはそうそういるものではない。
例によって「身寄りのない」人間はどうすればいいのだろうか。
これについては厚生労働省が、保証人なしでも入院できるよう通達を出したのでかなり改善されたものの、実際の現場では、依然として入院を拒否されることがあるようだ。
保証人サービスというものもあるが、だいたい任意後見や死後事務委任契約とセットになっており、かなり高額だ。
そもそも入院した際に必要なものは支払いと亡くなった際の遺体の引き取りだけではない。
たとえば、ちょっとした身の回りの物も自分では買いにいけないこともあるだろう。
そんな時、「誰か」がいないと、本当に辛い。
- 医療の希望をどう伝えるか――延命しないでと伝える方法と限界
- 病院で自分以外の誰かが必要になる局面はまだある。
医療の希望をどう伝えるか、だ。
延命治療はしてほしくないとか、逆にこの世に存在する限りの治療を施してほしいとか。
自分で伝えることができる状態ならいいが、病院に運び込まれた時点で意識がなかったらどうするんだという話だ。
私ならば助からないと分かった時点で、それ以上の延命を望まない。
延命行為なしで生きられないのなら、その時点で死を待つのが自然な姿だと考える。
意識が戻ることもないまま生かされ続けても誰も喜ばないし、そもそも会いにくる人もいないだろう。
だが、これは非常に難しい問題だ。
病院は医療の場であり、医師は人の命を救うために全力を尽くす。
それはたとえ患者が身許不明であっても、身寄りのない高齢者であっても同じだ。
仮にその医療を望まないのであれば、明確な意思表示が必要になる。
よほど分かりやすい形にしておかないと、実現しないのだ。
去年、施設にいた母が脳梗塞を起こし、続いて新型コロナに罹患し、誤嚥性肺炎を起こし、と数回入院したが、その度に延命の方針について確認された。
母自身はもう自分で意思表示ができないので、父と私が代わって決定し、伝えている。
無理な延命はしないでほしいというものだ。
だが、いつか来るかも知れない私のXデーに、代わって答えてくれる人はいない。
※ここから少し解説が続くので、読み飛ばしていただいても構わない
考えられるのは治療方針や延命について書面で指示を残すもの、いわゆるリビングウィルと呼ばれるものだが、これが想像以上の難関だ。
まず法的に絶対的な効力を持つものではない。現在の日本には、根拠となる法律が存在しないからだ。
チラシの裏の走り書きではまず通用しない。
医師も親族による訴訟リスクや、延命を中止したことで罪に問われるケースもあるので慎重にならざるを得ないのだ。
今のところ、もっとも有効なのが公正証書にしておくことだろう。
しかし、ではこの公正証書。はたして肝心な時にうまく機能するのだろうか。
倒れたのが自宅なら、駆けつけた救急隊に、冷蔵庫で公正証書が冷えてるんで、と伝える猶予があるかも知れない。
では路上で倒れて運ばれたらどうする?
いちいち公正証書を持って歩くのか?
冗談じゃなく常に首から提げておくとか何かしないとダメそう。
厚生労働省や日本医師会も手をこまねいているわけではないようだが、まだまだ日本人の死生観がまちまちで、延命中止や終末期医療に関するコンセンサスが得られず、全国津々浦々まで統一した仕組みを作れる状況ではないようだ。
事前に医療機関と話し合っておくという手もあるようだが、それは治療期間があればこそだ。
私のように特に持病もない人間が急に倒れて命の危機にさらされた場合はどうしようもない。
「いやあ、今は健康なんですけどね、万が一の治療方針について話し合いをしたくて。ははは」などと近くの病院を訪ねて行っても迷惑なだけだし、いざという時、その病院に運ばれる保証もない。
欧米では医療代理人という制度があるそうだ。我が国でも是非この制度を作ってほしいが、では、その代理人はどこの誰だ。誰に頼めばいいんだという問題が再び立ち上がってくる。
- 垂涎のヨコスカ
- これについては、神奈川県横須賀市の取り組みが先駆的で、私は常々めちゃくちゃうらやましいと思っているところだ。
横須賀市はいわゆる終活のサポートに力を入れており、いくつかサービスがあるのだが、その一つが終活情報の登録だ。
緊急連絡先や身元引受人、リビングウィルやエンディングノート、遺言書などの保管場所を登録しておく。
いざという時には、警察や消防、医療機関などの照会に対して情報を開示してくれるというものだ。
大変うらやましいが、横須賀市民さま限定だ。
他の市町村でも追随する動きがあるが、自分の居住地になければどうしようもない。
早くうちにも作ってくれと、投書でもするしかなさそうだ。
- 死亡届は誰が出す
- さて、病院に運ばれたか、延命されたかされなかったかは知らないが、とりあえず、私は死んだ(このフレーズを書くと、どうしても昔懐かしい携帯小説を思い出してしまう。スイーツ(笑))。
ようやく骨に近づいてきたが、次に問題になるのは火葬場までどうやって行くか――の前にもう一つ、重大な問題がある。
死亡届と火葬許可の申請を誰が出してくれるのか、だ。
死亡診断書をつけないといけないので、あらかじめ予約送信機能を使って、このメールが届いているということは、私はもうこの世にいないのでしょう。つきましては死亡届を提出しますのでよろしくね、とかいうわけにはいかない。
そして、この死亡届。実は提出できる人間の範囲が決められているのである。
ざっくりいうと、親族、同居者、家主などだ。
では、私の場合で見てみよう。
親族ナシ、同居者ナシ。
賃貸住宅や施設ならばそこから届け出てもらうことも可能だが、これ、持ち家だとまったく誰もいないことになってしまう。
じゃあどうするんだという話だ。
ただ、光明というべきか、実はもう一つ、届け出可能な人物属性がある。
それは後見人だ。
- 成年後見って何? ――なる前となる後で違うんだ
- 後見人というのはもしかすると言葉ぐらいは聞いたことがおありかも知れないが、その実態はなかなか知られていないのではないだろうか。
※ここからまたしても説明パートになるので、面倒な方は薄目で読んでくれ
後見人は簡単にいうと、本人に代わって意思を決定し、法律行為をおこなう人だ。
大きく分けて、二種類ある。
法定後見人と任意後見人。
詳しい説明は省くが、ざっくりいうと、認知症などで意思能力がなくなった、判断能力がなくなった後で裁判所がつけてくれるのが法定、なる前に自分で決められるのが任意。
任意後見は自ら後見人を指定して、事前に契約を結んでおくもの。
ただ、これ、自分は明日から認知症や意識不明になると事前に分かっていることはあまりないので、タイミングが難しい。
不安を感じたところで動くのがベストだろうか。
遅すぎると、なんだあんたもう意思能力ないじゃん、そんなんじゃ契約できねえよ、と判断されてしまうことがあるので望む人は早めに動いておいた方がいいだろう。
対する法定後見は、もう自分では意思を表示できなくなっているのが前提で、親族などから家庭裁判所に選任申し立てを行うものだ。
いちおう、知り合いなどを候補者として挙げることはできるが、財産処分を伴うようなケースでは弁護士、司法書士などの専門職が選ばれることが多い。
この場合、まったく知らない人が後見人として登場してくるし、当然、仕事なので報酬が発生するという次第だ。
- 後見人は絶対に必要か? 頼れる家族がいる場合 ――家族がいれば後見人はいらない?
- 家族がいる場合、認知症になってしまった、寝たきりで意思表示ができないとなったからといって、絶対に法定後見を申し立てなければいけないというものではない。
私の母の場合もそうだが、医療や暮らしなど身の回りの些細なことなんかは、特に権限がなくても家族が代わってするケースが多い。
よほどの資産家であるとか、経済的虐待が疑われるケース、または子世代兄弟姉妹の仲がこじれていたり、横領疑惑などがあり、本人名義の金銭の支出についてはすべて明らかにしなければいけないといった事情でもなければ、あえて後見人を立てる必要がそもそもない。
そう、ここでも親族無双なのだ。
では、親族がいるのに後見人が必要になるのはどんな時かというと、たとえば当人より先に亡くなった人の相続に関する話し合いや、所有している不動産の売却など、重要な法律行為の際だ。
意思能力がないと、その人がした決定や契約は無効とされてしまう。本人を守るための制度なのだ。
さて、その相続や売却が終わった。あ、じゃあもう後見人の方は用済みなので、お引き取り願いましょうと思っても、そうはいかない。
この先ずっと、この人が後見人なのだ。
お金の管理も後見人がする。
施設入居を巡って、家族と考え方や方針が対立し、トラブルになったという話もある。
家庭裁判所には後見人候補のウエイティングリストみたいなものがあり、そこから順に選ばれてくるのだ。家族とそりが合わないケースだって当然出てくる。
そんなぁ、後見人ガチャ?
それじゃあ任意後見一択じゃんと思われただろうか。
私もそう思う。
- 任意後見ってどんな感じ? ――なる前に自分で選んでおく「誰か」
- 任意後見では、後見人が本人に代わって行う代理権の内容も詳細に決めることが可能だ。
お金の管理はもちろん、たとえば入居する施設の選定だとか、医療や介護に関する契約もできる。死亡届も出せる。
ただ、後見人は医療に関する意思表示を代わってすることはできないし、実は遺体の引き取りの義務もない。
これに関してはあとで出てくる死後事務委任というのを別に用意する必要がある。
- 任意後見人には誰がなる ――誰に頼む? 人選が難しい
- 任意後見は認知症などに「なる前」なので、自分で後見人を選べる。
しかし、ここで、またしても例の問題が立ちはだかるのだ。
誰に後見人になってもらえばいいのか、だ。
別に任意後見人になるのは親族でもいいし、友人知人でもいい。
報酬も必ず必要なわけではない。
ただ、認知症等で任意後見が発動すると、家庭裁判所に監督人をつけてもらわなければならない。
そして、当然、自分のものではない財産を管理するのだから、きちんとした報告が義務づけられている。
仮に親しい間柄であったとしても、何かと煩雑な手続きがあるので後見人に報酬を渡せるよう取り決めておいた方が良いかも知れない。
- if・選んでみよう、任意後見人 ―― 私のifで考えよう。
- 再び、私のif で考えてみよう。最近、なんや物忘れがひどくなってきたのう、これはいかんと思った私が任意後見を考えたとする。
言わせてほしい。どこの誰だよそれは、である。
私は誰にも頼りたくない、迷惑をかけたくないというスタンスで生きてきた人間だ。
簡単に後を託せる相手がいるわけない。
もうこうなりゃ、何か知らんが危険な任務について、命を預け合うバディを得、「後のことは頼んだぜ相棒」というシチュエーションに持ち込むしかないと考えてみたが、この年で危険な任務につくのも難しそうだ。
第一、ついたところで命を預け合う相棒が見つからなかったら、一人で孤独なまま危険な任務に従事して終わりではないか。何だそれ。
後見人に望む条件を挙げるとすればこうだろうか。
「全面的に信頼できて、私のことをよくわかってくれていて、親切な人」
もうね、二つ目で無理。
なんでかって?
フッ、俺の手の内を見たヤツは死ぬぜ、ではないが、そう簡単にさらけ出さないから自分を。
そういうのは家族だとか恋人だとかパートナーだとかがいる人の話じゃないのか? 知らんけど。
いきなり道行く人を捕まえて、全面的に自分をさらけ出すわけにはいかないし。
そんなの、コートの前を開けて、ご開帳とやる変質者ぽくてこわいじゃん。
やはりそのような相手を持つためには自分も頑ななだけではいけないのだろう。
でも、考えてもみてほしい。
後見人になってくれる人を探すために急に深い親交を求めても、そんな適当な相手はいない。
私の人生には恋愛や結婚というピースが欠けているので、そこから派生する分かりやすい信頼関係というのがないのだ。
まあ、恋愛しようが結婚しようが、信頼できる相手ばかりとは限らないだろうけど。
そういうベースというか枠組みがないと、危険な任務のバディとかいうぶっ飛んだ極限状態が必要になってくるわけである。
- if・迫り来る悪意 ――親切すぎる人に気をつけろ。任意後見の落とし穴
- ここで注意しなければいけないのが、悪意のある人間の接近である。
ふたたび私のifだ。
何も準備していない一人暮らしの老人、私。
明日、明日と先延ばしにしているうちに、いつの間にか時が経ってしまっていた。
これ、あり得るのだ。
私は夏休みの宿題を最終日まで残すタイプの子どもで、その魂は今に引き継がれているからだ。
任意後見人? 面倒くさい、誰だよそれは、いねえよそんなヤツなどと言っている間に時間はどんどん過ぎていく。
そんな先延ばしの結果、何もできていないまま気がつくと、私は八十を超えていた。
頼れる人はいない。危険な任務につかなかったので、バディに命を預けるイベントが発生しなかったからだ。
今日は精密検査が必要といわれたので、一人で大きな病院に来た。
何だか最近心細いのよ、と感じながらも甘えは許されないので、待合室で一人ため息をつく。
つい先日は道に迷ってしまった。
以前は見知らぬ街に降り立っても、野犬のような嗅覚で目的地にたどり着いていたのに。
おまけに体調が悪く、ここまで来るのも一苦労だった。
この先、どうしたらいいのかしら、と不安で迷子のような気持ちになる。
手先も不器用になっている。すると、落としてしまった診察券を拾ってくれた中年の女性が話しかけてきた。
優しげな笑顔だ。
その人はうんうんと頷きながら、とても親身になって私の身の上話を聞いてくれた。
そして言う。
「もし、よければ何かお手伝いさせてくれませんか」
「は? いや、そんな。見ず知らずの人にそんなの悪いですよ」
「そうですよね。あなたにとっては見ず知らずですよね。でも、ごめんなさい。失礼だったら申し訳ないんですけど、あなた、亡くなった母にとても似ておられて。何だかひとごとだと思えなくて。ついお声をかけてしまいましたの」
「あら、そうだったの」
一気に警戒心が薄れる。
今、現在の私ならばきっと胡散臭く感じるだろう。
だが、目も悪くなり、耳も遠く、ほんの少しの表情の違和感だとか、声色に隠された嘘なんてものを見分ける力はもうない。
色んな気づきが鈍くなっているのだ。
その日を境に彼女は何くれとなく世話を焼いてくれるようになり、彼女の勧めもあって任意後見契約を結んだ。
そんなある日、まだ頭はしっかりしているのに、気がつくと認知症であることにされており、任意後見がスタートしていた。
私はベニヤ板で囲まれただけの空間を個室と呼ぶ、劣悪な老人施設に放り込まれ、助けを呼んでも誰も来ない。
隣もその隣も、みんな同じ境遇の老人たちだからだ。職員に何を訴えても、にやにや笑うばかりだ。
どういうからくりなのか、財産はすべて吸い上げられ、死んだ時には私名義のものは何も残っていなかった。
これは架空の話、現代の怪談ですよと言い切りたいところだが、残念ながらそれはできない。
現実にあり得ることだからだ。
病院でカモを探している人がいるのは実話なのでぜひ気をつけてほしい。 - 怪談ついでにもう一つこわい話をしておこう。
これが妻に先立たれたり、独身でいる男性の場合なら、後見人なんてまだるっこしい立場ではなく、妻となって乗り込んでくる可能性もある。
少し前、後妻業として話題になったあれだ。
もっとも、今の時代、働いて財をなす女性も多いので、決して男性だけの話ではない。
これ、何がこわいって、結婚してしまえば、後見どころの騒ぎではないのだ。
さんざん言っているとおり、親族は最強だ。
契約などなくとも無条件に強い力を持つ。
配偶者を含む親族とはある意味、自分で意思表示できない立場の人、あるいは死者の処遇を決める最高権力者なのだ。
誤解を恐れず言うが、親族、特に配偶者と子どもにできないことはない。
医療行為から身許の確認、死体の引き取り、死後の色々まで、別に委任状なんてなくてもできてしまうのが親族というものだ。
我々身寄りなきもの同盟が何とか代わりになるものをと、制度はないか、誰かいないかと躍起になって探し回っているものがここにはあるのだ。
とはいえ、長年の信頼関係があればまだしも、相手の人柄を見極めないうちに誰かにその権力を渡すとはなかなか勇者だのう、というほかないだろう。
後見などと違い、家庭の中で何が起こっているかを監督するシステムはない。
親戚づきあいをしていない、もしくは親族を持たない、さらには友人とも距離があるような場合、外部の目から完全に遮断されてしまう。
悪意を持った人間からすれば、より自由度が高いのだ。
身体や心が弱り、心細さから誰かに頼りたくなるのは人情だが、だからといって、安易に甘い誘いに乗らないようにしたい。
――といったって、無理だよね。人間は弱い生き物だ。
やはり、公的な支援や見守り制度を充実させて、心細い思いをさせないような仕組み作りを考えるべき時にきているのだ。
- では、専門職に頼む? ――弁護士や司法書士なら安心なのか?
- まあ、あんまり警戒しすぎてもよくないが、知人や友人に自分のことで迷惑はかけたくないしなあと言う方も多いだろう。
絶対に騙されたくない方も含め、現実的な解決策としては、弁護士か司法書士など専門職ということになる。
ただ、料金のかかることだ。
年金生活、特に私のように社会保険加入期間の短い自営業、自由業の人間にとっては月々の年金など、お小遣い程度のもの。その費用を捻出するのは並大抵のものではないはずだ。
第一、知り合いに弁護士や司法書士がいない場合、知らない事務所の門を叩くのもなかなか勇気のいることだろう。
ネットで探して、近所の事務所が見つかったとしても、そこが本当に自分と相性がいいかどうかも分からない。
医師との相性があるようなものだ。
病気やケガをなおしてもらうだけなら多少のことには目をつぶれるが、こちらは今後の生活、ひいては人生を託すことになるのだ。
納得できる相手を選んでおかないと後悔する。
- 年下を探せ ――後見人選びの一つの基準
- あと、後見人を選ぶ際、気をつけたいことがもう一つ。
友人知人でも専門職でも、自分と同年代、まして年上の人物を選ぶのはあまりお勧めできない。
できれば自分よりずっと若い人にしておく方がいい。
絶対安心とはいえないが、少なくとも自分より先にどうかなってしまう確率が下がるからだ。
ただ、こればっかりは本当に確率の問題なので何とも言えない。
専門職も不死身なわけはないので、法人組織になっているところを選ぶか、同時に複数の人間と契約を結んでおく方がいいかも知れない。
いざという時に後見人になるはずだった人が先に死んでいた、先に認知症になっていたでは、せっかく準備していたことがすべてひっくり返ってしまう。
- 任意後見人になってほしい人とは? 「三つの条件」
- まとめてみよう。
たとえば、こんなところに気をつけるといいかも知れない。
1.全面的に信頼できること
お金のこと、生活の決定権を預けるので、大前提。
2.自分の価値観を理解してくれていること
どんな生活を好み、何をいやがるのか分かっていてくれる人だと安心。
3.できれば自分より若く、健康であること
先に死なれたり、認知症になられては困る。かなり年下でしっかりしていると理想。
というわけで、後見人。死亡届を出せる人としてクローズアップして紹介してみた。
ついでに次回、後見とセットで結んでおかないと、後見人にはできないことがあるという話をしておこう。
(第2章、連載第6回につづきます)
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- 著者プロフィール
-
安田 依央(やすだ いお)
1966年生まれ、大阪府堺市出身。関西大学法学部政治学科卒業。ミュージシャン、女優、司法書士などさまざまな職業を経て2010年、第23回小説すばる新人賞を受賞して小説家デビュー。著書は『たぶらかし』、『四号警備新人ボディーガード』シリーズ(いずれも集英社)、『出張料亭おりおり堂』シリーズ、『深海のスノードーム』(いずれも中央公論新社)など多数。
『終活ファッションショー』、『ひと喰い介護』(いずれも集英社)は司法書士として依頼人の終末に関わってきた経験をベースにした小説。