
独身、一人っ子、親戚づきあいなし。
作家・安田依央は、還暦を目前にして、はたと考えた。
「自分は死後、無事に骨になれるのか?」
人は死んだら、自動的に骨になれるわけではない。
また骨になれたとして、誰かしらの手を煩わさずには
どこかに葬られることもない。
元司法書士として、人々の終末に深く関わってきた筆者が
ずっと後回しにしてきた自らの行く末。
孤独死、孤立死……年間2万人以上の人たちが
誰にも看取られず死にゆく長寿大国・日本。
長年ほったらかしにしておいた宿題にとりかかるかのごとく、
「終活のプロ」が、自分の「骨の行方」を考えるエッセイ。
第10回
第4章 ほねの道 ②
更新日:2025/10/01
- (承前)
- 骨紀行① 樹木葬
- まずは樹木葬だ。
樹木葬とは墓石のかわりに、樹木をシンボルとして遺骨を埋めるものだ。
大きく分けて、山や森の中で木の根元に遺骨を埋めるタイプ、都市部の霊園に花や樹木を植えるタイプがある。
現在、樹木葬の人気は高い。
株式会社鎌倉新書が二〇二五年年一月にインターネットを通じて行ったアンケートによれば、有効回答数一四七五件中、四八・五パーセントが樹木葬だったとのことだ。
これは母数が少ないうえ、あくまでも新しく墓を購入した人が対象なので、日本の墓の五割近くが樹木葬になったというわけではないが、同じ調査で一般の墓を購入した人の割合は二割にも満たなかったそうだ。
七月中旬、私が訪ねたのは大阪北部の山の中にある霊園だ。梅田から電車とバスを乗り継いで四十分程度の場所にある。
大阪は都心部から少し移動しただけで、まだこんなに自然豊かなところがと驚くような場所がけっこうあるのだ。
ここは山を切り拓いて霊園を造成してある。
地面を這うアリが黒く大きくて、虫嫌いの私は脅威を感じた。大阪市内を歩いている点みたいなアリの何十倍もありそうで、何となくこの巨大アリが骨のかけらを運び去る姿を想像してしまった。
しかし、とりあえず暑い。
自国は午後の四時前だったが、それでも太陽がギラギラと照りつけ、日傘をさしていても汗が噴き出してくる。
抜けるように青い空、もくもくと立つ入道雲、濃い緑の山、蝉しぐれ。
美しい夏山の風景だ。
樹木葬の魅力の一つに自然と一体になれるというものがあるだろう。
この過酷な夏もまた自然。
仕方のないことだが、お墓参りに来る人はもちろん、骨も暑かったり、寒さに震えたりするのではないかといらん心配をしてしまった。
- ◆
- 【樹木葬ガイド】
- ・自然との一体感
木の下や土の中に骨を納める。直接埋葬や骨壺のままなど形態は様々
・宗派不問、永代供養つき
承継者がいなくてもいいし、無宗教の人にも人気
・立地は都市近郊の自然豊かな霊園が多い
・費用
近畿圏では八十万円前後が多い。一般墓よりリーズナブル(別途管理費が必要)
・暑さ寒さへの備えが必要
屋外であるため、お参りをする際に季節の影響を強く受ける
・おすすめの人
自然志向で家族に負担をかけたくない人
美しい風景の中で眠りたい人
・宗派問わず - ◆
- 案内してくれた係の人によれば、この霊園でもここ十数年の傾向として、樹木葬が圧倒的人気だそうだ。
ここへくる人は樹木葬、そして永代供養というキーワードで探してくる。
同じ霊園内に一般墓のエリアもあったが、既に募集は終了、新しく造る予定もないとのことだった。
お墓の継承者がいない人々、そして地方のお墓を墓じまいしてこちらへ移す人が急増しているらしい。
ここでもやはり、管理費が途絶えてから一定の期間が経つと、お骨を取り出し、同じ敷地内にある納骨塔に合祀するとのことだ。
ただし、納骨の種類には骨壺で納めるものと、さらしの袋に入れて自然に返す場合があり、後者については年月が経っても掘り返すことはないそうである。
私のように誰もお参りに来る人のない最終ランナーにはいい場所かも知れない。
ただ、何かがしっくりこない。
なぜなのだろうと考えて思い当たった。
私が訪れた霊園は美しすぎたのだ。
確かに自然の中に立地していて、過酷な暑さではあったのだけど(冬もそうとう寒そうだ)、小ぎれいに整いすぎている印象を受けた。
きちんと区画別に整備された納骨のための場所は薔薇のアーチで区切られ、赤いれんがの小径が延びていて、何となくメルヘンチックな印象だ。
納まる場所にしても直接山肌に埋めるというわけではなく、高さ五十センチ程度、十メートル程度の枠組みに土を入れ、シンボルツリーや花を中心に、一家族ごとに小さく仕切られた区画の中に納骨する仕組みだ。
もっともこれ、自然といっても、せいぜい数十平方メートル程度の仕切られた土の中だ。
何となく父の考えたプランター墓(?)を巨大化したもののように見えてきた。
霊園のように管理されているわけではない山や森で樹木の下に直接納骨(この場合は墓地の扱いにならないと思われるので、散骨にあたるのかも。散骨については次回触れる予定)するとしたら、これはもう文字通り自然に還ることになる。
土中の虫や微生物などによって分解されていくだろう。
だが、この霊園にあるのはあくまでも管理された自然だ。
自然を扱いやすく切り取って見せる箱庭のようにも感じられる。
骨壺ごと納める方法を採れば、のちに取り出して改葬することもできるし、いつまでもその骨は○○さんの骨としての個を保ち続けるだろう。
それを好ましいと思うか、ちょっと違うなと思うか、人それぞれなのだと考えた。
私自身はこの美しい箱庭に母の骨を置いたり、将来自分が眠ることを想像してもあまりピンとこなかったし、母もきっと骨ばかりが整然と並ぶマンションのような「自然」を好みはしないだろうという気がした。
母はその年代にしては珍しいキャリアウーマンだった。
ずっと都会で働いていた人なのだ。
プライベートでも、演劇やダンスなど華やかで楽しいことが大好きだったし、もっと都会的で賑やかな場所の方がいいかも知れない。
人の営みから隔絶された箱庭の中よりも、街のざわめきに近い場所で父を待ちながら眠る方が母らしいようにも思える。
そこで私は次の候補、大阪天王寺にある一心寺というお寺を訪ねることにした。
- 骨紀行② 一心寺の骨仏
- 天王寺はキタ、ミナミに次ぐ大阪第三の繁華街だ。
あべのハルカスや通天閣、新世界。ちょっとディープな界隈もそこかしこに残る。
四天王寺を始め、お寺が多い場所でもある。
天王寺駅から北西に向かう。
動物園や美術館、大坂冬の陣、夏の陣の戦場にもなった茶臼山を横目に見ながら公園を抜けると、住宅や寺が建ち並ぶ一角に出る。
やがてもくもくと煙が立ち上る様子が見えてくる。
一心寺だ。
一心寺は古くからお骨仏(お骨佛)の寺として有名だ。
おそらく大阪に住むある年齢以上の人で、知らない人はいないのではないか。
お骨仏というのは仏像の胎内にお骨を納めるのではなく、文字通り、お骨で仏像を作るというものだ。
粉末状にした骨を練り込んで仏像を作るのだ。
つまり、沢山の人の骨でできている仏像であり、これは別の地域の人からすると、驚くべきことらしい。
東京の人にいたく驚かれ、私も驚いたが、考えてみれば、あまたの市民のお骨でできた仏像というもの、奇異に映って当然だ。
実際、全国的にもあまり例がないと聞く。
寺では常に遺骨を受け付けており、その遺骨をもって十年ごとに阿弥陀仏を作る。
これまで二百万人分の遺骨が仏となったそうだ。
明治二十年から始まり、戦火で焼失したものもあるため、現存する骨仏は八体。
考えてみれば、確かにすごい話だ。
しかし、大阪人の間で一心寺に納骨するのはきわめてポピュラーだ。
多分、知り合いの知り合いあたりまで範囲を拡げれば、誰かしら知っている人が納められているのではないだろうか。
一心寺が人気の理由は費用が安価なこともある。
一柱二万円から納めることができるのだ。
さらに自ら仏像となり、半永久的に多くの人の参拝を受け続ける。
私のように後の世に続く家族がいない人にとってはある意味、理想的だろう。 - ◆
- 【一心寺ガイド】
- ・骨で仏像を作る
遺骨を粉末状にし、数万人単位で阿弥陀仏に練り込まれる
・宗派不問、合祀形式
・費用は安価
一柱二万円から
・制限あり
骨壺サイズは直径九センチ、高さ十一センチ以下。
改葬されたものは受け付けられない
・天王寺に近く、賑やかな場所にある
・承継者がいなくとも、市民みんなから供養されるイメージ
・納骨後、骨を返却してもらうことは一切できなくなるので注意が必要
・おすすめの人
仏像になることを尊いと感じる人
大勢と共にありたい人
無縁化の不安をなくしたい人 - ◆
- やはりというべきか、近年一心寺では納骨される骨が増大し、受け入れ制限をせざるを得なくなったとのことだ。
しかも直径九センチまで! うちのでかい骨壺ダメじゃん。
だから言ったのにー。謎のロマンを発揮して沢山持って帰るからだよ、おとっつぁん。
もっとも、一心寺は母にとっても自分にとっても決して上位の選択肢ではなかった。
その理由については私たちが無宗教であることが大きいかもしれない。
たとえば、自分が仏像になる?
うーん?? どうなんだそれは。
想像してみるが、何とも居心地が悪いというか、収まりが悪い。
信仰の篤い人からすれば、これはさぞ喜ばしいことだろう。自分の死後に思いを馳せる時、この上ない安堵を感じるのではないか。
だが、信仰心のない私はどうか。
仏像の一部に組み入れられて、毎日、大勢の善男善女に拝まれるのだ。
うわーなんかすみません異端者で、となりそうだ。
しかも、どんなに居心地が悪くても入ったら最後、そこから逃れることはできない。何しろ他のみなさんといっしょに仏像の中に練り込まれてしまっているからだ。
まあ、懐の深い一心寺のお骨仏、ひいては大阪の人たちは異端者も快く受け入れてくれそうというか、そんな細かいことなど気にしなさそうだが。
一心寺の境内には年代別のお骨仏が並んでいる。
私は暗い建物内にひっそりと並ぶ様を想像していたのだが、屋根があるだけの開放的なお堂の中に並び、そこには参拝者がひっきりなしに訪れ、手を合わせ、線香を手向ける。
訪れたのが土曜日だったせいもあるが、とにかく人が多かった。参拝者、そして納骨に来たのだろう、喪服姿の一団も見える。
とにかく炎天下にもかかわらず、みんな元気だ。
よく喋り、笑い、そして泣く。
まるで祭のようだと思った。
湿っぽい感じはせず、どこか陽気なのだ。
お盆やお彼岸の時期など、もっとすごい人出で、手向けられる線香の数も膨大。すさまじい量の煙が立ち上るらしい。
仮に生前、孤独に暮らした人であっても、ここではそんなものを感じる暇などなさそうだ。
仏像となった骨。
きっと、その多くはここにいる参拝者の人と同じく、生きている時にはエネルギッシュだったはずだ。
だが今、骨仏はどれも静かだ。
おごそかにそこにいて、慈悲深い眼差しをこちらに向けている。
一般的なお墓より骨と私たちの距離はずっと近いのに、不思議と遠く思えた。
この仏像、特にコーティングなどはされていないようで、最初は白いのだが、手向けられる蝋燭の煤によって次第に黒ずんでいくらしい。
実際、古い年代であるほど黒い。
次第に現世から遠ざかっていくようにも感じる。
新しい年代の骨仏を見て、ちょっとびっくりした。
思っていたよりずっときれいなのだ。
黄みがかった白をベースにパステル調に近い控えめな彩色、金色の装飾。
結構、好みの配色だなと感じ、いや、いや、これは骨でできているのだったと思い直す。
改めて中にどれだけの数の人の骨が入っているのだろうかと考えると、自然と姿勢を正してしまう。
確かにこの世に存在した多くの人々。
その人生の証がそこにあることに圧倒されたのだ。
仏像のお顔もとても優しげで美しい。
家族や知り合いが納められている人は、この仏像の顔に亡き人の面影を見出すこともあるのだそうだ。
私は近しい知り合いが誰も入っていないので、とりあえず手を合わせていると、隣で外国人の若い女の子が写真をばしゃばしゃ撮っていた。
私の場合、いくら色彩が美しくとも、無宗教だろうと、写真を撮る気はしないなあと思った。
何となく不謹慎に感じられるのだが、もっとも、別に撮影禁止とは書かれていないので、撮影自体には問題ないのかも知れない。実際、検索すれば沢山写真がでてくる。
ただ仮に家族の誰か、親しい誰かがその一部となっている仏像をあんな風に「エモい」、「映える」と撮影されるとしたらどうなのだろう。
誇らしく思うのか、やはり不謹慎と感じるのか。
考えたが、分からなかった。
このお骨仏は少なからぬ数の大阪人にとっての誇りであり、心のより所であるのは間違いないが、ただ、やはり、母や(骨壺の大きさはともかくとして)自分が入ることは考えられない。
考えてみれば私も母も、そしてこれまでも何度も書いてきたが父もまた変わり者だ。
三人ともが時代に合わない特殊な立ち位置というか、世代の中ではあまり一般的でない生き方をしてきたため、何となく浮いた存在だった。
特に母は専業主婦が当たり前の時代に子育てをしながらキャリアを積んだ人だ。
同世代の友人と話しても、身を置く環境が違いすぎてあまり話が合わなかったようだし、大体、母は控えめな性格に見えて実は結構な目立ちたがり屋だった。
個を捨てて、大きな存在の中に溶けることは望まないだろう。
それに、仕事はできたが、どちらかというとおっちょこちょいな愛すべき性格だった母が、あんな風におごそかな存在になる?
心の面でも何か遠くなってしまいそうで、いやだなというのが私の正直な感想だった。
- 骨紀行③ 都市型納骨堂
- 次に足を運んだのは都市型納骨堂だ。
私が訪ねたのは梅田からもほど近い、福島にある施設だった。
元はお寺があった場所にビルが建っており、最上階にそのお寺が入っているそうだ。
近くにはJRが二路線、阪神電車の駅もある。
利用者にはカードが貸与され、カードをかざすことでエレベーターが目的の階に着く。
フロアにいくつか並ぶ祭壇横で再度カードをかざせば、自動的にお骨の入った箱が運ばれてきて、目の前に現れる仕組みだ。
スタイリッシュな建物、どこを取っても塵一つ落ちていない。ゆったりとした空間でお参りすることができる。
館内は空調がきいていて快適だ。
強い日ざしに炙られてきた前の二つに比べると、もはや感動的ですらある。
手ぶらで行けるのが売りだそうだ。
お花は会館側によって常に用意されており、火気厳禁なので電子式の焼香台が設置されている。
さらに福島は個性的な飲食店が軒を並べる人気のエリアだ。
賑やかで華やか。
母の好みにも合いそうだ。 - ◆
- 【都市型納骨堂ガイド】
- ・カード操作で骨壺が自動搬送されてくる
・宗派問わず、永代供養つき
改葬も受け入れ可能
・費用も比較的安価
私が訪ねたところは八十万円程度だった(別途管理費が必要)
・骨壺単位での保管
気温、湿度が常に一定に保たれているので、お骨が傷まない(管理が悪いとカビがはえたりするそうだ)
・経営母体の企業体質や経営状態に注意が必要
・おすすめの人
都会暮らしの人、合理的で快適な供養を求める人、無宗教の人 - ◆
- 仕組みは施設や経営する会社によって異なるだろうが、私が訪ねたところは年単位の管理費を支払う必要があり(といっても一月千円程度)、それが途絶えて連絡もつかなくなった場合は、一定期間を経て合祀される。
ちなみに、私のようにその家の最終ランナー、かつ身寄りのない人間については、「司法書士さんに頼んで書類を作ってもらうことになります」とのことだった。
第2章で触れた死後事務委任契約や遺言を作成するのだろう。
面白いなと思ったのは、墓じまいをした墓地の土も入れられるという点だ。
これによって故郷との繋がりを断たずにすむわけだ。
いろいろといきとどいていることだし、正直、私はもうここでいいんじゃないかと思った。
しかし、はたと考える。
二人分にするのか、それ以上収容可能な方を選ぶのか。
幸いにして(?)父が私より先に亡くなったとして、とりあえず二人分のお骨を預けておくためのものという位置づけならば前者でいいだろう。
確かに、三人いっしょに入ってもしょうがない。
我が家の場合、三人目が中に入ってしまうと、お参りに来る人がいなくなる。
誰も来ないということは、安田家と書かれたその箱、そして中に納められた骨壺はずっと表に出ることなく、倉庫に置かれたままということだ。
シャバだ、シャバの光が見たいぜと言ってもダメだ。
私が生きていたとしても、病気で動けなかったり、認知症で納骨堂の存在を忘れてしまったりしたら、同じことになる。
しかし、そもそもの話、私はあそこへ出かけて、両親の骨と対話をするのだろうか?
まあ近いのは近いので、行くのは容易だし、暑くも寒くもないのはありがたい。
が、私のことだ。一つところに留まるのは苦手なので、この先引っ越すかも知れないし、放浪の旅に出るかも知れない。
それなら、近頃人気の供養の一つ、手許供養なんて選択肢もあるのだ(これも次回に)。
うーんと考えこんでしまった。
だいたい、仮に将来、父が亡くなったあと、あまり時を置かずに散骨するなら、別に納骨堂に納める必要もない気がする。
それとも、斜め上なロマンチストである父のために、一部は散骨、残りをこの安田家の箱の中で二人いっしょに置いておくほうがいいのだろうか。
その場合でもやはり、私が死に、管理費が滞って数年後には合祀されるわけだ。
それならもう全部散骨でいいんじゃないのかとも思う。
最後に補足を。
ガイドにも書いたが、こうした納骨堂、経営母体がどのような組織であるのか、またその経営状態についてはよく確認した方がいい。
私も係の人にうるさいぐらい訊ねた。
というのは、札幌市で同じような納骨堂が経営破綻し、土地建物が差し押さえられ、遺骨や永代供養料が返還されない事態となったと聞いたからだ。
自動で遺骨が運ばれてくるシステムに電力が供給されなくなったり、故障したりすると、遺骨を取り出すこともできなくなってしまう。
可能性としては考えられるが、実際には起こらないだろうと高をくくっていたところ、本当にあったのだ。
このような納骨堂は宗教法人が母体となり、運営を営利企業が担っていることが多い。
宗教法人? お寺なら安心でしょう? と思われるかもしれないが、決してそんなことはない。
休眠した宗教法人が売買の対象となるケースもあるのだ。
宗教法人というのは基本、非課税だ。そこにうまみを感じる者や、新しい墓を巡るビジネスに金の匂いを嗅ぎ付けて群がってくる輩もいないとは言い切れない。
実際、司法書士をやっていた時、宗教法人とは名ばかり、その陰で怪しげな輩が暗躍しているような団体をよく見聞きした。
気をつけるに越したことはないのである。
- 骨紀行④ 高野山
- 高野山は和歌山県の北東部、標高一千メートル級の山々に囲まれた山上盆地だ。
高野山という山があるわけではなく、付近一帯をそう呼ぶ。
弘法大師空海を祀る御廟がある奥之院を中心に、壇上伽藍や金剛峯寺といった壮麗かつ厳かな建造物、さらには宿坊の数々、ついで一般家屋や商店、大学に銀行までもが連なる天空の一大都市だ。
二〇〇四年には世界遺産に登録されているし、昨今ではパワースポットとしての人気も高い。
私の母方の祖母は六十代の時に高野山を訪ねていた。
祖母は信心深い人だった。
末っ子である次男を十九歳の時に水の事故で亡くしていることもあり、百三歳で亡くなるまで供養に心を砕いていた。
そんな祖母がようやく高野山にお詣りできたと嬉しそうにしていたので、以来、私は何だかよく分からないが、ありがたいところらしいと思っていた。
その後、断片的に得た知識はこうだ。
戦国武将のお墓がある。
企業のお墓がある。
有名人のお墓が多い。
弘法大師が亡くなったのは九世紀の話だが、入定留身(にゅうじょうるしん)といって、今も生きて瞑想を続け、救いを求める人々に手を差し伸べているという。
その証として、高野山の奥之院では、今でも一日二回、生身供(しょうじんぐ)という弘法大師に供えるための食事が整えられ、運ばれているのだ。
五十六億七千万年後、弥勒菩薩が世界を救済するため出現する場所の一つが高野山の奥之院で、弘法大師が共に現れるとされている。
来たる日を待ち、あるいは弘法大師のそばで眠るために、戦国武将たちは自らの墓をここに建てたのだ。
いわばお墓界の最上位クラスではないか。これは見ておかねば。
そう考えた私は、集英社学芸編集部のIさんとともに高野山を訪ねた。
- 奥之院・戦国武将と企業墓
- 一の橋を渡ると、そこはまさに聖域だ。空気が一変する。
そびえ立つ杉の巨木に囲まれ、静けさに満ちた空間だ。
時折、聞こえるのは鳥のさえずりと風の音。
弘法大師が入定している御廟へ向かう参道には二十万基の墓や慰霊碑が並んでいる。
織田信長に明智光秀、伊達政宗、武田信玄、上杉謙信と名だたる戦国武将や松尾芭蕉の墓や、皇族(孝明天皇まで)の歯や爪などを納めた塔などもあり、苔むした五輪塔や傾いた石塔などが延々と続く。
高野山は敵味方の区別もなく、宗派も問わず死者の魂を受け入れる場所とのことだ。
御大師さまは懐が深いのだ。
そして、企業墓。
ロケット型やヤクルト、コーヒーカップなど様々なものを象った巨大な石碑や慰霊塔が並ぶ。
創業者や従業員のための慰霊塔であったり、実際に納骨をしている企業もある。
高野山に企業墓が増えたのは、松下幸之助がここに眠り、従業員物故者や退職者を合祀した墓を作ったことからだという。
昭和の高度経済成長期から平成の半ば頃までだっただろうか、日本企業というのは終身雇用があたりまえだった。
今ではなかなか考えにくいが、かつて日本の企業の多くは一つの家族で、従業員は人生を「会社」に捧げ、共に生き、死んでいったのだ。
なるほど、そう考えれば、「会社」の墓があるのも不思議はない。
かつて企業戦士と呼ばれた人たちの魂は死してなお、「会社」と共にいるのかも知れない。
従業員の結束や、企業への帰属意識を強める意味では効果的だったのだろうが、今ではもうそんな体質を維持できる会社の方がまれだ。
終身雇用自体がそぐわなくなったこれからの時代に、企業墓はどうなっていくのだろうか。
もう一つ気がついたのは慰霊碑の多さだ。
これまで近代日本が経験した戦争の戦没者や、大きな災害の犠牲者を慰めるものなども見える。
ここは宗派の垣根を越えて、あまたの死者を供養する場所なのだ。
高野山という一大霊場。
そこに眠ることは確かにありがたそうだ。
- 女はここにいなかった
- ただ、引っかかることもある。
まず、ここは男の世界だなと思った。
戦国武将にしろ、企業戦士にしろ、そのほとんどが男だ。
崇源院(江姫)や、徳川秀忠と江姫の娘で豊臣秀頼に(秀頼の死後は本多忠刻〈ただとき〉に)嫁いだ千姫の墓もあるが、彼女たちはあくまでも誰かの(有力者の)妻であり、母なのだ。
自ら名をなした有名人の墓として知られているのは与謝野晶子ぐらいのものではないだろうか。
もちろん、納骨堂には名もなき庶民も納骨されているし、その中には女性も沢山いるだろう。
墓というのは日本の歴史を側面から語るものでもあるから、当然といえば当然なのかも知れないが。
そもそも、高野山は明治三十九年(一九〇六)まで女人禁制が完全には撤廃されなかった。
弘法大師の母でさえ入山できなかったというのだ。
これは仏教的な穢れの思想(仏教では生理や出産によって血にまみれている女性は常に穢れをまとっているとされている)や女性の存在が僧侶の修行の妨げになること、さらには山の神が女性とされていることなど、様々な理由があるようだ。
女人禁制の時代、女性の墓を作れなかったわけではないが、女たちはそこに詣ることはできず、ふもと近く、あるいは女人高野と呼ばれる寺から手を合わせるほかなかったのだ。
なんかひどくね? というのが現代に生きる私のギャル魂による感想だ(ギャルだったことはないが)。
今はもちろん、性別問わず誰でも入山することができるが、この歴史を考えると私は「高野山、最高!」と簡単には思えなかった。
二つ目に思ったのは、ここは成功者たちの眠る場所だなということ。
武将についてはいわゆる敗者もいるが、それでも歴史に名を残している時点で成功者ではある。
まして近代以降は間違いなくその傾向が強い。
高野山に墓を建てるというのは成功者にとって一種のステータスなのではないかとひしひしと感じたのだ。
男、成功者――。
へえ、そうどすかぁとちょっと白けたことも言いたくなるが、だからといって高野山を崇敬する人を貶めるつもりもない。
たとえば、私の祖母が高野山を訪ねたおり、御大師様に願ったことは、子や孫の健康や成長を見守っていただくこと、そして早世した我が子の安らかな眠りだったのではないだろうかと考えている。
祖母はどんな時にも、自分のことより子や孫のことを第一に考える人だった。
御大師様のお膝元で手を合わせることで、わずか十九歳で無念の死を遂げた息子に安らぎが与えられることを信じていたのだと思う。
そんな市井の人々のまごころの前には、誰かのステータスや虚栄心なんて何の意味もなさないだろう。
- 分骨
- 実は高野山はお骨の主たる安置場所でないことも多い。
たとえば、弘法大師が眠る奥之院の御廟に一番近い場所にある燈籠堂に納骨できるのは喉仏のみだ。
お墓を別に持ち、もっとも重要な部分のみを納めるイメージだろうか。
これは高野山に限ったことではなく、浄土真宗では大谷本廟や大谷祖廟に喉仏を分骨するそうだし、他宗派でも総本山に分骨(喉仏に限らない場合も)することは珍しくない。
弘法大師を始めとする宗祖のそばで眠ることに特別の意味を見出すものだろう。
さらには、ほぼ未来永劫、それこそ子孫が絶えたとしても供養され続ける安心感だろうか。 - ◆
- 【高野山ガイド】
- (奥之院)
・奥之院燈籠堂へ分骨できるのは喉仏のみ。費用は十万円
・宗派は問わないが、戒名が必要
・永代供養の制度はないが、年忌法要などで回向を依頼することはできる
・一度納骨すると返却は不可
(その他の寺院)
・全骨も納骨できる
・永代供養も可
・おすすめの人
仏教への信仰を持つ人
歴史や象徴性に価値観を見る人
- ◆
- 信仰を持たない孤独
- ひとしきり奥之院を見て回った後、Iさんと私は休憩所に立ち寄った。
大きな茶釜で番茶が沸いており、セルフサービスでいただくことができるのだ。
ここでは一日数回、僧侶による法話がおこなわれている。
運のいいことに、お茶を飲んでいると、ちょうど石見地方から来たという僧による法話が始まった。
これは同じ人が毎日、話をしているわけではなくて、全国からやって来た僧侶が日替わりで勤めるのだそうだ。
僧侶たちは高野山での布教のために来られているそうで、親しみやすい語り口で、弘法大師への信仰を説くのだ。
私が出会ったこの僧侶はご詠歌を披露してくれた。
豊かな声量、独特の節回しに、澄んだ鈴の美しい響き。
ここで私はようやく高野山に絶対的信頼を抱くかつての日本人の姿をかいま見た気がした。
何十年も前、念願叶ってここを訪ねた祖母は、きっととてもありがたく思い、手を合わせながら法話を聞いたことだろう。
法話の最後に居合わせた全員で、「南無大師遍照金剛」と唱和した。
これは弘法大師空海への帰依を意味し、この言葉を唱えることで、弘法大師が手を差し伸べてくれるというものだ。
四国八十八ヶ所を巡礼するお遍路さんの白衣にもこの言葉が書かれており、挨拶代わりに唱えるのだそうだ。
繰り返すうち、実は涙が出てきて、自分でびっくりした。
なんで? これは一体どういうことだと内心、慌てた。
本当に意味が分からない。
突然、信仰心がめばえて、これまでの自分を悔い改めたわけでもない。
法話はほのぼのとあたたかいもので、強く感情を揺さぶられたというわけではなかったし、この時はまだ母が亡くなる前だったので、涙腺が脆くなっていたということでもなかった。
意味が分からないまま、ただ、泣けてしまったのだ。
それが何故だったのか、いまだに答えは分からないままだが、一つ思ったことがある。
もし自分がかつての祖母のように無条件に極楽浄土を信じ、弘法大師の慈愛を信じられたら、どんなに心強いことだろう。
信仰を持たないとは、自分自身や愛する者の死後に希望を持てず、先に死んでいった人々との再会も望めないということだ。
私があそこで泣けてしまったのはもしかすると、そういう寂しさを感じたせいかも知れない。
だが、母が亡くなった今、本当にそうなのだろうかとも考える。
そのことについては最終章でもう一度、考えていきたいと思う。
(第4章、第11回に続く)
バックナンバー
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第10回
第4章 ほねの道 ②
更新日:2025/10/01
-
第9回
第4章 ほねの道 ①
更新日:2025/09/24
-
第8回
第三章 墓は消え 骨は残る ②
更新日:2025/09/03
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第7回
第三章 墓は消え 骨は残る ①
更新日:2025/08/20
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第6回
第二章 腐らず骨になれ ③
更新日:2025/08/06
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第5回
第二章 腐らず骨になれ ②
更新日:2025/07/23
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第4回
第二章 腐らず骨になれ ①
更新日:2025/07/16
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第3回
第一章 骨への遠き道のり②
更新日:2025/07/02
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第2回
第一章 骨への遠き道のり①
更新日:2025/06/25
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第1回
序章 ~骨、尊くて時々やっかい~
更新日:2025/06/18
- 著者プロフィール
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安田 依央(やすだ いお)
1966年生まれ、大阪府堺市出身。関西大学法学部政治学科卒業。ミュージシャン、女優、司法書士などさまざまな職業を経て2010年、第23回小説すばる新人賞を受賞して小説家デビュー。著書は『たぶらかし』、『四号警備新人ボディーガード』シリーズ(いずれも集英社)、『出張料亭おりおり堂』シリーズ、『深海のスノードーム』(いずれも中央公論新社)など多数。
『終活ファッションショー』、『ひと喰い介護』(いずれも集英社)は司法書士として依頼人の終末に関わってきた経験をベースにした小説。
バックナンバー
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第10回
第4章 ほねの道 ②
更新日:2025/10/01
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第9回
第4章 ほねの道 ①
更新日:2025/09/24
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第8回
第三章 墓は消え 骨は残る ②
更新日:2025/09/03
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第7回
第三章 墓は消え 骨は残る ①
更新日:2025/08/20
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第6回
第二章 腐らず骨になれ ③
更新日:2025/08/06
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第5回
第二章 腐らず骨になれ ②
更新日:2025/07/23
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第4回
第二章 腐らず骨になれ ①
更新日:2025/07/16
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第3回
第一章 骨への遠き道のり②
更新日:2025/07/02
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第2回
第一章 骨への遠き道のり①
更新日:2025/06/25
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第1回
序章 ~骨、尊くて時々やっかい~
更新日:2025/06/18