
独身、一人っ子、親戚づきあいなし。
作家・安田依央は、還暦を目前にして、はたと考えた。
「自分は死後、無事に骨になれるのか?」
人は死んだら、自動的に骨になれるわけではない。
また骨になれたとして、誰かしらの手を煩わさずには
どこかに葬られることもない。
元司法書士として、人々の終末に深く関わってきた筆者が
ずっと後回しにしてきた自らの行く末。
孤独死、孤立死……年間2万人以上の人たちが
誰にも看取られず死にゆく長寿大国・日本。
長年ほったらかしにしておいた宿題にとりかかるかのごとく、
「終活のプロ」が、自分の「骨の行方」を考えるエッセイ。
第3回
【ほねの前】
第一章 骨への遠き道のり②
更新日:2025/07/02
- (承前)
三の壁・ほね待ち遺体 -
先ほどの「行旅死亡人」は身許の分からない人の話だった。
では、とりあえず顔写真付きの証明書を肌身離さず持っておけば安心か、というと、これがそうとも言い切れない。
身許が確認できても、亡くなった人の遺体が宙に浮いてしまうことがあるのだ。
ふたたび私のifの話。
ある日突然、道ばたで死んだ私。今度はちゃんとマイナンバーカードを持っていたので、安田であることは分かった。
これは安田の死体であるとタグがつけられ、どこかの保冷庫にしまわれることになる。
暑いよりは寒い方が好きだが、実は私は狭いところが大の苦手だ。
閉所恐怖症なのだ。
虫とどちらがイヤかというと狭いところだ。
虫ならば戦う手段もあるが、閉所はそうはいかないからだ。
よく終活フェアなどで、棺桶に入ってみる入棺体験をやっているが、私は絶対に無理だ。多分、棺桶を蹴破って出てきてしまう。
ぜえぜえ言いながら真っ青な顔で棺桶を蹴破って出てくるなんて、そんな現場を見た人は悪夢にうなされること必至である。
今、分かった。私が筋トレをするのは緊急事態に生き延びるためのものでもあるが、万が一、生きながら棺桶に入れられた時に脱出するためでもあったのだ。
まあ、ちゃんと死んでたら問題ないだろうが、できればあまり狭いところにはいたくない。
とっとと燃やしてくんな、と突然江戸っ子になっても(死んでいるので言えないが)そうはいかない。
行旅死亡人は先に火葬するケースがほとんどだが、これから語るケースの場合、身許が分かっているがゆえに、逆になかなか火葬されないという、「ほね待ち」が起こることがあるのだ。
え、なぜ火葬されないの? と不思議に思われただろうか。
ここで少し補足しておこう。
行旅死亡人は名前が分からない、身許が確定していない人なので、行政によって火葬される。名前や住所が「推定」されても、それが本人だと確定できなくても同じだ。
だが、顔写真付きの身分証明などや親族により、本人であることが確認された場合は話が変わる。
親族がそのまま引き取ってくれればそれでいいが、そうならないこともあるのだ。
身寄りのない遺体、または引き取りを拒否された人の火葬を行うのはやはり市町村長だ。今度は行旅死亡人ではなく、「墓地、埋葬等に関する法律」で定められている。
(※条文では「死体の埋葬又は火葬を行う者がないとき又は判明しないとき」)
こちらは昭和の戦後しばらくしてできた法律なので、明治時代よりは多少現代寄りだが、骨は墓地以外に埋めてはいけませんと書いてある。
やっぱりこの法律を作った人は、のちに散骨や樹木葬なんてものが登場し、大人気になるとは想像もしていなかったんだろうなあと思う。
さて、法律の話はこの辺にしておいて、ここでちょっと考えたいのは「身寄り」という言葉だ。
AIの要約によれば、「身寄りがない」とは、困った時に頼れる家族や親族がいない状態を指すらしい。
あら。まあまあ、そうなの?
じゃあ私は近い将来、「身寄りのない人」になるねえ、と思ってしまった。
とはいえ、一人暮らしで親きょうだいはいないと生前言っていた人であっても、まったくの天涯孤独で親類縁者が一人もいないという人はまれだろう。
本当に親族がいないのかどうかを確認するためには本人の出生から死亡まで、時には両親の出生から死亡までの戸籍一式すべてを調べあげる必要がある。
私も司法書士事務所をやっていた時には、相続手続きのためによくこの調査を行ったが、まあ、時間がかかる。
面倒くさいことこの上ないのだ。
今は戸籍もオンラインでつながったので、かなり楽になったのではないかと思うが、以前は遠隔地の役所には郵送で取り寄せるしかなかった。
結婚や転籍などで戸籍があちこちに移動している人も珍しくはない。
日本中の市役所や町役場に郵便を送るはめになるのだ。
おまけに料金は定額小為替払いと決まっている。しかも指定された金額ちょうどを用意しなければならない決まりだ。
この定額小為替なるもの、ゆうちょ銀行の料金改正の結果、額面千円でも、五十円でも、等しく一枚につき手数料が百円かかるという恐ろしい仕組みと化した。
これ、昔は同人誌を手に入れるのによく使ったけど、手数料はたしか十円だったよなあ、などと感慨にふけりながら郵便を用意したものだ。
(と書いていたら、私が司法書士をやめた後、さらに値上げになり現在、二百円だそう)
しかし、何らかの事情で返金される際には、北海道や九州にある郵便局のスタンプが押された小為替が返ってきたりして、それはそれで楽しかった。
そんな苦労の結果、どうにか戸籍が揃ったとしても、そこからがまた一苦労である。
戸籍に出てくる親やきょうだいに一人ずつ連絡を取るのだが、戸籍に載っている本籍地が現在の住所と同じという人は珍しい。
改めて戸籍の附票というものを調べれば現在の住所は分かるが、電話番号までは載っていない。つまり郵便でしか問い合わせができないのだ。
それは行政も同じで、手紙で引き取りの意思があるかどうか、要は、そちらで火葬をされますか? という問い合わせをする。
すぐに返事があり、引き取りに行きます、となればいいが、いくら郵便を送っても一向に返事がないということも珍しくない。
いっさい関わりたくないので、そっちで何とかしてくれという答えが返ってくることもよくあるそうだ。
市町村によって扱いに違いがあるようだが、基本的にこの調査を終えるまで火葬を行わない。
のちに親族から、何故、勝手に火葬したのかと、大問題になる恐れがあるからだ。
確かに、普段は行き来がなくても、亡くなった後ぐらいは自分の手で弔ってあげたい、最後に一目会いたいと思うかも知れない。
その時に既に骨になっていたとなると、亡くなったことが信じられず、いつまでも引きずってしまったり、きちんと弔えなかったと後悔に苛まれたりするだろう。
日本人が大事にするのは骨だけではない。
遺体は骨以上に大切なものなのだ。
よくニュースなどで、不幸にも外国で亡くなった方の遺体を国際輸送して連れ帰るという映像をご覧になったことがあるのではないだろうか。
災害や事故の現場でも、警察や消防、自衛隊の方々が遺体の収容に力を尽くしてくれる。
何としても日本に、我が家に、時に冷たい海から引き上げてでも連れて帰ってあげたいと思うのが日本人の心情なのだ。
そんなわけで、親族の有無、そしてその意向が判明するまで火葬を待たなければならない。
今、この瞬間にも、数え切れない遺体が火葬できず、冷蔵庫の中で眠っているのだ。 -
数が増えれば当然、トラブルも起こる。
二〇二三年十一月に愛知県岡崎市の葬儀場から棺に入った二人分の腐敗した遺体が発見された。
当初、事件かと騒ぎになったが、実際には市が委託した葬儀会社が、廃業した葬儀場で保管していたもので、何らかの理由で冷蔵されずに放置されていたのだという。
雑草の茂る廃葬儀場の隅で、誰にも気づかれず、ひっそりと腐っていった遺体。
発見の壁を乗り越え、行旅死亡人にもならず、自分の名前を持ったまま。
なのに、こんなところで腐るなんて話が違う、と叫びたくとも口はもう動かない。
ひと思いに焼いてくれよ――。
死者たちの声が聞こえてくる。
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- 著者プロフィール
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安田 依央(やすだ いお)
1966年生まれ、大阪府堺市出身。関西大学法学部政治学科卒業。ミュージシャン、女優、司法書士などさまざまな職業を経て2010年、第23回小説すばる新人賞を受賞して小説家デビュー。著書は『たぶらかし』、『四号警備新人ボディーガード』シリーズ(いずれも集英社)、『出張料亭おりおり堂』シリーズ、『深海のスノードーム』(いずれも中央公論新社)など多数。
『終活ファッションショー』、『ひと喰い介護』(いずれも集英社)は司法書士として依頼人の終末に関わってきた経験をベースにした小説。