
独身、一人っ子、親戚づきあいなし。
作家・安田依央は、還暦を目前にして、はたと考えた。
「自分は死後、無事に骨になれるのか?」
人は死んだら、自動的に骨になれるわけではない。
また骨になれたとして、誰かしらの手を煩わさずには
どこかに葬られることもない。
元司法書士として、人々の終末に深く関わってきた筆者が
ずっと後回しにしてきた自らの行く末。
孤独死、孤立死……年間2万人以上の人たちが
誰にも看取られず死にゆく長寿大国・日本。
長年ほったらかしにしておいた宿題にとりかかるかのごとく、
「終活のプロ」が、自分の「骨の行方」を考えるエッセイ。
第8回
【ほねの後】
第三章 墓は消え 骨は残る ②
更新日:2025/09/03
- (承前)
- 家が消える? でも墓は消えないんだよなあ
-
もう一つ、人口減少によって起こったことがある。
ひとりっ子同士の結婚だ。
これ、一昔前なら、周囲がこぞって反対しただろう。
もしかすると若い人にはピンとこないかも知れないが、つい数十年前、私が二十代の頃はまだ、結婚に際して家同士の釣り合いだとか、跡取りの有無などが問題になっていた。
(念のために言っておくが、私が独身なのは、別にこういうことが原因なのではない。自分で選んだことである)
ひとりっ子同士が結婚すると、やがてはどちらかの家が消滅するという認識だったのだ。
信じられないが本当だ。
私が二十代というと、日本がバブル景気に沸いた時代を含む。
あの贅沢で脳天気な時代でさえも、一皮むけば日本人の価値観はこんなものだった。
結婚に際し、夫婦のどちらかが苗字を変えることで(多くは女性)、その家は途絶えてしまうという感覚があったのだ。
当然、お墓も守り手がなくなる。
これはお墓を大切に考える人からすると大変なことで、だからひとりっ子同士の結婚はあまり歓迎されなかった。
そして、安田家の墓を叔父が建てたという背景もここにあるのかも知れないと、今になって思うのだ。 -
しかし、少子高齢化が進むと、ひとりっ子の家庭も珍しくなくなった。
ひとりっ子同士の結婚に反対していると、ほとんどの人が結婚できないという時代が到来したのだ(今はもう、そんなこと関係なしに結婚が難しい時代に突入しつつあるが)。
そんなわけで、夫婦二人で両家の墓を守っていくか、いっそお墓を統合するか。あるいは墓じまいをして、どこかの納骨堂に改葬するかという選択をしなければいけなくなった。
- くじ引きで選ぶ墓守
-
ところが、実際には、このことが問題になったのはひとりっ子同士の夫婦だけではなかった。
きょうだいが複数いたとしても同じことが起こるのだ。
また法律の話になってしまうが、民法には祭祀の承継について定めた条文がある。
ひらたく言えば、お墓や仏壇、神棚などを誰に承継させるかを慣例に従い、または遺言などで指定できるというものだ。
慣例って何じゃ? と思うが、恐らく多くの場合、家を継いだ長男だとか長女だとかのことを指しているのだろう。
ただ、これは古くから続く家、代々同じ場所で暮らしている家によく見られるもので、いわゆる核家族にはあてはまらないことが多い。
核家族というのは親とその子どもの数人で構成されたユニットだ。
うちのようにひとりっ子の場合は三人しかいない。
よほど先祖に向ける意識が強いか、信仰心に篤い家庭でなければ、仏壇すらなく、墓参りも一年数回のイベントにしか過ぎないはずだ。
それを誰かが引き継ぐことになる。
かつてこの役割を担うのは多くの場合、長男だったが、今の時代、そんなことを言っていると長男が結婚するのが難しくなってしまう。
だってこれ、色々な意味で、試金石だ。
「家」を継続していく意識が強いと、当然のことながら結婚生活にもいちいちついて回る。
現代の感覚でいうと、アンタの家なんだから勝手にやってよね、で本来は済む話なのだが、「家」意識が強い人たちと結婚すると、そうもいかないことが多いのだ。
長男なんだから当然だと言い切ってしまうことで、家父長制の時代から意識をアップデートできていない人たちと見なされかねない危うさが出てくる。
では、長男が、「いえいえ私はそんな。慎んでご辞退申し上げます」と遠慮(?)したとしたら、誰が担う? きょうだいの中に希望者がいればいいが、なかなかそうもいかないだろう。
じゃあ、どうする。
くじ引きとか?
回り持ちとか?
お墓を何だと思ってるんだ、不謹慎だと怒られそうな話になってきたが、当事者にとっては切実な問題だ。
家がどうの、試金石がどうのという前に、そもそも物理的にも精神的にも負担の大きいものだ。
どれだけきょうだいが多くても、誰かがどうにかしなければならない。
思考停止で長男が担うに決まってるだろと言い切れない今の時代、結局ひとりっ子同士と何ら変わらないことになるわけだ。
- 子どもに苦労をかけたくない?
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ところで、お墓の問題について話を聞くと、多く(特に女性)に共通する希望があった。
「(お墓のことで)子どもに苦労をさせたくない」と言うのだ。
近くにあったとしても夏の暑い時期(よりによってお盆は八月だし、暑さ寒さも彼岸までと言うが、昨今は九月下旬でもまだ暑い)や寒い時に草むしりや墓石の掃除などといったことをするのは大変だ。
それが遠方ならなおのこと。
宗派を問わない公営墓地などならまだしも、寺院の中にあれば、お寺との付き合いも避けては通れない。
さらにお墓は本来、継承していくものだ。
自分の子に背負わせるのもしのびないものを、その下の孫世代に当然のように継承させたいと思うだろうか。
そして、その子どもや孫が結婚し子をなすとは限らない。
実際、私は私の家の最終ランナーだ。
この先に続くことはない。
こんな風に、終わりを迎える家がこれからどんどん増えていくのだ。
その時、最終ランナーはその墓をどうすればいいのだろうか?
こうして見てみると、いつしかお墓は現代人にとって、持ち重りのする存在に変わってきたのだなと思う。
こんなことを言うと、お墓をないがしろにするとは何事だ、ご先祖様を敬う気持ちはどこへ行ったのだ、けしからん、などと言う人が必ず出てくるが、先祖を敬い大切にする心とお墓の継承は切り離して考えた方がよさそうだ。
そうでなければ、もう立ち行かないところへ来てしまっているのだ。
- 家から個人へ
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そんなわけで、現在人気の墓は、昔ながらの重い墓石がのっかった○○家の墓ではなく、樹木葬であったり、都心の便利な場所に位置する納骨堂であったりする。
まあ、確かに個人やせいぜい二代程度、つまりは核家族向きの墓が主流ということなので、ここにご先祖様が登場しないのは事実だ。
そして、墓を持たない選択をする人もまた多い。
前述の納骨堂や樹木葬もそうだが、うちの両親みたいに散骨を希望する人も増えているのだ。
お墓の役割が、骨の置き場所とお参りする場所の二つなら、私たちのように子孫を持たない(ことが確定している)人間にとって、その置き場所は、必ずしもお参りする場所と同一である必要はないだろう。
そう言えば、以前は夫や義理の両親と同じ墓に入りたくないという女性からの相談がかなりの数あった印象だ。
最近、あまり聞かない気がする。
もちろん私が仕事として相談を受けることをやめてしまったせいもあるが、墓が家単位のものから、個人や夫婦単位のものへとシフトしつつあるのと無縁ではないだろう。
今、この日本にはどんな墓があり、どんな葬送方法があるのか。
具体的な骨の行き先については、次章以降で紹介していきたい。
- 墓・受難の時代
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現代は既にある墓にとっても、受難の時代だ。
担い手を失い、放置された墓は増え続けている。
生きているうち、元気なうちに先のことを考え、墓じまいへと動くことのできた人はある意味で幸運なのだ。
墓の行く末を案じながらも、どうしていいか分からぬままに死んでいった人々も少なくはないはずだからだ。
一つの常識が崩れ、新たな仕組みが出来上がるまでには、必ずその枠組みから弾き出され、こぼれ落ちてしまう人がいる。
それは骨についても同じだ。
全人口に対して、国や行政の手により、入るべきお墓が用意されているわけではない。
一昔前なら、誰かが亡くなると、子や孫、親族が骨の行き先を考えてくれた。
先祖代々の墓に入るのか、新しい墓を建てるのか、それとも公営や宗派の納骨堂に入るのか――。
だが、今、死んだあとに、つつがなく骨になれるのは決して当たり前ではないのと同じで、自分の骨がどこへ行くのか、どこへ向かうべきなのか、分からないままその日を迎える人が増えている。
厳しいようだが、私たちは自分でどうにかしないといけないのだ。
何もしないでいると、火葬場の炉の上で行き場を失い、途方に暮れる骨になってしまう。
- 網棚の骨
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電車の網棚に忘れられる骨がある。
八十代、ハルミさんのifを見てみよう。
ハルミさんは二年前、病気で亡くなった。
お骨は夫のタカシさんが大切に守ってきた。
二人には子どもがいなかった。決して豊かではないながらも夫婦仲はむつまじく、以前はよく二人で散歩に出かけ、ハルミさんの手料理で一杯やるのが楽しみだった。
狭いアパートの一室で、二人はつつましく暮らしてきたのだ。
今、タカシさんもまた病に冒され、わずかな距離を歩くにもとてつもない時間がかかる。
だが、このままではいけない――。
タカシさんは力を振り絞って駅に行き、列車に乗った。
二度の乗り換えにどれほどの時間がかかっただろう。
荷物を抱え、ベンチに座り込むタカシさんを心配して声をかけてくれた人も一人や二人ではなかった。
ようやく目的の列車に乗ったタカシさんは見かねた乗客に手伝ってもらい、どうにか網棚に紙袋を載せた。
列車が進むにつれて、乗客が減っていく。
とある駅で、タカシさんもよろよろと立ち上がり、ようやくホームに降りた。
その手に荷物はない。
列車が動き出す。
この先のカーブを曲がれば、やがて車窓一杯に海が拡がるだろう。
ハルミさんは病床で、若い頃に二人で行った海をもう一度見たいと言っていた。
体力的、経済的な理由から結局、叶えてやることができなかったのだ。
今、彼女はようやく海を見ることができただろうか。
タカシさんは見知らぬ駅のホームで手を合わせ詫びる。
鉄道会社に迷惑をかけて申し訳ない。その先の警察か、行政かに頼ってしまって申し訳ない。
でも、このままではハルミさんの骨もゴミのように扱われてしまうかも知れない。
自分はいいのだ。
厚かましい願いかも知れないが、どうか妻の骨だけは丁重に弔ってやってほしい。
見ず知らずの誰かの善意に、タカシさんはハルミさんを託したのだ。
- 骨を抱え続ける日本人
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こういった例もあるが、供養する費用がもったいないからと、鉄道やサービスエリアのトイレに置き去りにされる骨もある。
それならいっそ、ゴミに出せばいいのではないか? そんな風に考える人がいても不思議はない気がする。
もっとも、日本の法律では遺骨をゴミに出すと罪に問われる。実際には許されることではないので、念のため。
ただこれ、仮に違法でなかったとしても、多くの日本人は実際にはそれをしないだろう。
たとえどれだけ嫌いな相手でも、ぞんざいに扱えないのが骨というものなのだ(中には迷惑をかけられて憎かったのでと、妻の遺骨をスーパーのトイレに流して書類送検された事例があるそうだが)。
骨は死者が残した身体の一部、生きた証であると同時に、魂を感じさせるものである。
それがおおかたの日本人の死生観なのではないだろうか。
それ故に、おろそかには扱えない。
大切な人だったならばなおのこと、丁寧に供養したいと思うのだ。
骨はただの物ではない。
尊いがゆえに、厄介きわまりない。
だから置き去りにもできず、私たちは抱え続けていく。
- 無名の骨が休む場所
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だが、それは誰かがいてこそ。
誰もいない骨は電車の網棚に乗ることさえできない。
ハルミさんのように誰かの祈りに乗って海へ運ばれることもかなわず、行政の人の手で納骨堂や役所の片隅のロッカーに納められ、ただ長い時を過ごす。
名前はなく、識別番号があるだけだ。
やがて扉が開き、同じ境遇の誰かの骨壺が隣に置かれる。
「あ、こんにちは。ここは静かでいいですよ。生きた人間は誰も来ないから。感情を揺さぶられることがないんですよね。泣くことも笑うこともない」
「あ、そうなんですね……。でも、なんかそれって少し寂しい気もしますね」
「まあねえ。せめてもう一度、誰かが名前を呼んでくれればいいのにと思うことはありますけど」
「名前って、もう呼ばれることはないんですか?」
「はは。だって、ないじゃないですか、名前。あなたも私も」
「……」
「ま、すぐに慣れますよ。だって私たちはもう骨なんだから」
――あなただったら、どうするだろうか?
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- 著者プロフィール
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安田 依央(やすだ いお)
1966年生まれ、大阪府堺市出身。関西大学法学部政治学科卒業。ミュージシャン、女優、司法書士などさまざまな職業を経て2010年、第23回小説すばる新人賞を受賞して小説家デビュー。著書は『たぶらかし』、『四号警備新人ボディーガード』シリーズ(いずれも集英社)、『出張料亭おりおり堂』シリーズ、『深海のスノードーム』(いずれも中央公論新社)など多数。
『終活ファッションショー』、『ひと喰い介護』(いずれも集英社)は司法書士として依頼人の終末に関わってきた経験をベースにした小説。