わたしの骨はどこへいく?

独身、一人っ子、親戚づきあいなし。
作家・安田依央は、還暦を目前にして、はたと考えた。
「自分は死後、無事に骨になれるのか?」
人は死んだら、自動的に骨になれるわけではない。
また骨になれたとして、誰かしらの手を煩わさずには
どこかに葬られることもない。
元司法書士として、人々の終末に深く関わってきた筆者が
ずっと後回しにしてきた自らの行く末。
孤独死、孤立死……年間2万人以上の人たちが
誰にも看取られず死にゆく長寿大国・日本。
長年ほったらかしにしておいた宿題にとりかかるかのごとく、
「終活のプロ」が、自分の「骨の行方」を考えるエッセイ。

第9回

第4章 ほねの道 ①

更新日:2025/09/24

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骨壺の大きさは日本全国同じじゃない
 母が亡くなる数ヶ月前のことだ。
 父が突然「お母さんが亡くなったら、火葬場で焼いた骨を全部持って帰る」と言い出して、びっくりした。
 これを読んで、いやあ、そらびっくりするわと思った方と、なんでびっくりするの? 当たり前でしょ、と思われた方の二種類が存在すると思われる。
 実はお骨揚げに際して、どこまで骨を持ち帰るかというのは地域によってかなり差があるのだ。
 たとえば関東ではすべてを持ち帰るそうだが、関西では足、腰、頭、そして喉仏といった一部だけだ。
 そのため、骨壺の大きさも異なる。
 関東では直径が二十一センチ程度、関西では九から十五センチ程度とされている。
 もっとも、東西で簡単に分けられるものでもなく、地域によって持ち帰る骨の部分、ひいては骨壺の大きさもまちまちなのだ。

 骨揚げというのは極めてプライベートなものなので、家族か親戚か、よほど親しい間柄でないと参加する機会がない。
 私自身、何度か参加しているが、すべて近畿圏だったため、そのやり方が全国共通だと思っていた。
 だから関東の骨壺を初めて見た時、その巨大さに驚いたのだ。
 え? 全部入れるの? あれ全部? と思ってしまった。
 だが、逆に全部収骨が当たり前の地域に住んでいる人からすると、え? 残す? お骨を火葬場に残していくの? となるだろう。
 火葬場に残した骨に関しては、これも地域によって異なるが、私が住む大阪市の場合、市営の斎場にある供養塔に合祀されることになっている。
 もっとも、この「残骨灰」には歯の治療やペースメーカーなどに使われた有価金属を含むため、それらは業者に売却されたりもするそうだ。

 さて、父の発言に戻ろう。
 とにかく、大阪では全部収骨なんて話は聞いたことがない。そんな骨壺だってないはずだ。
 そう言うと、いや、親戚の○○伯父さん(祖母の兄)の時には息子の××君が段ボール箱に全部納めて持って帰っていた。うちもあれをすればいい、と言うではないか。
 ちょっと待て、その段ボールに詰め込んだ骨と灰、持って帰ってどうするというのか。
 土に混ぜてお花を植えるのだ。お母さんもきれいな花と一緒でいいだろうとのたまう父に、私は頭を抱えた。
 仮に自宅の庭があったとしても、そこに骨を埋めるのは法律違反である(「墓地、埋葬等に関する法律」では墓地以外に埋葬してはいけないと書いてある)。
 まして、うちはマンションだ。
 プランターに土といっしょに入れればいいのだと父は一人ご満悦だが、私は知っている。この人は植物好きな割に育てる才能がない。水や肥料をやりすぎるのか、その逆か知らないが、花はもちろん、盆栽やサボテンでさえ枯らしてきた過去がある、筋金入りの園芸下手なのだ。
 枯れた花を撤去したあとに残るのは遺骨入りの土である。
 いや、もうほんまにどないすんのそれ?
 もちろん、その辺に捨てるわけにはいかない。
 二十年か三十年先の未来、八十を超え、老女となった私。両親二人分の骨壺を持っているだけでも大変なのに、さらに骨入り土のプランターまで抱えて流浪の旅に出るというのか。
 冗談じゃないぞと猛反対の末、どうにか大阪でいうところの普通の骨壺で決着した。

 そして、母が亡くなり、葬儀社の人との打ち合わせで骨壺の話になった。
 大阪では九センチから十五センチ程度と書いたが、その会社では大小二種類の大きさを扱っていた。
 司法書士をやっていた時、相続の話で依頼者のご自宅を訪ね、お仏壇や祭壇のお骨に手を合わせる機会もかなりあったが、九センチ、つまり小さい方をよく目にした。
 そもそも、うちの父は散骨するつもりでいる。
 散骨する際には粉末状にしなければならないとされているから、沢山あればあるほど作業は大変だろう。
 私は当然、小さい方にするつもりだったが、父は迷うことなく大きい方を選んだのである。
 まあ、段ボール箱よりはよほどマシなのでそれでいいことにした。
 それでも、実際の骨揚げで拾ったのは骨全体の三分の一程度だ。火葬場に残してきた部分も多い。
 足、腰、頭、喉仏の重要部分に加えて、適当に目についた骨を納めるような感じだった。
リビングにあるお骨
 現在、骨壺を収めた骨箱をリビングに安置し、遺影にお花、お茶などを供えている。
 無宗教なので、仏壇仏具などはないし、お経を唱えることもない。
 父や私が時々、話しかけている。
 母は去年の夏に脳梗塞を発症してから、言葉のすべてを失った。
 当初は笑顔を見せてくれることもあったが、徐々に表情もなくなっていった。
 短い面会時間の間、一人喋り続ける私に、時々こちらを見はするが表情を変えない母。父が行っても同様だった。
 そんな感じだったので、今の状況はあまり変わらない気もする。
 むしろ、自力で寝返りも打てず、拘縮(こうしゅく。関節が硬くなり動かしづらくなった状態)によって手を握りしめたきり。苦しげだったり、痛そうに顔をしかめることもあったから、見ている私たちも辛かったのだ。
 それでも生きてさえいてくれればと思う気持ちもあり、相反する感情に板挟みになっていたように思う。
 今はもう母に苦痛はないのだろうと考えると、こちらも穏やかな気持ちで向き合うことができている。

 現在、我が家で一番大事なものは母の遺骨ということになるだろう。
 よく火災の際にお位牌を持って逃げるなんて話を聞くが、うちの場合は骨である。
 結構でかい。

 こんなに大切なものをいつまでもリビングに置いておいていいのかとも考えるが、父は自分が死ぬまで手許に置いておくつもりらしく、手放すなんてとんでもないという主張だ。
 そうだった。この人は植物を植えてベランダに置いておこうとか、斜め上のロマンを抱くタイプの人間だった。
父の終活 もしも私が先に死んだらどうする
 前の章でも書いたが、父の希望は自分が死んだら母といっしょに海に散骨してほしいというものだ。
 まあ、父も今年の秋に九十歳になるので、そんなに先の話でもないのかとも考えるが、しかし、百歳を超えても長らえる可能性がないわけではない。
 父が百になる時、私は七十だ。
 大丈夫なのかそれは、という不安がふたたび頭をもたげてくる。
 何度も書いているが、両親を無事送るまでは死ねないと、いくら私ががんばったところで、どうなるか分からないのが人生というものだ。
 常につきまとう、「万が一、私の方が先に死んだらどうするのか」問題である。
 百歳の老体が妻と子の骨壺を二つ抱えて、散骨の旅に出ることになるのだ。
 これはとうてい誰かの助けなしにはなし遂げられないだろう。
 第一、その場合、父の骨は誰が拾い、散骨してくれるのか。
 となるとこれ、万が一を考え、第2章で書いた、「備える」ための色んな方策を父の分まで用意しておくべきなのかも知れない。
 しかし、言うのは簡単だが、実際のところ、私の頭の中はすでに、なんだそれめんどくさ、という文字で埋め尽くされている。
 自分の分の「備え」だけでも大変なのに、父の分までってか。
 けれど、ありえないことではないのだ。
 ならば備えておかないと、父は失意のうちに死なねばならず、母と私の骨はよくてどこかの倉庫、最悪ゴミにされるだろう。
 父と私、高齢と還暦の変わり者親子。どちらが残ってもいいように二人分のスキームを考えなければいけないようだ。
 今後の(しかもなかなかに喫緊の)課題である。
お骨をずっと家に置いておくのはアリか?
 話は戻るが、たとえばこの先、父が存命の十年、もしくはそれ以上か以下の期間、リビングに母のお骨を置いていいものかどうかという疑問が残る。
 これ、なんで?
 いったい何が引っかかるのだろうと考えてみたが、多分、これまでの人生のどこかで、それも複数回、誰かからこういうことを聞いたことがあるのだ。
「お骨をいつまでも家に置いておいてはいけない」と。
 思い当たったのは三つの理由だ。

 まず、死穢(しえ)だ。
 なんともおそろしげな字面だが別にホラー展開ではないので安心してほしい。
 最近でこそあまり気にしなくなりつつあるが、日本では古来、死は穢れであるとする考えがあった。
 穢れ、気枯れとも書く。
 つまりは気が枯れる状態をさすのだ。
 たとえば、死者が出た家では神棚を封印する(まあ、最近では神棚がある家の方が珍しいかも知れないが)。
 これは神様を「気枯れ」から守るためのものだ。
 この死穢という考え方は神様が登場することを見ても分かるが、主に神道的思想による。
 ただ、日本では神仏習合の結果、仏教との境があいまいな部分があるのと、民間信仰による影響が仏教式の葬儀に及んでいるところがある。

 詳しくは省くが、今でも通夜や葬儀の会葬御礼に清めの塩が添えられていたりするだろう。
 みなさんも、帰宅後玄関先で塩をまいてもらったりするのではないだろうか?
 あれは、死の穢れを清めるための風習だ。
 さらに、その穢れは骨となっても残るという考え方もあり、家に長く置くことを忌避するというのが一つ目だ。
納骨に期限がある?
 二つ目は期限の問題。
 といっても、法律でいついつまでに納骨しなければならないと決められているわけではない。
 これは、むしろ日本人が守るべき決まり、暗黙の了解(だった)とでもいうべきものかと思う。
 では、その決まりごとはどこから来ているのだろうか。
 まずは仏教。
 そして民間信仰だ。
 この二つは骨を考えるうえで避けて通れない。
 何をするにも必ず立ちはだかってくる、これまでの日本で骨の行く末、つまり「ほねの道」を示してきた絶対的な二本柱なのだ。

 期限の話に戻ろう。
 納骨するタイミングについて、まず最初に候補に挙がるのが四十九日だ。
 仏教の考え方では四十九日というのは死者の行き先が決まる日で、この日をもって遺族も忌明けとなり、日常生活に戻ることになる。
 親族が集まって法要を行うことも多い。
 節目に納骨できれば、より区切りがつけやすいだろう。
 だが、実際のところ、四十九日(四十八日目)は故人が亡くなってばたばたしているうちに、あっという間にやってくる。
 元々お墓があればいいが、そうでなければ間に合わせるのが難しそうだ。

 その場合、百か日の法要や、一周忌、三回忌などに合わせて納骨することが多い。
 しかし、三回忌より後の納骨というのは仏教的にはあまり歓迎されないらしい。
 三回忌をもって、しばらく親族一同集まってという法要が行われなくなるせいもあるだろうか。
 だが、それ以上に、あまりにも時が経つと、親戚の誰かが「いったいどうなってるんだ、このままじゃ□□は成仏できないぞ」などと言ってくるのがごく最近までの日本の姿だった。
 ごく最近までと書いたが、もちろん現在でもこのように感じる人はいる。
 これには二つの側面があって、まずお骨を墓に納めない、または墓を建てないというのは家(または家長)としての責任を果たしていない。
 親戚としてそんな恥ずかしいことは看過できないなどという、いわゆる「家」の概念との関係によるもの。
 さきほどの日本人が守るべき決まりに反しているわけで、それは親族にとっても「恥」になるのだ。

 もう一つの側面は、周囲の人たちの優しさに由来するもののように思う。
 まずお骨を手放すことで、死者の魂が旅立つという考えがある。
 いつまでも家族の思いに縛られていては死者はどこへもいけないのだという。
 この考えを裏返してみると、お骨を手放さずにいることで、この遺族はいまだに故人の死に対して心の区切りを付けることができていないのではないかと周囲が案じた結果なのかも知れない。

 だが、納骨したことによって深い喪失感に苛まれる人がいるのも事実だ。
 もう本当にいなくなってしまった、手が届かない場所に行ってしまったと思い、手放すのではなかったと後悔の念にかられるのだ。
 それは昔だって同じだっただろう。

 考えるに、それしか選択肢がない時、人間はあきらめるしかないのではないか。
 悲しみや喪失感を抱えながらも、それが常識だ、そうせざるを得ないと自らを納得させるわけだ。
 そもそも日本人の宗教や葬儀に関する選択が(地域差、宗派による違いはあるとしても)一つしかなかった時代、子どもの頃からそうするものだと刷り込まれていると、そもそも納骨しないという発想自体が出てこなかったはずだ。
 ましてや死者の魂の安寧のために、と言われてしまっては反論のしようもなかっただろう。

 最近では初七日の法要を骨揚げ後に行い、次は四十九日とされることも多いが、本来は四十九日まで七日ごとに法要がある。
 その後、百箇日、一周忌、三周忌と、着々と故人不在の時間を積み重ね、区切りを確認していく。
 仏教を深く信心している人にとって、その日々は死別の悲しみをやわらげるために十分な働きをするだろう。
 その流れの途中で、納骨時期が決まっているのならば、それに向けて心の準備ができていく。
 それが信仰の本来の役割だ。

 だが、現在、日本人の信仰の度合いは人によってまちまちだ。
 誰かの葬儀の際に初めて、自分の人生に仏教が存在感をもって現れたという人だって少なくないはずだ。
 四十九日に死者の行き先が決まるといっても、ピンとこない人も多いだろう。
 そんな人々に、四十九や百の数字で区切りをつけろと言っても、心がついていかないのではないか。
 現在の日本では信仰も死生観も人それぞれだ。
 ならば、他人が何か言うべきではない。
 骨を抱える者たちは自分の心に従って手放す時期を決めればいいし、一生抱え続けてもいいのだ。
 ただ、骨を守り続けていくことが重荷になることがあってはよくないとも思う。
骨の存在感
 さて、忘れているかも知れないが、三つ目の問題。
 大きすぎる骨の存在感についてである。
 たとえば、友人宅に遊びに行った際、ご両親がいればあいさつをするだろう。
 が、その元はご両親だったお骨があるとすると、や、これはどうしたものだろうかとならないだろうか。
 仏壇なり祭壇があるならば、しかるべき手順で手を合わせればいい。
 実際、司法書士をやっていた頃、相続の対象になる方が亡くなっていくらも経たないことも多く、初回にお宅を訪問する際には数珠を持参していたりもした。

 では、うちのように仏壇も祭壇も何もなく、ただお骨があるというような場合はどうすればいいのだろうか。
 まして、うちの場合、大阪にしては大きめの骨箱がどんとあるのだ。
 何となく手を合わせていればいいのかも知れないが、骨壺以外に何もないということはその家の人間(うちの場合は私や父)がそもそも手を合わせていない可能性もある。
 来客だけが手を合わせる。
 なんだか変な話になってくる。
 では知らん顔をしておけばいいのかとも思うが、そこにある以上、家族にとっては大切な存在であるはずだ。
 見て見ぬフリをするわけにもいかないし、だからといって、生きている人間にするように、いやあ、今日は暑いっすねえ、麦茶がおいしいですわなどと、よく知らない人から話しかけられても骨も困るだろう。

 あと、家族のみならず、来客もまた見守られている感がある。
 骨に。

 かつて依頼者のお宅で骨壺を目にする時、何とも名状しがたい気分になった。
 ご遺骨の前で早々に相続や事務手続きの話を繰り広げているのが何やら申し訳ない気がしたのだ。もちろん、生者にとっては必要なことなのだが。
 信仰心のない私ですらそうなのだから、信心深い人に余計な心労をかけることになるかも知れない。
 第一、現在の日本人の信仰がまちまちである以上、死穢やしきたり違反を感じて不快になる人もいるかも知れない。
 まあ、そんなの知ったこっちゃねえよと言ってしまえばそれまでなのだが。
で、どうする?
さて、そうなるとこんな風に考えると、父が死ぬまで我が家のリビングに母の遺骨をとどめ続けることが本当にいいのかどうかだんだん迷いが生じてきた。
 先にも書いたとおり、我が家には墓はない。
 いずれ散骨するとしても、それまでどこかに預ける先はあるのか。
 あるいは(沢山あるので)一部を散骨して、他はどこかに納めるというのはどうだろうか。
 などと考えた私は、いわゆる昔ながらのお墓(一般墓と呼ぶことにする)の他にはどのような選択肢があるのだろうかと、見学に回ってみることにした。
 私が実際に見に行ったのは四ヶ所。
 樹木葬、大阪の一心寺、都市型納骨堂、そして高野山だ。
 大阪とその近郊ばかりだが、他の地域の方にも参考になるかと思う。
 今、この令和の世の中、骨の行く先として、どんな選択肢があり、具体的にそこで骨はどんな暮らし(?)をしているのか。
 加えて、現地に行った以外にも「新しい骨の道」をいくつかピックアップしてみた。
 これ、読んでいただくと分かるが、なかなかにバラエティ豊かな骨の道となっている。
これから検討する方の役に立つよう、私の感想のほかに、ガイドブック的な紹介についても順番に書いていくことにする。
(第4章、第10回につづく)

題字・イラスト:タニグチコウイチ

著者プロフィール

安田 依央(やすだ いお)

1966年生まれ、大阪府堺市出身。関西大学法学部政治学科卒業。ミュージシャン、女優、司法書士などさまざまな職業を経て2010年、第23回小説すばる新人賞を受賞して小説家デビュー。著書は『たぶらかし』、『四号警備新人ボディーガード』シリーズ(いずれも集英社)、『出張料亭おりおり堂』シリーズ、『深海のスノードーム』(いずれも中央公論新社)など多数。
『終活ファッションショー』、『ひと喰い介護』(いずれも集英社)は司法書士として依頼人の終末に関わってきた経験をベースにした小説。

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