第2回
人生のタイムリミットと向き合う、老いた親との介護の時間
更新日:2024/11/20
気づけば、私も53歳。
自分が歳をとれば、もちろん親も歳をとるわけで。
遂に大久保家にもあの問題が降りかかってまいりました。
そうです、あの介護問題です。
母が棚に隠していた饅頭を「食べた」「食べない」で両親が大揉め。
母から「私の饅頭を知らないか」と問い詰められ「そんなの知らんよ」と答える父。
しかし、その口元には何やらあやしい食べカスが。
でも、よく見ると母の口元にもそれらしきものがついている……。
どちらかが食べたことを隠しているのか、それとも、食べたことすら忘れてしまったのか。
いや、もしかしたら、二人で半分こしたのを二人とも忘れてしまっているのかもしれない。
一抹の恐怖を感じつつ「ふうちゃんが食べちゃったのかなぁ?」と、両親が飼っている犬のせいにして喧嘩をおさめたのが数年前の出来事。
そこから老いはぐんぐんと加速。母が「膝が痛い」と言えば、父が「血圧がなぁ」と言い出す、返事を待たずに喋り続ける老人あるある。
二人の体調不良の訴えをまるで二重音声のごとく聞き続けるのが帰省時の恒例行事になっていたりして。
以前から「そろそろヤバイかもしれない」とうっすら気づいてはいましたが、その予感がとうとう現実になり父が“要介護1”に。
ついに介護のスタートラインに立つことになってしまったのです。
やたら怒りっぽくなり、母と衝突する機会が増えたなと思ったら、喧嘩したことすら忘れてしまうように。
急速に体も頭も衰えていく父の現状を理解しているつもりではいたけれど。
深夜の実家の廊下でトイレから点々と寝室まで続く父のおしっこのあとを目にしたり。
寝室のすみから、父が隠したであろう “お漏らしパンツ”がまるまった状態で出てきたり。
自分の下(しも)の処理がままならなくなった、その現実を知ったときはやっぱりショックで。
でも、ショックを受けたのはきっと父も同じ。
お世話をする立場としては介護用のオムツをつけて欲しいところなんだけど、父はそれを拒否。
「オムツなんて誰でもはいているよ。うちの愛犬のパコ美ちゃんもよその家にいくときははくんだよ」と説得しても「それは犬の話だろう」とやっぱり拒否。
パンツに貼り付ける尿取りパッドも上手く使えず、最終的には簡易トイレまで購入したものの、最近はそれがあることすら忘れてしまったのか、全く使ってくれなくて。
壁にぶちあたるたびに、何かいい手はないか、いいグッズはないかとネット検索。
今の私のamazonの購入履歴、介護グッズで埋め尽くされていますからね。
そんな父も心配ですが、母のことも心配。
今までは「一度、私も実家に帰ろうか?」と電話をかけると「帰ってこんでいいよ。あんたも忙しいんだから」と返してきた母が「お願いできる?」と言った日は胸がギュウと苦しくなったよね。
今でこそ「なんとかなる!」「どうにかなる!」と開き直り、目の前の現実と強く向き合っている頼もしい母だけど、電話を掛けるときはいつもドキドキしてしまう。
何事もない平穏な「もしもし」なのか、何かが起きているであろう「もしもし」なのか、今日の第一声はどっちなんだろうって。
認知症が進みすべてを忘れてしまうまえに、目の前の出来事をまだ理解できるうちに、少しでも心地よい時間を過ごし良い記憶を残してあげたい。
親の介護は期間限定、タイムリミットがあると私は感じています。
だからこそ、できる限りのことはしてあげたい……と、思ってはいるんだけど、人生のタイムリミットが迫っているのは私自身もまた同じ。
両親ほどではないけれど、私も老いていくわけで。
50代、できることはまだまだあるけれど、それが少しずつ減っていくのも感じ始めているからこそ、その貴重な時間を介護に奪われていくもどかしさを感じてしまう自分もいたりして。
親と自分、どっちにどれだけの比重を置けば上手くバランスが取れるのか、その塩梅(あんばい)が本当に難しい‼︎
そんなとき、話を聞いてくれるのが同年代の仲間達ですよ。
親の介護で悩んでいるのは周りの友達も同じ。
顔を合わせれば「ねえ、聞いてよ」と始まる、親にまつわる愚痴や悩み相談。
昔はあんなにお笑いや仕事の話を語り合っていたのに、今盛り上がる話題といえば介護の情報交換一択ですからね(笑)。
便秘気味だった父が説明書をよく読まずに下剤を多めに摂取。
案の定、お腹をくだしてしまったんでしょうね。
地元の友達と飲んで家に帰ったら、尻を丸出しにしたままトイレの前に立つ父の姿が目に入り、さらにはそのむき出しの尻からポトっとウンチが落ちたんですよ。
犬と暮らしているとウンチを拾うなんて日常茶飯事。
そんな生活に慣れているからでしょうか、それとも、少し酔っていたせいでしょうか。
自分でも驚いてしまったんですけど、咄嗟に足元にあったふうちゃんのおしっこシートをつかみ、ウンチを処理している私がいたんですよ。
小型犬のそれとは明らかに違う、80歳を超えたジジイのウンチの重みを手のひらで感じながら、「私、介護いけるかも」と思ったのが最近の出来事。
今も大変なことは多々あるし、この先もきっと増えていくのだと思います。
でも私ね、そんなに悲観的に捉えてはいないんですよ。
耳が遠くなり、目が見えづらくなり、足が前に出なくなってよく転び、喉の反射神経が衰えむせやすくなっていく……。
歳をとると本当にわかりやすくひとつひとつの機能が衰えていく。
そんな親の姿を見ていると思うんです、こうやって人間は一歩一歩老いていき、死に近づいていていくのだなと。
「介護は親がしてくれる最後の子育て」「死は最後の親からの教え」そんな言葉をよく耳にするけど、その角度で眺めると今の状況もそんなに悪くないのかもしれないって。
この先、親がどういう状態になるのか、そこで自分の気持ちがどう動くのか、今はまだまだ未知の世界だけど。
ときに迷い悩み、ときに愚痴をこぼし、ときに笑いに変えながら、両親の最後の教えと向き合っていけたらと願う介護初心者の私なのです。
聞き手・構成/石井美輪 題字・イラスト/中村桃子
©三山エリ
- 著者プロフィール
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大久保佳代子(おおくぼ・かよこ)
タレント。1971年5月12日生まれ、愛知県出身。千葉大学文学部卒業。1992年、幼なじみの光浦靖子と「オアシズ」結成。「めちゃ×2イケてるッ!」でのブレイク後、バラエティ番組にとどまらず、コメンテーターや女優としても活躍している。近著にエッセイ集『まるごとバナナが、食べきれない』など。