失踪願望。失踪願望。

第25回

アルマジロ、東京観光、伊達眼鏡

更新日:2024/02/21

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5月3日(水)

 世の中は連休らしいのだが、特に変わらずに原稿を書く。
 いわゆる五月晴れで気持ち良く、ビールがうまい! 五月雨でもビールはうまいでしょと誰かに指摘されそうな気がするがあらためてサミダレって面白い語感だな、と思った。

5月5日(金)

 アルマジロの生態についての番組が面白くて見入ってしまった。彼らはそこらに穴を掘りまくるという。その穴は他の生き物が隠れ処に使ったりするらしい。アルマジロ君はどうやらいいヤツらのようだ。
 沢野ひとしの姉に初めて会った時、「椎名くん、アルマジロに似ているね」と言われた。ぼくはアルマジロを知らなかったので、音としてはフランスの俳優かなんかと思って「はあ、そうですか」とか気のない返事をしながらも悪い気がしなかった。
 それからアルマジロ君のことは忘れていたのだが、ブラジルのパンタナル(巨大湿原)に行った時、野生の大きなアルマジロに遭遇して「おお、君だったかあ」と妙な親近感が湧いた。
 アルマジロの語源はスペイン語で「鎧を着た小さなもの」らしいが、夜行性で寒さに弱いらしい。いよいよ他人とは思えない。

5月7日(日)

 明日から新型コロナウイルスが2類から5類に位置付けられるらしい。どの報道を見ても基本的には感染対策やイベントや飲食店のルールなどを語っているだけ。いろんなことが緩和されるということだけは分かったが、そもそも2類とか5類とか言われてもよく分からない。3類と4類はどうした、と思って調べると3類には腸チフス、4類にはエキノコックス症や狂犬病などが分類されているようだ。そういうことを知らなかったコチラがアホなだけだろうけれど、5類だとコンサートに何人入れるか、ということなどよりよっぽど重要な気がする。不謹慎な言い方だと思うが、せっかくの機会なんだから、そういう情報などをもっとメディアを通して伝えてほしい、と思った。

5月9日(火)

 朝から虎ノ門の眼科に行く。信濃町だ板橋だ人間ドックだと、気づけばなんやかやと病院に通う日々だ。いま気づいたが「人間ドック」の「ドック」は港に入った船が点検や修理なんかをするあの「ドック」なのか。

5月12日(金)

「天気も良いしたまには東京観光をしましょう。新宿、浅草、銀座を巡って最後は二重橋ですヨ。いや神田でビールを一杯」
 ぼくが単純なだけかもしれないが、編集Tはいつも人を誘い出すのがうまい。気づけば集英社からやってきたワンボックスに乗って甲州街道から新宿を抜けていた。新宿は今日も人が多かった。
 四谷三丁目の交差点で車を停めてもらって、「本の雑誌」の初代編集部が入っていたチビビルの前で写真を撮った。くすんだ壁色に見覚えがある。タケダが「だいぶ年季の入った色ですねえ」と言っていたが、壁は1979年当時から同じようにくすんでいた気がする。外苑東通りをはさんだ向かいビルのダンス教室が健在だったのには驚いた。本の雑誌社の窓からは、角度的に踊る女の下半身しか見えなかった。今でもそうだったらちょっとコワイな。
 1フロア18.85平米。家賃はどうしても思い出せないが、景気が良かったせいか空テナントがほとんどない時代だった。
「シーナ、いま決めないと他の人に借りられちゃうぜ」
「いや、こういうのは一度、落ち着かないとダメなんだ」
 目黒(考二)とそんな会話をして近所の適当な喫茶店に入って、せわしなくタバコを吸ってアイスコーヒーを飲んでから「よおし、借りよう」と不動産屋に戻った。喫茶店で落ち着いてから決断したつもりだったが、きっと深く考えてなかった。
 のちに四谷から、信濃町、新宿五丁目、御苑と編集部は転々としていくのだが、いちばんはじめの四谷時代に木原ひろみさんが社員になってくれた。のちの群ようこさんだ。給料が3万円だったのに彼女はなぜ働いてくれたのか今でもよくわからない。
 千鳥ヶ淵から神保町を通過して東へ。秋葉原を越えて下町に入ると、ちょうど神田祭がはじまるらしく、そこらじゅうに標縄(しめなわ)や提灯が飾られていた。こういう町全体が浮かれている雰囲気は好きだなあ。深川の叔母さんのことを思い出す。叔母さんの家は駄菓子屋で、幼いぼくにとっては天国のように楽しい場所だった。
 総武線に乗って遊びに行くと「よく来たね」といつもカツ丼を出前でとってくれた。カツ丼には蓋がついていて、「東京のカツ丼には蓋がついている。千葉とは違う!」とたじろぎながらも嬉しかったものだ。
 車は隅田川を上り、浅草方面へ。途中、スカイツリーというものを初めて身近で見たが「よくもまあこんなものを作ったなあ」という感想しかない。それよりも車に乗って下町を見渡す感覚が懐かしかった。小伝馬町の中尾金属の倉庫で働いていた時期のことをあとになって「倉庫作業員」という短編にしたが、それが松竹で『息子』という映画になった。
 映画ではハンドルを握る田中邦衛が、配達中のトラックからオリンピック前の東京のひどい渋滞のさなか、サーフボードを積んだ車に「遊びに行くんなら電車で行ってくれぇ!」と叫ぶ。そのシーンがぼくは好きで「原作どおりだ。山田洋次監督も役者もすごいなあ」と素直に感じた。
 中尾金属で働いていた時に重い伸銅品(しんどうひん)の配達でよく行った曳舟のあたりも回ってみる。編集Tが「このあたりに路面電車が走っていたはずです」などと教えてくれるが、街が変わってしまってよくわからなかった。仕事が終わると安全靴から下駄に履き替えて都電に飛び乗り銀座で働く一枝さんに会いに行った。なんという路線だったか。いつも混んでいたし、ちょこちょこ止まって結構時間がかかった。割に重要な路線だったんだと思う。
 変わったという意味ではその後に軽く流した銀座や新橋も変貌していた。松坂屋も三愛ビルもなくなってしまった。ストアーズ社の入っていたビルも解体されるらしく幕に包まれていた。銀座ではないが八重洲ブックセンターも閉店してしまった。しかし、ぼくはいつの間にかなくなったものばかり気にしているなあ。銀座も渋谷や新宿も再開発で工事だらけだというがまったく興味が持てない。渋谷なんて金輪際行かないで生きていきたいと思っている。三軒茶屋にいた頃、一番近い大都会は渋谷だったので青年時代、よく行った街だ。そこも今はまるっきり変わってしまった。若者の街になってしまった。「スペイン坂」なんてめちゃくちゃウソっぽい。銀座シックスというビルでトイレを借りた。きれいな建物だったがどこか落ち着かなかった。あの頃は下駄ばきで銀座を歩いていてもなんにも気にしていなかったけどなあ。
 では、本日のお楽しみです、と編集Tが最終目的地に選んだのは浅草橋の「むつみ屋」だ。給料が入るとここでいっぱいやるのがぜいたくだった。まだ陽は高かったが、陽が高い時の生ビールはとりわけうまい。一日中、都内を駆けずり回った(車に乗っていただけだが)ので3倍増しでうまい。「まぐろぶつ」「かつおさし」というゴールデンコンビを注文する。文句ない。
 店のおやじさんが「久しぶりですね」と声をかけてくれた。ぼくは忘れていたけれど、15年くらい前に太田和彦とここで対談をしたようだ。昔よく食べていたツマミの「くりからありますか?」と店員さんに聞くと「もうやってないんだよ。鰻が高すぎるんで」と、厨房からおやじさんが言う。という同じやりとりを、太田和彦とお邪魔したときにもしたらしい。少しショックだった。
 とはいえ、やはりこの界隈はいい。酒場も豊富だし、東京が急速に失いつつある生活の色や風情のようなものがしっかり息づいている。
 何杯か飲んだが、まだ薄暮だ。少し街をながめていると、国鉄の浅草橋駅のほうでよく牛丼を食べていたのを思い出した。いまの感覚で100円くらいの感覚だった。牛丼だけでなく安くて量のある定食屋がたくさんあって頼りになる街だった。
 まだ帰りたくなくて、もう一杯飲もうよと取材チームを誘い、すぐ横の蕎麦屋で天ぷらとそばと日本酒をやって心地よく酔った。また改めてここに来て〝くりから〟の謎を解きたい。

5月15日(月)

 付き合いのある放送作家、植竹公和さんにラジオに呼ばれたので半蔵門のエフエム東京に出かける。
 大部分はコロナ罹患についてのあれこれだったが、植竹さんはぼくの本も読んでくれているし、いい友人でもあるので「どこで感染したか」とかいう基本的な質問をうまく濁そうとしても、「いつもの居酒屋ですねぇ」などとお見通しなのでムダである。
 感染なんていうオロカな一連の日々を、映画好きの彼らしくうまく映画に喩えて話を聞いてくれたので、笑い飛ばすこともできて救われた。退院後の生活についても「本当に懲りないですねえ」と笑われてしまった。

5月18日(木)

 とても暑い日だった。午後から明治記念館へ向かい、目黒考二お別れの会に出席する。
 ぼくは近しい友人として挨拶をしないといけないのでやや気が重かったが、現場に着いてみれば懐かしい顔が多くて少し安心した。入口には等身大の目黒のパネルが置かれ、大きな会場の壁に沿って目黒の本や日記、収集物や外れ馬券などが展示されている。そういえばここは目黒が結婚式をしたところなのだった。
 誰かが「目黒さんがこうして会わせてくれたんですね」と言った。いつもなら「ケッ」と思いそうな歯の浮く台詞なのだが、この日ばかりはそうかもしれないなあと思った。
 挨拶を無事に終え、夕方から新宿へ移動し二次会へ。二次会というと不謹慎だが、会場が居酒屋「浪曼房」なので仕方ない。目黒の家族、付き合いのあった作家や編集者、本の雑誌編集部、単純な友人といった多くの人が80人くらい集まって献杯した。
 ぼくは自分が泣きたくないので、湿っぽい雰囲気になったらすぐ帰るつもりだったが、ほとんどの参加者は悲しみながらも笑っていて、次から次へととっておきの目黒のエピソードを披露してくれた。
 正確にいえば、目黒のエピソードというよりも、目黒考二の思い出話と、書評家の北上次郎への追悼と、競馬狂いの藤代三郎への愚痴だった。
 ぼくが付き合ってきたのは、あくまで目黒考二だったのでその他の顔はあまり知らない。だから、大沢在昌さんが「北上さんにもっと褒めてほしかった」と言っているのとか、競馬仲間が「あの人は当たった時は静かにしているけれど、外れると勝手に帰ったりするから分かりやすいんだ」と暴露しているのは、とても面白かった。
 あまり酔えなかったが、しっかり目黒が主役になったいい会だった。彼は2歳年下だったが完全に対等であり、時に「シーナ、それは違うぜ」とまっすぐに言ってくれる数少ない友人だった。多くのことを諭された。兄貴のような弟分だった。

5月19日(金)

 久しぶりに麻雀がやりたくなって仲間に連絡をする。ではせっかくなので、打ち合わせさせてください、ちょっとコメントくださいなどと仲間がすぐに集まり、池林房で生ビールとオシンコ。のちに秘密基地に行って、カップラーメンとトリスのハイボール。麻雀はカンタンに負けた。

5月25日(木)

 長野県中野市で立てこもり事件が起き、人が撃たれて亡くなったようだ。
 近年、本当にひどい事件が多い。起こりすぎて列挙すると気が滅入るし、次々に嫌なことが続くので昔の凄惨な事件が解決や再発防止の手段が見つからないまま、置き去りになっているのではないか。
 嫌だ嫌だと思って大相撲の夏場所を見ていると宇良がなんだか変な技で勝っていた。どうやら「ずぶねり」という珍手で、25年ぶりの決まり手らしい。
 もともとは「頭捻り」らしく、頭をひねるのがキモらしい。狙ったというよりも必死に勝ち筋を探していてそうなったのだろう。さすが業師だ。少し気が晴れた。いいニュースだけ聞いて生きてゆきたい。

5月27日(土)

 盛岡で講演。「食っていいもの、食わないほうがいいもの」というテーマだった。食べ物の話はウケがいいし、みんな興味を持ってくれる。
 ただ、ぼくは親友の逝去からめっきり涙もろくなってしまっていた。いきなり泣き出すわけにもいかないので、気休めに伊達眼鏡をかけるとなんとなく守られている気がするので、この日も伊達眼鏡をかけていた。
 なんとか形にはなったが、蟻酸とか蛇とかサナダ虫のキモチ悪い食べ物の話ばかりして、盛岡の人は気分悪くならないのかなと思ったが、サイン会で「面白かったです」という人が意外と多かった。
 夜はホヤやカツオの刺身、タラのフライ、ウニのパスタという暴飲暴食ジジイと化して宴会に出席だ。ビールとハイボールで数杯。

5月28日(日)

 そもそもこの日記を書き始めたのは、ぼくが大きな影響を受けた、しかし畏れもあってこれまで本格的に書いたことのなかった宮沢賢治について迫っていく、というのが大きなきっかけだった。
 だから盛岡での講演は取材班としてはタイムリーであり、編集Tはその都度ぼくの身柄を光原社やイギリス海岸などといった賢治ゆかりの地まで巧みに運んでいるのだが、ぼくは腰が痛い眠いフトンの方角が悪い星座が良くないなどと理由をつけていまいち取材に取りかかれないでいた。
 さすがにこの連載を続けて2年が経つのでしびれを切らしたのかもしれない。
「今日は岩手山に行きます。賢治が愛した名山の麓で彼の紡いだ詩「東岩手火山」「鎔岩流」の大地に触れ、椎名さんにも大いに感じてもらいます」
 この日、レンタカーを借りてきて編集Tは宣言した。
 盛岡から北上し八幡平市にある「焼走(やけはし)り熔岩流」というエリアに入り、一面がゴツゴツとした黒岩に覆われるようになった頃、雨が降ってきた。岩手山の見える溶岩エリアまでたどり着いて撮影するつもりだったが、風も混じって雨脚も強い。あまりに寒いので、編集Tはさすがに断念した。作家はホッとした。
 仕方ないので地元のタカハシ君の薦める焼肉店「髭」で昼めしにする。
 キムチをつつきながら生ビールのジョッキを傾け、冷麺をすする。コシもあるけれど、ダシもしっかりうまい実力のある麺だった。さっきまで岩手山で「寒い寒い」と言っていた作家(ぼく)が生ビールを飲み冷麺をすする姿を、編集Tの訝しげな瞳が見つめていたが、気づかないふりをした。

5月29日(月)

 南方写真師の〝タルケン〟こと垂見健吾おじいが、40年間、撮り続けてきた沖縄の風景を写真集『めくってもめくってもオキナワ』にまとめたらしく、その宣伝やらイベントやらで東京に来たので、会いにいった。

●この月の主なできごと

5月1日
◇五輪で3大会連続メダルを獲得した卓球の石川佳純選手が現役引退すると所属先の全農が発表。本人もSNSで「やり切ったという思いが強く、引退を決意」などとコメントした。

5月2日
◇米国ハリウッドの脚本家らでつくる全米脚本家組合(WGA)が、現地時間2日午前からストライキに突入した。WGAはストリーミング配信が普及し、テレビ番組や映画の視聴方法が変わる中で賃上げや待遇改善を求めたが、スタジオ側との合意に至らなかった。

5月3日
◇ロシア大統領府が2機のドローン(無人航空機)が、モスクワ中心部のクレムリン敷地内に墜落したと発表。プーチン氏は不在で、けが人はなかったという。
◇セルビアの首都ベオグラードの小学校で、10代の少年による銃撃事件があり、生徒を含む9人が死亡。少年はこの学校の生徒とみられる。

5月4日
◇総務省は4月1日現在の子どもの数(15歳未満人口)が42年連続で減少したと発表した。
◇大相撲の元関脇で西前頭13枚目の逸ノ城が日本相撲協会に引退届を提出。モンゴル出身、湊部屋。

5月5日
◇石川県能登地方を震源とする地震があり、同県珠洲(すず)市が最大震度6強(M6.5)を観測した。

5月6日
◇研究目的でオーストラリアに提供され現地の博物館に保管されていたアイヌ民族の遺骨4体がおよそ100年ぶりに返還。うち1体は現サハリンで収集された樺太アイヌ(エンチウ)の遺骨で海外から日本に返還されるのは初めて。
◇英国でチャールズ国王の戴冠式。英君主の戴冠式は70年ぶり。王室を離脱したハリー王子もアメリカから帰国して出席、日本の秋篠宮ご夫妻ら各国の首脳や王族ら2000人が式典に参列した。

5月7日
◇岸田首相が韓国初訪問、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領と会談した。日本の首相が韓国を訪問したのは5年ぶり。
◇アラブ連盟(21カ国・1機構)は、参加資格を停止していたシリアの連盟復帰を認める決議を採択した。欧米は制裁を科すなどして対立していたアサド政権の統治を事実上認めたことになる。

5月8日
◇新型コロナ感染症が法律上、季節性インフルエンザと同じ「5類」に移行。
◇銀座の高級腕時計店で衆人環視の中、覆面強盗事件が発生。警視庁は後日10代の男4人を逮捕。
◇劇場版26作目となる『名探偵コナン 黒鉄の魚影』が公開24日目で興行収入100億円超え。

5月9日
◇エンゼルス・大谷翔平がメジャー通算奪三振記録を502に更新。「野球の神様」こと元祖二刀流のベーブ・ルースが持つ奪三振記録(501)を上回った。

5月10日
◇「改正刑事訴訟法」が成立。裁判所が保釈の条件としてGPSの装着を命令できるように。保釈中に海外逃亡したカルロス・ゴーン被告(日産元会長)のようなケースを防ぎたい狙い。

5月11日
◇3月にサービス開始していたGoogleの生成AIサービス「Bard」が、日本語対応を開始。先行する「ChatGPT」のように対話型AIサービスとして、あるいは文章生成ツールとして長文の作成に利用可能。

5月12日
◇米タイム誌(電子版)が9日掲載の、岸田文雄首相をめぐる特集記事のタイトルを一部変更。「日本の選択」と題し、当初「岸田首相が日本を軍事大国に変える」としていたが、表題と中身が異なるとして日本政府が異議を申し入れていた。
◇75歳以上の保険料上限を2024年度から引き上げる改正健康保険法が成立した。

5月13日
◇神田祭が4年ぶりに通常規模での開催。13日は神事の「神幸祭」や「神輿(みこし)宮入(みやいり)」でにぎわった。
◇小津安二郎監督のサイレント映画「突貫小僧」の16ミリフィルムが発見されたと神奈川近代文学館で開催中の小津安二郎展で発表。国立映画アーカイブに所蔵されている家庭上映用の14分版より約6分長い。

5月14日
◇ジャニーズ事務所創業者・故ジャニー喜多川氏の所属タレントに対する性加害問題を巡り、藤島ジュリー景子社長が同社公式ホームページ内の動画で謝罪した。事実認定については明言を避ける。

5月16日
◇台湾の立法院(国会)が、同性婚カップルの特別養子縁組を認める法改正案を可決。台湾は2019年アジアで初めて同性婚を法制化している。

5月17日
◇イタリア北部のエミリアロマーナ州で17日、2日間降り続いた豪雨の影響で大規模な洪水が発生し、少なくとも9人が死亡した。1万人以上が避難する事態に。

5月18日
◇自民・公明がLGBT理解増進法案を議会に提出。
◇歌舞伎俳優の市川猿之助さんと両親が自宅で倒れているのが発見された。父の段四郎さんと母は死亡、死因は向精神薬中毒とみられている。猿之助さんは命に別状はなかった。
◇関東、東北で今年初の猛暑日。熊谷市で35度超え、名古屋市、京都市でも30度を超えた。

5月19日
◇G7サミットが広島市で開幕。G7首脳は原爆資料館を初めてそろって訪問した。
◇日経平均株価の終値が3万808円35銭と、バブル期の1990年8月以来、約33年ぶりに最高値を更新。
◇ルキノ・ビスコンティ監督の『ルートヴィヒ』などで知られる俳優のヘルムート・バーガーさんが18日、オーストリアのザルツブルクで死去と発表。享年78。

5月20日
◇ウクライナのゼレンスキー大統領がG7広島サミットに参加するため、広島空港に到着。当初はオンラインで参加する予定だった。大統領は各国首脳と会談した。

5月21日
◇浅草・三社祭も4年ぶりに本社神輿を担いで練り歩く通常開催。2020年から規模縮小での開催されていた。

5月23日
◇台湾のNGO「婦女救援基金会」は22日、日本統治時代の元慰安婦と認定された59人のうち唯一の生存者だった92歳の台湾人女性が今月10日に死去したと発表した。基金会は、遺族の希望を尊重し、葬儀などを終えた後に公表したとしている。

5月24日
◇ホンダは自動車レースの最高峰、F1世界選手権シリーズに2026年から復帰すると発表。アストンマーティンにパワーユニット(PU)を供給する。復帰は5年ぶり。
◇「ロックンロールの女王」とも称された米国出身の歌手ティナ・ターナーさんが、スイスのチューリヒ近郊にある自宅で死去と発表。享年83。

5月25日
◇長野県中野市で警官を含む男女4人が刃物や猟銃で殺害される事件が発生。容疑者は同市議会議長の長男で、自宅に立てこもった後、26日未明に投降した。
◇スケートボード女子の東京五輪銅メダリスト・中山楓奈(ふうな、ムラサキスポーツ)が、米専門誌「THRASHER(スラッシャー)」1月号の表紙に。17歳。アジア人女性では初、日本選手としては同金メダルの堀米雄斗に次いで2人目。
◇タレント大泉洋さんの実兄、大泉潤氏(57)が当選して話題となった4月の北海道函館市長選で、隣の北斗市の20代女性が他人になりすまして投票したとして、公職選挙法違反(詐偽投票)の疑いで道警に書類送検された。「大泉洋さんのお兄さんに投票してみたかった」との趣旨の話をした。

5月27日
◇カンヌ国際映画祭で、ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』に主演した役所広司さんが男優賞を受賞。是枝裕和監督の『怪物』は脚本賞(坂元裕二さん)と「クィア・パルム賞」を受賞した。

5月29日
◇岸田首相は長男の翔太郎秘書官を6月1日付で交代させると発表。首相公邸内での〝親族忘年会〟の記念写真が流出するなどした問題を受け事実上の更迭。
◇北朝鮮が「人工衛星」を5月31日から6月11日の間に発射すると日本政府に通告。政府は事実上の弾道ミサイルと受け止め、ミサイルの破壊措置命令を出した。

5月30日
◇同性婚を認めていない民法の規定は憲法に反するとして、愛知県内の同性カップルが国を訴えた訴訟の判決で、名古屋地裁は「違憲」との判断を示した。国への賠償請求権は棄却。

5月31日
◇北朝鮮は午前6時半ごろ、軍事偵察衛星をロケットに搭載して発射したが、エンジン異常で黄海に墜落した。北朝鮮が予告していた衛星の打ち上げに失敗したとみられる。

Ⓒ 撮影/内海裕之

著者プロフィール

椎名 誠(しいな まこと)

1944年東京生まれ、千葉育ち。東京写真大学中退。流通業界誌編集長時代のビジネス書を皮切りに、本格デビュー作となったエッセイ『さらば国分寺書店のオババ』(’79)、『岳物語』(’85)『犬の系譜』(’88/吉川英治文学新人賞)といった私小説、『アド・バード』(’90/日本SF大賞)を核としたSF作品、『わしらは怪しい探険隊』(’80)を起点とする釣りキャンプ焚き火エッセイまでジャンル無用の執筆生活を続けている。著書多数。小社近著に『遺言未満、』。

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