失踪願望。失踪願望。

第22回

闇黒・ズタボロ・閉鎖月間

更新日:2023/08/30

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2月1日(水)

 目黒の葬儀に行きたかった。でもよわったことになかなか決心がつかない。目黒はぼくより若い親友で、いろんな意味で親密な同志だった。
「本の雑誌」を彼と二人でたちあげ、育てていく過程でぼくはいつも彼の考えを頼りにしていた。そういう奴の葬儀なのに、参列の決心がつかない。
 彼がいちばん愛していた残された奥さんや二人の息子たちを見るのが辛かった。もっと割り切ろう、としきりに思うのだが、そんなに簡単にはいかなかった。ケジメやメリハリという言葉が頭のまわりをくるくる回っていたが行動にはならなかった。
 どうしてなんだろう、と考えたが、葬儀のあれこれに触れてしまうと、それっきり目黒が去ってしまうような気がしていた。
 ぼくのなかでは、彼の死はずっと曖昧にしておきたかった。社会性のない、身勝手な考えなんだろうな、とは思うけれど、彼の死を認めてしまうことは、もっとはかりしれない沢山の大きなものを失うような気がした。

 夕刻から新宿の馴染みの居酒屋「犀門」に本の雑誌社の面々と集まる。大きなお別れの会を後日やるそうだが今日の集まりはぼくがよびかけた。思えばこれまでしょっちゅう目黒といろんなことの打ち合わせをしてきた店だった。
 端っこの丸テーブルとその隣りの細長テーブルをかこんで親しかった人々が集まった。伊豆でもらったサザエを肴に、焼酎お湯割りに梅干しを入れ、何杯も飲んだ。
 目黒がタバコをやめた時の話とか、意外と武闘派が好きだったとか、競馬で勝ったことを隠していたこととか、昔よく行った四谷のおでん屋の話とか、話は次々と移り変わっていく。しんみりしないのでそれが心地よかった。ヘンに取り繕うこともなく美化することもなく、抑制された泣き笑いの散らばるいい会になった。
 目黒が本の雑誌の編集にいちばん力をこめていた頃、真夜中でも編集部に行けば目黒および編集スタッフらとすぐに会える、ということがなによりだった。それが精神的にも楽だった。
 その頃、ぼくは仕事で世界のいろんな国に行っており、そこで体験した世界のアレコレ話をメグロによくしていた。彼にはそういうことは基本的にどうでもよく、仕事の手を休めずに面倒くさそうに聞いていたものだった。当時、彼はいつも睡眠不足の顔をして、やたらにタバコを吸っていた。
 彼は家に帰らず「本の雑誌」の編集仕事に没頭していた。その仕事を終えるとすぐに賭け事「チンチロリン」に没頭していた。
 サイコロを三つ使ってやるもっとも原始的なバクチだ。やりはじめると大抵、朝までぶっ続けだった。その折りにいかにも彼らしい話を聞いた。
 ある朝フラフラになってアパートに帰ったときのことらしい。彼はとりあえずコーヒーでも飲もうと湯を沸かすためにガスの火をつけた。
 いくつものガスの小さな炎を見ているうちに混濁した彼の目にはそれらが沢山のサイコロに見えたという。
 フラフラとその噴出孔から出ている小さな炎を掴もうとしたという。本当に炎を掴んでしまう一瞬前にとんでもなく危険なことだ、ということに気がついたらしい。そのままいったら予測どおりの惨事がおきた筈である。
 目黒にそんなつくり話をするサービス精神はない。なんにせよとにかくトコトンのめり込んでいくやつだった。ぼくはいかにもメグロらしい話だなあ、と笑って聞いていたのだった。
 明日は目黒の葬儀だ。迷ったが、ぼくは前々からの予定通り仕事に行くつもりだ。

2月2日(木)

 宮古島文学賞の選考会に行く。南島でのやりとり、ということもあってか行くたびに気持ちがゆったりする。少し風は強かったが、南の島特有の湿気を含んだ空気に当てられて息をするのが楽になる。
 選考委員の一人は沖縄の那覇に住んでいる。もう一人は当地の島の方。いつも論理的で夢のある議論になっていく。今回はその会合にのぞみながら、どうしても目黒の葬儀のことを考えてしまい、そのことに思いをめぐらしていた。

2月6日(月)

 いきなり血圧が上がってしまって、体調がいまひとつすぐれないので慶應病院に行く。大きな問題はないみたいだ。先生と15分ほど話して薬を処方してもらう。
 このところからだの調子が悪い。なんだか理由がわからない。いままで体験したことのないようなだるさだ。つい最近行ってきた人間ドックのヘルスチェックではとくに問題はなかった。年齢による全身の体力の低下とでもいうのだろうか。いままで無邪気にいろいろ自分のペースでやってきたツケがまわってきているのかもしれなかった。

2月9日(木)

 眠れない時はテレビをつけて見たい映画や好きな作品がやっていたらそれを適当に見るのだが、たいした番組がない時は本を読む。読書は最高の娯楽であり、最良の暇つぶしでもある。本を読むという行為が好きで良かった。目黒は最後、本を読むことも難しかったらしい。痛みによるものだったのか、薬がきいて頭が働かなかったのだろうか。いずれにしても苦しかっただろうなと思う。

2月11日(土)

 定期的にストライキを起こす我が仕事道具のワープロだが、今回は大規模なものだ。うまく動かなくなってしまった。キーボードを押すと「レレレレレ……」「ねねねねねね……」と永遠に勝手に打ち続けてしまう。
 短いコラムくらいだったらすぐに書き直すが、タイミング悪く3~4本まったくジャンル違いの原稿を同時進行していたので困った。
 事務所のスタッフと、同じ機種を使っていたことのある本の雑誌の浜本くんに連絡して、なんとかならないかと相談したらなんのことはない。ぼくがキーボードの設定をへんなふうに変えてしまっていたようだった。すぐさま動いたので原稿は間に合ったのだが、大騒ぎしてしまった。
 壊れていたのは我が身だったようだ。

2月13日(月)

 山形県の酒田市にワンタンメンを食いにいくという楽しいであろう取材の予定だったが、体調がよくない。これからタクシーに乗って羽田空港の検査ゲートをくぐって狭い飛行機のキャビンに押し込まれる。そう考えると不安になってしまう。2泊もホテルで泊まるなんてとてもじゃないけれどできそうもない。本当のところはなぜ行きたくないのか理由も分からない。昔は行くなと言われても荷物をまとめて、家を出ていた。何だか分からないが行き詰まった感じだ。

2月16日(木)

 今週は自宅でずっと原稿を書いていた。酒もそんなに飲んでいない。
 夜はスウェン・ヘディンの『ゴビ砂漠探検記』を読んでいた。フィクションよりはノンフィクションのほうが没頭できるのでいい。
 ヘディンのゴビ砂漠探検は魅力的かつ誘惑的な出来事に満ちており、何度も読んだ。この探検家は絵もうまく翻訳本にはその絵が随所にあって、大きく夢をかきたてられた。ぼくはそのヘディンの行ったゴビとタクラマカン砂漠に現代の探検隊の一員として実際に行けた果報者だ。
 小学生の頃から、最大のあこがれの世界であったところに実際にむかうのは途方もないヨロコビに満ちていた。探検隊ではないと入っていけないところだった。
 ヘディンはラクダ隊、カヌー隊、自動車隊など、行くたびに探検方法を変えていたが「探検」という巨大な夢のある時代はあらゆることが魅力的だった。
 ぼくは39台の四輪駆動車隊で目的の遺跡に入っていった。そのとき思ったのはヘディンの頃はまだ四輪駆動車はなかったはずだからダートな砂の海への旅はさぞかし苦労したことだろう、という実感だった。
 実際に砂漠の旅をすると、やはりラクダに乗る理由がよくわかった。でもラクダといえども生き物だから自然界の予想もつかない変化や攻撃に耐えられるか、という古典的な問題が常にある。一週間と短かったがラクダで行く旅はシルクロードの別のところで体験した。
 ラクダはあのトボケた顔に似合わずけっこうズル賢く意地が悪い。馬とちがってなかなかのワルだった。

2月19日(日)

 外に出る気が起きない2月は閉鎖月間でいいと真剣に思う。
 心配した編集者がビールでも飲みませんかと近所まで足を運んでくれた。宮古島以来ずっと家にこもっているからだという。
「俺はズタボロですべてが最悪で寝てるから放っておいてくれよ……」と思ったが、腹が減ったので、出かけた。足元がふわふわするのはしばらく外に出ていないからなんだろう。腹が減りすぎているからか。
 なんの話をしたか覚えていないが、外で飲む生ビールはいいものだ。少し回復した気がする。

2月22日(水)

 ずっとウクライナ戦争のニュースや状況分析が放送されている。テレビでプーチン大統領を見ない日はない。あの暗く冷たい顔つきは一時代前のロシアそのものを象徴しているような気がする。
 ぼくがはじめてソ連を横断的に旅したときは、ずっとKGBの人がついてきていた。護衛ではない。その逆の見張りだったらしい。二カ月近い旅のあいだに、偶然あけてあった彼のアタッシュケースに拳銃を見てしまった。現実が目の前にあった。
 日本語がうまい人だった。でもそういうのがかえって怖い。ベリコフという名だった。
 夜中に「映像の世紀」をやっていたので見る。朝鮮戦争と核兵器がテーマだったのだが、続けてスターリンとプーチンの回が始まったのでこれも見る。
 KGB出身のウラジーミル・プーチンという男が辿ってきた道を客観的に見ると、ごく普通の野心家の青年という印象すら受ける。どこでどうなってしまったのか。
 それにしても映像の持つ力とはすごいものだ。2本続けてあっという間に見終わったがまだ夜だった。

2月27日(月)

 評論家の佐高信さん夫妻と一枝さんと、4人で新宿で食事をする。コロナでストップしていたので久しぶりだ。もう20年来になるがわが夫婦としては稀なことで、ご夫妻とは気心知れているのでごくごく自然に会ってなんの話題でも気楽にできる。どんな店に行ってもいろんな話ができる。
 佐高さんとぼくは同じ歳でともに文章を書く仕事。若い頃、業界誌に勤めていたのも同じ。だが佐高さんの博識ぶりにはいつも圧倒される。だから彼と話すとぼくには確実に知識(知恵)がつく。ぼくは友人らからいつも世間知らず、と言われているので助かるのだ。

今月の主なできごと

2月1日
◇サッカー元日本代表選手の三浦知良さんがポルトガル2部リーグのオリヴェイレンセに約4か月の期限付き移籍をすることが決定。55歳。

2月2日
◇ギネスワールドレコーズ社がポルトガルに暮らす雄犬「ボビ」を存命する世界最高齢、30歳の犬と認定。ポルトガル原産の「ラフェイロ・ド・アレンティジョ」種で平均寿命は12~14年とされる。

2月4日
◇3年ぶりにさっぽろ雪まつり開幕。160基の雪像や氷像が展示され11日まで開催。
◇岸田首相が、LGBTQなど性的マイノリティーへの差別発言をした荒井勝喜秘書官の更迭人事を発表。

2月6日
◇6日未明、トルコとシリアの国境付近でM7.8の地震が発生。約9時間後に約100キロ北でM7.5の地震が発生(発生1週間後の13日時点で両国当局などによると死者3万5千人超、被災者2600万人とも)。
◇香港・マカオと中国大陸部との往来が全面再開。中国国務院共同予防・抑制メカニズムが発表。新型コロナウイルス対策として約3年間制限されてきた。

2月8日
◇2023年のウルフ賞・化学部門に菅裕明東京大学教授が米国の研究者2名と共同受賞。主催はイスラエルのウルフ財団で日本人の化学部門受賞は3人目。
◇岩手・田野畑村に縁のある住民から約5億2800万円超相当の金の延べ板120枚が5日付で正式に寄付された。段ボールで延べ板実寸大の見本を作成した村長が説明。

2月9日
◇銀座四丁目交差点の三愛ドリームセンターの解体が始まる。1963年建設、地上9階、地下3階のガラス張りの円筒形のビルは銀座のランドマークとして親しまれた。ビルを所有するリコーは解体前のビルを三次元画像処理技術でデジタルアーカイブ化し公開予定。

2月10日
◇アニメ「サザエさん」でフグ田タラオ役を演じてきた声優の貴家堂子(さすが・たかこ)さんが5日死去と発表。享年87。1969年の放映開始から53年「タラちゃん」を演じた。2019年「最も長くテレビアニメシリーズにおいて同じ役を演じ続ける声優」 にサザエ役の加藤みどりさんとともにギネス世界記録にも認定されている。

2月13日
◇衆議院予算委員会で野党側が「安倍晋三元首相の回顧録は守秘義務違反にあたらないか」と質問、閣僚らは答弁を避けた。
◇将棋講師でアマチュア強豪の小山玲央さん(29)が棋士編入試験に合格。4月から順位戦に参加しないフリーランスの棋士四段となる。棋士養成機関「奨励会」に一度も在籍したことがない未経験者の合格者は戦後初めて。

2月14日
◇トヨタ自動車名誉会長で元経団連会長の豊田章一郎さんが心不全で死去。享年97。

2月15日
◇都立多摩動物公園で飼育するカモ4羽が鳥インフルエンザに感染したとして当面休園すると発表。

2月16日
◇広島市立の小中高校で「平和教育プログラム」の教材として使用されてきた漫画「はだしのゲン」が2023年度から差し替えられることに。教材を発行する市教育委員会は「被爆の実相に迫りにくい」と説明。

2月17日
◇「サル痘」の名称を「エムポックス」に変更する方針を厚生労働省が決定。WHO(世界保健機構)による昨年11月の名称変更に伴い。サル痘は天然痘に似た症状を発症する感染症だが、ヒトからヒトへの感染はまれとされている。

2月19日
◇シリアの首都ダマスカスで空爆。シリア国営放送はイスラエル軍によるものと報道。6日にシリア・トルコで大地震が発生して以来初めて。

2月20日
◇米国・バイデン大統領がウクライナを電撃訪問、ゼレンスキー大統領と会談。ロシアのウクライナ侵攻開始から24日で1年になるのを機に。
◇『銀河鉄道999』などで知られる漫画家の松本零士さんが13日に死去と発表。享年85。

2月21日
◇上野動物園で生まれ育ったジャイアントパンダのシャンシャンが中国・上海へ向けて出発。最終公開日の19日には最終観覧枠の最大70倍の抽選に当選した約100人が別れを惜しんだ。
◇参院懲罰委員会は、帰国せず国会欠席を続けるNHK党のガーシー議員に対し、本会議場で陳謝させる懲罰処分を全会一致で決定。

2月22日
◇落語家の笑福亭笑瓶さんが急性大動脈解離で死去。享年66。黄色い眼鏡をトレードマークに上方落語界で活躍。

2月24日
◇ロシアのウクライナ侵攻から1年。国連安保理の閣僚級会合ではウクライナの外相の提案により犠牲者への黙とうが捧げられた。

2月27日
◇岸田首相が衆議院予算委員会で米国製の巡航ミサイル「トマホーク」の購入数について「400発を予定している」と明らかにした。

Ⓒ 撮影/内海裕之

著者プロフィール

椎名 誠(しいな まこと)

1944年東京生まれ、千葉育ち。東京写真大学中退。流通業界誌編集長時代のビジネス書を皮切りに、本格デビュー作となったエッセイ『さらば国分寺書店のオババ』(’79)、『岳物語』(’85)『犬の系譜』(’88/吉川英治文学新人賞)といった私小説、『アド・バード』(’90/日本SF大賞)を核としたSF作品、『わしらは怪しい探険隊』(’80)を起点とする釣りキャンプ焚き火エッセイまでジャンル無用の執筆生活を続けている。著書多数。小社近著に『遺言未満、』。

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