失踪願望。失踪願望。

第15回

銃撃、休場、個人の感想

更新日:2022/11/23

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7月1日(金)

 久しぶりに高校時代からの友人、岩切靖治から電話をもらう。
 心臓の弁膜を取り替える手術をするようで「牛(の弁膜)にしますか豚(の弁膜)にしますかと、医者に焼肉屋のようなことを聞かれた」と笑っていた。最近、同年代の友人とは病気の話が増えてきた。

7月2日(土)

 虎ノ門の目医者へ。10年くらい前、飛蚊症だと言われた。確かに体調次第では蚊や虫が飛んでいるように見えるのでいい名前だなあと不思議に感心してしまう。治療としては蚊取り線香を目の前で焚けばいいなんてことはまるでない。家族の前でそんなことを話したらケーベツの目を向けられた。
 いつか治療しないといけない思っていたが、白内障という形でその「いつか」が来てしまった。歳をとるというのは無数の「いつか」を回収することでもあるのだ。しばらく目医者通いだ。

7月3日(日)

 タルケンこと那覇の垂見健吾カメラマンから電話があった。「はいさいはいさい」と元気だった。
 この男とも長い付き合いで、最初は文藝春秋の「Number」でアブドーラ・ザ・ブッチャーのインタビューをしたのが初めてだっただろうか。カメラマンとレポーターという組み合わせでいろんなドーモウそうな男たちを取材した。
 若い頃から弁髪(髪を後ろにまとめている)にして「おじい、おじい」と呼ばれていた。いつも元気だが血圧が高く、医者にこのままでは死ぬよ、と言われて鉄の意志で禁酒に成功した。いまだに元気なおじいだ。
 この夏に石垣島で写真展をやるとのことで、「椎名さんも今度、一緒にやろうよう」と南のイントネーションで言ってくれた。彼の声を聞いていたら南もいいなあと思ったが、飛行機に乗るのは嫌だなあ。

7月4日(月)

 午後、この連載を書籍化する際にコロナ闘病ヨレヨレ記をはさむので、その取材のために河田町の東京女子医大経由で神保町へ。退院以来、ちょうど1年ぶりだ。こんなところにいたのかあ、とあまり実感がない。窓からぼーっと雲を見ていただけなので当たり前なのだが。
 暑かったので、担当編集者に「何か思い出したりすることはありますか?」と聞かれ「うーん、生ビールを飲んで落ち着いたら思い出すかもしれないなあ。そのあとに紹興酒の古酒も一杯やれば確実だと思う」と適当なことを言ったらまんまと中華料理屋に連れてってくれた。言ってみるもんだ。コロナ入院のことは明日、思い出そう。

7月6日(水)

 秋に出る予定の『出てこい 海のオバケたち』のゲラを読む。写真がらみのゲラはいつでも読みやすいので、好きな作業だ。
 惜しまれながら休刊になってしまった「アサヒカメラ」関連で撮った写真を改めてまとめてもらった。これで同誌に載った写真を使い切った形になる。写真家として幸せなことだ。長野県の山奥に住む炭焼き職人の写真なんて我ながらいいものを撮ったなあと思えた。最後にして会心の作品になった。

7月8日(金)

 奈良市で安倍晋三が銃撃された。自宅で原稿仕事をしている時に知った。強烈な事件だと思ったが原稿は微妙な段階に入っていて、その異様な事件を流しっぱなしのテレビの音を聞きながら仕事を進めていた。選挙を前にしての蛮行だ。いろいろなことが連鎖するのだろうか。
 小岩で共同生活をしていた頃、木村晋介がよく「しんちゃんの政治教室」を開催して、政治のことを教えてくれたのを思い出した。ぼくは木村が熱弁しているのを聞いても「へー」としか相槌を打てなかった。「バカシーナ、もっと考えろ」と言われた。木村に誘われてデモに行ったこともある。新橋のガード下あたりで「エンタープライズはダンコ阻止だ」なんて気勢を揚げる一団に紛れ込んだことはあるが、そこにイデオロギーはまったくなかった。今もない。

7月9日(土)

 5日かけて30枚の小説を書いた。純文学なんて用語はもう使わなくなってしまったかもしれないが、いまだにこれはぼくの好きなジャンルだ。どちらかというと最近はSFを中心に書いている気がするが、私小説も好きだ。真夜中に一人で裏道を酔ってふらつきながら歩いているような「ぐったり感」に満ちた小説も好きなのだ。
 いま書いている連作小説は寛大な編集部から「あれこれ」制約されることもなく、まあ言ってみれば「じいさんの好きなようにさせてもらっている」ような空気がありがたい。
 あるふたつの文学誌に書いていた長編SFがコロナがらみの休載もあって、そのまま数年たってしまった。遠い遠い、辺境宇宙の物語はいまだに虚空に浮いたままだ。生みの親としてはナントカしてやりたいが、そのナントカの方法がわからない。
 それぞれ5~6年がかりで書いていた大きなものがたりだったが、おさまりどころを無くした小説はかなしい。この連載の単行本化(2022年11月25日発売!)のためにところどころ書いている短編は、小説ではないのだろうが、エッセイやドキュメンタリーとも違う新しい書き心地でいる。発想から執筆までコンパクトなのでやりやすい。担当編集者のフットワークに助けられている。

7月10日(日)

 一枝さんと投票に行く。あんな事件があったのに投票率が上がらないそうだ。
 このままではいけないという危機感は国民にはあるのだろうが、それがうまく国政のエネルギーに還元されないのかもしれない。
 帰宅して名古屋場所を見る。番付をみていると最近は「鵬」と「翔」がつく四股名が多すぎると思う。最初はカッコ良かったかもしれないがもう飽和状態だ。これも流行り廃りがあるのだろうなあ。なんとか富士とかなんとか山みたいな原点に戻ってもいい。昔は能代潟錦作(のしろがた きんさく)なんていういかにも故郷の錦然とした名前を冠した力士がいたのになあ。

7月11日(月)

 事務所のスタッフ、Wさんの体調が悪くなって、検査をすると新型コロナウイルスの陽性だった。ぼくも主治医に連絡しPCR検査を受けたが、陰性だった。
 濃厚接触者になってしまったので、予定されていた岡山で開催されている写真展でのトークショーもとりやめ。これは馬喰町にあるルーニィというギャラリーが企画してくれたのだが、杉守加奈子さんというディレクターが家にやってきて「これとこれとこれと、あとこれも!」と30~40点の写真を素早く選んで去っていって、岡山のギャラリーに展示してくれているのだ。
 ぼくの写真はモノクロが多く、それも気まぐれショットなのでこんなもので写真展などおこがましいとよく思う。でも時々やった! と思うようなのが撮れる。写真は狩りに似ている。
 杉守さんの仕事は丁寧で、写真を見極める目はプロの目だ。彼女がセレクトしてくれた写真が現場に並ぶと、考えなしに撮ってきた写真でも「悪くないじゃないか」と思えるのもありがたいのだ。その現場に行けなくなったのは残念だ。
 そういえば、岡山の独歩という地ビールをかなり前だが飲んだことがある。とても個性的な味だったが懐かしい。

7月13日(水)

 ニューヨークにいる娘から電話がある。
 暑いのでちょうどソーメン大会を開催していたと自慢すると「ぐぬぬぬぬ」と本当に悔しそうに声を振り絞っていた。面白い人なのだ。

7月19日(火)

 円安とか戦争とか猛暑とか、何かと大変だ。
 ぼくもぼくなりに大変で、白内障の術後経過確認のため板橋へ。帰りに乗ったタクシーの運転手が厄介だった。板橋区と足立区の個人タクシーはどうも相性が悪い。
 こういうことを書くとすぐクレームが来る世の中だ。「あくまで個人の感想です」とか入れたほうがいいらしいが、これは日記なのだ。個人の感想を書くところなのだ。みんなして世の中の反応ばっかり気にするから新たな問題が生まれてるぞ。

7月21日(木)

 世界陸上をテレビでやっている。織田裕二がうるさい一方で高橋尚子はとても的確なコメントをしていて立派だ。しかし午前から世界陸上をみていて、午後になると大相撲。こんなテレビじじいでいいのかと不安になる。

7月22日(金)

 神保町の学士会館で市原市が主催する「更級日記千年紀文学賞」の選考会。秋に授賞式があるので市原に行く。何かリクエストはあるかと聞かれ「去年の同じ式典の楽屋弁当が非常にうまかったので、今年もあれにしてほしい」と答えたかったけどなあ。
 神保町にシーナがいるらしいと聞きつけて何人か編集者が来て黒ビールを飲む。

7月24日(日)

 名古屋場所は逸ノ城が優勝したが、それよりもコロナで休場する力士が相次いだのが印象的な場所になってしまった。全体の3割近い約170人が休場というのは戦後最大だという。
 なんにでも「戦後最大」とつければいいってもんではないが、すごい数だ。「最強の格闘技は相撲」という説は巷では根強いが、どんな闘争集団でもあれだけ閉鎖的な環境にいればウイルスのほうが強いんだなあと少し気落ちした。
 夜はBS日テレで『ゴッドファーザー』シリーズが連続放送されているので、ぬかりなくサケを用意してそれを見る。今夜はPARTⅡだ。ソニー役のジェームズ・カーンさんは分かりやすい存在感を持ったいい俳優だったのに残念だ。
 彼の出演している『ブライアンズ・ソング』というアメリカンフットボールの映画があるのだが、彼の動きはいつも快活で見ているだけで惚れ惚れする。『ゴッドファーザー』でいえば弟のフレドだったかマイケルだったかとボクシングの真似事のようにじゃれ合うシーンがある。あれは動きもいいし、シリーズ内でのキャラクターの作り方と物語への乗せ方が抜群の場面だ。それをジェームズ・カーンさんはうまく演じていた。
 ああ、追悼の意味を込めて連続放送をしていたのか、と見終わってから気がついた。

7月27日(水)

 奈良での銃撃から時間が経つにつれ、少しずつ日本の暗部が露呈してきた。うかつなことは言えないが、犯人の目的の数パーセントは叶ったのかもしれない。
 しかし、民放を汚す金切声のコメンテーターの存在だけはなんとかならないものか。論客という言葉も死語になりつつある。

●今月の主な出来事

7月1日
◆インドで皿やコップ、カトラリー、包装用フィルムなどの使い捨てプラスチック製品の使用や製造、販売、輸入を禁止する規則が施行される。経済協力開発機構(OECD)によると世界のプラスチックゴミは、20年間で2倍以上に増加(2019年は約3億5300万トン)、環境への負担軽減が喫緊の課題となっている。
◆「ウクライナのボルシチ料理文化」がユネスコの「緊急に保護する必要のある無形文化遺産」に登録された。ロシアの侵攻により食文化の存続が脅かされていると判断。

7月2日
◆97歳から陸上を始め、100歳を過ぎても競技活動を続けていた「被爆のアスリート」、広島県三次市の冨久正二さんが1日に死去と発表。享年105。2017年に60メートル走で100歳以上の日本記録を出した。

7月4日
◆NYの遊園地コニーアイランドで米国独立記念日恒例のホットドッグ早食い大会が開催。フロリダ州在住の須藤美貴さん(36)が、10分間で40個食べ圧勝、2年ぶり8度目の優勝を果たした。須藤さんは2014年から7連覇、昨年は出産のため不参加だった。

7月5日
◆2021年度の一般会計決算概要によると、国の税収は2年連続で過去最高を更新し、67兆378億8500万円。コロナ禍からの世界的な景気回復や円安による企業収益の増加で法人税収が伸びた。

7月6日
◆アメリカの俳優、ジェームズ・カーン氏が死去。享年82。代表作に映画『ゴッドファーザー』シリーズなど。

7月8日
◆自民党の安倍晋三元首相が死亡。享年67。奈良市近鉄大和西大寺駅前で参院選の応援演説中、元海上自衛隊員の山上徹也容疑者に手製の銃で狙撃され、心肺停止の状態で病院に搬送、午後5時3分に死亡が確認された。

7月10日
◆参議院選挙の投開票が行われ、自民党が改選125議席のうち63議席を獲得して大勝。自民、公明、維新、国民民主党を合わせた改憲勢力が、参議院の3分の2を上回った。当選した女性議員数は35人で、2016年と19年参院選の28人を上回り過去最多。
◆2022年のテニスのウィンブルドン選手権の車いす部門・男子シングルスで国枝慎吾選手が初優勝。テニスの四大大会を全制覇する「生涯グランドスラム」と、パラリンピックも加えた「生涯ゴールデンスラム」を車いす男子で初めて達成。

7月12日
◆ウクライナ・キーウ市当局が、9歳のカメ「トーラ」を動画で紹介。3月、ロシア軍のミサイル攻撃で吹き飛ばされ負傷した後、動物園に預けられていた。

7月13日
◆東京電力福島第一原発事故に対する株主代表訴訟で、東京地裁は東電の旧経営陣4人に対し、津波対策を怠ったとして13兆円を超える賠償を命じた。

7月14日
◆今年、没後100年の森鴎外、晩年の代表作「渋江抽斎」の自筆原稿の一部が発見されたと文京区立森鴎外記念館が発表。
◆日本人向けの漫画の海賊版サイトとしては最大級とされる「漫画BANK」(2021年閉鎖)を中国で運営していた男性が現地で摘発されたと、コンテンツ海外流通促進機構(CODA)などが発表。

7月15日
◆世界陸上選手権(米オレゴン州)の男子20キロメートル競歩で、山西利和選手が2連覇。東京五輪銀メダリストの池田向希選手が銀メダル。24日には新種目の35キロメートル競歩で、川野将虎選手が銀メダル。

7月16日
◆世界陸上選手権の男子100メートルで、サニブラウン・ハキーム選手が日本勢として初めて決勝に進出。10秒06で7位入賞。
◆ロシアの民間軍事会社「ワグネル」が、闇サイトでウクライナに派遣する戦闘員を募集、契約期間は約4カ月、報酬は手取り月収でロシア平均の約4倍、とロシアの経済紙RBCが報道。

7月17日
◆藤井聡太五冠が、第93期ヒューリック杯棋聖戦で永瀬拓矢王座の挑戦を退け、タイトル防衛と3連覇を達成。

7月18日
◆林芳正外務大臣は、韓国の朴振(パク・チン)外相と都内で会談。元徴用工問題での早期解決を目指す方針で一致した。

7月19日
◆男子フィギュアスケートの羽生結弦選手が競技引退を表明。プロのアスリートとしアイスショーを中心に活動すると決意表明。

7月20日
◆第167回芥川賞には、高瀬隼子さんの「おいしいごはんが食べられますように」、直木賞に窪美澄(みすみ)さんの「夜に星を放つ」が受賞。

7月21日
◆香港のテーマパーク「海洋公園(オーシャンパーク)」で、パンダの安安(アンアン)が35歳で死んだと発表。人間ならば105歳にあたり雄の飼育パンダとしては世界最高齢。

7月22日
◆政府は、奈良市で遊説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相の国葬儀を、9月27日に東京・日本武道館で開催すると閣議決定。葬儀委員長は岸田首相が務め、費用は全額国が負担する。
◆世界陸上選手権で、女子やり投げの北口榛花選手が銅メダル。女子投てき種目では日本女子史上初のメダル。

7月24日
◆大相撲名古屋場所で、西前頭2枚目・逸ノ城(湊部屋、モンゴル出身)が12勝3敗で初優勝。平幕優勝は、2021年初場所の大栄翔以来。 
◆鹿児島県の桜島・南岳で午後8時5分頃、爆発的な噴火が発生、気象庁は、噴火警戒レベルを、レベル3(入山規制)から、最も高いレベル5(避難)に引き上げた。27日に、再び、レベル3に戻した。

7月25日
◆欧米を中心に感染が拡大しているウイルス感染症「サル痘」の患者が、国内で初めて確認。WHOは23日に75カ国1万6000人超の感染状況をふまえ「緊急事態」を宣言していた。

7月26日
◆東京五輪・パラリンピック組織委員会の高橋治之元理事が、大会スポンサーだった紳士服大手のAOKIホールディングスから多額の資金提供を受けた疑惑で、東京地検特捜部は、高橋元理事宅などを家宅捜索した。
◆2008年に東京・秋葉原で7人を殺害、10人に重軽傷を負わせたとして死刑が確定していた加藤智大死刑囚(39)の刑が執行された。古川禎久法務大臣は「慎重なうえに慎重な検討を加えた上で命令した」。岸田内閣で死刑執行は2人目。

7月27日
◆日本郵便は、新型コロナ感染拡大により、窓口業務やATMを休止している郵便局が全国に154あると公表。

7月28日
◆新型コロナウイルスのオミクロン株派生型BA.5の流行で「第7波」の勢いが増し、国内の新規感染者が23万3094人と過去最多を更新し東京では初めて1日当たり4万人超の感染が確認された。
◆アイヌ民族の遺骨返還運動など権利回復に尽力した小川隆吉さんが25日に死去と発表。享年86。

7月29日
◆ミニシアターの先駆けとして半世紀以上の歴史を閉じ、神保町の映画館岩波ホールが閉館。これまでの上映作は66の地域と国の計274本にのぼる。
◆日米両政府は米ワシントンで、経済版の閣僚協議「2プラス2」の初会合を開き、覇権主義的な動きを強める中国やロシアを念頭に、「ルールに基づく国際経済秩序」を主導すると明記した共同声明を採択。日本からは林芳正外相と萩生田光一経済産業相が出席した。

連載第1回~第14回は本になりました!

失踪願望。 コロナふらふら格闘編

椎名 誠

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Ⓒ 撮影/内海裕之

著者プロフィール

椎名 誠(しいな まこと)

1944年東京生まれ、千葉育ち。東京写真大学中退。流通業界誌編集長時代のビジネス書を皮切りに、本格デビュー作となったエッセイ『さらば国分寺書店のオババ』(’79)、『岳物語』(’85)『犬の系譜』(’88/吉川英治文学新人賞)といった私小説、『アド・バード』(’90/日本SF大賞)を核としたSF作品、『わしらは怪しい探険隊』(’80)を起点とする釣りキャンプ焚き火エッセイまでジャンル無用の執筆生活を続けている。著書多数。小社近著に『遺言未満、』。

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