失踪願望。失踪願望。

第20回

花巻、断腸、象が来る

更新日:2023/05/31

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12月2日(金)

 サッカーのワールドカップで日本がスペインに勝った。すごいことらしい。それなりに誇らしいのだが、テレビの大騒ぎっぷりには少し食傷気味だ。選手も「ブラボー」とか途中から言わされていたように思う。
 昔、伊丹十三がヨーロッパで観劇をし「どんな場面でも日本人だけが『ブラボー』と叫んでどうも恥ずかしい」というようなことを書いていたのは、『ヨーロッパ退屈日記』だっただろうか、そんなことを思い出した。

12月4日(日)

 第32回市川市写真展の審査員だったので、その表彰式のために本八幡へ。
 写真展もピンからキリまである。カメラやレンズのメーカーが主催するものや、大企業や一大観光地の観光協会が募集するコンテストもある。それらはお金が動き、広告代理店が入っていることが多い。
 写真が大好きなおじさんたちが主催している市川市写真展は、これまで関わってきたものでもっとも質素で、もっとも熱の入っている写真賞だった。表彰式でそのおじさんたちと楽しく生ビールを飲んでお先に失礼。来年はまた以前のようにカメラを持ってどこかへ行きたいという気持ちにさせてくれた。

12月6日(火)

 ワールドカップ。残念ながら日本はクロアチアに負けてしまった。
 しかし、あのPK戦という空間はすさまじい。数万人の観客に囲まれて静と動が劇的にうねる。呑まれると呪縛のようなものが働いたりするのかもしれない。気圧されたら負けなんだろう。
 キッカーとゴールキーパーが対峙し、もちろんそれぞれの技術が土台にはあるんだろうけれど、それよりも心理的な駆け引きが存在するように見える。中世ヨーロッパの騎士同士の決闘はあんな世界だったのかなあ。

12月8日(木)

 自宅で朝から晩まで「すばる」の超常不可思議小説を書く。このシリーズはいつも書きながら小説世界であそび楽しんでいる。
 2022年は奇数月が大相撲で、偶数月が「すばる」の締め切りという理想のスケジュールだ。大相撲の優勝争いが苛烈だと気が気でないので、これはありがたい。できれば来年も継続したいところだ。
 いま書いているのはずんがずんがと歩く巨人の上に、登場人物が乗っているシーンだ。SFだからもちろんフィクションなのだが、だからこそ高さ30mの巨大な人間の上からの景色は現実に即して書かないといけない。揺れ方や視界の変化などあらゆることについてできるだけしっかりと具体的にイメージを広げていく。嘘の中の詳細な描写という落差が書いていて面白い。だからSFを書くためには、知識も蓄えないといけないけれど、その前に頭をからっぽにすることも必要だ。
 そういえば先日、取材で来た新聞社の記者がぼくのSFを読み込んでくれていて「『雨がやんだら』がいちばん好きです。あの場面で――」と熱を持って語ってくれた。嬉しかったし、人とSFの話をするのは若い頃からずっと好きなので楽しかった。ただ、自分の作品については忘れてしまうことが多いので(ぼくはあまり読み返さない)、自分の作品に話が及ぶと著者が静かに相槌を打つだけ、という不自然な時間でもあった。

12月9日(金)

 昼過ぎの東北新幹線「はやぶさ」に乗って北へ向かう。盛岡の「クロステラス盛岡」で『失踪願望。』の発売記念サイン会とちょっとしたお話の会がある。
「クロステラス盛岡」は駅と市街地のちょうど中間という便利な立地で、岩手県の様々な名物を売っていたり、夏になると屋上で遠野ジンギスカンを出すビアガーデンを開いたり、面白いイベントをする施設で、ぼくもコロナ前は年に何度も行っていた。
 夕方から50分ほど旅についてなどの話をして、そのあとは「黙サイン会」だ。といっても何度も参加してくれる常連たちとの再会に、ぽつりぽつりと会話が弾む。ずいぶん時間がかかったが、ずっと並んで待っていてくれるんだから申し訳ないしありがたい。
 お仕事のあとは、宮古を中心とした三陸の魚を出すなじみの居酒屋「海ごはん しまか」へ早歩きで向かい生ビールで乾杯する。
 刺身はどんこ(エゾイソアイナメ)など。他にも岩手の穴子の一本揚げなどいい勝負のできるツマミが多い。勢いあまってアワビの肝もぐわり! と食べた。一瞬、我が体内のプリン体含有量のことが頭をかすめたが、ここで食わなきゃアワビに申し訳ない。うまいうまい。
 飲みながら「昔から飲食店、小さな居酒屋か蕎麦屋をやってみたかった」という話をした。これまで50年以上、客しかやってこなかったので逆になるとどうなるんだろうという単純な好奇心がある。
 例えば夕暮れ時の商店街を歩いていて、個人経営の居酒屋の店主がテキパキと開店準備をしているのを見ると「ああいうのいいなあ」と思う。刺身の目利きは少し自信あるのでやっぱり魚中心になるのだろうか。肉もいいけれどA5のブランド牛がなんたらとか聞かれてもないのに語る店の親父はカッコ悪いし、ブランド牛だからうまいうまいと食べる客も情けない。結局、自分が食べたいものを出す店になるんだろうな、という結論になると同席者は揃って「無理」と言う。なんでだ。
「だって椎名さん、絶対、客と喧嘩するでしょう」
 そう言われるとそういう気もする。そのあとみんなで「『ああ、この店はいい店だな』と思われるような感じの良い「いらっしゃいませ」を言う練習をした。が、ぼくはまるでサマになっていないらしく皆に笑われた。その日もみんな気持ちよく酔いでっかく笑っていた。

12月10日(土)

 朝食兼昼食はタカハシ君が運転してくれる車の中で「福田パン」のメンチカツとたまごのサンドだ。さほど深酒をしたつもりもないがとにかく眠い。サンドイッチを食べながらうとうとしてしまう。
 同行の編集Tは、この連載のテーマのひとつである宮沢賢治の取材を進めるために、賢治ゆかりの光原社に寄ってほしそうだったが、腰も痛かったのでパスさせてもらう。賢治は雨にも風にもマケズだったのにぼくはただの腰の痛みにマケタ。嘆かわしい。
 それでは賢治の故郷へということでレンタカーで花巻市へ向かう。気持ちのよい日差し。
 イギリス海岸に立ち寄り、しばし川面を眺める。ここには20年くらい前だろうか、岩手県が制作した「がんばらない宣言」という新聞広告の撮影で来ている。詳細は忘れたけれど、そのスローガンにはいたく共感した覚えがある。「頑張る」という語は、頑なに張るのだから決して豊かではない言葉なのだ。
 その頃からこの北上川を見ると、「カヌーにはいい川だなあ」と思う。賢治は「こゝを海岸と名をつけたってどうしていけないといはれませうか」と書いたが、ぼくにはカヌーの川だ。
 帰路の国道で気になる丘があった。ちょうど夕暮れにさしかかる時分で、向こうからよい光が降り注いでくるような風景にちょっと脇に停めてもらった。
 自分でも意識してなかったが、ぼくは写真を撮りながら「象が来るな」と呟いていたようだ。
 同行者はみな「何言ってるんだシーナ。ついにか……」と思ったらしいが、おそらくぼくは「いかにも象が向こうからドスドス歩いて来そうなアフリカ的な景色だな」、あるいは「象が来たら面白いのにな」ということを言いたかったんだと思う。ただのハッキリした独り言なのに心配させてしまった。
 そのあと、「羅須地人協会跡地」に寄り道して(ぼくは車の中で待っていた)、マルカンビル大食堂へ。
 そびえ立つ縦長のソフトクリームを割り箸で食べる地元の民、橋野君をヨコメにラーメンをぐわしぐわし。タカハシ君と編集Tはこれまた名物だという「ナポリかつ」だ。古きよき大食堂はたくさんの家族連れやカップルでにぎわっていて、大きな窓からは暮れてゆく北の空がよく見えた。
 予定より一本早い新幹線に乗って帰る。東京はうるさいんだろうなと新幹線の中でふと思った。東や西はどんどんビルが建っているのでうるさいし、南は中国がにらみをきかせている。日本の風土でいえば、ぼくは断然、北が好きだ。『宮澤賢治全集』も改めて読み直したい。賢治の書くものは、書いたタイミングや心境にもよるのだろうけれど、巻によってまったく異なった世界が広がっているのだ。

12月12日(月)

 佐藤蛾次郎さんが亡くなってしまった。同い年だったのを知らなかった。
『男はつらいよ』シリーズで源公はセリフなんかほとんどなくて、寅さんがドジを踏んで叱られたりマドンナに振られたりするとニヒヒヒと静かに含み笑いをしている印象が強い。だけど存在感は抜群で、いなくてはならないキャラクターだ。舞台出身の系譜という気配がいかにも濃い、素敵な役者だった。
 おいちゃん、おばちゃん、寅さん、タコ社長、どんどんあの家族がいなくなってしまうなあ。

12月14日(水)

 小川町のイタリアンで『失踪願望。』の発売記念を兼ねた忘年会だ。集英社の文芸担当も来てくれて、みんなで赤ワインを飲む。ぼくの担当を入社以来、たぶん20年ほども続けてくれたKさんとも久しぶりに会えた。校閲の部署に異動になり、そこでの実務の詳細を面白く教えてくれる。
 最初に食べたロメインレタスのサラダと最後に食べたトマトソースのパスタが特においしかったが、ぼくはこの店でロメインレタスなるものの存在を初めて知ったのだった。

12月17日(土)

 今日は一日「机の上の動物園」という仮タイトルで進めている書き下ろしの原稿を書いていた。
 少し前に仙台で開催した「目でみるわが作家仕事の全展示」のような催しで、数十年ぶりに目にした「いろんな旅から持ちかえったモノ」たち。自分が持ちかえったものばかりなのだけれどガラクタだらけなので忘れているものばかりだ。
 たとえば南米でみつけた木偶(でく)。まったく攻撃的大きな鼻で血走ったような目が「なめんなよ!」といっている。手のひらサイズの土づくりのブタだったり、あるいは辺境のナイフとかミミカキなど。旅から持ちかえっても郷土人形とかコケシとかロシアのマトリョーシカみたいなのはすぐに邪魔になるだけだ。ぼくは外国の金物屋を覗くのが好きで、トンカチとかノコギリとかフライパンなんかを持ちかえっては自宅で引っぱり出してうっとりしていることが多かった。なにもないときはそこらの小さな石を拾った。まん丸とか三角とか真四角なやつがけっこうある。体験的に世界の石コロは味のある奴が多い。旅さきのホテルやテントなどでそこにいろんな顔をかいた。顔をかくとそれらはみんな仲間のようになって気持ちが豊かになった。
 そんなガラクタ100点あまりを見て当時の旅を思いだし、懐かしくたのしい気分になった。みんな小さいから現物を全部並べても仕事部屋の机の上におさまってしまいそうだ。
 これらは結局は、粗大……とまではいかないにしてもチビなりに「燃えないゴミ」としてやがて始末されるだろう、と思った。「では、ヒマな今のうちに始末しちゃおうか」などとも思ったが「時代がたつとけっこう大事なものになるかもしれないから写真に記録しておくか」と思った。写真のうまい上原ゼンジ君(本の雑誌の初期助っ人メンバー)に連絡して全部撮影してもらった。ライティングのきまったパンフォーカスのリッパな写真ができてきた。
「産業編集センター」という旅関係の本をいっぱい出している出版社の親しい編集者・佐々木さんに連絡して相談した。写真を眺めているうちにこれらをつかった小さな小さな雑貨本にしたらどうだろう、と思ったのだ。旅三昧の日々からほぼ30年して、この「小さなものたちによる」絵本のようなものをつくりたくなったのだ。ぼくはいつも突如思いつき、発作的にやってしまう。ハタ迷惑なヒトなのだ。
「机の上の動物園」というような小さな本を作りたいんですよ。そう言ってざっと内容を話した。この編集者はいつも話が早い。
「やりましょう」
 そのパワフルで活きのいいところが、ぼくが駆け出しの頃にであい、たちまち本を出してくれてベストセラーにまで持っていってくれた星山さんによく似ている。そういえはそのときの星山さんの出版社は「情報センター出版局」といった。なんだか社名の雰囲気がよく似ている。
 こういう本の原稿をカキオロシテいくのは楽しい。いろんな「お話」が勝手に次々と生まれてくるのだ。
 その本に登場する話はグループごとになった。全部で七つのお話だ。小さな小さな映画づくりに似ている。

12月19日(月)

「本の雑誌社」の浜本社長から電話があり目黒考二が肺ガンで入院したという。いきなりの話だった。すでにステージ4で余命1カ月という。目黒とは50年のつきあいだが、これまでそんな兆候は聞いていなかった。賢いやつだったから自分なりの意思をもっていたのだろう。そういうやつだった。いまは電話で話をすることもできない、という。かなり狼狽する。どうしたらいいのか具体的にやるべきこと、考えるべきこと、が思いつかない。
 少し考えて浜本にもう一度電話する。浜本も第一報以上のことは知らないようだ。目黒本人とは浜本も話していないらしい。その報せは家族からの連絡なのだろう。少し狼狽し、木村晋介に電話する。今聞いたことを知らせるぐらいしかできない。
 夕方近くまた浜本に電話する。あたらしい話はない。あたりが暗くなるまで窓の外を見ていた。自分の無力さをつくづく感じる。

12月22日(木)

 年末なので業者にお願いして恒例の大掃除だ。ぼくはずっと娘の部屋で本を読んでいた。コロナ以降、まとめて本を読む機会がなかった。
 雑魚釣り隊の竹田に電話して年末恒例の粗大ゴミ合宿に行かない旨を伝える。出かける気になれない。

12月24日(土)

 東京新聞を手にすると一面に「タイのインフルエンザが日本の――」という見出しが打ってあった。
 タイの観光客がインフルエンザに罹ったのだろうと思い、「日本は寒いもんなあ。よりによって寒波が来ている時にタイの人も気の毒だなあ、お大事に」という労りの心を持って読んでいたのだが、阿寒湖で記念撮影をしたとかなんとか、観光名所を巡るモデルケースがどうとか、齟齬がたくさんある。
 おかしいなと思ってもう一度、ちゃんと読むと「インフルエンザ」ではなく「インフルエンサー 」なのだった。ぼくはそんな言葉を知らないので一枝さんに聞くとすぐに教えてくれた。最近の言葉なんだろう。なんだか東京新聞の計略か! と感じたりもしたがしかし、新しい言葉がいっぱいあるなあ。

12月26日(月)

 神保町の集英社で新刊『失踪願望。』がらみのインタビューを2誌から受ける。
 コロナ感染についての質問が多いのは仕方ないけれど、愉快な話題ではないのでやや落ち込む。昔は「次はあそこに行く」とか「来年はこんな取材をしてみたい」とか、インタビューは未来についてのことが多かったし、自分から話していた。
 我はもうおじいなのだなあ、ちょっとつかれたなあ、新宿三丁目で焼酎のお湯割りでもやろうと思っていると、帰り際に文芸の元担当編集者、村田登志江さんが会いにきてくれた。
 間違い無く恩人のひとりで、ぼくがまだストアーズ社で働いている頃に出会っている。まだ無名に等しかったぼくに「椎名さん、家族のことを書いてみませんか」と提案してくれて、それが『岳物語』という小説になった。
 再会を喜びつつしばし話し込んだ。「椎名さんは永井荷風のようになったらいいのではないか」という彼女の言葉についてその夜はしばし考えた。

12月27日(火)

 目黒からの電話はいきなりかかってきたのですぐに何を話していいのかコトバが頭にうかばなかった。
 長く、深い、親友、相棒だった。
 電話の声はさすがに低く沈んでいたが、でも力はないけれど笑っているような声だった。
「もう病気のことはガンバレとか言われてもいまさらどうしようもないので、なにか楽しい話をしようぜ」
 彼は言った。電話ではなしをする力はいまはあまりないのだという。
「そうだろうな」気持はわかった。とにかく長いつきあいなのだ。ふりしぼるようにしておれたちに共通する面白かった頃の話を必死に思いだした。やつはサラリーマンのときぼくが編集長をしていた雑誌の部署に入り、やがて一緒に「本の雑誌」をたちあげ、全国にいきわたる月刊誌に育ててこれまでやってきたのだ。
「いろんなコトがあったけれどみんな面白かったよなあ」
「そうだったなあ。暇になるとよくキャンプに行って焚き火を前に唄を歌ったなあ」
「目黒はいつも、ひょっこりひょうたん島だったよなあ。ソース瓶をマイクがわりにしてなあ」「怪傑ハリマオのときもあったぞ。歌によってマイクを変えたんだ。マヨネーズチュウブのときもあったよ」
「自分も歌いたいやつがそのマヨネーズチュウブを横取りしようとした」
「マヨネーズなのに」
「あれでけっこう真剣だったんだなあ」
 電話のむこうで目黒は少し笑っているようだった。でもぼくは話しながら涙が流れてこまっていた。
 やがて疲れてきた、と彼は言った。もう電話をきらなければならないようだった。
「そろそろ疲れたよ」
「そうか。そうなんだろうなあ」
「じゃあな」
「じゃあな」
 最後の話はそんなものだった。話をおえたあと、しばらく体が震えてならなかった。

12月28日(水)

 昨日、ぼくのマゴの風太君にLINE(ライン)というものの設定をしてもらった。目黒は電話は疲れるというので、これからはこれでやりとりするそうだ。ぼくはうまく文字が入力できない。

 娘の葉がニューヨークから帰省した。「おかえり」と声をかけると、満面の笑みで「ただいま」と応えた。元気そうだ。
 いつも「何月何日から何日までいるからね」と事前に連絡してくれるのだが、忘れっぽいぼくはすぐに忘れてしまう。でもいいのだ。彼女が帰国する数日前から家にじわじわとワインやチーズなどのハイカラな酒や肴が届き始め、「もうこれ置く場所ないねえ」と一枝さんとぼくが困り果てた頃にちょうどやってくる。そしてそれからはどんどん酒が減っていく。
 出汁、うまい豆腐、練り物はニューヨークでもなかなか手に入らないだろう、と葉を迎える肴はおでんがいいのではと夫婦で意見が一致して準備していたのだが、昨日のうちに全部、食べてしまっていた。今夜の肴は子持ちナメタガレイの煮つけだ。彼女が自分で用意していたスパークリングワインと赤ワインで帰国を乾杯する。
 コロナ関係で渡航にまつわる煩雑な書類や手続きがかつてはたくさんあったが、今はほとんど撤廃されているようだ。

12月31日(土)

 絶対に吹きこぼれない鍋(なんとかいう人の名前がついていた)、というものを一枝さんが仕入れたようで、葉が帰ってきてからは鍋の日々が続く。ワンタン鍋、鶏団子鍋。年が明けたらしゃぶしゃぶもいいね、と母と娘は楽しそうだ。もちろんどれもうまいので異論はない。この鍋は、ヘリが高い設計で蓋が鍋の内側にずっぽり入っているので、絶対に吹きこぼれないんだと一枝さんは誇らしげだった。具材で満たして強火にかけたら吹きこぼれるんじゃないかと思ったがそんなことは口に出さないほうがいいに決まっている。ぼくはニコニコと鍋を食べているだけだ。
 赤ワインで少し酔ったが、少し原稿を書いた。年越しの瞬間は書いていたか寝ていたか分からない。

●この月の主なできごと

12月1日
◇新型コロナウイルス感染による死者が全国累計5万人を超えた。東京都は新たな新型コロナ感染者は1万2332人と発表。

12月2日
◇サッカーW杯カタール大会で日本がスペインを2-1で制し決勝進出を決めた。
◇「LGBTには生産性がない」「チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」などの過去の差別発言が批判されていた杉田水脈総務政務官に、松本剛明総務相が発言の撤回と謝罪を指示。杉田氏は一部発言の撤回と謝罪に同意するも差別とは認めず。

12月4日
◇インドネシア・ジャワ島のスメル火山で大規模噴火、火砕流が発生。
◇渋谷TOEIが閉館。69年の歴史の最終日に『鉄道員(ぽっぽや)』と『バトル・ロワイアル』が特別上映された。
◇南大西洋の英領セントヘレナ島のゾウガメ「ジョナサン」が190歳を迎えたとして野菜のケーキなどが贈られた。存命の世界最高齢の陸生生物としてギネス世界記録にも認定されている。

12月6日
◇サッカーW杯、日本は8強入りを逃す。対クロアチア戦延長後のPK戦で1-3で敗れ。

12月7日
◇俳優の志垣太郎さんが3月5日に心不全で急逝していたと発表。公表が遅れた理由とともに長男がSNSで。享年70。

12月8日
◇経済産業省の審議会が、廃炉決定後の原子力発電所の建て替えや最長60年の運転期間の延長を盛り込んだ新たな行動指針を決定。

12月10日
◇世界平和統一家庭連合(旧統一教会)による被害者救済に向けた新法や改正消費者契約法等が参院本会議で可決、成立。

12月11日
◇民間宇宙ベンチャーのispace(アイスペース)社が、民間として日本初の月着陸を目指し、月着陸船を米フロリダの宇宙基地から打ち上げ。到着は23年4月頃の予定。

12月12日
◇日本漢字能力検定協会は、今年の世相を表す「今年の漢字」に「戦」が選定されたと発表。

12月13日
◇プロボクシング・井上尚弥選手が、世界バンタム級4団体王座決定戦でイギリスのバトラー選手に11回KO勝ち、日本選手初となる4団体王座統一を果たす。

12月14日
◇文科省は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対し、11月に続いて宗教法人法に基づく「質問権」を再行使。

12月15日
◇元陸上自衛隊の五ノ井里奈さんが在職中に同僚から性暴力を受けた問題で、防衛省は郡山駐屯地に所属していた加害隊員5人を懲戒免職、上司の中隊長を停職6カ月とした。

12月16日
◇政府は、国家安全保障戦略(NSS)など安保関連3文書の方針転換を閣議決定。相手のミサイル発射拠点などを直接攻撃する「反撃能力」の保有を明記したほか、2023年度から5年間の防衛費を約43兆円とすることを盛り込んだ。
◇漫画家の聖悠紀さんが10月30日に肺炎で死去していたことが発表。代表作「超人ロック」を50年以上描き続けた。享年72。

12月20日
◇日銀は金融政策決定会合で、長期金利の事実上の利上げに踏み切る。金利の変動許容幅を0.25%程度から 0.5%程度に拡大、異次元緩和策を10年目にして転換する方針を決定した。
◇鶏卵価格が1991年3月以来31年ぶりに300円台に高騰(1キロMサイズ、東京、JA全農の卸売価格)。鳥インフルエンザの感染拡大で。

12月21日
◇ウクライナ・ゼレンスキー大統領が訪米、バイデン大統領と会談、記者会見のち議会でスピーチした。侵攻後、初の海外訪問。
◇NASA(米航空宇宙局)は、火星探査機「In Sight(インサイト)」の運用を終了すると発表。2018年から火星のエリシウム平原上で調査にあたっていたが、徐々に積もった塵(ちり)の影響で太陽光発電パネルによる発電量が低下したためとみられる。

12月23日
◇上皇さま89歳の誕生日。

12月25日
◇日本近代思想史家の渡辺京二氏が老衰のため熊本の自宅で死去。65年、雑誌「熊本風土記」創刊、石牟礼道子氏との交流から69年「水俣病を告発する会」などを立ち上げる。代表作に『逝きし世の面影』など。享年92。

12月26日
◇人間国宝の三味線奏者・常磐津英寿さんが15日死去と発表。享年95。
◇アニメ制作会社「ぴえろ」創業者の布川郁司さんが25日に死去と発表。「ニルスのふしぎな旅」「うる星やつら」など。享年75。

12月28日
◇建築家の磯崎新氏が死去。建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞受賞など。享年91.

12月31日
◇前ローマ教皇のベネディクト16世が、バチカン内の修道院で死去。享年95歳。
◇紅白歌合戦史上最高齢・85歳での出演となった加山雄三さんが「海 その愛」を熱唱。

Ⓒ 撮影/内海裕之

著者プロフィール

椎名 誠(しいな まこと)

1944年東京生まれ、千葉育ち。東京写真大学中退。流通業界誌編集長時代のビジネス書を皮切りに、本格デビュー作となったエッセイ『さらば国分寺書店のオババ』(’79)、『岳物語』(’85)『犬の系譜』(’88/吉川英治文学新人賞)といった私小説、『アド・バード』(’90/日本SF大賞)を核としたSF作品、『わしらは怪しい探険隊』(’80)を起点とする釣りキャンプ焚き火エッセイまでジャンル無用の執筆生活を続けている。著書多数。小社近著に『遺言未満、』。

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