失踪願望。失踪願望。

第18回

どぶろく、島酒、アイスバイン

更新日:2023/03/01

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10月1日(土)

 JR只見線復旧イベント出席のために前泊地の福島県須賀川市から奥会津に向けて移動する。ぼくはずっと寝ていた。
 道中、早朝の「再開一番列車」でトラブルがあったと連絡が入る。ダイヤが乱れたので「会津川口-只見」間で乗る予定だった記念列車の運行は取りやめになり、只見駅に直接、行くことになった。
 なんでも再開一番列車に鉄道ファンが押しかけ、予想していた以上の負荷がかかりブレーキが故障したようだ。いろんなことが起こるもんだ。
 無事に只見駅に着いたので時間までスキー場のレストハウスで昼飯を食った。ぼくは昔懐かしい感じのカレーライスを食べた。孫の風太はもりそばをすすっていた。「なんだか孫とじいちゃんの食うものが逆な気がする」と指摘してきた77歳のトクヤはソフトクリームを2つ食べていた。
 式典は、只見線の全面運転再開を祝っての大々的なものだった。県や村の重鎮、JR只見線の経営幹部が沢山集まっての式に出るのは緊張した。千人ぐらい集まった来賓のなかに、いちばん喜んだであろう斎藤元町長の顔がないのがあまりにも寂しい。
 式典の後は、本日の宿、金山町・玉梨温泉の恵比寿屋へ。ここへ来るのは5~6年ぶりだろうか。初めて来たのはぼくにとって2本目の長編映画『あひるのうたがきこえてくるよ。』のロケの時だった(改めてキャストをみると柄本明さん、高橋惠子さん、余貴美子さん、黒田福美さん、竹下景子さんなど、かなり豪華な演者が揃っている。駆け出しの監督のぼくなんかの映画によく出てくれたものだ。「どうして出てくれたんですか?」と聞いてみたい気すらする)。
 それから金山町には30年以上、通っていることになるのだが、本当に変わらない。何もかもが素朴で、余計なものが一切ないのだ。
 いまの宿の主人、ユズル君は早くに先代経営者である父親をなくし母子でやってきた。最初来たときぼうやのように見えたユズルもいろいろ迷いつつ困惑しつつ、よくこれまでやってきたなあ、と宿のみんなの顔をみるとつくづく感心します。旅館のかたわらを流れる野尻川の激しい瀬音も変わらない。奥会津の山や草原で百人規模で遊べる映画作りや三角ベース野球の試合なんかを思いついてはここに全国から沢山の人々を集めたもんだなあ。
 
 到着してすぐ只見川の支流にあたる野尻川を臨む露天風呂に入った。もちろん風呂上りは生ビールだ。あまりのうまさに「おおう」と自分でもよく分からぬ声がでた。
 夕方からは宴会がはじまる。肴はきのこや野菜、山菜やイナゴあたりが中心だ。山間の巨大旅館でよく出る変色したマグロの刺身なんかを一切、排除しているところが潔い。瓶ビールを少しやってから地酒とどぶろくに移行してゆく。
 宴会の序盤、集英社の担当者が来てこの連載をまとめた単行本の表紙デザインと帯の惹句を確認してくれと言った。「これでお願いします」とぼくは答えた。
 中盤で雑魚釣り隊の担当である小学館のケンタローが来て「今月の八丈島遠征の打ち合わせをさせてくれ」と言った。ぼくは「おっさん泣かすな。ビールは島冷え。クサヤはほど焼き。台風に注意」と言っておいた。
 用事はそれぞれ5分で済み、ふたりは安心したようにどぶろくの世界に突入していった。
 その日の宴会はいつものような賑わいでたのしかった。しろさけがドーンと出される。いつもおでこに茶碗やお皿をペタリとくっつけて一座を沸かせるしんごちゃん。絶叫大声で一座を沸き立たせるあっこも健在だ。東京からの常連、西澤が「サア酒だ酒だ」と景気をつけ、なんのこともなくいさかいしていた村の名物男加藤さんと賢孝さん二人を仲直りさせていた。
 懐かしい顔とたくさん乾杯をした。シメはけんちん汁のような甘めの汁物ときのこご飯だった。これがしみじみうまかった。

10月2日(日)

 しっかり早起きして旅館名物の味噌汁、おかゆ、漬物、温泉卵、明太子、納豆といった日本の正しい朝食。朝風呂に行った者もいるようだ。
 この宿のまわりには歩いて3分もしないところに泉源の違う温泉が3つある。とてつもなく贅沢な秘湯なのだ。
 村営八町温泉は入り口の所に小さな鳥の巣箱みたいなのがあり、村営温泉の維持協力金をいれることになっている。
 20年ぐらい前に夜中の3時ぐらいまで麻雀をやっていて、疲れたから風呂に入ってちょっと寝るか、などということになった。温泉はとなりである。入ると気持ちいいが真夏のこと、みんなパンツひとつでそこにいった。温泉に下りていく坂の上にバイクが止まっていた。 「風流なやつがいるなあ」
 そんなことをいいながら入っていくと先客は2人いた。若い男と女だった。ここは混浴なのだ。ぼくたちは一瞬困ったが、しかしこういう場合どうしていいかわからない。100円玉(今は300円になっているそうだ)をいれて普通にしていることにした。
 バイク乗りの若い男は湯から立ち上がり、どういう意味があるのか両手をひろげた。
 自分の連れを守る、という動作にも見えたがほかにさしたる意味がある動作のようにも思えない。それからカップルは逃げるように出でいった、というわけだった。
 そのあとぼくは考えたのだが、そういうわけならそいつらが安心して外に出るまで風呂場のソトで待っていたらよかったんだなあ、という配慮だった。しかし外は蚊だらけだしなあ。外に男が4人待っている、というのもかれらにとっては不気味だろうなあ、ということも考慮しないと。こういう山奥での深夜。おれたちみたいな静かなる男以外にもどんなバケモノが徘徊しているかわからないんだよお、と知っただけでもかれらにはよかったんじゃないかなあ。
 別れ際、最後に宿の一家と記念撮影をした。ありがとうみんな。帰って写真を大きく伸ばしたらみんないい顔で写っていた。やがて送るからなあ。

10月3日(月)

 いま話題のKADOKAWAを退社した宍戸健司と浪曼坊で乾杯する。彼のこれからの仕事についての作戦会議だ。
 とりあえず「宍戸健司さんの門出を祝う会(仮)」を企画した。なんだか出所祝いみたいだなと笑い合う。その会合には作家や各社の編集者をはじめ、宍戸と親しい本の雑誌のメンバーにも声をかけることにした。さらに雑魚釣り隊のメンバーにも協力を仰ぐ。
 しかしそうなってくるとただの宴会になりそうな不安もあるが、本人が楽しそうなのでまあいいか。

10月7日(金)

 集英社にて、来月に発売されるこの連載の単行本化のゲラの受け渡しをした。改めて昨年の日記を読むと停滞や壅塞(ようそく)という言葉が浮かぶ。
 ひととおり作業を終えて中華料理屋に移動し「大変な1年だったなあ」と編集者といっぱいやった。えびワンタン入り野菜麺がうまかった。
 ちょうど『家族のあしあと』の文庫が発売になり、澤田康彦に文庫解説をお願いしていたのだが、それがとても良かった。サワダは怪しい探検隊のメンバーで、映画を撮っていた頃にはプロデューサーとしても動いてくれた。コラムニストとしても活動していて、これまでのぼくの文庫でも何度も良い文を寄せてくれている。それと比較しても今回は最高の出来だった。言葉の選び方と置き方、最後の余韻の残し方が抜群にうまい。やるなあ、サワダ! という話で盛り上がった。
 彼は京都在住なので取材も兼ねて久しぶりに会いに行くのもいいなという案も出た。「そうだ! 京都へ行こう」紅葉の時期ですしねと編集Tさんと事務所のWさんは盛り上がっているが、京都はぼくにとって相性の悪い街だからなあ。失踪というイメージもないなあ。

10月9日(日)

 一枝さんが仕事で福島に行き、息子がラスベガスに出張していてひとりぼっちなので「久しぶりに池林房で生ビールやろうぜ」と雑魚釣り隊メンバーに連絡すると「全然、久しぶりじゃねえっす」と言いながらも数人、合流してくれた。
 先週の奥会津旅の反省と今週末の八丈島遠征の打ち合わせ。といっても、「奥会津の温泉良かったっすねえ。どぶろくは酸味があってうまかったなあ」「八丈島でクサヤと島酒、楽しみですねえ」とかわるがわる言うだけの会合であった。

10月10日(月)

 昨日は夜中まで飲んでいたのでよく眠れ、その勢いで机に向かう。原稿は順調に進んだ。こういう日は「俺はヨイ作家だあ」と思えるので気分が良い。

10月13日(木)

「kotoba」の著者インタビューで集英社へ。聞き手は目黒(考二)。ひさしぶりだ。コロナ以降なかなか会えなくなっていた。文芸評論家そのもので家で本を読んでいる毎日といっていた。11月に発売となる『失踪願望。』を中心にしばし文章世界の話をする。太っていたが早口に迫力があり、かなわなかった。

10月14日(金)

 八丈島は雨だった。
 週刊ポストの連載「わしらは怪しい雑魚釣り隊」の取材だ。雑魚釣り隊は第三次怪しい探検隊の位置づけであり、現在は休刊してしまった沖釣り雑誌「つり丸」の連載として2005年にはじまった。2012年からは「週刊ポスト」に移籍して、月1度どこかの浜辺に出かけて自堕落キャンプを続けてきた。
 それが今回の取材で一応、最終回を迎える。担当のケンタローに「17年のケジメとしてどこか行きたい海はありますか?」と聞かれたので八丈島と答えた。ちなみに第1回は伊豆大島だった。
 雨で堤防釣りは中止となり、今夜の肴は出船するメンバーの釣果次第だ。居残り組はキャンプ場で怠惰にビールを飲んだ。ツマミは島寿司だ。文句ない。
 夕方に無事、釣り班が豪華絢爛の島魚を仕留めてきて宴会のメドがたった。山下カズも金目鯛を差し入れてくれ、これをしゃぶしゃぶにした。島焼酎がうまい。
 夜になっても雨は止まなかったが、タープに当たる雨音が心地よい。ぼく自身の釣りはちっとも上達しなかったが、こうして釣って食って飲んでの贅沢な17年間だったなあ、と感傷にひたっていたら、どっかで聞いたことのあるメロディーが聞こえてきた。ザコという友人がぼろんぼろんとギターを奏でて歌っていたのだ。
 俺がいたんじゃお嫁にゃ行けぬ、という寅さんの『男はつらいよ』の主題歌だ。
 長く飲食業界での勤務経験があるザコは隊のコックでもあるけれど、スカバンドのミュージシャンでもある。彼が歌う寅さんはぐっとモダンな印象になるが、これはこれで良さがある。
 いつの間にか大合唱となった。2番の歌詞に「目方で男が売れるなら」というフレーズがある。これまでも聞いていたはずなのだが、深く考えたことはなかった。いま歌っている酒好きで旅好きな友人はみんな目方でなんか測れない、いいやつらだなと深く頷き、島酒をおかわり。何時に寝たかは覚えていない。

10月15日(土)

 今日も八丈島は雨だ。みんなはキャンプをしていたが、トクヤとシーナのために、ケンタローはコテージを予約してくれた。そのコテージでトクヤが淹れてくれるコーヒーを飲んで、キャンプ場へ行くと、ヅケ丼の朝飯が用意されていた。トシをとるのもいいもんじゃのう。
 午後から藍ヶ江へ移動。今夜はカズが漁師仲間らと野外宴会をしてくれるという。昨日、出船したメンバーが仕留めた10キロ超えカンパチの巨大なカマ焼きをメインに、茹でたて島ダコの刺身、蒸(ふ)かした里芋などがゴーカに並んでいる。島の人気居酒屋「むらた」の店主が焼きそば、スパゲティまで作ってくれ、ほとんど暴飲暴食だ。途中、追加で酒の買い出し隊が出た。
 21時くらいまで続いただろうか、風も強くなってきたので宴会はお開き。コテージに戻ったが、なんだか眠れないので竹田に「寝酒に島酒を頼めるか」と連絡すると、一升瓶とたっぷりの氷を太陽と共に持ってきてくれた。

10月16日(日)

 最終日まで雨だったが、それも八丈島らしくていい。
 あまった刺身はヅケにしておいたのでそれを使って童夢が島寿司を握ってくれた。ざっと300カン。30人の男たちのためだ。あっという間にもっともっと! のサワギになった。童夢の島寿司はうまい! 残りの野菜をすべて投入した味噌汁も作る。運転手以外はビールを飲んだ。
 夕方の便で東京に戻る。まあ八丈島も東京なのだが。
 雑魚釣り隊の遠征も2022年で17年になった。テントかついで全国をマタにかけ、海だ岬だ泥洲だ島だとうろついてきた。途中コロナによる遠征の中断があったが初期隊員の8人は年ごとにどんどん増えていき現在はなんと30人になっていた。八丈島遠征の獲物は1 メートル級のカンパチをはじめ10種類、100尾あまり。全部で20キロ以上になっていた。
 隊員は全員男。全国からやってくる。みんないいやつだ。今回の彼らの行動をみていて感心したのはそれぞれ釣りがうまくなっていることだった。動きが早くてテキパキしている。
 なによりも驚いたのは誰もなんにも言わないのにじゃんじゃん獲物を釣り、テキパキ三枚におろし、刺身にしている。今回は50人前ぐらいになっていただろう。もはや料理屋そのものだ。とくに料理長のザコの手さばきを見ていると彼の腕をこのままにしておくのはもったいない、と思う。
 本職はシンガーソングライターなので彼が料理仕事をおえて歌うオリジル曲を聞いていると感動して涙があふれてくる。それと別のところでも書いたがドレイ歴17年の橋口童夢がひそかに修練していた「寿司」のうまいこと。シャリは江戸前に小さく。赤みの魚はみんなヅケだ。そして洋カラシ。
 ぼくはこの島に40年以上かよっているけれど、奴は絶対に島寿司の店をだせるな、と思った。いまの仕事に飽きたら島寿司屋を開店するといい。ぜったい流行ると思う。
 ドレイ長の竹田はすでに立派な全体の隊長になっていた。週刊誌の連載は今回で終わりだが雑魚釣り隊そのものはまだまだ続けていけそうだ。みんな元気でなあ。年配の物知り、P・タカハシが数年前にリタイヤしてしまったのが残念だった。とてもいいキャラクターだったのになあ。

10月20日(木)

 浪曼房で「宍戸健司くんの門出を祝う会」の打ち合わせ。彼にいろいろ世話になった本の雑誌社が全面的にバックアップしてくれるので、運営は安心だ。案内状の文面の最終確認、服装は平服だけど平服ってなんだゲタはいいのか、名刺交換はくだらないから禁止にしようなど、かなり独自のルールが定められたが、あーだこーだ言いながら飲むのは楽しい。

10月27日(木)

 夕方に表参道の山陽堂書店へ。澤田康彦の新刊『いくつもの空の下で』(京都新聞出版センター)が出たということで、書店内に個展のようなスペースができあがっていた。先日の文庫解説のお礼も兼ねて少し顔を出す。イラストレーターの小池アミイゴ氏の絵が遊び心に満ちていて愉快だ。
 サワダと共に助監督として映画を撮った懐かしい仲間の白木芳弘も合流してくれた。彼は映像制作の会社を立ち上げてその社長ながら今も現場でいろいろな番組を撮っているようだ。むずかしい業界で会社を経営し、作品を作り続けているというのに感心した。うれしいことだ。『うみ・そら・さんごのいいつたえ』の子役の女の子も来場していた。
 サワダ、白木と新宿「犀門」に移動して、各地のロケの思い出や、最近の映画の話などを肴に、黒ビールを何杯も空けた。青春が戻ってきたような時間だった。
 ほろ酔いで帰宅してテレビをつけたら、オリックスの吉田正尚がフルスイングでサヨナラホームランを打っていた。

10月28日(金)

 原稿を書いていたら新しいベッドが届いたので、こうしてはいられないと少し眠る。
 しっかり元気になってからこの『失踪願望。』単行本の最終チェックのために集英社へ行ってゲラを読む。「大きな問題はありません! 早くビールを飲みに行こう」と言ったら「もっとちゃんと読んでください」と担当編集者にやや叱られる。「しっかり読むからランチョンでアイスバインを食べさせてください」とお願いして、しっかりゲラを読んで陽が沈む頃には乾杯をしていた。国内で食べるアイスバインは、ここのが一番うまいと思う。

●この月の主なできごと

10月1日
◇アントニオ猪木氏が死去と発表。享年79。

10月3日
◇ヤクルトスワローズの村上宗隆選手が、王貞治氏の記録を58年ぶりに更新する56号の日本選手最多本塁打を放ち、22歳の最年少でセ・リーグ三冠王に輝いた。

10月4日
◇北朝鮮が発射した弾道ミサイルが青森県上空を通過。政府は全国瞬時警報システム(Jアラート)で、「国民保護に関する情報」を出した。

10月5日
◇米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平選手が、シーズン最終戦で規定投球回数に到達した。バッターとして規定打席は8月にクリアしており、同シーズンで規定投球回数と規定打席数を達成する快挙。
◇宇宙飛行士の若田光一さんが搭乗する民間宇宙船「クルードラゴン」5号機が米フロリダ州ケネディ宇宙センターから打ち上げられた。若田さんは日本人飛行士として最高齢の59歳、飛行は最多で5度目。

10月11日
◇政府は、新型コロナウイルスの水際対策を大幅に緩和、入国者数の上限を撤廃したほか、個人の外国人旅行客の入国も解禁。また、観光需要の喚起策「全国旅行支援」が、東京都を除く全国46道府県で始まった。

10月12日
◇宇宙航空研究開発機構(JAXA)が、小型固体燃料ロケット「イプシロン」6号機の打ち上げに失敗した。予定軌道に投入できず、破壊指令。イプシロンの打ち上げ失敗は初。 

10月13日
◇河野太郎デジタル相が、現在使われている健康保険証を2024年秋に廃止し、マイナンバーカードと一体化した「マイナ保険証」に切り替える方針を発表。

10月15日
◇安倍晋三元首相の山口県民葬が、下関市内で営まれ、細田博之衆院議長、松野博一官房長官ら約2000人が参列した。

10月17日
◇岸田文雄首相が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)について宗教法人法に基づく調査を指示。同法が定める「質問権」を行使する初めてのケースとなる。

10月20日
◇東京外国為替市場で、円相場が一時1ドル=150円09銭に下落し、1990年8月以来、約32年ぶりの安値水準。

10月21日
◇2022年9月の全国消費者物価指数が、前年同月比で3.0%上昇。消費増税の影響を除くと、上昇率が3%台となるのは1991年8月以来31年1カ月ぶり。
 
10月22日
◇天皇皇后両陛下が沖縄を訪問し、南部戦跡で慰霊。23日には、国民文化祭の開会式に出席された。両陛下の沖縄訪問は即位後初。

10月24日
◇世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係が指摘されていた山際大志郎経済再生担当相が辞任。岸田文雄首相は25日、後任に後藤茂之・前厚生労働相を起用。

10月25日
◇立憲民主党の野田佳彦元首相が、衆院本会議で安倍晋三元首相の追悼演説に臨んだ。
◇歌舞伎役者の松本白鸚さんら6人に文化勲章が授与。文化功労者には、シンガーソングライターの松任谷由実さんら20人が選ばれた。

10月27日
◇全国の小中学校で2021年度に不登校だった児童生徒は前年度から4万8813人(24.9%)増の24万4940人で過去最多となったことが、文部科学省が公表した「問題行動・不登校調査」で分かった。増加は9年連続。

10月28日
◇「餃子の王将」を展開する王将フードサービスの社長だった大東隆行さん(当時72)が2013年12月、京都市山科区の本社前で射殺された事件で、京都府警は殺人と銃刀法違反容疑で特定危険指定暴力団工藤会系石田組幹部の田中幸雄容疑者を逮捕。

10月29日
◇韓国・ソウルの繁華街、梨泰院の狭い路地で、ハロウィーンを前に集まった人々が折り重なるように倒れる事故が発生。関係当局によると、150人以上が死亡、130人以上が負傷した。現地警察からソウルの日本大使館に連絡があり、10代と20代の邦人女性2人の死亡が確認された。

Ⓒ 撮影/内海裕之

著者プロフィール

椎名 誠(しいな まこと)

1944年東京生まれ、千葉育ち。東京写真大学中退。流通業界誌編集長時代のビジネス書を皮切りに、本格デビュー作となったエッセイ『さらば国分寺書店のオババ』(’79)、『岳物語』(’85)『犬の系譜』(’88/吉川英治文学新人賞)といった私小説、『アド・バード』(’90/日本SF大賞)を核としたSF作品、『わしらは怪しい探険隊』(’80)を起点とする釣りキャンプ焚き火エッセイまでジャンル無用の執筆生活を続けている。著書多数。小社近著に『遺言未満、』。

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