『炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅』
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第8回
ガンベリの薔薇
更新日:2026/04/15
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2023年4月11日の朝、目が覚めると悪寒がした。喉が渇くので、枕元に置いていた500mlのペットボトルに入ったミネラルウォーターを半分ほど飲み、ベッドから出る。“郷に入っては郷に従え”と、だぶだぶのシャルワルカミーズの上下を身に着け、携帯やICレコーダーのバッテリーを確かめ、取材メモを整理していると急に腹が痛みだした。慌ててトイレに駆け込む。ひどい下痢だった。
日本を発って2週間が過ぎていた。
私は、アフガニスタン東部のナンガルハル州のPMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス)ジャララバード事務所の2階の一室に逗留しながら、事務所長で中村哲さんの側近だったジア・ウル・ラフマン医師や、PMS支援室長の藤田千代子さんらの現地視察に同行していた。アフガニスタンの水にも慣れたつもりだったが、あと4、5日でこの地を離れることになるので、気が緩んでアドレナリンの分泌が下がったのか、人間の身体は正直なものだ。腹を壊してしまった。
しかし、寝ているわけにはいかなかった。
今日は、「死の谷」と呼ばれる「ガンベリ沙漠」に復活した農場を見に行く日だ。
235ヘクタール、東京の代々木公園の4.3倍の広さの農場は、灌漑事業にかけた中村哲さんと日本人ワーカー、PMSのエンジニアや労働者たちの、まさに血と汗の結晶だ。日本から持ってきた下痢止めの薬を2錠ばかり飲んで、私は取材の準備をつづけた。
ナンガルハル州と西隣のラグマン州の間には、幅4キロメートル、長さ20キロメートルにわたって炎熱の地獄、ガンベリ沙漠が横たわっている。夏は気温が摂氏50℃を超え、渇きが一帯を支配する。一度、迷い込んだら生きて戻れないと怖れられ、「死の谷」と呼ばれる。
もっとも、かつては、ここにも人びとが暮らし、農業を営んでいた。1960年代には遊牧民が家畜を連れてくる放牧地が広がっていた。だが、1979年のソ連(現・ロシア)のアフガン侵攻以降、土地や水の管理は捨て置かれ、樹木は伐採されつくした。そこに地球温暖化による大旱魃(だいかんばつ)が襲いかかり、一挙に沙漠化が進んだという。
そのガンベリに、中村さんたちはクナール川の取水口から約25キロの用水路を建設し、水を引いて農地をよみがえらせ、十数万人の農民を定住させた。
いったいどんな農地なのか、私は、この目で見たかった。
午前9時過ぎ、ジアさん、藤田さんらと一緒にトヨタのハイエースに乗り込み、ガンベリへと向かった。車は、ジャララバードの市街を抜け、国道を北へ30分ほど走ると、左に折れた。地面が剥きだしのデコボコ道に入る。道の両側に褐色の樹皮に覆われた木が4、5メートルおきに植えられている。
藤田さんが車窓に顔を寄せて、「この木はガズ(紅柳)です。乾燥地でも苗木が数年で10メートル以上の高木に育つ不思議な木です。地下のわずかな水分を吸い上げて、枝を広げるんですよ。しかも塩分を含んだ水でも育つ。沙漠の防風、防砂には欠かせません」と言った。
「ほぉ、そうですか」と相槌を打った私は、波打つ路面に車体が激しくバウンドして、舌を噛みそうになった。ガズの林道を15分ちかく走り、車は停まった。
車を降りて、周りを眺め、その美しさに「はあーっ」とため息が出た。
西側に薄黄色の穂を垂らした小麦の畑が広がっていた。
小麦畑の向こうの防砂林は、ガズの並木が途中で終わり、その先から丈の低いユーカリが北へ一直線に連なっている。防砂林の向こうには荒涼とした岩山が横たわり、さらにその奥に氷雪をまとった4000メートル級のケシュマンド山脈がそそり立っていた。
山嶺の雪が溶けて川に流れ込み、川から引いてきた水が涸れた大地に緑を呼び戻す。
ファインダー越しに覗いた風景に、中村さんたちの灌漑事業の本質が凝縮されていた。

ガンベリ農園の小麦畑と防砂林、後景の岩山、彼方のケシュマンド山脈。(2023年4月11日 著者撮影)
小麦畑に沿った道を北へ歩いていくと牛ののどかな鳴き声が聞こえてきた。
「行ってみましょう」とジアさんに誘われ、牛舎を覗く。乳牛が10頭、鼻を並べて一列につながれていた。牛飼いの男性が、一頭の子牛を母牛の横に連れてきて乳首を吸わせた。子牛がゴクッと乳を飲みかけたところで、子牛を母牛から引き離し、脇の柱に縛りつける。
男性は、すぐに両手で母牛の乳を搾ってバケツに溜め始めた。子牛は母牛の乳の出をよくするための道具として使われたようだ。
ジアさんが、シャー、シャーと牛乳がバケツに注がれるのを見ながら言った。
「2021年の夏以降、世界各国がタリバン政権に経済制裁を科して、アフガニスタンの多くの銀行が閉まり、海外からの送金が止まったときは、この牛乳や、農産物がわれわれの頼みの綱だったんです」
PMSの活動資金の大部分は、福岡市に本拠を置くNGO(非政府組織)ペシャワール会に集まった寄付や募金で賄われている。ところが、アメリカが21年8月末に20年間におよぶアフガニスタン進駐に終止符を打ち、撤退した後も、タリバン政権に経済制裁を発動したために経済は大混乱に陥った。ほかの西側諸国もアメリカに同調し、日本からアフガニスタンへの送金もストップした。
「一時、用水路の建設現場で働く人たちの賃金の支払いも滞りました。ガンベリ農場でとれた牛乳や果物、野菜、小麦などを市場で売って、お金に換えて、何とか2カ月遅れで賃金を支払うことができたのです。最近、日本からの送金は再開されましたが、あのときは綱渡りでした」
とジアさんは、ふり返った。
牛舎の近くにフェンスで囲ったナツメヤシの畑があった。在アフガニスタン日本大使館が、2017年3月25日に500本のナツメヤシを寄付して開かれた圃場(ほじょう)だ。農園のスタッフにフェンスの入り口を開けてもらい、なかに入った。ソテツに似たナツメヤシの株を一つずつ見ていて、ぎょっとして足が止まる。
株のまんなかから白い魚卵をちりばめたような、異様に大きな房が顔を出していた。
「これは、なんですか」と私はジアさんに訊ねた。
「ナツメヤシの雄花です。この房を切って、花粉を開花した雌花にふりかけ、人工授粉して美味しい実(=デーツ)をつくるのです。デーツは、雌花の実なんですよ。大昔から人工授粉してつくられてきたんです」
それにしても、ナツメヤシの雄花は夢に出てきそうなぐらい怪異だった。

ナツメヤシの雄花。花粉を雌花にかける人工授粉は、紀元前数千年前のメソポタミア文明の時代からおこなわれていたという。(2023年4月11日 著者撮影)
私たちは、さらに北へしばらく歩き、木の枝や葉をアーチ型に組んだゲートの前に出た。緑のゲートの脇の石のプレートには「Dr. Nakamura Memorial Park(ドクター・ナカムラ・メモリアル・パーク)」と彫られている。
ゲートをくぐると、敷地一面に芝生が張られていた。芝生地の外側の回廊には、色とりどりの花が咲き誇っている。赤い薔薇と、蕎麦の白い小さな花が並んで咲いていた。
小柄な男性が、花や木にホースで水を遣っている。公園の植物の手入れを任された彼は、皆から「ベヘラ(聴覚に障害のある人)」と呼ばれていた。
公園の東側には中村さんの似顔絵を大きく描いた塔が立っている。陽光を浴びて白く輝く塔を設計したのは、中村さんと現場で一緒に働いたエンジニアのファヒーム・シェルザドさんだ。ファヒームさんは、中村さんとの思い出を、私に、こう語った。
「米軍とタリバン軍の戦闘が激しかったころ、用水路の建設現場は危険なので、外国人が滞在できるのは昼間だけと時間が制限されていました。ところが、中村先生は、日の出前の薄暗いうちに現場に来られるんです。先生、いまは撃ち合いがたびたび起きるので、ここにはこないでください、と申し上げました。すると先生は、エンジニア・サーブ(技師殿)、そんなことを言ってはいけないよ。わたしもあなたも同じ人間。一緒に働く仲間だ。誰でもいつかは死ぬ、と言われたのです。先生の言葉にハッとしました。こんなに貧しい国、貧しい人びとのために命を投げ出している。そんな外国人のリーダーはいません。他のNGOの幹部たちは机の向こうに座ったきりです」
仕事を離れれば、中村さんはユーモアを愛する人だったという。
「ご覧のとおり、わたしは髪の毛がなくて、頭が光っていますよね。中村先生は、わたしと顔を合わせると、『おっ、今日もソーラーパネルに太陽光を吸収してエネルギーを溜めているね』と冗談を言ってリラックスさせてくれました。中村先生は、アフガン人が愛用しているパコール帽をいつも被っておられた。日本人の青年ワーカーたちは、全員、われわれと同じようにシャルワルカミーズを着て、働いていた。アフガニスタンの文化を尊重してくれるからわれわれは嬉しかった。一緒にがんばろうと思ったのです」
中村さんは、ファヒームさんが仕事を終えて夜遅くスタッフハウス(職員宿舎)に帰ってくると、「ストレマシ(お疲れさまでした)。デーラ・マナナ(ほんとうにありがとうございます)」と丁重に労をねぎらった。「それまで外国人からデーラ・マナナなんて言われたことない」とファヒームさんは述べた。
塔に描かれた中村さんの似顔絵が、今日もガンベリ農場を見守っている。

ドクター・ナカムラ・メモリアル・パークの薔薇は天に向かって咲き誇る。(2023年4月11日 著者撮影)
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- 著者プロフィール
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山岡淳一郎(やまおか・じゅんいちろう)
1959年愛媛県生まれ。ノンフィクション作家。愛媛県立松山東高卒、早稲田大学第二文学部中退。出版関連会社、ライター集団を経て独立。沖縄のボクサーの世界制覇を、興行権の争奪に密着して描いた『ボクサー回流』(文藝春秋)を皮切りに「人と時代」を共通テーマに政治、医療、建築、近現代史と分野を超えて旺盛に執筆。著書は、『後藤新平 日本の羅針盤となった男』『田中角栄の資源戦争』(以上、草思社文庫)、『ゴッドドクター 徳田虎雄』(小学館文庫)、『原発と権力 戦後から辿る支配者の系譜』(ちくま新書)、『コロナ戦記 医療現場と政治の700日』(岩波書店)ほか多数。一般社団法人デモクラシータイムス同人。











