中村哲を求めて 取材旅4万2000キロ

第5回

「生き金」

更新日:2026/03/18

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 じりじりと直射日光に炙られ、額に玉の汗が浮く。

 大小の岩がごろごろ転がっている急斜面を、私は登っていた。

 ずんぐりした身体をシャルワルカミーズで包み、頭に丸い帽子「トピ」をのせたヌール・ジャンが数メートル先を歩いている。彼は、アフガニスタン東部のナンガルハル州の州都・ジャララバードに拠点を置くPMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス)の40代の男性職員だ。

 ヌール・ジャンの「ジャン」は日本語の「さん」よりも親愛の情が深い呼び方で、「様」ほど堅苦しくはなく、「ちゃん」「くん」よりは丁寧だという。

 ヌール・ジャンは、ふだんは用水路の建設現場で車両への給油作業を担当しているが、この日は私の案内役を買って出てくれていた。ヌール・ジャンに遅れまいと、ときどきズルッと足を滑らせながら岩だらけのガレ場を登った。

 リュックを担いだ背中はじっとりと汗ばんだ。

 2023年4月3日の正午過ぎ、急斜面を200メートルほど登って丘の上に立った。

 ゆっくりと後ろをふり向くと、目の前に絶景が開けた。

 眼下をクナール川が左から右へ蛇行しながら流れている。

 ここは、ナンガルハル州の最北端、クナール州との境に位置するジャリババ渓谷。中村哲さんが、初めてクナール川から用水路に水を取り込んだところだ。用水路は、「アーベ・マルワリード(真珠の水)」と命名されている。

 手前の岸から、大きな岩がいくつも連なって川のなかほどへ斜めに張り出している。

 岩は流水を被って白波を立てていた。

 私の横に立つヌール・ジャンが、丸い顔に人なつっこい笑みを浮かべて、川の白波を指さし、「ウィア(weir=堰)」とつぶやいた。その指先を手前の岸のユーカリの林のほうへ動かし、「インテイク(intake=取水口)、イリゲーション・カナル(irrigation canal=農業用水路)」と言い、私の目を見て、「わかった?」とばかりに頷いた。

 川の流れに対して斜めに延びた堰が、川水を押し上げ、コンクリートの要塞のような取水口へと導いている。

 取水口から入った川水は、用水路を伝って西へ流れ、旱魃(かんばつ)で沙漠化していた荒れ地に緑を復活させた。さらに用水路は南に延伸して、25キロ先の「死の谷」と呼ばれた灼熱のガンベリ沙漠を広大な緑野に変え、小麦や野菜を実らせる。用水路の建設によって、90万人以上の生命が救われた。

 壮大な事業の全容が広がる光景を目の当たりにして、私は身震いした。

 クナール川の川幅は、目測で約400メートル。いまは春の雪解けで水嵩が増えていて、堰がほんの少し頭を出しているだけだが、水量が減る冬、川底が露わになると、大河の両岸に巨大な鳥が羽を伸ばしたような“連続堰”が浮かび上がるという。

 それは、中村さんと日本人のワーカー、現地のエンジニア、身を粉にして働いた農民たちの血と汗と涙の結晶だ。「暴れ川」で知られるクナールの流れを制し、懸命に水を引いた戦いの跡でもある。

 クナール川は、パキスタン領の7000メートル級のヒンズークシュ山脈に発し、アフガニスタン側に流れ込んで、クナール州、ナンガルハル州を下る。ジャララバードの郊外で、西から流れてきたカブール川に合流し、ふたたびパキスタン領へと入る。カブール川はチベットから流下するインダス川に流れ込み、パキスタン領を北から南へ貫流し、やがてカラチでアラビア海にそそぐ。

 雄大な大陸河川の上流にあたるクナール川は、高い山から平地へと駆け下るので流速がはやい。流域には切り立つ崖に囲まれた峡谷が多く、水流が一点に集まると、その凄まじいエネルギーで堤防を破壊する。

 近年は地球温暖化に伴う気候変動で、渇水と豪雨が交互にアフガニスタンを襲う。乾ききった周辺の岩山に大量の雨が降ると一気にクナール川に流れ込み、大洪水が起こる。

 この暴れ川の流れを、どう制御して用水路に水を引くか。

 中村さんとPMSは、洪水で何度も堤を破壊され、試行錯誤を重ねた。

 そして、2013年12月下旬、クナール川の右岸と左岸にわたる連続堰をつくり、暴れ川の流れを制圧したのである。中村さんは、こう記している。

〈暴れ川を六つの河道に分割して固定、(略)巨大なクナール河の水を分け、(略)堰長505m、堰幅50~120m、全面石張りで面積2万5千㎡、夢のような構想がここに現実となりました。(略)全ての現場職員は涙を流し、抱き合って喜び、互いに労苦をねぎらいました。尋常でない喜びの様子は、知らぬ者が見れば、気の狂った集団かと思えたでしょう〉(ペシャワール会報119号 2014年4月1日)

 中村さんたちの歓喜のようすが目に浮かぶようだ。私は、丘の上からクナール川を眺め、人間の営みの大きさに圧倒された。


ジャリババ渓谷の丘から眺めたクナール川。白波が立っているところに連続堰が築かれている。(2023年4月3日 著者撮影)

 丘から下りた私たちはPMSのワゴン車に乗り、タリバン兵の護衛車に先導されて、クナール川に沿って国道を南へ走った。乾いた荒れ地を30キロ下り、クナール川に架かった大きな橋を対岸に渡ると、風景が一変した。そこから劇的に緑が増えた。畑の小麦が青い穂を伸ばし、オリーブの葉が陽光を浴びている。

 アフガン東部の穀倉地帯、カマ郡に入ったのだ。

 日干しレンガの家が減って、街道の両側に南ヨーロッパを髣髴(ほうふつ)させるパステル調の外壁にバルコニーが突き出た豪邸が並ぶ。車窓に顔を押し当てて邸宅を見ていた私に、ヌール・ジャンが、「アメリカン・ハウス」と言った。

 えっ⁉ と聞き返すと、「ポピー・パレス(ケシの宮殿)」と言い換えた。

 ヌール・ジャンは、こう教えてくれた。

 2001年の「9.11米国同時多発テロ」の後、アメリカはアフガニスタンを空爆し、進駐した。欧米諸国は、復興支援の名目で莫大なカネを、アフガニスタンに投じた。復興資金の多くは、国内外で「中抜き」され、賄賂に使われる。その一部が豪邸の建設に回ったため、完成した邸は「アメリカン・ハウス」と称される。また、ケシ)アヘンの原材料)の栽培や、麻薬取引で得た利益で建てられた邸は、「ポピー・パレス」と呼ばれている、と。

 2021年のタリバン復権後、豪邸の主の多くは国外に逃げた。邸はタリバン幹部の事務所に使われたり、そのまま放置されたりしているという。

 車は、クナール川と並行して5、6キロ北へ走り、左に折れて、河畔へと進んだ。

 かつてカマ郡も戦乱と旱魃で土地は荒れ果て、人びとは難民となって隣国パキスタンに逃げていた。そこに中村さんたちが堰と用水路を築こうと立ち上がる。土地に水が通ると聞きつけた難民たちは大挙して戻り、こんにちのカマの復活につながった。

 カマの堰の手前で、私たちは車を降り、用水路沿いの柳の並木道をクナール川の岸辺へと歩いた。水辺の日陰は涼しく、空気が澄んでいる。同行していたPMSの事務職員、サーブル・ジャンが、用水路の護岸にしゃがんで水に手を入れた。水中の側壁をまさぐっている。近寄ると、掌に微細な根のかたまりを載せて見せてくれた。

 並木の柳から伸びた毛根だった。柳の根は、無数に枝分かれして土のなかに巨大な網をめぐらせる。それが砂や石をがっしりとつかみ、天然の鉄筋のような役割を果たしている。柳は、地中の水分を吸い上げる性質もあり、堤防が水でふやけて崩れ落ちるのを防ぐともいう。


カマの用水路に沿った柳の並木道を歩くと、身体が清澄な空気に包まれる。2023年4月2日 著者撮影)

 そこには、コンクリートの用水路にはない、自然の調和が脈打っている。

 私たちは川べりの取水口にたどり着いた。カマの堰が押し上げた水は、取水口から轟々と音をたてて用水路に流れ込んでいた。取水口の背後の河川敷にはレストランが立っている。

 サーブル・ジャンは、私と一緒に歩きながら、
「あそこは用水路ができる前は、ボロボロの掘立小屋みたいな店でした。いまはコンクリート造りに変わって、宿泊もできます。ホテル兼レストランに発展しました。ホテルの土地は国有なので、国にも地代が入ります。取水口が完成し、並木道が通って、大勢の人がここに観光にくるようになったからです。休日には取水口を見にピクニック客が集まってきます」
 と語り、「あれを見てください」とホテルを見下ろす岩山の中腹に設けられた小屋を指した。
「アイスクリーム屋です。いまはラマダン(断食月)なので休業していますが、女性や家族連れにアイスクリームは大人気です。経営者はシリア出身だったかな。アイスクリームは、酪農が再興したカマ郡の名物になりました。休日には、観光客向けの靴磨き、車磨きの子どもらも集まってくる。つまり、用水路が完成したことで、農業だけでなく、飲食や観光の新しいビジネスが起こり、地域の経済が循環しているんです。そのことを、多くの人に知ってほしい」


カマ堰の取水口の背後の河川敷に立つホテル兼レストラン。用水路が建設されて、ここは名所となり、近郷近在から観光客が集まるようになった。(2023年4月2日 著者撮影)

 生前、中村さんがマルワリード用水路の建設に投じた資金は約14億円。すべてペシャワール会に集まる寄付と会費で賄われた。一方、アメリカは2001年から約20年間の「対テロ戦争」でアフガンに2.3兆ドル(約250兆円・米ブラウン大「COSTS OF WAR」プロジェクト調査)の戦費を投じた。どちらが生きたお金になったのか。

 アメリカは去り、いまこの国に経済制裁を科している。その一方で、中村さんたちがつくりあげた連続堰は、滔々と流れるクナール川の両岸に大きな翼を広げている。

 

著者プロフィール

山岡淳一郎(やまおか・じゅんいちろう)

1959年愛媛県生まれ。ノンフィクション作家。愛媛県立松山東高卒、早稲田大学第二文学部中退。出版関連会社、ライター集団を経て独立。沖縄のボクサーの世界制覇を、興行権の争奪に密着して描いた『ボクサー回流』(文藝春秋)を皮切りに「人と時代」を共通テーマに政治、医療、建築、近現代史と分野を超えて旺盛に執筆。著書は、『後藤新平 日本の羅針盤となった男』『田中角栄の資源戦争』(以上、草思社文庫)、『ゴッドドクター 徳田虎雄』(小学館文庫)、『原発と権力 戦後から辿る支配者の系譜』(ちくま新書)、『コロナ戦記 医療現場と政治の700日』(岩波書店)ほか多数。一般社団法人デモクラシータイムス同人。

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