『炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅』
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第4回
タリバンの通行手形
更新日:2026/03/11
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アフガニスタン東部のナンガルハル州の州都、ジャララバード――。
2023年4月3日朝5時40分、私はPMS事務所の2階、北西角の20㎡ほどの部屋で目を覚ました。パイプベッドを抜け出し、素足で床の絨毯を踏んで北側の窓辺に近づき、厚いカーテンを開けた。
「おおーっ」と思わず、声が出た。
真正面のケシュマンド山脈の雪嶺が、朝日を浴びて、青い空に浮かんでいるように見えた。ゴツゴツした山塊の南東の斜面が金色に輝き、南、西側の山肌は濃いグレーの影に覆われている。太陽が昇るにつれて山塊ぜんたいに日がそそぎ、山頂から葉脈のように下る谷の一つひとつが光と影に縁どられていく。
近くのモスクの尖塔から「アッラ――――フ」と礼拝を呼びかけるアザーンが響きわたった。
さらに日が高くなると山脈は白一色に変わり、徐々に青天に溶け込んでいった。入れ替わるように、山脈よりも手前の褐色の岩山の輝きが増す。気がつけば、眼下の運河沿いの道路を、黄色のペンキを塗った三人乗りのトゥクトゥクが客を乗せて行き交っていた。
早朝、ジャララバードから眺めたケシュマンド山脈。日が昇るにつれて、その山容はさまざまな色を帯びて変化し、やがて青天に溶け込んでいく。大自然の野外劇に見とれた。(2023年4月3日、筆者撮影)
時計は6時30分を指している。私は大自然の光の野外劇を満喫し、何だか得をした気分になり、「今日は、きっといいことがあるぞ」と自分に言い聞かせた。
3日前にパキスタンからカイバル峠を越えてアフガニスタンのジャララバードに入った私は、PMSとペシャワール会のご厚意で、PMS事務所に逗留していた。
PMS事務所は、ジャララバード市街の南、新興の開発地区に門を構えている。南北一二〇メートル、東西一〇〇メートルの敷地を厚いレンガの塀が囲み、そのなかにコンクリート造りの事務所棟が立っている。事務所棟の一階には幹部の仕事部屋とミーティングルーム、厨房、食堂が配置され、2階には6つの個室と倉庫、トイレ、浴室が連なる。裏庭には、車庫と給油設備、建設機材の倉庫などが設けられている。
午前8時、燃料を満タンにしたダンプカーが轟音を鳴らして裏庭から用水路の建設現場へと出発していく。1階の玄関横の広いポーチに下りると、PMS事務所長のジア・ウル・ラフマン医師が、数十人の職員を前にパシュトゥ語で朝礼の訓示をしていた。水色のシャルワルカミーズに薄茶の長めのベストを着て、黒いメタルフレームの眼鏡をかけたジアさんは、偉丈夫な姿からは想像もつかない甲高いトーンの声で喋っている。用水路工事の現場を担うエンジニアや、会計や総務の事務職員たちが彼の話を神妙に聞いていた。
1958年にナンガルハル州の富家に生まれたジアさんは、カブール医科大学を卒業し、ドイツの医療系NGOを経て、1996年に中村哲さんの医療活動に加わった。以来、中村さんの右腕として、数々の修羅場をくぐってきた。
朝礼の後、「仕事のお邪魔でなかったら、少し、お時間をいただけませんか」と私が頼むと、「ああ、いいですよ。どうぞ」とジアさんは自分の執務室に招き入れてくれた。
執務室は、天井が高く、白い木枠の大きな窓から室内に陽光が降りそそいでいた。床にはエンジ色の絨毯が敷かれ、事務机の手前に紫檀のソファーが置かれている。
ソファーに腰を下ろし、ふと斜め右を見ると、木目も鮮やかな背の高い戸棚が床から天井ちかくまで壁一面にはめ込んであった。その観音開きの左右のガラス扉の裏に大きく伸ばした中村さんの写真が縦に三枚ずつ、計六枚、びっしりと貼ってある。扉枠を写真フレームに見立てて、並べているようだ。
用水路の開通記念式典で、恰幅のいいナンガルハル州知事と抱き合う中村さん。丘の上の岩に腰を下ろし、笑みを浮かべて用水路を眺めている中村さん。天板がガラスのサイドテーブルに置かれた写真立てのなかの中村さんは、こちらを向いて白い歯を見せて笑っている。こんなに笑っている中村さんの写真を見るのは、初めてだった。
ジアさんは、私と向き合うと、ゆっくり一語一語、噛みしめるように英語で語りだした。
「わたしのなかでは、ドクター・サーブ・ナカムラ(中村先生さまの意、サーブは尊敬を込めた呼称)は、いまも生きています。毎日、ドクター・サーブだったら、どんな判断をするだろう、と自問しながら仕事をしています。中村先生とわたしは、十数年、スタッフハウス(職員寮)で一緒に生活をしました」
スタッフハウスは、PMS事務所からクルマで十数分、市街の中心部に立つ木造の一軒家だ。
「中村先生の部屋は二階で、わたしはその真下でした。先生は、毎日、スタッフハウスに戻ってからもクラシック音楽を聴きながらパソコンのキーボードを叩いていた。翌日の作業マニュアルをこしらえ、図面を引き、原稿を書き、夜中の1時、2時まで働いて、いつ寝るのだろうと心配したものです」
ジアさんは、懐かしそうにこう語る。
「毎朝、6時過ぎに調理人が朝食を用意してくれました。中村先生は、ヨーグルトに蜂蜜を垂らし、ナンにサクランボのジャムをつけ、目玉焼きの白身だけを食べておられた。ときどきスライスした玉ねぎとレタスをつまんでいましたね。わたしは、ナンと卵だけではなく、バナナや、ナツメヤシのドライフルーツも食べ、7時に車でスタッフハウスから事務所に出勤しました。先生は、7時45分に長年、ハンドルを託してきたドライバーが運転する四輪駆動車に乗り込み、スタッフハウスを発って、直接、用水路の建設現場に向かわれました。現場を、とても大切にしておられた」
陽光が差し込む窓の向こうで、車のタイヤがガガガと砂利をかむ音がした。
「迎えが来たようです。これからシスター・フジタ(藤田千代子さん)は用水路の取水口があるジャリババ渓谷を視察します。同行されますよね」とジアさんに言われ、私は席を立った。
事務所の玄関を出て、建物の東側の駐車場に向かう。
駐車場にはナンガルハル州情報局から派遣されたタリバン兵が護衛車両に乗って待っていた。フォードの四輪駆動のピックアップトラックを改造した護衛車は、後ろの荷台に銃座が据え付けられている。荷台には「目だし帽」を被ったタリバン兵が2人、自動小銃を抱えて座っていた。前方のキャビンにはドライバーと四人のタリバン兵が自動小銃を持って乗っている。
PMSの車両は、トヨタのハイエース。行政や住民組織との調整を担う男性スタッフ三人と、藤田さんにつづいて私もハイエースのシートに座った。ジャリババ渓谷まで二時間弱かかるらしい。事務所のゲートが開き、護衛車に先導され、私たちの車はジャララバードの街に出た。
用水路の建設現場の視察、調査の先導をするタリバンの護衛車両。ナンガルハル州の情報局から派遣されていた。(2023年3月30日、筆者撮影)
車は、市街地を抜け、カブール川に架かった橋を渡る。土砂を含んだ雪解け水で川面は緑がかっている。川の流れは速く、水量も多い。カブール川はもう少し川下で、北のヒンドゥークシュ山脈から流れてくるクナール川と合流し、そのまま東へ流れ、パキスタン領に入ってインダス川に流れ込む。雄大な国際河川の道行である。
道は、カブール川と分かれて、クナール川の畔へと近づいていく。
そのまま取水口があるジャリババ渓谷まで北上するかと思われたが、車列は、突如、国道を東にそれて、露店がひしめくバザールのなかへ入った。ぬかるんだデコボコ道をゆるゆると走ってバザールを抜け、高い塀に囲まれた敷地に滑り込んだ。
目の前にコンクリート造の二階建ての堅牢な建物が立っていた。
「シェイワ郡(正式名称 クズ・クナール郡)の郡庁舎です。タリバンの郡長さんにご挨拶をしていくようです」
と藤田さんが耳打ちしてくれた。
階段を上がり、広い部屋の入り口で靴を脱ぎ、なかに入った。床の濃いピンクの絨毯は毛足が長く、六角形の幾何学模様が描かれている。壁には薄いベージュのヤシの木をモチーフにした柄の壁紙が貼られていた。部屋の正面に事務机が置かれ、背後の壁に真っ赤なバラを描いた小さな絵が架けられている。バラの花首に紐が結わえられ、その先に赤いハートマークがぶら下がる。ハートのなかに「Love」の四文字……。私たちは壁際の長椅子に腰を下ろし、郡長がくるのを待った。
間もなく、真っ黒のシャルワルカミーズに黒のベスト、頭に薄茶のターバンを巻いた郡長が入ってきて、机の横の肘掛け椅子に座った。背は低いが、体つきはがっちりとして、目つきが鋭い。頬から顎にかけて白髪まじりの長い髭を生やしている。
PMSのスタッフが私たちを1人ずつ紹介すると、郡長は、ウンウンとうなずき、傍らの部下から一枚の紙を受け取った。万年筆で紙にさらさらと何かしたため、判子を押してPMSのスタッフに差し出した。そこにはパシュトゥ語で、シェイワ郡の各検問所、治安担当者に宛てて、こう書かれていた。
〈平安と慈悲がありますように。尊敬される日本のNGOであるPMSの職員および関係者が、われわれの管轄地域において、その関連業務やプロジェクトの視察・調査のために移動、活動されます。つきましては、彼らの安全を確保し、宗教的、道徳的観点から最大限の協力と支援をおこなうよう各担当者に指示致します〉
郡長は、この“通行手形”をPMSのスタッフに手渡しながら、「ドクター・サーブ・ナカムラには本当に感謝している。彼のお陰で緑がよみがえった。この書面は、郡や州を超えても有効だ。何かあれば、24時間、いつでもかまわないから、ここに連絡しなさい。わたしの携帯番号です」と告げた。
タリバンの郡長が、PMSの視察、調査の移動中の安全を保つよう各検問所、治安担当者に指示をした“通行手形”。ヒジュラ暦1444年ラマダン月12日(西暦2023年4月3日)の日付が入っている。
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- 著者プロフィール
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山岡淳一郎(やまおか・じゅんいちろう)
1959年愛媛県生まれ。ノンフィクション作家。愛媛県立松山東高卒、早稲田大学第二文学部中退。出版関連会社、ライター集団を経て独立。沖縄のボクサーの世界制覇を、興行権の争奪に密着して描いた『ボクサー回流』(文藝春秋)を皮切りに「人と時代」を共通テーマに政治、医療、建築、近現代史と分野を超えて旺盛に執筆。著書は、『後藤新平 日本の羅針盤となった男』『田中角栄の資源戦争』(以上、草思社文庫)、『ゴッドドクター 徳田虎雄』(小学館文庫)、『原発と権力 戦後から辿る支配者の系譜』(ちくま新書)、『コロナ戦記 医療現場と政治の700日』(岩波書店)ほか多数。一般社団法人デモクラシータイムス同人。











