中村哲を求めて 取材旅4万2000キロ

第6回

「光の谷」のお産

更新日:2026/03/25

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 ダラエヌールは、日本語に訳すと「光の谷」となる。かつてここは、麦の穂が黄金色に輝く文字どおり光が満ちあふれた渓谷だった。

 渓谷の中腹あたりに位置するPMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス)ダラエヌール診療所を、私が訪ねたのは、2023年4月8日の昼下がりだった。中村哲さんの右腕だったPMSジャララバード事務所長のジア・ウル・ラフマン医師、PMS支援室長の藤田千代子さんらと一緒だった。


PMSダラエヌール診療所は、渓谷の中流域、カライシャヒ村に1991年末に開設された。年間、約5万4000人の患者を無償で診療している。

 診療所は、石造りの高さ3メートルほどの頑丈な外壁で囲まれていた。水色のペンキを塗った鉄の門扉は閉まっており、脇の通用口から私たちはなかに入った。

 中庭に面して、平屋の建物がコの字型に立っていた。

 右手に男性患者の診療棟、左手に事務所や検査室、応接室が並ぶ事務棟が配置されている。
 正面の建物が女性専用の診療棟だ。軒下の目隠し壁と柱の間にも唐草模様のカーテンが垂らされ、なかは見えない。黒いブルカを被った女性たちが、そのカーテンをめくって、幼子の手を引き、三々五々、中庭に出てきた。診療が終わったようだ。母に連れられた子どもたちを眺めていたら、4、5歳の男の子の顔かたちに「おやっ」と目が吸い寄せられた。

 髪の毛が金髪で、肌は白く、瞳の色も青みがかっている。

 私の傍らに立つジアさんに、「あの子、まるでヨーロッパ人のような顔立ちですね」と思わず話しかけた。
「ここは山岳民族のパシャイ人が生活している地域です。パシャイ人のなかには色白で、金髪、赤髪、碧眼の人がかなりいます。彼らは、紀元前4世紀にギリシャからペルシャを経てアフガンに遠征してきたアレクサンドロス大王の末裔だという伝説が残っている。科学的根拠はありませんがね」
 と、パシュトゥン人のジアさんは教えてくれた。


カーテンで目隠しされた女性専用の診療棟。このなかに分娩室もあり、月に10~15人の赤ん坊が生まれている。

 アフガニスタンは多民族国家だ。人口の42%を占めるイラン・インド系のパシュトゥン人が最大勢力で、ペルシャ系のタジク人、モンゴル系のハザラ人、トルコ系のウズベク人とつづき、パシャイ人は人口の1%以下だという。

 ダラエヌールにはマイノリティのパシャイ人が集まって暮らしている。

 金色の髪の男の子は、ブルカに身を包んだ母とともに通用口から外へ出て行った。

 唐草模様のカーテンが少し開き、女性の助産師が現われた。頭に手術用の円い帽子を被り、胸からひざ下まで白いビニール製のエプロンで覆っている。藤田さんに気づいた助産師は、マスクを手で外し、「シスター、シスター・フジタ」と声を発して、藤田さんに歩み寄った。助産師と藤田さんは互いの肩を抱き寄せ、左右の頬をかわるがわる合わせ、何やら言葉を交わした。二人は数年ぶりの再会を喜んでいる。藤田さんは、こちらをふり向き、
「これから分娩が始まります。彼女が赤ん坊を取り上げるので、ちょっと見に行ってきます」
 と言い、助産師と一緒にカーテンの向こうに消えた。

 ジアさんと私は、診療所のスタッフの案内で、事務棟の前で靴を脱ぎ、応接室に入って、絨毯を敷いた床に座った。

 ダラエヌール診療所は、1991年末に開設され、翌92年から本格的に稼働した。中村さんがアフガニスタンに築いた最初の「人道の砦」である。以来、この地で風雪に耐え、住民たちに無償で医療を提供してきた。現在、医師2人、看護師3人、検査技師2人、ワクチン接種員2人、助産師1人の体制で、1日に約200人の患者を受け入れている。

「診療所を囲む外壁は、とても頑丈そうですね」と私が言うと、ジアさんは視線を中空に這わせ、記憶をたどって語りだした。
「あれは、1996年、内戦が激しかった当時のことでした。ソ連(現・ロシア)軍が撤退した後の親ソ傀儡(かいらい)政権を打ち倒した軍閥による政府軍と、地方から進撃してきたタリバン軍の激戦地になりました。診療所は、一時的に政府軍に占拠されました。診療所のスタッフが、『危険な状況です、どうすればいいでしょうか』と中村先生に聞くと、『いまこそ人びとが助けを必要としている、診療を継続しよう』と先生はおっしゃった。指示に従って診療をつづけているうちに、ここは敵味方に関係なく、負傷者が担ぎ込まれ、患者が溢れかえりました。政府軍の兵士もタリバン軍の兵士も、同じ人間ですからね」

 その後、タリバン軍の攻勢を受けた政府軍は診療所の占拠を諦め、撤退を開始した。タリバン軍は、診療所の門前に戦車を配置し、政府軍を攻撃する。

「スタッフは、タリバンの指揮官のもとへ赴き、『ここは診療所、平和のエリアだ。仕事に支障をきたすので、別の場所へ移動してほしい』と要請したんです。願いは聞き入れられ、戦車は移動しました」とジアさんは語った。

 1996年9月末、タリバンは首都・カブールを制圧し、政権を握った。

 しかし、内戦が収まったのもつかの間、2000年に未曽有の大旱魃(かんばつ)がダラエヌール一帯に襲いかかった。川は干上がり、井戸という井戸の水が涸れる。汚れた水を飲んだ子どもは赤痢などの腸管感染症を発症し、脱水症状に陥って、息絶えた。

「やせ細った乳飲み子を抱えた母親たちが、大勢、診療所に来ました。外来で待っている間に子どもが冷たくなり、母親たちは嘆き悲しんでいた。そこで、中村先生は、飲料水を確保しようと井戸を掘り、さらには用水路の建設へと向かったのです。水がなければ、人間は生きていけない。とくにこのダラエヌールの渓谷ではね」
 とジアさんは述べた。

 藤田さんが、診療棟の前のカーテンをくぐって、戻ってきた。

 少し興奮気味に、こう話した。
「若い妊婦さんの3度目の出産でした。今朝方、妊婦さんは産気づいて、自分の母親に付き添われて診療所に来て、分娩室の横の控室のベッドに寝ていました。しばらくして助産師に促されて分娩台に上がりましてね、助産師が、さぁ、一丁、始めようかとばかりに手袋をつけて、処置をしたのですが、そのやり方が、何というか、豪快でした」

 お産の知識がない私は、どう答えていいかわからなかった。

「破水して、どっと羊水が出てくるでしょ。助産師は、赤ん坊の頭が見えたら、するりと取り出して、臍の緒を結んで切って、赤ん坊の身体を出産したばかりの産婦さんのお腹のうえにポンと置くんです。そして、胎盤を取り出しましてね。足もとに据えていたポリバケツにどんとそれを捨てました」

 日本では、母体から取り出した胎盤は「感染性廃棄物」として、専門業者に渡され、焼却処分されるという。

「胎盤の処理が終わると、産婦のお腹にのせていた赤ん坊を、分娩室の床に胡坐(あぐら)をかいてすわっていた付き添いの人、赤ちゃんのお祖母ちゃんですね。その人に渡しました。お祖母ちゃんが赤ん坊の身体を布で拭くと、オギャー、オギャーと盛んに泣き出しました。お祖母ちゃんは赤ん坊の両足首を紐で結び、布でくるみました。そうやって連れて帰るのだそうです」
「産婦さんは、その後、どうしたのですか」と私は訊ねた。
「出産後は、特別な処置がされるわけでもなく、控室のベッドに横になっていましたが、1時間ばかり休んで、へとへとの状態で、赤ん坊とお祖母ちゃんと一緒に帰っていきました。来院から帰宅まで2時間かかったかどうか。ものすごく短い時間で出産を終えましたが、これがふつうだそうです」と藤田さんは言い、ふぅーっと息を吐いた。

 私は、自分の妻が子どもの出産で大学病院に5日間、入院したことを思い出した。帰宅後もひと月ぐらいは外出を控え、安静にしていたと記憶している。
 人は生まれる国や親を選べるわけではないが、アフガニスタンの現実に圧倒された。


待合所の壁に貼られた結核の早期受診を呼びかけるポスター。ダリ語(黒字)とパシュトゥ語(赤字)で、「結核は治療可能です。診断と治療は、すべて保健センターで、無料で受けられます」「もし2週間以上、咳がつづいていたら、結核の検査のために最寄りの保健センターを受診してください」と記されている。

 私は応接室を出て、会議棟の横の階段を上り、屋上にあがった。

 空は青く晴れ渡り、北に岩肌をむき出しにした山塊が見えた。

 このダラエヌールの渓谷は、4000メートル級のケシュマンド山脈に降った雪が形づくったものだ。山脈の雪が溶けると、その水は幾筋もの沢をつたって流れ落ち、東と西の二本の川に集まって狭い谷を下る。二つの川は、中流域で出合い、一本の太い流れとなって、クナールの大河を目ざして駆け下る。中流域の合流点の近くに、この診療所は立っている。

 川が下流に向かうほど、扇状地が広がり、クナール川に注ぐ手前では東西3キロにわたって平地が開けている。源流から下流まで約30キロメートル、標高差3000メートルを超える渓谷は、古来、希望の地だったという。樹々が生い茂り、果実がたわわに実り、牛がゆったりと草を食んでいた。雪溶けの清水は暮らしの隅々にいきわたり、村人は、ナンやヨーグルト、果実、野菜、肉をどっさり皿に盛って、車座で団欒(だんらん)を楽しんだ。

 アフガニスタンの大地に水を引き、ふたたび谷を光で満たす壮大な事業のバトンは、中村さんから次世代の手に渡った。診療所は、悠久のときの流れのなかで、今日も人間の命に向き合っている。

 

著者プロフィール

山岡淳一郎(やまおか・じゅんいちろう)

1959年愛媛県生まれ。ノンフィクション作家。愛媛県立松山東高卒、早稲田大学第二文学部中退。出版関連会社、ライター集団を経て独立。沖縄のボクサーの世界制覇を、興行権の争奪に密着して描いた『ボクサー回流』(文藝春秋)を皮切りに「人と時代」を共通テーマに政治、医療、建築、近現代史と分野を超えて旺盛に執筆。著書は、『後藤新平 日本の羅針盤となった男』『田中角栄の資源戦争』(以上、草思社文庫)、『ゴッドドクター 徳田虎雄』(小学館文庫)、『原発と権力 戦後から辿る支配者の系譜』(ちくま新書)、『コロナ戦記 医療現場と政治の700日』(岩波書店)ほか多数。一般社団法人デモクラシータイムス同人。

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