『炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅』
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第7回
ナカムラ・スーパー・ストア
更新日:2026/04/01
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2023年4月9日、その日はアフガニスタンのPMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス)で用水路建設に携わる作業員の給料日だった。
私は、PMSジャララバード事務所長で中村哲さんの腹心だったジア・ウル・ラフマンさん、PMS支援室長の藤田千代子さんに同行し、ナンガルハル州の州都ジャララバードから南へ約50キロ、スピンガル山脈の内懐の「コット渓谷」の建設現場を訪ねていた。
朝7時に始まった建設作業は、炎天下の12時30分に終わった。ラマダン(断食月)中なので、肉体労働は早目に切り上げられる。100人ほどの作業員は、みな、渓谷の村々から集まった農民たちだ。作業を終えた村人たちは、用水路を見下ろす小高い丘へ続々と登っていく。
丘の上の草地には、ジアさんが、日よけのタオルを頭から被り、胡坐をかいて座っていた。その傍らにPMS事務所の会計担当者が黒い大きな鞄を持って控えている。村人たちは、ジアさんの前に膝を抱えて腰を下ろした。
ジアさんが、村人の名前を一人ずつ、呼び始めた。
呼ばれた人は、立ち上がってジアさんの前に進み出て、帳簿に青インクで拇印を押し、黒い鞄から取り出された紙封筒を受け取る。封筒には月給が入っている。

「コット渓谷」の用水路建設現場で働く村人たちは、丘の上の草地で月給を手渡されるのを待っている。思わず笑みがこぼれる。(2023年4月9日 筆者撮影)
そのようすを、私と一緒に遠巻きに見ていた藤田さんが、「用水路をつくり始めたころは、日当で払っていたんです」と懐かしそうにつぶやき、こう言葉をつづけた。
「しばらくして1週間でまとめて払ってほしい、と働く人たちから要望され、1週間が2週間に延び、いまは1か月。短い間隔で給料を手にしていたら使ってしまうからでしょうかね。こちらも現場へ頻繁に現金を持ってこなくて済むので、助かります」
1日の賃金は350アフガニ(約577円)。金曜日はイスラム教の安息日なので、休日を除くと月の稼ぎは約9000アフガニ、日本円で1万5000円弱だ。ジャララバードでは、主食の小麦のナンが1枚10アフガニだったので、1日働けば、35枚のナンが買える勘定になるが、アフガン人の家庭は子どもが多い。1家族10人が標準だ。家族1人が1日に食べられるナンは3.5枚。実際には赤ん坊が多いので、大人はもっと食べられるにしても、生活は苦しい。
「みなさん、お給料をもらったら、真っ先に小麦を買うでしょう。肉では牛が一番安い。次が鶏。羊はとても高価で、ラマダンが明けた後のイード(祝祭)で食べられるかどうかのごちそうなんです」と藤田さん。
給料袋を手にした村人が屈託のない笑みを浮かべて丘を下りてくる。顔じゅう髭だらけの男性が、カメラのファインダーを覗く私の前で不意に立ちどまり、口角を上げて、
「カカムラ!」
と叫ぶように言った。おおー、ここでも、またカカムラか、と私は思った。
今回の取材で、UAE(アラブ首長国連邦)のドバイを発って、パキスタンのペシャワールに入った初日にアフガニスタン領事館へ入国ビザを取りに行った際、守衛に日本人だと告げると、即座に「カカムラ!」と声をかけられた。国境を越えてアフガニスタンに入国してからは、私が日本人だと知った護衛のタリバン兵や、行きずりのアフガン人から幾度となく「カカムラ!」と呼びかけられた。
カカムラのカカとは、現地語で「おじさん」の意だ。カカにナカをかけており、ナカムラ+ムラおじさん、「ナカムラのおじさん」となる。このダジャレっぽい呼称は、アフガニスタン全土に知れ渡り、どの街や村でも中村さんは「カカムラ」の愛称で呼ばれていた。アフガン人は、日本人とみるとその愛称を口にして親愛の情を示すのだ。
藤田さんの話では、カカムラと呼ばれるようになったのは、2010年2月8日におこなわれたマルワリード用水路の完工式典で起きたハプニングからだという。中村さんが「アーベ・マルワリード(真珠の水)」と名付けた用水路は、ナンガルハルの「死の谷」と呼ばれたガンベリ沙漠までを沃野に変えた。
その完工式典で、当時、ナンガルハル州の州知事だったグル・アガ・シェールザイ氏が、
でっぷりした大きな身体を揺すりながらテープカットすると、隣の中村さんを太い右腕でひょいと抱え上げ、自分の太鼓腹の載せ、「カカムラ!」と冗談半分に叫んだ。周りは拍手喝采、当の中村さんもシェールザイ氏のおなかの上で、ばつが悪そうだったけれども、嬉しそうに笑っていたという。
以来、カカムラの呼び名は口から口へ広がっていった。
のちにアフガニスタンの首都カブールに住む作家が、「カカ・ムラド」という呼称を創作した。「ムラド」には、希望とか、情熱の意味があるらしいが、「アフガン人はそんな呼び方はしていない。カカムラで通っています」と藤田さんは言う。
丘の上で給与の支払いが終わり、ジアさん、藤田さんとともにトヨタのハイエースに乗って帰路につく。渓谷を抜け、岩と砂だけの沙漠を走ること2時間余り、ジャララバードの市街に入った。
「ちょっと寄り道していきましょう」とジアさんが言い、車は幹線道路を外れ、脇道を進む。青い屋根が目を引く大きな店の前で停まった。
店の正面に掲げた看板を見て、私は驚いた。
その名も〈Nakamura Super Store(ナカムラ・スーパー・ストア)〉。〈We Belive on Low Price&Best Quality(わたしたちは低価格と最高品質を信じています)〉と店名の下に添えてある。※筆者注-Belive on(inではない)は宗教的文脈で価値を信じることなどの表現
中村さんの名前を冠したスーパーの出現にびっくりしながら、ガラス扉を開けてなかに入った。清潔な店内には、ナツメヤシや杏のドライフルーツ、ジャム、ヨーグルト、衣類にシャンプー、化粧品などがところ狭しと並んでいる。厳格なイスラム教の国なので酒類はないが、その品ぞろえは、街道沿いの粗末な露店に比べるとケタ違いだ。
ナカムラ・スーパー・ストアの近くには政府機関や高級ホテル、軍閥の邸などがあり、富裕層の来店が見込めるのかもしれない。スナック菓子がずらりと並ぶ棚を眺めていて、幅10センチ、長さ20センチほどの袋菓子に私の目は釘づけになった。
なんと黒色のパッケージに平たいパコール帽を頭にのせた中村さんの顔写真と、作業着姿のイラストかプリントされている。そして、堂々と〈Nakamura Snacks(ナカムラ・スナック)〉とアルファベットでも商品名を表記して売られていたのだ。値段は15アフガニ(約25円)。〈SALMAN FOODS(サルマン・フーズ)〉という食品メーカーが製造・販売している。
アフガン人の商魂の逞しさとともに社会の隅々に中村さんの存在が浸透していることに何ともいえない感動を覚えた。
ジャララバードの「ナカムラ・スーパー・ストア」で売られていた「ナカムラ・スナック」。イラストの眉毛や髭は、なぜか黒く着色されている。日本円で約25円。(2023年4月10日 筆者撮影)
思わずナカムラ・スナックに手が伸び、買って食べてみた。シャリシャリとした食感は日本の「かっぱえびせん」に似ており、塩味にチキンとニンニクの風味が効いている。食べだすと、やめられない、とまらない。成分表が包装紙に印刷されていないので、正確なところはわからないが、小麦粉を揚げたスナック菓子のようだ。
給与が支払われた翌日の4月10日午後、ジャララバードのPMS事務所を、思いがけない人たちが訪ねてきた。
用水路の建設現場に作業員を送り出しているコット渓谷の村の長老たちだ。3か村15人の長老たちは、たった2台の古いセダンに分乗して、遠路はるばるPMS事務所にやってきたのだ。おまけにいったいどこに載せたのだろうか、黒い毛並みの羊を連れている。
アフガニスタンの村の長老は、行政や司法を代行する役割を負っている。土地の境界や水利をめぐる紛争などが起きると、ジルガ(集会)やシューラ(評議会)を開いて解決に当たる。賓客が村を訪れたら、住民を代表して対話をする「顔役」でもある。
コット渓谷の長老たちは、前日、ジアさんらが用水路の建設現場を訪れたと聞き、「来訪を知っていたら歓待したのに残念だ。せめて用水路工事の御礼をしたい」と言う。
ジアさんは、こう語る。
「コットの村は貧しいですし、そのような御礼はいりません、と断るのは簡単でした。が、今後、完成した用水路の修復や維持保全は村人の肩にかかっています。それを思えば、彼らの気持ちを大切にして、関係を保ったほうが賢明だと思い、答礼を受けることにしたんです」
赤いバラが咲き誇る事務所の中庭で、答礼の式が開かれた。
長老とPMSの幹部たちが大きな円陣を組んで神に祈りを捧げる。
長老の代表が、現地の言葉で朗々と謝意を述べ、ジアさんを筆頭にPMSの職員たちに持参した白いパコール帽を被らせる。それが終わると、黒い羊を円陣のまんなかに引き出し、藤田さんを招き寄せた。そうして、手綱を彼女に握らせたのだ。藤田さんは一瞬、戸惑った表情をみせたが、感謝の言葉を口にした。黒毛の丸々と太った羊は、長老たちからの心づくしの贈り物だったのである。
ラマダンは、10日後の4月20日に明ける。その約2か月後に「イード・アル=アドハー(犠牲祭)」が催され、羊の料理がふるまわれるという。
コット渓谷の村々の長老たちは、「用水路建設の御礼を」と遠路はるばるジャララバードのPMS事務所にやってきた。右から三番目の男性が連れている黒い羊は、彼らの心づくしの贈り物。(2023年4月10日 筆者撮影)
答礼の式が終わると、長老たちは、また2台のセダンにぎゅうぎゅう詰めに乗り、コット渓谷へと帰っていった。
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- 著者プロフィール
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山岡淳一郎(やまおか・じゅんいちろう)
1959年愛媛県生まれ。ノンフィクション作家。愛媛県立松山東高卒、早稲田大学第二文学部中退。出版関連会社、ライター集団を経て独立。沖縄のボクサーの世界制覇を、興行権の争奪に密着して描いた『ボクサー回流』(文藝春秋)を皮切りに「人と時代」を共通テーマに政治、医療、建築、近現代史と分野を超えて旺盛に執筆。著書は、『後藤新平 日本の羅針盤となった男』『田中角栄の資源戦争』(以上、草思社文庫)、『ゴッドドクター 徳田虎雄』(小学館文庫)、『原発と権力 戦後から辿る支配者の系譜』(ちくま新書)、『コロナ戦記 医療現場と政治の700日』(岩波書店)ほか多数。一般社団法人デモクラシータイムス同人。











