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Nonfiction

読み物

馬の帝国 星野博美

第7回 「アンダルシア行(1)」

【後編】

更新日:2020/11/11

 グラナダの街を歩いていると、極採色の門柱やハリボテの東洋風建築が並ぶ日本の中華街、あるいは欧米の大都市にあるチャイナタウンを歩いているような気がする。さしずめ、モーロ(スペインのイスラーム教徒)のテーマパーク、とでもいおうか。
 グラナダに、そんなものは必要ない。オリエンタリズム満載の要素に頼らずとも、イスラームの影響はそこかしこで感じることができる。
 ほんの少しだけ目を凝らせば、耳を澄ませば、感じられるはずだ。
 この街でモーロ文化に触れたければ、表通りから一歩、路地に入るだけでよい。
 集合住宅の中庭(パティオ)は水と植物にあふれ、清らかな水をたたえた噴水が正面に備えつけられている。
 アルハンブラ宮殿の西側にある旧市街のアルバイシン地区は、敵の侵入を防ぐために路地が迷路のように入り組み、この街が常に敵、つまりキリスト教徒から囲まれていたことを彷彿させる。
 食についても然り。アンダルシアに来てからというもの、毎日必ず一度は食しているガスパチョ。この冷製スープはアンダルシア発祥で、40度近くまで気温の上がることがあるここでは、夏の滋養強壮に欠かせない料理の一つ。実際炎天下のアンダルシアで飲んでみて、その虜になった。
 ガスパチョはいまではトマトを用いたものが一般的だが、大航海時代に新大陸からトマトがやってくる前までは、パン、ニンニク、食塩、酢をすりつぶして混ぜた簡素なものだった。その語源はアラビア語の「びしゃびしゃしたパン」だという。
 スペインを代表する料理として有名なパエーリャ。イベリア半島に米をもたらしたのも、アラブ人だ。わざわざクスクスやファラフェルに頼らなくても、ましてやトルコ料理を代表するドネルケバブを持ち出さずとも、モーロの影響は食の中にまで浸透している。

フラメンコの謎

 妖しいネオンに照らされたタブラオ(フラメンコショーを鑑賞できるバルやレストラン)から洩れ聞こえてくるフラメンコの調べにも、そこはかとなくモーロの気配が感じられる。
 フラメンコ──「太陽と情熱の国」のイメージを代弁するかのような、スペインを代表する文化の一つ。裏を返せば、フラメンコのイメージが焼き付いているからこそ、「太陽と情熱」という言葉を、スペインを修飾する際に使いたくなるのかもしれない。
 フラメンコもアンダルシア発祥で、もともとヒターノ(ロマの人々)によって生み出された、というのが定説となっている。しかし私は常々、それだけでは納得できない思いを抱いていた。
 実際に歌い、踊り、広めたのはヒターノだったかもしれない。しかしなぜそれがアンダルシアで生まれたのか。
 ヨーロッパの広い範囲にロマの人たちは分散して暮らしていたのに、なぜその他の地でフラメンコは生まれず、アンダルシアで生まれたのか。
 ヨーロッパになくて、アンダルシアにあったもの──それは8世紀近くここに根を下ろした、キリスト教徒、イスラーム教徒そしてユダヤ教徒の織りなす多元文化しか考えられない。それらの異文化融合がフラメンコ誕生の根底にあるのではないか、という仮説を、私は脳裏に描いていた。

サクロモンテの丘

ひっそりとした気配が漂うサクロモンテの丘。いまも人々の生活がある。©星野博美

 山の斜面に掘られた洞窟住居が並ぶサクロモンテの丘は、フラメンコの盛んな場所だ。ここにはかつて、スペインへ渡ってきたヒターノが多く暮らし、いまでもタブラオがたくさん建っている。フラメンコの謎の一端を知りたくて、その丘へ行ってみることにした。
 サクロモンテの丘は、アルバイシン地区の最も高いところ、アルハンブラ宮殿からは対岸のような位置にある。地図で見るとたいした距離ではないが、ほとんど山登りのような傾斜となり、しかも年月の風化によって歪んだ石畳がぐらぐらして、足元がおぼつかない。すぐに息があがり、気軽に出かけてきてしまったことを後悔するが、引き返すにしてもこの傾斜を歩き続けることに変わりはない。自分を叱咤しながら、とぼとぼと坂道を登り続けた。
 体力的にはきつかったが、高度が上がるにつれ、頭上を覆う雲が晴れていくような気がした。下の繁華街はあれほど人で溢れていたのに、ここまで来ると人がほとんどいない。早速深呼吸をして、この街に漂う粒子のようなものを体内に取りこんだ。
 ふと後ろを振り返ると、下の繁華街からは全貌が見えなかったアルハンブラ宮殿が、ダーロ川の向こうに突如その姿を現した。静かなアルハンブラ宮殿が、ここにある。ここに来て初めて、グラナダと静かに対峙できるような気がした。
 山の斜面に洞窟住居が見え始めると、動悸が速くなった。何かを脳は検知するのだが、自分ではまだそれが何なのか認識できず、心がざわつくのである。
 巨大に育ったサボテンの林に隠れるようにして、いまも人が暮らす家がある。斜面に掘られた家の周りには小さな畑があり、無邪気な観光客から日常生活を侵害されないよう、ビニールシートで視界をさえぎり、中が覗きこめないようになっている。

日本のキリシタンが愛読した『ぎやどぺかどる』はグラナダ出身の神学者ルイス・デ・グラナダ(ドミニコ会)が著した。©星野博美

 ここは、何かから隠れて暮らすにはぴったりの場所だったのだろう。その静けさを、自分を含む観光客が破ってしまったという罪悪感にかられた。
 私はこの風景に、日本の「かくれキリシタン」を思い出していた。
 長崎の五島の話である。かつて領主から領民まですべてがキリシタンだった大村藩は、禁教令が出されたあと一転して厳しい弾圧を行うが、弾圧しても拷問しても信仰を棄てない信者の扱いに手を焼いていた。そこで浮上したのが、赤痢の感染拡大で人口が激減した五島氏が治める福江藩との取り引きだった。開墾を名目に移住者を募り、暗黙の了解でかくれキリシタンを五島へ送ったのだ。
 しかし五島には仏教徒の先住者がいて、稲作に適した条件のよい平地はすでに押さえられている。かくれキリシタンは、より小さな島へ、条件の悪い斜面へと入っていき、そこで独自のコミュニティを作ってひそかに信仰を守った。
 そんな話を、なぜかこの丘で思い出した。

排斥された人々

 丘をほぼ登りきったところにあるサクロモンテ洞窟博物館に入った。
 ここは、比較的最近まで実際に住居として使われていた洞窟を、当時の生活がわかるようにできるだけ再現したものだ。機織り機、各種の農機具、鍋に食器と、つつましい生活が立ち上がる。
 その中に、フラメンコに関する展示を行う洞穴があった。そのスペースに入ると、いきなりこんな文言が目に飛びこんできた。
「サクロモンテの洞窟住居の起源ははっきりとはわからないが、イスラーム教徒とユダヤ教徒がスペインから追放された16世紀より前に遡ることはないだろう。ここは街から排除された者の住みつくところとなり、行政や教会法の支配が及ばない土地となった」(※1)
「フラメンコの誕生に重要な役割を果たしたのは、ヒターノ(スペインのロマ)とモリスコ(キリスト教に改宗したイスラーム教徒)である」(※2)
 ここ、サクロモンテの洞窟住居に、ヒターノに混じってモリスコが暮らしていたのか……。私は興奮を隠せなかった。

サクロモンテ洞窟博物館。昔ながらのロマの人々の生活を再現した展示を見ることができる。©星野博美

 1492年にレコンキスタが完了すると、ユダヤ教徒とモーロはキリスト教への改宗を迫られた。皮肉な話である。8世紀近くイベリア半島に根を下ろしたイスラーム勢力は、同じく唯一神を信じる「啓典の民」のユダヤ教徒とキリスト教徒をイスラームに強制改宗させることはなかった(そもそも強制改宗という概念が彼らにはなかった)。しかしカトリック両王はそれを断行し、偏狭なカトリック国家への道を選んだ。
 キリスト教に改宗したユダヤ教徒をスペイン語で「コンベルソ」、同じく改宗したモーロを「モリスコ」と呼ぶが、改宗しないユダヤ教徒はレコンキスタ完了の年に国外追放が決まり、モーロはそれより1世紀近く遅れはしたものの、結局1609年に国外へ追放されることになった。ユダヤ教徒はオスマン帝国やオランダなどの低地諸国へ、そして多くのモーロが向かったのは、ジブラルタル海峡対岸の北モロッコだった。余談だが、16~17世紀に日本へやって来たイエズス会宣教師の中には、「コンベルソ」の人が少なからずいたのである。
 イベリア半島で代々暮らしてきたモーロにとって、故郷はここしかない。モロッコには親戚も土地もない。表向きはキリスト教に改宗してキリスト教徒を演じ、秘密裏に信仰を貫く、日本でいうところのかくれキリシタンのような、いわば「かくれモリスコ」や「かくれコンベルソ」がいたことは想像に難くない。そういう人をあぶりだすために作られたシステムが、泣く子も黙る、悪名高きスペインの異端審問所だ。私にはその流れがますます、日本のキリシタン弾圧の時代と重なって見えた。
 もし自分が排斥された宗教の信徒なら、どこに住むだろうか。できるだけ権力の手が及ばず、社会のマジョリティから妬まれないよう、条件の悪いところへ向かうのではないだろうか。
「社会から差別され、排斥されたヒターノたちに混じり、ヒターノにカモフラージュしたモリスコが暮らしていた。こうして『呪われた』存在と見なされた両者の言語や習慣、音楽が融合し、そこへアラブ=アンダルシアの文化遺産が加わったものが、フラメンコの起源だと思われる」(※3)
 ヒターノの暮らすサクロモンテは、キリスト教社会から嫌われ、排斥されたが故に、「行政と教会法の支配が及ばない」自由があった。まるで、清の管理地だったが故に宗主国イギリスの法律が適用されなかった、香港の九龍城塞のようではないか。そういう場所は、訳ありのマイノリティを引き寄せ、思いもよらないエネルギーを生む。
 偏狭なカトリック至上主義に染まった、レコンキスタ後のスペイン社会から排斥された二つのグループ、ヒターノとモリスコが、ここサクロモンテの洞窟で出会い、化学反応を起こした。それがフラメンコ誕生の原動力となったのではないかと、すとんと腑に落ちたのである。
「彼らの民族的アイデンティティや特徴より、両者が共通して社会から受けた苦悩のほうが、フラメンコにおいては重要であろう。社会からの無関心、怒り、恐怖、痛み、孤独……フラメンコの歌詞を聞けば、誰もがその悲劇を感じることができる。そしてグラナダに最後までイスラーム王国が存在したことから鑑みるに、我々がいま想像するよりはるかに、グラナダにアラブ文化が根を下ろしていることは言うまでもない」(※4)
 フラメンコの描く怒りや悲しみの背後に、想像を超える世界が広がっていた。
 サクロモンテまで来て、私はようやくグラナダと和解できたような気がした。

 馬の連載であるのに、今回はほとんど馬が登場しなかった。
 次回はアンダルシアの馬について触れたい。

※1~4 サクロモンテ洞窟博物館の展示文より著者抄訳

著者情報

星野博美(ほしの・ひろみ)

ノンフィクション作家、写真家。1966年、東京生まれ。『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)で第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)で第63回読売文学賞「紀行・随筆」賞受賞。主な著者に『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『今日はヒョウ柄を着る日』(岩波書店)、 『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)、『みんな彗星を見ていた─私的キリシタン探訪記』『謝々! チャイニーズ』『銭湯の女神』『のりたまと煙突』(いずれも文春文庫)などがある。最新刊は『旅ごころはリュートに乗って─歌がみちびく中世巡礼』(平凡社)。

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