『テクノ封健制』を読む 挿画:藤嶋咲子

第6回

『テクノ封建制』を読む 大澤真幸先生インタビュー【後編】

更新日:2025/07/23

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「自由が奪われている」ことに気づけない構造

――見せかけの、かりそめの自由に安住させられているわけですね。
大澤 少し雑談めいたことを話すと、先日、テレビでテレサ・テンの特集をやっていたんですよ。彼女は1970年代から90年代にかけて活躍し、中国本土でも大ヒットした台湾出身の歌手じゃないですか。もちろん当時の中国政府は公式には聴くことを禁止していたんですけど、実際にはみんなこっそり隠れて聴いていた。
 その番組の中で、郭健という中国出身の画家が登場していて、とても印象に残る話をしていたんです。彼はいまは中国本土を離れて、オーストラリアで活動している前衛的な画家です。
 郭健がテレサ・テンを初めて聴いたのは1970年代末、中国人民解放軍に所属していたときだそうです。ちょうど中国とベトナムの間で戦争があった時期で、彼も軍にいた。
 その軍隊の中で、ある日、仲間たちと、規則を破って外国のラジオ放送を密かに聴いたそうです。そのときテレサ・テンの曲を聴いた。
 彼はそのときの衝撃をこう語っていました。「こんな歌い方があるのか! こんな愛があるのか! と驚いた」と。それまではずっと、革命歌やプロパガンダのような決まったパターンの歌しか聴いたことがなかったからです。
 その後に彼が言った言葉がものすごく印象的でした。「そのとき初めて、自分たちが自由を抑圧されていたことに気がついたんだ」と。
 この言葉には、本当に深い意味があると思います。テレサ・テンの歌が政治的に意味を持ったのは、彼女が直接プロテストソングを歌っていたからではなく、その歌声そのものが「こんな自由があるんだ」と知らせてくれたからなんです。
 つまり美しさや感情の表現が、体制の外側から届いた瞬間、それはものすごく強い芸術的・政治的なメッセージになったわけです。
 そこからいまの僕たちの状況を考えてみると、この画家のような衝撃が起き得ない時代になっているとも言えます。というのも、表面的には自由が最大限に保証されているように感じてしまうからです。テクノ封建制の農奴の不自由は、逆に最大限の自由として、本人には体験されてしまう。
 ネットで何でも検索できるし、動画も無限に観られる。好きなことをつぶやけるし、買いたいものもクリック一つで手に入る。そういう自由が満ちているように見える。だからこそ、「実は自分は自由じゃなかったんだ!」というような、まったくの外部から来る衝撃に出会う機会がないんです。
 すでに「欲しいもの」はすべて手に入っているように感じられるのに、なぜかその根底にある構造は、実は封建制のような抑圧的構造に近づいている。にもかかわらず、僕たちはそれを「自由」だと思って疑わない。このギャップにこそ、客観的に見たときに極めて深い不幸があると思います。

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