『テクノ封健制』を読む 挿画:藤嶋咲子

第3回

『テクノ封建制』を読む 石田英敬先生インタビュー【前編】

更新日:2025/06/18

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 ギリシャの経済学者ヤニス・バルファキス氏による世界的ベストセラー『テクノ封建制』が日本でも話題を呼んでいる。
 刊行されるやいなや、「これは読むべき!」と熱烈な推薦をXに投稿していたのが東大名誉教授・石田英敬氏だ。石田氏は本書をどのように読み、なぜ時代の必読書だと考えるに至ったのか。インタビューの模様を前後編に分けてお届けしたい。(構成・斎藤哲也)


●『テクノ封建制』との出会いとバルファキスへの関心

――石田さんはどういうきっかけで本書を手に取ったのでしょうか。
石田 たしか、原書が出たのは2023年ですよね。僕はX(旧Twitter)で、著者のヤニス・バルファキスをフォローしているので、そこから知りました。
 バルファキスは経済学者として、いわゆるオルタナティブな経済思想の旗手でもありますし、同時に現実の政治にも深く関わっています。ヨーロッパには主流派の経済学者も多くいますが、彼はその対極にいる、左派寄りの立場から「もう一つの世界」を模索し続けている人物です。
 それに、2015年のギリシャ経済危機の際には、実際に財務大臣という政治的アクターとして発言し、重要な役割も果たしました。そのキャリアも含めて、彼は「今この見通しの立たない世界の中で、地図を描ける数少ない人物」のひとりだと思っています。
――最初に英語版の原書を読まれたときの率直なご感想をお聞かせください。
石田 とにかく語りがうまい。僕自身がもともと文学研究の出身ということもあって、語りの構成力にはとても敏感なんです。今回の本も、とてもよくできていると思いました。
 この本は、自分のお父さんに語りかける形式で書かれていますよね。以前には娘さんに向けて書かれた『父が娘に語る 美しく、壮大で、深く、とんでもなくわかりやすい経済の話。』という本もありましたが、今回は世代を遡って、お父さんに語る。
 第二次世界大戦中にギリシャはナチスドイツの占領を受けましたが、バルファキスのお父さんは、それにつづく形で1946年から49年まで戦われたギリシャ内戦ではギリシャ民主軍の側で戦った元闘士で、戦後の独裁政権下では政治犯として強制収容所に入れられた経験を持つ化学者です。テオ・アンゲロプロスの『旅芸人の記録』(1975年公開)とか『エレニの旅』(2004年公開)といった映画作品を観たことがありますか。あそこに描かれている時代です。
 また、軍事政権の崩壊後は、知識を活かして鉄鋼業を興し、ギリシャ最大の鉄鋼会社を経営していた人物でもあります。科学と技術の深い知識をもち、戦争と独裁の歴史を経験し、社会主義者としての理想を掲げて戦後のギリシャの産業を興すという波瀾万丈の人生だったようです。
 この本を読むと、お母さんも科学に深い知識をもつインテリだったようですね。そういった家族の物語が背景になって、本書の語りに深みを与えています。
 半世紀ほど前のギリシャという国がどういうところだったのか。僕のような世代からすると、例えばコスタ=ガヴラスという映画監督を思い出すんです。
――ギリシャ出身で、フランスで活躍している映画監督ですね。
石田 はい。『Z』(1969年公開)という映画がありますね。実在のギリシャの学者で国会議員である人物をモデルにした民主運動家が主人公で、政治的な抵抗運動を描いた作品です。主演はイヴ・モンタンでした。
 僕は1970年代にフランスで修行をしていたのですが、当時のギリシャは長い間、軍事独裁政権が続いていて、フランスにはギリシャ人の亡命者がたくさんいました。ソルボンヌのクラスメートにも、ギリシャ出身だけれど国には帰れない学生はたくさんいました。
 イヴ・モンタンといえば「枯葉」などで知られるシャンソン歌手として有名ですけど、あの映画をきっかけに、知識人としての存在感を高めていくんです。政治的な役割も果たすようになっていきます。そういう時代背景の中で、僕はギリシャという国に関心を持ちました。
 バルファキスのお父さんは、ちょうどその時代より少し上の世代です。軍政下のギリシャで投獄された経験をバネにして、新しい社会を描いていたようです。バルファキス自身は1961年生まれなので、まさにそういう先行世代の経験との断絶や連続を体験してきているわけです。
 理想を掲げた父の世代に向けて、現代の世界の仕組みを語り直しながら、マルクス主義や社会主義がかつてどう語られていたか、それが今とどう違っているのか。この本は、そういった問いを往復させながら、物語を編んでいくんですね。つまり、2世代にわたる記憶や思想をしっかり組み込んだ構成になっていて、とても読みごたえがありました。しかも、非常にわかりやすい。
 それから、彼が以前に書いた『世界牛魔人――グローバル・ミノタウロス』という著作と同様に、ギリシャ神話を引き合いに出して語るスタイルがとても印象的でした。教養のあるギリシャ人は本当に、文字通りギリシャ神話を“自分たちの語り”として血肉化しているんだなととても感心しました。そういうところも含めて、読み物として本当に面白い本だと思います。

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