
第4回
『テクノ封建制』を読む 石田英敬先生インタビュー【後編】
更新日:2025/06/25
●「テクノ封建制」への抵抗は可能か?
- ――情報テクノロジー化された社会が「封建制」として再定義されるのですか?
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石田 そうなんです。バルファキスが言う「テクノ封建制」は、かつて「土地」が支配の単位だったのが、現代では「情報環境」がそれに置き換わり、その情報環境の地権者、つまりビッグテックなどが、その上に店舗を構えることを許し、代わりにショバ代を取るような構造になっている。だから彼らが得ているものは「利潤」ではなく「レント(地代)」である、というのがバルファキスの読み解きです。僕もそこは非常に納得しています。
ただ、そこからさらに「それをどうマルクス的に読むか」という話になると、この本の解説を書いている斎藤幸平さんの領域になってくるかなと(笑)。僕はそこについては直接の専門ではありません。
ですので、僕の立場としては、むしろ情報環境がどのように成立してきたか、それを経済史や資本主義の枠組みの中でどう位置づけるのか、という視点で読んでいます。そういう意味で、『テクノ封建制』は、僕たちが考えてきた「情報化した社会環境」を経済史的に読み解いてくれる、非常に重要な本だと思っています。
- ――この本では、「テクノ封建制」の鎖から逃れるプランについても触れられています。バルファキスの解決案についてはどうお考えですか。
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石田 正直に言うと、僕は彼の提案にはそれほど説得されなかった。というのも、「そんな風にみんな考えるかな?」と疑問に思ったんです。むしろ、「アマゾンとかグーグルの便利なシステムを使わせてもらってるんだから、クラウド農奴のままでいいじゃん」って言いかねない人の方が多いのではないかと。とくに日本では多いのではないですか?
でも、受け身はダメです。これがカリフォルニアだったら、いや、わたし/ぼくが、次のグーグルとかアマゾンを作るぞ、という若者たちが続々と出てくるだろうし、バルファキスみたいにギリシャだったら、いやそういう搾取の手口はだめだ、もともとギリシャに遡れば、人間は自分たちのポリス共同体を作るのでなければ市民でない、となる。
みんな、自分自身で自分の運命を手にするのでなければ、人間ではないのです。そうでないと、まさに、「奴隷」――つまり、「クラウド農奴」――になってしまいます。
きちんと律儀に「私たちの現実は、変えようと思えば変えられるんだ」と書こうとする人がいるのは、希望であると思っています。
ただ、現実としては、一挙に大きく変えるのは難しい。バルファキスのプランも、すぐに実現できるとは思えません。でも、人間の生活って全部がネットに一元化されているわけではない。たとえば僕なんて、山の中に住んでいますから(笑)。自然の中で生活している時もあるし、身近なコミュニティの中で生きている場面もある。
だから、すべてがサイバー空間に吸収されるような単純な話ではない。それぞれの人が、自分の生活の組織の仕方、ネットとの付き合い方、ローカルなコミュニティの再構築──そういったものを丁寧に積み上げていくこと。それが人生にとって意味のある営みなんだという認識が成熟してくれば、テクノ封建制的な方向にただ流されるのではなく、もう少し違う方向も開けてくるのではないか。現時点では、それくらいの説得しかできないんですよね。でもみんなに考えてほしいし、いっしょに考えてみよう。これがバルファキスが言いたいことです。