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読むダイエット 高橋源一郎

第17回  食べる本

更新日:2023/03/29

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食べることは人生だ

 イサク・ディーネセンの『バベットの晩餐会』(桝田啓介訳、ちくま文庫)はガブリエル・アクセルの手で映画化もされ、アカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞したので、そちらをご覧になった方も多いだろう。原作も映画もデンマーク生まれだが、小説の舞台はノルウェーである。

「(前略)細長く伸びたフィヨルド(中略)の山麓に、子供のおもちゃの町のように、灰色、黄色、白、ピンクなど色とりどりに塗られた木造の家が並ぶベアレヴォーの町がある。
 六十五年前、その一軒の黄色い家に、もう若い盛りもとうに過ぎた中年のふたりの姉妹が住んでいた」

イサク・ディーネセン『バベットの晩餐会』
桝田啓介(訳)
ちくま文庫

 この物語はこんなふうに始まる。このふたりの父親は、キリスト教の「ある敬虔で強力な宗派の創始者」で、この宗派の信者は「この世の快楽を悪とみなして断っていた」のである。実はこの姉妹は若い頃には、とてつもない美人だった。しかし、この宗派の人たちにとって「世俗の愛と結婚生活」に意味などなかった。だから、小さい頃からずっと、あらゆる欲望と離れて生きてきたのである。
 時代は19世紀。姉のマチーヌにはかつてロレンス・レーヴェンイェルムという青年将校が、妹のフィリッパにはフランス人の名歌手アシーユ・パパンが、それぞれ求愛したけれど、清廉潔白な生涯をおくりたいと願う姉妹と結ばれることはなかった。そして、姉妹は、ただゆっくりと、その小さな世界で齢を重ねてゆくのである。
 そんな姉妹の、家のベルが突然鳴らされた。パパンが去って16年後のことだ。姉妹は表のドアを開けた。すると、
「小さな手さげの旅行かばんをさげた、大柄のがっしりとした、膚の浅黒い、すっかり血の気をなくした女が立っていた」

 女は姉妹に、1通の紹介状を差し出す。それは、パパンの手紙であった。その手紙には、この女(マダム・バベット)は、パリ・コミューンの混乱の中で家族を失い亡命したフランス人であり、どうか居場所を与えてほしいと書いてあった。そして、最後に付け加えるように「バベットには、料理ができます」とも。
 やがて、バベットは家政婦として姉妹の下で働くようになる。その力量を疑っていた姉妹も、バベットの能力について知るようになる。質素と節約の暮らしの中でも、バベットは決して料理の質を落としたりはしなかったのだ。いったい、バベットとは何者なのか? それから時は流れ、バベットが姉妹の家の家政婦になって14年の後、ある事件が起こった。14年間で初めて、バベットに、フランスの切手が貼られた1通の手紙が届いたのである。バベットは手紙を読み、姉妹に説明した。フランスの富くじで自分の番号が出た。つまり賞金を獲得したのである、と。その額は1万フラン。
 ここからは、ディーネセンの小説には書かれていないことを書いておこう。いったい、その1万フランにはどのくらいの価値があったのか、ということである。それは、結末の意味にも関わることだからだ。当時、19世紀の中頃の1フランは現在の日本円でいくらに相当するのか。たとえば、バルザックの小説に頻出する××フランの価値がわからなければ、その小説の意味もはっきりとはわからないのだ。
 わたしの知る限り、この問題についてもっとも厳密に研究したのはフランス文学者の佐野栄一さんだ。その研究論文は「バルザックの時代の一フラン」(「流経法学」第5巻第1号所収)というタイトルで、簡単にインターネットで読むことができるので、みなさんも確かめてもらいたい。
 長い間、1フラン=1000円の換算で小説を読んできた佐野さんは、1フラン=500円という説に衝撃を受け、当時のヨーロッパの物価を徹底的に研究する。そうしてたどり着いた結論は、1フラン=500円は「いかにも少なすぎて」、1フラン=1000円でも「なおかなり少なく」、いや、1フラン=2000円のほうが「いいかもしれないとさえ思う」というものだった。

 そう、質素を旨とする家で、静かに暮らしていた謎の女バベットの懐に、現在の日本円にして1000万(~2000万)ほどの大金が転がりこんだのである。よかった、と姉妹は思う。同時に、その金を持ってバベットは懐かしい故郷へ戻るのではないかと思った。バベットは、こんな田舎で生涯を過ごすような女ではないような気がしていたのだ。そんな姉妹に、バベットはこんなことを申し出る。(すでに亡くなってしまった)姉妹の父を記念する百年祭の祝宴の料理をすべて自分にまかせてほしい。そして、それはフランス料理のディナーで、必要なお金はすべてわたしに出させてほしい、とも。そんなことはできないと、断る姉妹に対し、バベットは、この14年間で初めてのお願いです。叶えさせてというのである。姉妹はこう考えて納得する。
「このコックはいまはたしかに自分たちより裕福だし、たった一度のディナーなど、一万フランを手に入れた人間にはどうということもあるまいと」
 準備のための2週間の旅。そして、次々にバベットの下にやって来る「ディナーのための特別な食材」。いったい何が始まるのか。
 そして、運命の日がやって来た。招待されたゲストは12名。ほとんどが、キリスト教のその宗派の信者たち。しかし、その中には、30年以上も前に姉への恋にやぶれ、その後、功成り名遂げ、老年にさしかかったロレンス・レーヴェンイェルム将軍の姿もあった。偶然、伯母の家にいて、招待を受けることになったのである。

晩餐会にて

 やがて晩餐会が始まった。最初は食前酒。どうせたいしたことはあるまいとたかをくくっていた将軍は注がれたグラスを口に運び、鼻を近づけ、じっくり眺め、いったんテーブルの上に戻し、そして呟く。将軍は、驚き、とまどっていた。
「不思議だ。アモンティラードではないか。それもこれまで味わったこともない極上のものだ」
 アモンティラードは高級シェリー。将軍はおののく。これから始まることの予感に震える。なぜなら、この招待客たち、田舎の信仰篤き人たちを除いて、たったひとり将軍だけはほんとうのグルメだったからだ。パリの最高の料理を最高の場所で味わったことのある人物だったからだ。将軍は、スープをひとさじ口にする。
「これは正真正銘の海亀のスープだ、それもなんとみごとなスープなのだ」
 そして次の料理。
「彼はそれをひとくち口にすると、フォークを置いて、額をぬぐった。『なんと、これはまさしくブリニのデミドフ風ではないか』」
 次々に出される料理は、どれもフランス料理の最高峰。そして、その間に注がれるワインもすべてその世界のチャンピオンとでも呼ぶべき逸品ばかりだ。だが、そのことを知っているのは将軍ただひとりだったのである。
 いったい、この夜、特別な晩餐会では何が起こったのか。

「この夜、その後に起こったことについては、ここではっきりしたことを話すことはできない。出席したどの客も、その後のことについては記憶がまるで曖昧だった。覚えているのは、その部屋が神々しい光に溢れ、いくつもの小さな輪光が混じり合って、ひとつの大きな燦然とした輝きになっているように思えたことだけだった。日ごろはめっきり口数の少なくなっていた客たちもここでは屈託なく話すことができ、難聴に悩まされていたものたちも耳が聞こえるようになった。流れる時が永遠の時の中に溶けこんでいった。真夜中過ぎまでその家の窓には明かりが輝き、歌声が流れて、冬の夜の闇に消えていった。
 悪口をたたきあっていたふたりの姉妹(引用者註。主人公の姉妹とは別の)は、胸の中の遠い昔に思い出をさかのぼり、ふたりがながいあいだいがみ合ってきた忌まわしい時期を超えて、いまはもう二十五年も昔になる娘のころに思いを馳せていた。(中略)信者の中のある兄弟は、男同士がするあの手荒な友情の表現で、別の男の胸元にどすんとひとつき食らわせて、大声でこういった。『この悪党め、あの木材のことではわしをだましおって』こういわれた相手は、胸の奥からはじけるように笑い出したが、そのとき、目に涙がにじんでいた。『そう、そうだったな。すまん、そう、そのとおりだった』船長のハルボアセンと後家のオプゴーアンは、ふと気がついてみると部屋の隅にいて、長い口づけを、若いころの夏の白夜にしたあの口づけをかわしていた。
(中略)すべてはいつも心に抱いていた希望が成就されたにすぎなかったのだ。あのときは、この地上での世俗の幻想が、彼らの目から煙のように消え失せてしまって、彼らは本来の世界を見ていたのだ。至福千年の時を彼らは一時間だけ与えられたのだ」

 そして、出席者たちは雪の中を帰っていった。元いた彼らの世界、日常生活と因習とさまざまな規則が待つ世界へ。あの晩餐会は夢だったのだ。
 客を送り出した後、姉妹は、台所に行き、疲れはてて座りこんでいるバベットにお礼をいう。そして、客の誰も料理についてなにもいわなかったことを、自分たちが出された料理をどれ一つも思い出せないことに気づくのである。
 呆然としていたバベットはふたりに向かってこういう。
「わたくし、もとカフェ・アングレのコックでした」
 バベットは、パリ最高のレストラン「カフェ・アングレ」の名高い、天才コックだったのだ。あなたがパリに帰っても、今夜のディナーのことをみんなは忘れない、という姉妹に向かって、バベットは、パリには帰らない、と告げる。そこには誰もおらず、金もないから、というのである。「でも、あの一万フランは」と訊ねる姉妹に、「使ってしまいました」とバベットは答える。
「カフェ・アングレではディナー十二人分で一万フランでした」

 わたしは、『バベットの晩餐会』を読むたびに、不思議な気持ちになる。ほんとうに美味しいものを食べたとき、かつて味わったことのない、陶然とさせてくれる酒を飲んだとき、わたしたちは、自分がどこか知らない場所に連れていかれるような思いになる。
 いや、わたしたちは、この小説の舞台が「晩餐会」であることに気づかねばならない。そこに人びとは集って、話をする。料理はそれを媒介するにすぎない。けれども、そこで供される料理は、通常の料理ではない。そこに集まった人びとにとって、「この地上での世俗の幻想が、彼らの目から煙のように消え失せてしまって、彼らは本来の世界を見て」しまうほどの力を持った料理なのである。
 将軍だけが、目の前の料理の価値について知っている。他の参加者たちは、誰も料理の価値を知らない。けれども、結局同じところにたどり着く。それが『バベットの晩餐会』だ。
 さて、この素晴らしい小説は、こんなふうに終わってゆく。「わたしたちのために、なにもかも使ってしまうことはなかったのに」と姉妹のひとりがいう。すると、バベットはこう答えるのである。

「『みなさんのため、ですって』とバベットはいった。『ちがいます。わたしのためだったのです』(中略)
『わたしはすぐれた芸術家なのです』とバベットはいった。彼女はしばらくの間を置いて、またくり返した。『わたしはすぐれた芸術家なのです』
 台所の静けさには、多くの感慨が込められていた。沈黙を破ったのはマチーヌだった。
『それではこのさき、ずっと貧乏になってしまうじゃないの』と彼女はいった。
『貧乏ですって』とバベットはいった。
 彼女は満足そうににっこりと笑った。『いいえ、わたしは貧乏になることなどないのです、お話ししましたように、わたしはすぐれた芸術家なのです。すぐれた芸術家が貧しくなることなどないのです。すぐれた芸術家というものは、お嬢さま、みなさんにはどうしてもお分かりいただけないものを持っているのです』」

 では『バベットの晩餐会』は、理解されない芸術家の運命を描いた小説だったのだろうか。あるいは、料理というものもその頂点では芸術と呼ぶべきものにすらなりうると主張する小説なのだろうか。そうではないように、わたしには思えるのである。
 パリで天才と呼ばれた女料理人バベットは、彼女の腕、彼女のつくる料理を理解できるブルジョアたちのために料理をつくってきた。コミューンの側についた彼女の家族を殺したのは、彼女の能力を理解できるブルジョアたちだったのだ。
 傷ついたバベットは、故郷を離れ、遠い異国の地で、無名の家政婦、無名の料理人として時を過ごした。バベットがつくったのは、グルメたちのための料理ではなく、天上のための料理でもなく、もっとも質素な、地べたで暮らす、篤い信仰を生きる貧しい人たちのための料理だった。
 バベットは二つの世界を生きたのだ。通常は交わることのないふたつの世界を。豊かさと貧困。都市と農村。芸術と宗教。趣味と信仰。放恣と禁欲。あるいは、過去と現在。夢と現実。そして、記憶と現在である。
「晩餐会」は集う場所だ。誰が集うのか。あるいは、なにが集うのか。
 通常の「晩餐会」は、その仲間たち、そのグループに所属する者たちが集まる。けれども、「バベットの晩餐会」では、別々のふたつの世界に所属する者たちが集まった。そして、混じり合うことのないものが混じり合ったのである。

 いがみあった姉妹が和解し、古い友人たちがかつての友情を思い起こす。別れた恋人たちが、長い時間を経て、あの頃の愛を思い出す。世界を凍りつかせていた氷が溶け、忘れていた風景が甦る。晩餐会の参加者たちは、なぜそんなことが起こったのか知らない。それは、彼らが食べた料理の力であった。いや、彼らが食べたのは、単なる料理ではなかった。バベットがいうように「芸術作品としての料理」であったのだ。
 もちろん、わたしたちはいつも、バベットの作るような料理を食べることができるわけではない。料理というものは、ほとんどの場合、芸術作品ではないからである。それは、わたしたちが生きるために食べるものにすぎない。だとするなら、それは、「芸術」とはもっとも遠いもののはずだ。
 いや、そうなのだろうか。わたしたちは、ただ飢えを満たすため、活動するために、生きて動くためにだけ「料理」を食べるのだろうか。
 そうではない。「料理」には、「食べる」ことには、それ以上のなにかがある。そのことを、わたしはずっと書いてきたように思うのである。

 わたしは、自身のダイエットのために料理を始めた。それまでに料理をしたことなどほとんどなかった。料理は、母か妻がつくるもの、あるいは、外食するもの、あるいは、出来上がったもの、もしくはほとんど出来上がったものをスーパーで買うものであった。わたしは、料理を「鑑賞」する者であって、「料理」を「作る」者ではなかった。「料理」は、わたしの知らない「芸術」の世界にあって、わたしは単なる「鑑賞者」だったのだ。
 もちろん、いまも、わたしは「料理」の世界ではほとんど素人にすぎない。けれども、その世界に参加することのおもしろさならわかるようになったのである。
 美術も音楽も、そう文学も、そうなのだ。参加することによってわかる世界がある。参加することによって、なにがわかるのか。自分は孤独ではないことがわかるのである。

 もう一度『バベットの晩餐会』の世界に、あの晩餐会の夜に戻ってみよう。
 あの夜、供された料理の価値を知っているのは老いた将軍だけだった。けれども、晩餐会の出席者たちは、「料理」を味わうことができた。バベットの「料理」には、それだけの力があったのである。「芸術」の世界でもそんなことが起こる。その価値をほんとうに理解できなくとも、「圧倒」されることはできる。そこに、自分を揺り動かす「なにか」があることだけは、誰にでもわかるのである。そして、揺り動かされた瞬間、人びとを現実の強いしがらみに縛りつけていたものが緩み、彼らは解放される。解放された後、出会うのだ。生まれ変わった者同士が。

 わたしたちは参加しなければならないのだ。わたしたちの「晩餐会」に。

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。

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