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読むダイエット 高橋源一郎

第10回 食事はどこから来たのか、食事とはなにか、食事はどこへ行くのか

更新日:2021/07/21

「2001年宇宙の旅」的な何か?

およそ一〇〇〇万年前のことである。

「ヒトの最も古い祖先に相当する、太古にアフリカ大陸をさまよいながら暮らしていた猿人が、何をどのように食べていたのかは、よくわからない……彼らが集団で発見されていないのは、食べる必要のためだったと思われる。彼らは個別に食べていたのだろう。もっとも、そのはるか後に、食物を探す行為が言語を生み出し、食が家族や部族が集まった際の話題の一つになったのは間違いない」

 一つだけ、この本のタネ明かしをしておこう。人類誕生以前、まだ、猿人という生きものしか存在していなかった頃、その猿人たちは、「ひとりで」食べていた。いわゆる「個食」である。ところが、猿人が進化し、ヒトになってゆくにつれ、家族が生まれ、部族が生まれ、そして、ヒトは「みんなで」食べるようになった。だから、「食」の歴史とは「みんなで」食べることの歴史なのである。ところが、ごく最近になって、大きな変化が起こりつつある。「個食」の蔓延だ。数百万年の時間を超えて、食べ方は、元に戻りつつあるのだ。おおざっぱにいうなら、その謎を解くことが、この本のもっとも重要なテーマということになる。おお、なんと壮大なストーリー!

「七〇〇万年前……ヒト亜族に属する大型猿人アウストラロピテクスが現れた……サヘラントロプス・チャデンシスの個体……トゥーマイは、石器をつくり、編み物をしていたと思われる。食物は、野菜、果物、小動物やその死骸だった……三〇〇万年前に大きな進化があった……アウストラロピテクスは集団を形成した……まだ生食だった……二三〇万年前、エチオピアに最初期のヒト属と見なされるホモ・ハビリスが現れた……道具を扱う能力(はあったが──筆者補足。以下同様)……言語はまだ習得していなかった……一七〇万年前、ホモ・ハビリスは姿を消したが、またしてもアフリカ東部でホモ・エレクトスが現れた……狩猟採集民だった……アフリカ大陸を最初に離れたヒト属(だった)……相変わらず生食だったが、火事などの偶然の際には、火を通した肉を食べた……五五万年前、中国で火の利用が始まった……『北京原人』と名付けられた四五万年前のホモ・エレクトスが利用した炉の跡が見つかっている……火の利用によって大きな変化が訪れた。食物が消化しやすくなった……毒性のある植物を食べられるようになった……夜は、皆で火を囲んで一日を長く利用できるようになった。炉は会話を促し、言語と神話を生み出した……(さらに一〇万年後)……ヨーロッパに『ネアンデルタール人』が現れた……(そして、いよいよ、いまの人類である「ホモ・サピエンス」が出現するのである)……ホモ・サピエンスは少なくとも三〇万年前に『緑のサハラ(現在のモロッコ)』に現れた……一日当たり三〇〇〇キロカロリーを必要とするホモ・サピエンスは、現代人よりも三倍のタンパク質を消費した。食性はきわめて多様だった(野菜、果物、貝類、狩猟肉、さらには乳製品や穀物)。食物の三分の二は野菜であり、このような食性により、脂質と炭水化物を摂取した。火を使って調理したものを食べることにより、腸への負担は減り、消化するためのエネルギーが減ったため、脳の容積は増えた。つまり、ホモ・サピエンスが言語を習得できたのは、火を利用して食べるようになったからなのだ……食べるのは食物があるときだけだったが、食事の時間は規則正しくなってきた。大人数の食事を用意するとき以外は、女性が調理した……ホモ・サピエンスは一三万年間、アフリカ大陸で暮らした後、一七万年前になってようやく紅海を渡ってアフリカ大陸から離れた」

 ざっと、700万年を駆け抜けてみた。目まいがするような超高速で、ヒトみたいなものがヒトになってゆくところをご覧いただいたのである。動物園の檻の中にいるような「猿人」が数十行後には、もしかしたら、現代の我々よりヒューマンな食事(みんなで食べる、ということですね)をしていたのである。

「およそ八万年前……ホモ・サピエンスはイランからインドや中国へと移動した。その際、イネ科植物(シバムギ:雑草の一種)やマメ科植物(インゲンマメやエンドウマメなど)などを食糧としてもち歩いた……食は言語の発展を促した。ホモ・サピエンス以前に存在したあらゆるヒト属の系統よりもホモ・サピエンスが勝っていたのは、言語の発展によるところが大きい……およそ一万年前、数千人のホモ・サピエンスが中東のチグリス川とユーフラテス川の流域に定住した(そして農業と牧畜が始まり、定住民の間に格差が生じ、権力者が生まれた)……権力者は宴を催した。これが饗宴の先駆けだ」

 さて、ここで一つ、みなさんに覚えておいてもらいたいことがある。「宴」や「饗宴」ということばだ。一見、この連載のテーマである「食べる」ことや「ダイエット」とはなんの関係もないこと、あるいは、ことばのように見える。しかし、この「宴」や「饗宴」、いいかえるなら、「みんなで会話しながら食べること」や「豊かな人たちが豊かさを見せつけるために食べること」こそ、さきほども書いたように、「食べる」ことのもっとも重要な本質である、というのがアタリさんのもっとも重要な主張なのである。実は、この本を最初読んでいたときには、途中まで気づかずに、あわててUターンしたのだ。それがなぜ大切なのかは、これから縷々語られることになるだろう。刮目してお待ちいただきたい。

健康法もダイエットもベジタリアンも大昔から

「中国では食と健康が明確に結び付いていた。紀元前三世紀の初頭、鄒衍(すうえん)という名の医師は、万物に五つの要素(金属、木、水、火、土)を見出し、それらの関係から自然の調和が保たれるという五行説を唱えた……中国医学では、食は陰と陽に分類される。『熱い』そして『温かい』食は陽であり、冷たい、酸っぱい、苦い、塩辛い食は陰である……凝った料理をつくるには、陰と陽のバランスを常に配慮しなければならない……医師の張機は……脂っこい肉の入った穀物の粥を食べるときには冷たい水を飲まないようにと指導した。『あらゆる飲食は食欲を満たし、生命の糧になる必要がある。ところが、食は毒にもなる。薬を服用するのではなく、体に悪いものを食べないようにすべきなのだ』……(インドで菜食主義が始まった)……紀元前六〇〇年前から紀元前五〇〇年前ごろのインダス川流域においては、ジャイナ教の発展とともに菜食主義の実践が始まった。この宗教の重要な教義は、生き物全体(昆虫と植物も含む)に対する尊重と非暴力を表す『アヒンサー』である。/ジャイナ教の信者はこの教義を遵守するために、肉、魚、卵、蜂蜜を食べないだけでなく、たくさんの種子を含む果物や、根っこから抜かなければならない植物も食べない(地中の微生物を傷つけないためである)。動物の乳は飲むが、動物愛護の条件を満たして搾乳し、搾乳する量の少なくとも三分の一は動物の子供のために残しておかなければならない……紀元前五世紀ごろにインドで始まった仏教は肉食を禁じた……中国とチベットの仏教は、インドよりも厳格な菜食主義を求めた……旧約聖書の物語の中核には食物がある……旧約聖書では、言葉は食物と密接なつながりをもつ……人間をつくったユダヤ人の神はものを食べない。ユダヤ教では、神の創造物だけが食べるのだ。食べるという行為は、人間と神を区別することでさえある……ユダヤ文化は、食物を懐疑的に捉え、食べすぎは精神を害すると考えていた。絶食によって身体バランスを整えた。断食は年に七日間行なわれた……(一方、ギリシアの神々は)……当初、神々は(人間と)一緒に食事をしていた……ワインは飲まず、人間の食糧は食べず、ネクタル〔不老不死の神酒〕を飲み、アンブロシア(おそらく天然の蜜)〔不老不死の霊薬〕を食べた……(ここで事件が起こった。プロメテウスが獲物の旨い肉の部分を人間に与え、残りの骨を旨そうに見せかけ、ゼウスがそちらを選ぶように仕向けた。怒ったゼウスは人間から火をとりあげた、その結果)……神々から見放された人間は、互いにコミュニケーションを取らなければならなくなった……(食事会、宴会の発生である)……古代ギリシアでは都市国家の問題を解決するために、すべての市民が会食に参加しなければならなかった……その後……市民の会食は日常的には開かれなくなった……(その代り)……五〇人のプリュタニス(行政官のこと)だけが、市民全員の委任を受け……毎日会食することになった……(その中身はというと)……会食の始まりは、神々との関係を修復するための生贄の儀式だった……(そして、食べ、議論し、叡知を得るために酒を飲んだのである)……同時期の中国医学と同様、ギリシア医学は食に大きな関心を抱いた。中国と同様、ギリシアの食餌療法の基本は節度だ……(その中身は、現代でも参考になる)……ギリシア人にとって、農業を行なわない人々、パンを食べない人々、ワインを飲まない人々は『野蛮人』だった。饗宴を行なわない人々も野蛮人だった。というのは、食事は何よりもまず会話の場だったからだ。食はすなわち言葉だったのだ」

ジャック・アタリ『食の歴史 人類はこれまで何を食べてきたのか』
林昌宏(訳) プレジテント社

 中国でもインドでもギリシアでも、紀元前から、「食と健康」の関係について関心が深かったのである。つまり、文明が発生したときから、人間は「ただ食べる」存在ではなく、「健康」を考えて食べた。当然のことながら、現代のように栄養素を分析できるわけでもなかっただろう。だが、彼らは、長年の経験から、なにをどのように食べれば病気になるのか、あるいは逆に病気になりにくいのかを知って、その智恵を貯えたのである。では、その「智恵」はどうやって伝えられたのか。「宗教」や「神話」によって、である。それにしても、「菜食主義」の起源が、ジャイナ教とは、ほんとうにびっくり。それから、かの宗教における「エコロジカル」な観点にも。はっきりいって、21世紀のいま、最先端の考え方といってもいいかもしれないのである。
 どの宗教でも、「肉食」に一定の制約があるのは、生命を大切に、ということと同時に、肉の食べすぎはからだに悪いことを経験的に知っていたからなのかもしれない。いや、いまこそ我々は、仏典や聖書、コーランや「ギリシア神話」を、「食」や「ダイエット」の観点から読み直すべきなのかもしれないのである。
 そういえば、仏教には精進料理があって、あれは超ヘルシー。修行をしているお坊さんたちは、健康で長寿の人、多いものなあ。

ヨーロッパの食文化について、アタリ先生と一緒に考えてみよう

「ローマ、そしてその後にローマ帝国のほぼ全域に拡散したキリスト教は、ローマの宗教やユダヤ教の宗教行事の多くを踏襲した……(だが)……キリスト教はローマの宗教と同様に、そしてユダヤ教とは異なり、食事に関するすべての戒律を次第に緩めた……(とはいえ)……節制と絶食も推奨された。暴食はキリスト教における七つの大罪の一つである……(知ってる)……イスラーム教が登場すると、食は神の恩恵であり、感謝の念を抱いて控え目にいただくことが美徳になった……それまでの宗教と同様にイスラーム教においても、定期的に断食することは信心の表れだった……(こんなにあらゆる宗教で断食を推奨してるとは知りませんでした)……ヨーロッパでは一二世紀以降、巡礼者をもてなす宗教施設が生まれ、『ホテル』という言葉が登場した……こうした宿屋は食事と宿を提供した……(『ホテル』も宗教関係者なのかい)……イタリアが目覚めた(芸術だけではなかったんだね、というか、『食』も一種の芸術なんだろう)……一三〇〇年ごろにヨーロッパ初の本格的な料理本『料理の書』が出版された……シチリア王宮の医師で哲学者のテオドール・ダンティオケ……が、アラブからの強い影響を受けて一三世紀初頭にまとめた栄養学の概論の写しだと思われる……(最初の料理本を書いたのは『医師』で『哲学者』!)……(一方、フランスは世界一の料理王国として発展していった)……一七〇九年、ジャンセニスト〔異端と見なされた一七世紀のフランスの宗教運動家〕で医師のフィリップ・エケは……砂糖に対して初めて警鐘を鳴らした。『砂糖の甘さは健康を害する。なぜなら、砂糖をかければどんな食物であっても食べられるようになるからだ』……(この人も『医師』で『宗教運動家』)……(そして、この頃、ヨーロッパの食卓に革命が起こった。アメリカ大陸が発見されて、新しい食材がやって来たのである。以下、コロンブスが発見した食材を紹介しよう)……キューバで見つけたトウモロコシ……キューバで見つけたインゲンマメ……コロンブスはトマトも見つけた……グアドループ〔カリブ海の島〕で見つけたパイナップル……最初の航海から……もち込んだ唐辛子……サント・ドミンゴからサトウキビ……(ちなみに、チョコレートを見つけたのはエルナン・コルテスです)」

 世界宗教が食べすぎにブレーキをかけているというのに、植民地を求める帝国主義国家のみなさんは、新しい食材を見つけては、どんどん宗主国に送りこんだ。というか、ヨーロッパに送りこんだ。しかし、である。このあたりを読んでいて、わたしは、なんだかひどくもやもやしていた。思い出したのである。
「コロンブス交換」ということばをご存じだろうか。コロンブスの「新大陸発見」をきっかけに、アメリカにスペインを中心としたヨーロッパの人たちが殺到し、彼らは、金銀と奴隷と「新食材」を持ち帰った。その代りに「交換」品として、残していったものがある。「疫病」である。コレラ、ペスト、麻疹、マラリア、天然痘……。多くの感染症が、新大陸の免疫のない人たちを襲い、絶滅近くにまで追いこんだのだ。
「感染症」が「文明の病」といわれるゆえんである。そういえば、最初の感染症は、インダス文明の誕生した頃、単なる風土病が、交通路の発達と共に広がっていったのではなかったろうか。
 いや、コロンブスが持ち帰った(ほんとに疾病の「交換」だ)病気もあったのだ。もちろん、「梅毒」である。ちなみに、コルテスはチョコレートを持って帰って、代りに、「天然痘」を置き土産にしたのである。アタリ先生が指し示す、華やかな食材リストの陰には、気が滅入るような現実があった。しかし、それは、現在でも同じなのかもしれない。当時のヨーロッパの人たちが気にもとめず、新食材に群がったように、わたしたちは、自分が食べているものがどこから来たのかについては(実は無意識に)知りたくないのかもしれないのだ。

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。

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