読み物
第9回 この世界の片隅に
更新日:2021/05/26
さて、今回のタイトルが「この世界の片隅に」となった理由は、最後にわかる予定となっております。お楽しみに。
人間ドックに行ってきた
久しぶりに、人間ドックに行ってきた。2年ぶりだ。だいたい、毎年春に行っていたのだが、なにせ去年は、「新型コロナウイルス」がこの世界に初登場して、阿鼻叫喚の地獄と化したばかりだった。さすがに、人間ドックに行く余裕もなかったのだ。でもって、今年だ。いくら待っても、コロナさんの行状が収まる様子はない。なので、行くことにしたのである。通常は、申し込んでも(その病院のドックは人気もあるらしく)、診てもらえるのは数カ月先と決まっていた。ところが、今回はちがった。電話で申し込むと、「いつでも大丈夫!」というお返事。もしかしたら、「コロナ禍」で、病院に行くのを、みんな敬遠しているのだろうか。さすがに、「リモート人間ドック」はまだ開発されていないのである。
というわけで、スケジュールを調整して、1カ月後に予定を入れた。あとは、3日前からの「痰」の用意(気持ち悪いですよね、あれ。容器に唾を吐きいれるのだが、あまり勢いがいいと、溶液が口元に「はねる」し)、2日前からの「便」の用意(根本的には60年以上前から、やり方が変わっていないのではないだろうか。わたしが小学生の頃には、マッチ箱に入れて持って行ったと思うんだが。いまは便器にトイレットペーパーを敷けと「やり方」には書いてあるけど、ほんとそれ難しいですよ。もっとうまいやり方がないものか。わたしは工夫してやっていますが。どんな方法かは書けません!)、当日朝に「尿」の用意(これにも書きたいことはいろいろある)、そして、数日前から(少なくとも前日は)、消化にいいものを食べることになる。
なので、今回の、検査前日の食事は、というと。
1回目(朝・昼兼用)が、うどん+トリモモ肉+卵+イワシのツミレ。
2回目(夜食)が、白米粥+卵+(最近凝っている、小林弘幸順天堂大学教授監修の)「健康みそ汁」。
以後、検査終了まで、水しか飲めない。寝る頃にはお腹が空く。空くわけだ。白米を食べるのなんて(しかも「お粥」)、何カ月ぶりだろう……。
翌朝、7時30分に病院到着。当然といえば当然なのだが、全員マスク着用である。「健康管理センター」で受け付けしてもらっていたら、横には「出国」のため「コロナ陰性」の証明書を取りに来た外国人(通訳付き)がいた。時代を感じさせる光景だ。
控室で着替えて、待機用のサロンへ行く。すぐに、MRIやCT撮影である。ここで、一頓挫。検査中もマスク着用なのだが、わたしのしていったマスク(おシャレなブランド物)、金属の糸が縫い込まれていたらしく「すいません。変な影が写るんではずしてください……」といわれたのである。ゴメンなさい。それから、さらに諸々の検査の後、ビッグイベントの胃カメラ&大腸カメラである。まずは、大腸の「完全清掃」をやらなきゃならない。前夜、就寝前に下剤を飲み、すでに四度も排便して中身はほとんどないはずなのだが、そこからが本番。追加の下剤と2リットルの調整液を2時間かけて飲み、すべてを排出し尽くすのである。わたしの大切な「腸内細菌」ちゃんもいったん、ほぼ姿を消すのだが、しばらくすると元に戻るといわれている。身体の不思議である。
初めて胃カメラを「呑んだ」のは、20年前に胃潰瘍になったときだった。マジで死にそうだったので、入院してからは毎日、胃カメラを「呑んで」いた。そのせいだろうか、自分でも天才じゃないかというぐらい「胃カメラ呑み」が上手になって、そのうち、胃カメラの時間が楽しくなったのだ。ところが、退院して以来、人間ドックで「呑む」胃カメラはやっぱり苦手になり、いまでは、鎮静剤を服用してから「呑む」ことにしている。大腸カメラを「呑む」(「呑む」場所はちがうけど……)ようになったのは、5年前から。
というわけで、「胃カメラ」⇒「大腸カメラ」の順番で「呑む」ことになったのだが、今回は鎮静剤があまり効かなかったようだ(もしかして、量を減らしたのだろうか)、「胃カメラ」では久しぶりに意識があったし、「大腸カメラ」は、痛かったのである。あのカメラの先端が、大腸の「四つ角」を通過するたびに(うまく回れずに)腸壁が圧迫されて痛むのである。経験されたことのある方は、おわかりのことと思うが、内臓が圧迫される痛みは、ただの痛みではなく気持ちが悪い。
「先生……痛っ……痛いんですけど……」
「そうですか? じゃあ、鎮静剤増やして」
すいません。うるさい患者……じゃなく、受診者で。
というわけで、すべては終了。
「ポリープあったので、切除しときましたよ」
「あっ……あざーす」
詳しい結果がわかるのは、しばらく後になるが、とりあえずの「速報値」を担当の内科医の先生から聞いた。簡単にいうなら「問題なし」。2年前の前回に比べて、悪化しているものもほとんどなく、「健康体」であるとの御告げである。よかった。
ここで一つ、今回の連載に深く関わりのある結果についてお知らせしておきたい。検査直後の数値をざっと見ていた先生が、深くためいきをついて、こうおっしゃったのだ。
「この数値、めちゃくちゃいいですね。なにかやってますか? 運動とか」
「ダイエットのために、3年前からスクワットとウォーキングをやっています」
「そのせいですね。これなら、少々食べても太らないでしょうねえ」
そう。先生から褒められたのは、「基礎代謝」の数値であった。まさしく、この連載の1回目で、体重が増えたことに驚愕したわたしが、取り組んだ「プロジェクトX」のキイとなるもの。それが、スクワットとウォーキングによって基礎代謝をあげることだったのである。「基礎代謝」とは、いうまでもなく、なにもしなくても、カロリーを燃焼してくれる最低限の数値。血と汗と涙の苦闘が実ったのである。これにて、連載完……とはならないのだが、一つの節目を迎えたのは間違いない。
とはいえ、大腸ポリープを切除したので、一週間ほどは食事の内容を制限しなければならない。そのために渡された紙を見て、わたしはため息をついた。
「食べていいもの」⇒うどん、そうめん、白米、おかゆ、パン。
これ、ふだん食べないようにしている食材なのだ。もちろん、その他にも「鳥ささみ、豚ヒレ、牛モモ等の脂肪の少ない赤身肉」や「卵、豆腐、豆乳」など、ふだん食べている食材もある。しかし、禁止食材のリストを見てみると、
「食べていけないもの」⇒胚芽米、麦芽玄米、雑穀米、胚芽パン、ブラン、ライ麦パン、サバ、アジ、サンマなどの油の多い青魚、食物繊維の多い野菜、種のある果物、ネギ、キノコ、納豆、豆類、ジャム、ゴマ、ナッツ類、コーンフレーク、海藻類。
いまわたしが食べているものは、ほとんどすべて禁止なのである。ということは、これらの食物は「身体には優しい」が「胃や腸には優しくない」ということなのだろうか。どれも「消化は悪い」ものなのだ。さすがに、そこまでは考えたことがなかった。この点については、さらに研究を続けたいと思う。
そして、もう一つ。
人間ドックに行くついでに、いろいろ調べていたら、過去のドックの結果がまとめて出てきた。いちばん古いものは、平成4年(1992年)のものだった。体重とBMIだけ書き出してみた。
1992年(41歳)60・9キロ 20・6
1993年(42歳)62・2キロ 21・0
1998年(47歳)63・5キロ 21・3
2000年(49歳)60・0キロ 20・2
2001年(50歳)64・5キロ 22・0
2002年(51歳)66・2キロ 22・2
2003年(52歳)64・9キロ 21・9
2005年(54歳)64・5キロ 21・6
BMIは肥満度を示す指数で、男性の場合、標準が15・0~24・9、それ以上が「肥満」となる。標準も三段階に分かれていて、標準(1)が15・0~17・9、標準(2)が18・0~21・9、標準(3)が22・0~24・9、である。
思えば、この頃は、なんの節制もしていなかった。しかし、体重を見れば不気味に増えつつあったのだ。連載1回目の体重は69・5キロ、BMIは23・9、「あとちょっとで肥満の入口」だったのである。
ちなみに、2021年(70歳)の速報値は、「62・6キロ 21・1」であった。
長生きするなら、ばぁばの知恵
なぜ人間ドックに行くのか。そこに人間ドックがあるから……というわけではありません。いうまでもなく、健康な生活を送りたいためだ。いや、わたしが、ダイエットというものに取り組むようになったのも、別に美しい体型を維持したいためではない。というか、もともと美しくもなんともないです。
できうるなら、健康で長生きをしたいと思ったからである。この点については、多くの読者の方々のご賛同を得ることができると思う。健康だったけど突然死、ということにはできるだけなりたくない。まだ子どもは高校生だし、連載だってたくさん残っている。あと支払わなきゃならないものもまだあるのだ……。けれども、長生きしたけど、ベッドから出られないまま、というのもごめんこうむりたい。となると、「健康」&「長生き」の両取りを狙うしかない。これは、もしかしたら、あらゆる人間にとって根本的な欲望の一つなのかもしれないのだ。
では、どうすればいいのか。いちばんなのは、「健康」&「長生き」を成功させた方に聞いてみることではないのか。それを思いついたとき、わたしは思わず叫んだ。
「どうして、そんな簡単なことに気づかなかったのか!」
もちろん、行き先は決まっている。「本屋」だ。「本屋」に必ず、「健康」&「長生き」に成功した人たちの記録があるはずなのだ。
あった。ありました。何冊も。そして、それらの本たちに驚くべき共通性を見つけたのである。いいですか、みなさん。本屋さんに行ったら、こんな本を見つけてください。
「表紙におばあさんの写真があって、そのおばあさんが手に鍋か皿を持ってニコヤカに微笑んでいて、その本のタイトルに『90歳代』のいずれかの年齢が入っている本」
それこそが、わたしたちがいま読むべき本なんですよ!
というわけで、今回ご紹介したいのは、次の3冊である。
『91歳、現役料理家の命のレシピ 食は生きる力』(城戸崎愛著 マガジンハウス)
『いのち愛しむ、人生キッチン 92歳の現役料理家・タミ先生のみつけた幸福術』(桧山タミ著 文藝春秋)
『ばぁば、93歳。暮らしと料理の遺言』(鈴木登紀子著 主婦と生活社)
はっきりいって、中身など読まなくても、タイトルと写真を見ただけで、どの本も信頼できるような気がするではありませんか。それが証拠に、どの本も、大手の出版社から出版されている。わたしの知る限り、料理本の多くはマイナーな出版社や、料理本専門の出版社から出ているものが多い。なのに、この「おばあさんの写真+90歳代」本たちは、まったくちがうのである。おそらく、大手出版社の人たちも、「このおばあさんたちなら大丈夫」と思ったのだろう。まずは、『91歳、現役料理家の命のレシピ 食は生きる力』から読んでいくことにしよう。
高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)
1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。