Nonfiction

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読むダイエット 高橋源一郎

第9回 この世界の片隅に

更新日:2021/05/26

糖尿病からの生還

この本に触れる前に、どうしても一言書いておきたいことがある。表紙の城戸崎愛先生のお写真、見れば見るほど、わたしの母親にそっくりなのである。マジ、ビビる、というやつだ。いったいどういうことなんだろう。もしかしたら、人間は老いてゆくと、同じような種類の顔、というか、いくつかのパターンの顔になってゆくのではないか。その一つが、わたしの母親のような顔、というか、城戸崎愛先生の顔なのだ。もし、本屋の店頭で、城戸崎先生の顔を見つけたら、それ、わたしの母親とそっくりだと思い出してください。
 この城戸崎先生の本、まず、冒頭から読者に衝撃を与えるのである。最初の一行が、これだ。

城戸崎愛『91歳、現役料理家の命のレシピ 食は生きる力』
マガジンハウス

「あれはちょうど60歳のころ。たしか梅雨どきでした。指先のちょっとした傷がなかなか治らない」
 とても料理の本とは思えない書き出しではありませんか。いったいどうしたんだろう。心配した城戸崎先生は病院で診察を受ける。そして採血。
「城戸崎先生、ちょっと糖が出てますね。1週間後にくわしい検査をしましょう」
 えっ、糖尿病なの? 城戸崎先生は、ショックを受ける。当然だ。そしてこう思う。
「糖尿病にかかってしまった料理家に、仕事なんてできるのかしら」
 そりゃそうだ。当然の心配である。ところが、城戸崎先生は、こう結論づけるのである。
「そうだ! 糖尿病が確定したら、もう好きなものは食べられなくなる」
 えっ、そこ?
「われながら、自分の“食い意地”に感心しますが、そこはもう滑稽なほど。好きなケーキ、チョコレート、こってりした肉料理、バターたっぷりのソース、鰻……。食べおさめと、ばかりに、食べまくりました。だって、びくびくしたって、仕方がないでしょう」

 いや、この部分を読んで、わたしはちょっと感動したのである。「現役料理家の命のレシピ」などというタイトルだから、我々、「健康」を目指す読者としては、どのように厳しい節制の日々を送ってきたのだろう、と思う。そして、高い目標を達成した先達の「爪の垢」でも煎じて飲んでみたい、と考えて、このような本を読むのである。
 だというのに、城戸崎先生、いや、ここから「愛先生」と呼ばせていただこう。「愛先生」と来たら、糖尿病かもしれないのに、高カロリーのものばかり食べちゃうのである。 愛先生ったら、カワイイ!
 そう、この冒頭部分から、著者である愛先生と読者である我々との間にあった垣根が壊れてしまうのだ。小説家としても見習いたいところだ。
 さて、愛先生はカワイイが、事態は風雲急を告げた。しかし、ここで挫ける愛先生ではなかったのだ。糖尿病……もう好きなものはなにも食べられないのか、そう思っていた愛先生に、医者は、こう告げたのである。
「糖尿病で食べちゃいけないものはないです。栄養のバランスを考えながら1日の摂取カロリーを守ってもらえたら」
 えっ、そうなの? わたしも知りませんでした。愛先生は「1単位80キロカリーで、18単位。1日1440キロカロリーに制限するように指導されました」。
 そこで、また愛先生は考えた。
「そういえば、60歳のわたしは、体重もピークでした。太ったかな、と思いながらも、『料理の仕事をしているし』『ラブおばさんのイメージはふっくらだから』と自分に言い聞かせて、体重計に乗ることすらずっとありませんでした。
 病院で体重計に乗せられて、計測。びっくりしました。97キロあったのですから。目を逸らしつづけた現実が数字になって迫ってきました。これは、まずいな、と」

 わたしなど、わずか69・5キロで慌てふためき、この連載を始めたのだ。やはり「ラブおばさん」(愛先生のニックネームである)はただ者ではない。というか、この本、単なる料理本ではなく、97キロに増量して、糖尿病になった料理家の、病からの復帰と、長生きの記録なのだ。めちゃくちゃ役に立ちそうではありませんか!

 さて、このような状態に至って、「ラブおばさん」(ここからはこう呼ばせていただきます)は、過去を回想する。ざっと計算すると、1日3000キロカロリー(!)を食べていたことに気づいた「ラブおばさん」は、いよいよ、「糖尿病対策」という名の「ダイエット大作戦」に着手するのである。

 さっきも書いたように「18単位、1440キロカロリー」を目標に、「どう工夫すればおいしいものが食べられて、しかも食事療法が長続きして、血糖値を安定させるか。これは難解なパズルのようなもの」を解く旅だったのだ。
 最初の一カ月で「ラブおばさん」は7キロ減。さすが、だ。そこで主治医が、「毎日、体重を測っていますか?」と訊ねると、「ラブおばさん」は、数字は見たくないから、持ってないと答えたのだ。すると、医者は、「これは絶対にお願いします。体重計をすぐに買って毎日決まった時間に測って、記録しなさい」と厳命するのである。
 ダイエット経験者にとってあまりにも常識的な、いわゆる「レコーディング・ダイエット」である。記録することが習慣になるだけで、体重が減る、というマジック。いえ、マジックではありません。記録することは、気をつけること。そこからすべてが始まるのである。
 ちなみに、カミュの小説『ペスト』では、主人公の医者リウーは、ひとりでペストの災禍を記録するし、『ロンドン・ペストの恐怖』で、作者のデフォーは、当時のロンドンを襲った、やはりペストの記録を発掘した。第一次世界大戦時、その戦争の死者より遥かに死者の多かったスペイン風邪の世界的流行を追った『史上最悪のインフルエンザ』で著者のアルフレッド・W・クロスビーは、最後の章のタイトルを「人の記憶というもの──その奇妙さについて」とし、その中で、どんな災害も記録に残さなければ、人はすっかり忘れ去ってしまう、と書いた。歴史家が、歴史書を書くのは、人々はみんな、なんでも忘れてしまうからなのだ。
 まさしく、体重計に乗ることこそ、体重オーヴァーという感染症(?)を記録することであり、それを決して忘れず、克服する旅への第一歩なのである。

「18単位、1440キロカロリー」、体重計、その次に、主治医が「ラブおばさん」に厳命したのは「1日20分は歩いてください。少し速足で」。アドバイスはこれだけ。まことにもって、ダイエットの本質をついた指摘だ。3年にわたって、ダイエットを敢行しているわたしもそう思う。カロリーを減らし、体重計に乗り、毎日歩く。これだけで、どんな人でも、体重は減少し、健康になるはずである。かくして、散歩など面倒くさくてしたことがなかった「ラブおばさん」は散歩をするようになる。そして、
「これまで東京に暮らして50年以上になりますが、自分の足で歩くことで、まったく新しい東京の魅力に気づきました」
 そうこうするうちに、わずか1年あまりで、97キロもあった体重は70キロ台を切り、65キロ近くにまで落ちたのである。30キロ以上減、だ。
 いや、それどころか、カロリーを減らす食事は、料理家としての「ラブおばさん」の考え方そのものを変えてしまったのである。
「正直に申し上げましょうね。わたくし、糖尿病とご縁ができるまでは、野菜嫌いでした。料理家を名乗っておきながら、お恥ずかしい。どうか、責めないでくださいね。そんなわたしが、今では野菜が大好き。60歳にして野菜のおいしさに目覚めたのです」 
 これもまた、「ダイエットよくある話」の一つである。糖尿病食事療法のため、バターもマヨネーズも塩分も減らす。そうやって作ったサンドイッチの野菜が「目が覚めるほどおいしかった」と「ラブおばさん」はおっしゃるのである。
「糖尿病にならなかったら、味つけの『引き算』には、気がつかなかったでしょう。そして、旬の野菜のほんとうのおいしさにも」

 わかっていただけただろうか。「糖尿病とご縁ができる」、病気に対して、こんな優しい言葉づかいができるなんて。この精神を忘れてはならない。当コラムをお読みのみなさんの多くは、公然と、もしくはひそかに「ダイエット」を目指していらっしゃると思う。そして、できれば、そんなことをしたくなかったとも。
 ちがうのである。
「ダイエットとご縁ができる」あるいは「肥満とご縁ができる」、この精神こそ必要なのだ。「ダイエット」や「肥満」、あるいは「病気」でなければ、気づくことがなかった、広大な世界を、いま、わたしは探求している。なんと幸せなことだろう。「肥満」万才、というしかありません。

 ちなみに、「ラブおばさん」は神戸生まれ、大手製粉会社に勤める父の都合で、東京へ。東京家政学院卒、東京會舘クッキングスクールで料理を学んだ。戦争中、肺結核を発症したが特効薬で回復、29歳で12歳年上の商社マンと結婚、その後、子宮がんとなるが、その入院時、病院食の味気なさに作ったフレンチトーストが、患者や看護師たちに話題になったことが料理家への第一歩だった。やがて、昭和40年、夫のフランス赴任と共に渡仏。フランスの名門料理学校「ル・コルドン・ブルー」に入門、2年後、日本に戻ったとき、「料理家」「ラブおばさん」が誕生したのである。
「ラブおばさん」は、1925年7月1日に生まれ、2020年2月13日に逝去された。享年94歳。最後まで現役料理家であり、糖尿病になってもへこたれず、それを活かして、新たな料理家への道を歩んだのである。

早寝早起き、お日さまと一緒に

 それでは、次は桧山タミ先生の『いのち愛しむ、人生キッチン 92歳の現役料理家・タミ先生のみつけた幸福術』を開いてみよう。最初のところに、タミ先生の生涯について書かれているが、それは後でふれることにして、本文である。
「わたしは朝陽が大好き。一日は、お日さまへのご挨拶からはじまるんです。
起床はたいてい4時くらい、朝が待ち遠しくて早く目が覚めます。リビングの窓を開けて風を通したら、ゆっくり深呼吸します。
(中略)
 それでも、いよいよ日が昇るその瞬間は、毎回胸が躍ります。東の空から少しずつ白み、太陽の光がサーっと世の中を照らしていく、その美しい情景のありがたいこと! 自然と両の掌を合わせて拝んでしまいます。
『お日さまー、おはようございます。今日も一日よろしくお願いします』と太陽の光を浴びて活力をいただく。これが長年変わらない朝の大切な日課です。

 朝の光って、ほんとにすごいんです。野菜や草花も、朝陽で植物ホルモンを活性させて、昼の間にその栄養を巡らせるそう。だから朝採れ野菜はみずみずしいのね。きっと人間も同じようにお日さまの栄養をもらっているのでは? 朝陽を浴びると、明るい気がからだに入り、元気が満ちてくる気がします。
 同じ太陽でも夕方の光は黄昏(たそが)れて、枯れた気の感じ。そういえば『夕陽があたるところに花が咲く植物を植えたら、その年はよくても翌年は咲かんよ』と母が言ってましたけど、これも太陽の光の性質によるものでしょうね」

桧山タミ『いのち愛しむ、人生キッチン 92歳の現役料理家・タミ先生のみつけた幸福術』
文藝春秋

「ラブおばさん」が「糖尿病」の話から始めたのに対して、タミ先生は「太陽の光」から始める。よく考えてみると、ふたりとも、まったく正反対の方向から、始めている。ただし、共通しているのは、料理からスタートするのではない、ということだろうか。
 料理家だって一年中、料理のことばかり考えているわけではないのだ。料理の根本には健康があり、健康の根本には太陽がある、とタミ先生はおっしゃる。太陽光を浴びると、さまざまなホルモンが活性化することは常識だ。もちろん、タミ先生がおっしゃりたいのは、そんなことではない。
 確か、前回、ほとんど青汁しか食べない(飲まない?)のに、ずっと健康を維持していらっしゃる女性を紹介したと思う。あのとき、わたしが感じたのは、「この方はもしかしたら光合成をしているのではないか?」ということだった。もちろん、それは科学的にはおかしいのかもしれない(いや、わからんけど)。けれども、健康に関した本で、「太陽光」の悪口を書いたものは一つも存在しない。そりゃそうだ。
 朝早く起きる。バランスのとれた食事をとる(2食、もしくは3食、まあ回数については諸説あるが)。きちんと運動をする。夜はなるたけ早く寝る。実のところ、ダイエットも健康も、すべては、この単純な組み合わせ以上のものはないという事実に帰着するのである。となると、最初に「太陽光」への讃歌を置くことこそ、正しい始め方なのだ。

 それでは、(この本の執筆時)92歳にして、現役の料理家として働いていたタミ先生に健康法を聞くことにしよう。みなさん、メモの用意をどうぞ。

「健康のための習慣については、よく質問されます。でも高価な健康食品も長生きの秘術も持ってないんですよ。早寝早起き、からだが喜ぶ季節のものをいただきます。のんき者はストレスも溜まらない。
(中略)
 人工の冷たい風が嫌いなので夏でも冷房は入れないし、冬晴れの気持ちがいい日なら、窓を開けっぱなしにしてもへっちゃら。暑さ寒さに強くなれたのは、シュロのタワシを使った乾布摩擦のおかげです。(中略)これは良さそうと、40歳くらいからはじめたことで、まだ50年ね」
 自然体がいちばんいいのだ。わかっている。わかっているけど、冷房はいるなあ……。そして献立。タミ先生は、健康初心者のために、最近の献立を書き出してくれている。
「主食の穀物に、汁もの、おかずには野菜をどっさりの『一穀多菜』が基本です。

[冬のある日の三食]
朝食─ごはん、味噌汁、根菜の煮もの、ちりめんじゃこ、納豆、海苔、ミカンなど季節の果物
昼食─ごはん、味噌汁、山芋のすりおろし焼き、大根とニンジンのヴィネグレットソースサラダ
夕食─ごはん、豆腐鍋、小魚と昆布の佃煮

 夏の朝は、薬味たっぷりの素麺や冷や汁。秋冬の朝は、ダッチオーブンで焼いたホカホカのお芋。お気に入りのピーナツパンがあれば、自家製ジャムに紅茶という日もありますよ。お肉よりもお魚、牛肉と乳製品はいっさい食べません」
 そう、このへんはわかる。少しでもダイエットを齧ったことがあれば。しかし、それで終わるタミ先生ではない。この献立の裏には、こんなものが潜んでいたのだ。

「50歳を過ぎたら、腹六分目でいい。肉体労働やスポーツをしている人でなければ、腹八分目より、さらにもう一歩手前で止めてみて。頭では少しもの足りなく感じるでしょうが、胃袋というのは減らされた量にすぐに慣れるもの。食間にお腹が減ったら、わたしはナッツや小魚を食べておきます」
 なんだかこうやって書き写していると、いままで、この連載で書いてきたことが、繰り返され、「答合わせ」をしているような気になってくる。
 健康の達人、ダイエットの達人たちは、全員、口を合わせて「少なく食べろ」というのである。そして、「胃」はそれに合わせて縮小してくれるのだから、と。いや、ほんとにそうです。3年前の量、わたしには、多すぎ、もう食べることができないのだ。明らかに、胃が縮んでしまったのだ。なのに、筋肉量は増えている。そりゃあ、体重が減るわけである。
 だが、タミ先生の教えの秘密は、さらにこの先にあるのだった。

「お料理は腕力が要るの。土鍋や中華鍋も、わたしが使っている道具はどれも重いのばっかりですから、腕は鍛えられてます。

 それから足もと。何歳になっても土鍋を持ってしっかり立てるように、からだを支える足もとを鍛えておこうと、70代から階段を昇り降りしていました。うちは高層階ですから、いい運動と4~5年ほど続けてましたよ。
 ですが、階段ってコンクリートでしょう。足への衝撃が強過ぎたようで、80歳になったばかりの頃、足を痛めてしまったんです。歩く場所が悪かった。土や砂浜の上を歩くか、木昇りにすれば良かったのよねえ(笑)。
 それで、足の筋を痛めて杖生活になったんです。年齢からしてまわりは最悪動けなくなる心配もしたそう。でもね、わたしは『絶対自分で治そう!』と決めていましたよ。自分の不始末でこうなってしまったことだから、自分で治さないと、神さまに申しわけが立たないでしょう」
 かくして、タミ先生は、豚足を煮込んでゼラチンを抽出し、毎食のおかずに混ぜて食べた。
「これを2~3年食べ続けて、とうとう日常生活では杖いらずに! 人の筋肉は80歳からでも強くなる。食べることで、からだは再生できるんですよ」
 どうだろうか。なんという前向きな精神、そもそも「神さまに申しわけが立たない」ですから。これは、「糖尿病とご縁ができる」に通じる考え方ではあるまいか。
 最初に「意思」があるのだ。ただ健康になりたいとか、ただダイエットしたいとかではない。この世界に生まれたからには、「より良いからだ」であることが義務である。タミ先生も、「ラブおばさん」も、そう考えているような気がするのである。それにしても、「人の筋肉は80歳からでも強くなる。食べることで、からだは再生できるんですよ」ですよ。なんだか、めっちゃ希望が湧いてきませんか。

 タミ先生の生涯についても少し記しておきたい。
 タミ先生は1926年に生まれた。11人兄弟の10番目だったそうだ。博多の女学校を卒業後、17歳のとき、伝説の西洋料理研究家・江上トミ先生の門下生となる。わたしの幼い頃、テレビ草創期の看板番組が、この江上トミ先生の料理番組だった。「江上トミでごさいます」という独特のイントネーションを、わたしの同世代以上の年齢の人たちは覚えているだろう。31歳で夫を亡くし、幼い子どもふたりを抱えシングルマザーとなったタミ先生は、1964年、38歳のとき、全財産をはたいて、トミ先生(ややこしいですね) と共に世界各地への「食の視察旅行」を敢行した。この旅行が、タミ先生を料理の世界の住人にする決定的な経験となったのだ。タミ先生は、やがて、高級フランス料理から、「からだと心を育てる伝統的な『日本の家庭料理』」に回帰するのである。
 そして、最後に、この本の刊行(2017年)以降のことについても記しておきたい。昨年の12月に発売された「婦人公論」にタミ先生の記事が掲載された。長く続いた「桧山タミ料理塾」は2019年11月をもって解散、その後、2020年1月から、弟子たちを中心に「桧山料理勉強会」が発足した。だが、直後の「コロナ禍」による、無期限の休止となった。けれども、タミ先生は、いままでずっと働いてきたので、少し休もうかと思っているといいながら、なんと、いまも、畑仕事に精を出されているそうである。なんてすごい95歳なんだろう。

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。

  • オーパ! 完全復刻版
  • 『約束の地』(上・下) バラク・オバマ
  • マイ・ストーリー
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